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Posted by - 2024.04.30,Tue
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Posted by Ru Na - 2016.09.20,Tue
17日の中流域鳥調査日は、どんよりした曇り。
気温は低めだが、空気が湿気で飽和状態で視界が白っぽいほど。
川面を元気に飛び回る4羽のチドリがいた。
1羽が何となく小さく、「イカルチドリにコチドリが混じっている?」
と、皆注目する中、河岸に降り立ったのを見ると、
イカルチドリの幼鳥だった。

 

こちらは親鳥?

 

鳥の種類は少なかったが、ムクドリ、オナガ、カワラヒワ・・・と、
群で行動しているものが多く、特にカワラヒワの大群は久しぶりに見た。
電柱にとまるムクドリたち。

  

スズメの群もまるで五線譜のように電線に。ほとんど幼鳥のよう。

  

紅葉にはまだまだ早く、曇り空で色彩が乏しいが、
所々で鮮やかな秋の色彩のスポットがあった。



          



          

ノブドウの実も色づき始めている。

   

高鳴きするモズ君。

  

逆巻く水流を見つめるアオサギ。

  

コサギやダイサギも、コロニーからちゃんと出勤していた。

 







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Posted by Ru Na - 2016.09.20,Tue
15日の中秋の名月は、厚い雲に隠れて見られなかった。
月がより美しくなるという翌日は、薄い雲で滲んでいた。

 

雲が流れて、時折丸い形が現れる。

 

同日、河川敷にはコスモスの花が咲きほころび始め、
季節は確かに移ろっている。

   

   

 

猛暑の後、夜風に涼が混じるこの頃、恒例となった明かりのイベントが
始まっていた。
十六夜のこの宵、川原に落ち着いた雰囲気のステージや屋台が立ち、
朧な月の下、人々が闇と光の中を行き交い、穏やかな宵を楽しんでいた。

           

           

川原の芝に設置されたLEDの光の絨毯。

 

この日以降、台風の影響で天気は下り坂。雨が続いている。






Posted by Ru Na - 2016.09.15,Thu
9月に入っても暑い日が続き、夏はまだまだ終わりそうもなかったが、
朝晩の涼しさ日落の早さに、季節の移ろいが感じられる。
先日、数年ぶりの県境の山を訪れた。
山と言っても標高千メートルにも満たないが、我が町の奥座敷と呼ばれる
温泉の山壊で、鏡花の小説にも出てくる。
遭難者が出るくらいの登山ルートも何本もあり、様々な楽しみや憩いで、
地元民の大切な宝のような一帯である。
私にとっても、事故で腰を痛める前は自転車でしょっ中山頂近くまで登っていた
馴染み深い山である。

今回は、長年慣れ親しんだいつものコースではなく、
あまり知らない遠い方の山麓から車で上がり、稜線沿いを縦走する道を通って、
お馴染みの夕霧峠に出るルートを取って、山をぐるっと一周した。

真新しいススキの穂が、さらさらと秋風に揺れる。

  
山肌が幾重にも重なるその山が発する気を思い切り吸い込んだ。

 

この近くから、



        ここを通って、

        

懐かしい夕霧峠へ。



昔は何の変哲もない無人のコンクリートの山小屋だった。
いつのまにかこんな洒落た屋根が付けられていた。

稜線の道からは隣県の平野、散居村の眺めが広がる。

 

薄曇りの雲の合間から地上に落ちる陽が、平野の上に光を走らせ、
明るいスポットが移っていく。

 

   君は行く 明るき暗き大空のだんだらの・・・

 村山槐多の2月の空を詠った詩だが、この一節がなぜか頭に浮かぶ。


涼混じりの空気の中、軽やかな蜻蛉の透いた羽が空気をいっそう軽くする。


 
 ヤマモモにじっととまって動かず。
 

蝶の飛翔にも秋の気配。

 

夕霧峠のすぐ下の道。急坂である。
ここをマウンテンバイクやランドナーで登っていた頃を、
懐かしく想い起こした。

  




 

Posted by Ru Na - 2016.08.31,Wed
こちらでは、変な動きをする台風10号の重大な影響はほとんどなく、
8月も早や過ぎ行こうとしている。
(この台風による被災地、またイタリア中部の地震被災地の方々に
お見舞い申し上げます。)
まとまった強い雨が断続的に降り、気温が急に下がったが、
強風も無く、今日は昨日より8℃高い真夏に逆戻り。
日差しはぎらぎらと、夕方サギコロニーに出かける時間帯もまだ
33℃近くあった。
流石に夜は涼しさが戻り、巣立って飛び回るサギのヒナたちの姿にも
季節が感じられる。

多忙すぎる日々に、「冬になったらとりかかろう。」という事ばかり
どんどん溜まっていくが、それでも新聞はなるべくじっくり読む、
というのが日課。
家では3紙購読しているが、どうしても目を通したいのは1紙半。
いくつかの記事や評論やエッセイが、いろいろ考える材料になっている
ものの、反芻しないと数日後には忘れてしまう。
その時々に心惹かれた文の内容を、時々書き留めておくのもいいかもしれない。

楽しみにしているのは、朝日新聞1面の隅に載っている「折々のことば」。
著名人のことばも市井の人が何気なく言ったことばも、分け隔てなく
哲学者の鷲田清一さんは取り上げ、短いうがった解説を付けている。
全ての解釈に共感しているわけではないが、時々とてもすとんとくる。

もうずい分前だが、
「聞いていない。」-無能な上司
その翌日、
「もう決まった事だから。」-同上

と、2日連続。別に会社でなくとも、日常にありがちな事。
信頼していた人が、大切な場面でこういう事を言ったことがあった。
今思えば、その人を過大評価していたようだ。

最近印象深かったのは、
「人間が抱く嫉妬の中で最も暗くて陰湿なのは、対象となる人間の
正しさや立派さに対してなの。」-宮本輝の小説より

皆それぞれ独立した個であり、違うのが当たり前と、人間を捉えていれば、
嫉妬心など起こり様がないはずだが、右へならえが好きで、
他人を自分と同じ地平に引き摺り下ろして考えがちな日本人気質は、
嫉妬深い国民性と言われても仕方が無い。
(以前スペイン人の女の子に日本人ってとても嫉妬深いみたいね、
と言われた事がある。)
それが更に進むと・・・・。納得。

「“自由の獲得”は劇的な政治変化を伴うのに対し、“自由の喪失”は
音もなく徐々に、ほとんど人の気づかぬうちに進行することが多い。」
               -猪木武徳 経済学者

現在起こっている事。






Posted by Ru Na - 2016.08.25,Thu
いつの間にかリオデジャネイロ・オリンピックが始まり、
いつの間にか終わった。
そのどさくさに、伊方原発は再起動し、海外派兵された自衛隊は
戦争法制の理由となった“邦人救出”の演習など行っていた。

いつもは大抵、オリンピックもある程度熱心に見ているのだが、
いま一つ盛り上らない気分で(だいたい忙しすぎる日常で)、
何だか日本はずい分メダルを取ったらしい、でも、「日本が日本が、」と
国家を強調するのは、スポーツ国際試合の興を削ぐなあ、など
これまたいつもの如く、半ば批判的に、それでも
テニスの錦織選手の3位決定戦のVTRだけは、目が離せなくなって
つい見てしまった。

テニスの試合は、自分が昔やっていたせいもあるかもしれないが、
見始めるとつい引き込まれてしまう。
レベルの高い試合ともなると、白枠で囲まれた矩形を行き来する
小さな球が空間に描く線が見事で、その軌跡に沿って
見る者の視線の動きが、空間軸と時間軸にその線をどんどん密集させて、
まるで想念上のドローイングのようである。

“線”といえば、この期間中に足を運んだビアズリー展。

  

19世紀末のイギリスに彗星の如く現れて、瞬くうちに世界を魅了し
多大な影響を残した夭折の画家。
大正時代の日本の挿絵の雰囲気も、ビアズリーの影響なしには語れない。
白と黒のコントラストやバランスや、大胆な曲線の構図。
あくまでも細く簡潔な曲線が、蔓草のように生き生きと伸びやか、
かつ無駄が無く的確で、その絶妙な装飾性と相まって耽美な世界を醸す。
毒を含んでいるが、決して隠微には陥らない。

私は10代の頃からビアズリーに惹かれ、画集も買ったりしていたが、
解説など読まないので、ビアズリーが20歳から26歳で亡くなるまでの
ほんの短い期間にこれだけの仕事を残したと、この展覧会で改めて知った。
また、実際の原画が想像していたよりずっと小さいのに驚いた。
小さな画面にこれだけの細密な線が描き入れられているのである。

   

この、「ヨカナーンとサロメ」は、お気に入りの作品の一つだが、
昔イギリスで大型ポスターを買って、長い間自分の部屋に飾っていたので、
自分の頭の中ではポスターサイズの大きな絵に変容していたのだった。

この展覧会で興味深かったのは、彼のイラストが載った本の実物が
多く見られたこと。
これもまた、思っていたより小型で厚く、とても装丁がしっかりしていて、
当時の人は、書店で簡単にこのような美しい本を買えたのだと
うらやましくなった。

       

マロリーの「アーサー王の死」。



アーサー王物語が大好き。こんな本が喉から手が出るほど欲しい---。
など想いつつ、暗くした照明のガラスケースに貼りついて見ていた。

       

イエローブック。

 

展覧会では、ビアズリーが影響を受けたジャポニスム関連の資料、
ビアズリーが影響を与えたヨーロッパや日本の作家の作品展示も
充実していた。

    

上は、当時のイギリスで出版されていたジャポニスム関係の書籍。
松の木の上で営巣するアオサギと巣の中の3羽のヒナ。
アオサギはイギリスにもいて、日本よりずっと大切にされているらしい。
アオサギの英名、ヘロンさんという苗字も多いと聞く。
(小泉八雲も、そのヘロンさんです。)
鶴ではなくアオサギを表紙に持ってきたというのが、とても面白く
感じられた。
















Posted by Ru Na - 2016.08.16,Tue


連日猛暑続き。暑さは夜になっても退かず、最後に雨が降ったのは
一体いつだったか思い出せないくらい。
ノウゼンカズラだけが元気に咲き誇っている。

   

ピークを過ぎたヒマワリは頭を垂れた。
雨がずっと降らないので、サギコロニーの木が何だかスカスカしている。
川辺の木々もさすがに水涸れか、と心配になった。
そしてここ数日で茶色に枯れた葉を、蜘蛛の巣状のものが
覆うようになり、それが広がっている。

  

どうもハダニにやられているようだ。
ハダニは暑さと乾燥が好き。このままだとどんどん蔓延し、
コロニーのタチヤナギの葉が、こんなふうに全てボロボロになってしまう。
下の写真は、川原の別の場所に立っている葉が全て枯れてしまった木。

  

葉がやられても木自体は大丈夫そうだが、葉が無くなると
サギたちは居心地が悪いだろう。それにサギの健康に
影響しやしないかと気がかりである。
雨さえ降れば、ハダニはいなくなるはずだが、と雨を待ち侘びるが
週間天気予報は、雨マークが現れてもすぐ消え、
無情にも太陽マークの赤が並ぶ。
水位が低くなり底の見える川で、かろうじて採餌するコサギたち。

  

このひでりは何時まで続くのかと、雨を待ちわびる日々。
そしてようやく、15日の朝、何日ぶりかのまとまった雨が降った!

このままもう少し降っていてほしい・・・。
しかし午後からは雨が上がって、ギラギラした陽がまた戻って来た。
あまりにもの暑さに、川の中に入って何かつついているハシボソ幼鳥。

  

それでも川は、息を吹き返したように潤いだした。
サギコロニーの木立の葉は、相当痛んでいるけれど、
蜘蛛の巣のような白いものは消えていた。

 











Posted by Ru Na - 2016.08.14,Sun
吉田秀和さんの「名曲のたのしみ」特別番組を、NHKのFMでやっている。
1991~93年に放送された、「ブラームス その生涯と音楽」を
4回にまとめたもので、作曲家シリーズとしては、モーツァルト、
ベートーヴェンに続く第3弾。
先週の9,10,11日に3回、次は22日に第4回目を放送するらしい。
こういう日程になったのは、おそらく8日に天皇の「お気持ちメッセージ」
が入ったからなのだろう。

吉田秀和さんが亡くなられて早や4年。
私がこの長寿番組を聴き始めたのは遅く、作曲家シリーズでは
シューマンからである。
「名曲のたのしみ」放送全記録の小冊子を見ると、
モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ショパン、、
グリーグ、ドビュッシー、フランス近代音楽、ラヴェル、
シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ドヴォルザーク、
ベルリオーズ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチ、
R.シュトラウス、チャイコフスキー、プーランク、
ハイドン、ラフマニノフ、シベリウス が取り上げられた。

ブラームスに関して、私は結構知らない曲が多い。
4曲の交響曲やピアノ小品集やピアノ協奏曲は、
自分にとって重要な存在で、特にピアノ曲では
時にラプソディーが無性に聴きたくなったり、間奏曲が
弾きたくなったり、その時々の心に寄り添ってくれるものが多い。

吉田秀和さんは特に歌曲がお好きだったようだ。
以前の放送で、ブラームスの音楽を、
「思い出がいっぱい詰まったような・・。」と表現されていた。
その「甘い旋律」は、ショパンなど他の作曲家とは少し色が違う甘さで、
私の10代の頃は取っ付きにくかった。

ブラームスは少年時代から家計を助けるため、酒場のピアノ弾きを
していた、と知ったのも、吉田さんの本を通じてである。
子供時代から大人の現実の世界に触れてきた作曲家には、
夢と憧れを、常に苦い現実社会が取り囲んでいる感覚が離れず、
このような音となって現れたのかもしれなかった。

ピアノコンチェルトはやはりギレリスの演奏が最高と、
吉田さんが語るのを聞いて、全く同感と嬉しくなった。
ただ、番組をチーフディレクター氏がまとめるにあたって、
間奏曲は是非グレン・グールドの演奏を選んでほしかった。
前述の小冊子を見ると、吉田秀和さんはグールドの演奏も
取り上げているので。
グールドのブラームスを、吉田秀和さんがどのように語ったか
聞きたかった。

この「名曲のたのしみ」のアーカイブを、もっと定期的に放送して
もらえないものだろうか?
ちょうど「日曜喫茶室」の過去の番組を、月に一度放送しているように。











Posted by Ru Na - 2016.08.10,Wed
今夏2回目の花火大会が催されたこの週末、高温続きで
この日も日中は34℃位。夕方出かける頃もまだ32℃台だった。
7月初め頃からずっと腰痛が治らず、痛み止め薬は飲みっぱなし。
なんせ椎間板ヘルニアというやっかいな持病は、いつ何時
ぎっくり腰状態になるか分からない爆弾を抱えているようなもの。
しかし、暑いの痛いのなどと言っている場合ではない。

ぎらぎら照りつける陽に、サギの中には喉を震わせ口を開けて、
極力体温を放出しようとしている姿も見受けられる。
暑さでくったりと巣に伏せているヒナがいるかと思えば、
元気いっぱい餌をねだったり羽ばたき練習をしているヒナもいる。
陽が傾いても依然暑い。
2回目ともなると、明るいうちの花火試し打ちの音にも
サギたちは案外落ち着いた様子。

成長した美しいチュウサギのヒナ。

 

嘴の黒色が抜けてオレンジ色がかってきたアマサギのヒナ。

 

打ち上げ音がしてもすぐには反応せず、少し間をおいて
水辺から整然と飛び立って木立に向かうサギたち。

 

木立の上では、少し飛べるようになったヒナたちが
飛行訓練をしていた。

 

日没時間がもう6時台になり、7時半花火大会の開始。
近郊で別の大きな花火大会をやっているせいか、先週と違って
堤防下の遊歩道まで降りてくる観客はいなかった。
しかし何時どんなグループがやって来るか分からない。
サギたちに付き添いながら、常に川原全体の様子に目を配る。

 

花火がどんどん打ち上げられても、ヒナたちは落ち着いている。
色が変わっていくこの閃光を、どのように捉えているのだろうか。

こんな形の花火もあった。

  

星が砕けるような感じのものや、

  

柳の枝のように降って来る光の筋。

 

最後の連打が終了して、堤防の上を帰る人もほぼ途絶え、
静かに闇に沈むコロニーの周囲をもう一度巡回してから、
まだ30℃近くありそうな蒸し暑さの中を家路に着いた。
翌日、サギたちに問題がなかったかを確認。
夏の懸念の一つが無事過ぎて良かったと、ひとまず安堵。










Posted by Ru Na - 2016.08.08,Mon
7月は6月を上回るような忙しさで、無我夢中のうちに過ぎた。
それに加え、様々な世界の出来事が目まぐるしく駆け抜けていった。
相次ぐテロのニュースに、改憲派に3分の2を占めさせる結果となった
参院選の不気味な社会の空気・・・。
中村紘子の訃報は、突然頬をピシャッと叩かれた様なショック。
とあれ、暑さと闘いながら日課をこなし、
サギのヒナたちが無事育つよう、少しでも危機を回避できるよう
炎天下のサギコロニーに通う日々はまだまだ続く。

7月末と8月頭の2回の花火大会は、特に要注意と、
今年も夜のコロニーに10時頃まで張り付いて監視をした。
帰宅が遅くなってもいいように、家の用事を大車輪で片付け、
4時頃軽く食事し、まだ暑い中出かけ、
交通規制の道を避け、遠回りしてコロニーに着いたら、いつものように
先ず両岸から全ての営巣場所の巣やヒナを細かくチェックし記録。
普段はもうそろそろ帰ろうという時間に花火が始まる。
左岸側のヒナが一番多い木立の近くに陣取った。

1回目は、まだ明るいうちに試し打ちされる花火の音で、
やはり、飛べるサギは一斉に飛び立って、上空を旋回。
ヒナたちは不安気に鳴き続ける。

 

「これは遠い所の音だから大丈夫よ。」と、ヒナたちに声をかける。
いつもサギに話しかけているので、私の声を聞くと日常的な感じがするのか
ヒナたちもいくらか落ち着くようだ。


      

離れた場所の打ち上げ花火の音より、花火大会に合わせて川原で
花火遊びをする人たちが、サギの営巣地のすぐ側で、かんしゃく玉や
ロケット花火など、サギに危険な事をするのが一番心配なのである。
この日も、下流寄りの小広場で花火をする若者グループがいた。
話すと飛んだり大きな音がする花火は持っていないと言うので、
離れた所から時々そちらの様子を見ていたが、何事もなく過ぎた。

  

花火大会が終わってからも、その後川原に花火をしに来るグループも
いるかもしれないので、帰路についた人の流れが収まるまで
その場を離れられない。
飛び立って何処かに行っていたサギたちも戻り、コロニーが落ち着いて
きたので、もう大丈夫かと思ったとたん、対岸を通る子供たちが
どこか近くでかんしゃく玉を投げていった。
サギたちはまた飛び立ったが、直接の危険はなかったようだ。

左岸側にいた観覧客が皆いなくなったので、自転車でひと回り。
花火遊びをしていた若者グループは、散らかし放題で去った。
花火の燃えかすを放置しておいては、また次の花火遊びを誘発する、
と、ゴミをみんな回収し、サギに声をかけてから帰途につく。
打ち上げ会場の近くの屋台村には、まだ人だかりがあり、
方々にゴミが散乱していた。
こんな場面を見ると、日本人がマナーのある国民だとよく言えるなあ
など思うのだが。
(サッカーの国際試合などで、よくゴミの後片付けをして、
評判になったりしているのは別人種?)








Posted by Ru Na - 2016.07.26,Tue
23日土曜日の夕方、コロニーでサギ観察会を行った。
集合時間の5時はまだ暑く、少人数の参加者で堤防上の木陰に入って
ゆっくりのんびりじっくりヒナたちの可愛い姿を,心ゆくまで堪能した。

  

観察会をやろうと言い出したのは私ではないが、左岸側を中心に
見ていこうと提案したのは私。
いつも問題が起きるのは左岸側。左岸を見たことがない人にも
どのような環境か知ってほしいと思ったからだった。
実のところ、日が近づくにつれて、参加者が大人数になったらどうしようと
悩んでいた。
左岸側は営巣の木立にとても近く、大勢で近くから見るのは
サギたちに緊張を強いることにもなる。
一番距離を保てる堤防の上の細い遊歩道は、近隣住民の散策路。
犬の散歩やジョギングの人も多い。
人数が膨れ上がったら二手に分かれるなど、道を塞がないような工夫も
必要になるし、サギ初心者にどのように説明するか、
どのタイミングで右岸側に回るか等々、考えることがいっぱい。
この観察会がサギたちに圧迫感を与えないかしらと、
次第に心配になってきていた。

当日集まったのは、暑さのせいかいつものメンバーだけ。
ほとんどいつも一人で観察しているようなペースで進められた。
サギたちもいつも通りの伸びやかな活動。
成長するヒナは、日ごと違った表情を見せてくれる。

だいぶ大きくなったアマサギのヒナたち。

  

ゴイサギの巣立ちビナは、何やらおしゃべりに夢中。

  

対岸の水辺にはコサギやチュウサの巣立ちビナがずらりと並んでいた。

   

この日はアオサギの幼鳥も沢山来ていて、皆に混じって
餌取り練習などしていた。

   

チュウサギの4兄弟。

  

ごはんおねだりのポーズ。

  

暮れなずむ空を背景に、サギ親子の光景はうっとりするほど美しい。

 

 






Posted by Ru Na - 2016.07.18,Mon
7月16日、中流域鳥調査。
まだ梅雨の最中なので、近頃は雨と曇りと晴れ間が絶えず交差していて、
時々夜間にまとまった雨が降るので、川の水量はほどほどに多く、
どうやら夏季の渇水は避けられそう。

いつもシギ・チドリのスポットになる浅瀬や中州は、ほぼ水没。

    

朝方は割りと涼しいのだが、湿度が高く、日が出るととても蒸し暑い。
そんな鬱陶しい暑さの中でも、メンバーが集まり鳥を数えた。
この時期だから鳥の種類や数は少ないが、サギが多く見られた日だった。

石の上のコサギに挨拶。

  

コサギやアマサギ、ゴイサギが、餌場を目指してよく飛んでいた。
みんなどこまで行くのだろう。
夕方、コロニーに戻って来るサギたちは、今年はこの川の上流方向から
戻る群が多い。

コースの終点、岩場の河岸には、ゴイサギとその若鳥(ホシゴイ)。

  

  

夜行性のゴイサギが昼間採餌しているのはヒナのためで、
このホシゴイも、若いながらに子育てをしている立派な親鳥。
常連のアオサギもいた。

  

少なくなったイワツバメ。

   

ホオジロがいつもの場所で、良い声を聞かせてくれた。
せわしげに羽づくろいしながら鳴いていたのである。

  

名前を聞いたけれどすぐ忘れてしまった木の、花の紅がさわやか。

   

今年初、間近で見たニイニイゼミ。羽根が何だか変?

   





Posted by Ru Na - 2016.07.17,Sun
ニースの海岸は、小石の浜である。
海の水は澄んで水色がかっている。
この浜に寝袋を持って行って野宿をしたことがある。

浜の直ぐ際は、海岸線に沿って長く広がる街を縁どる道路と遊歩道。
下から見上げると、とても高い所に道路がある。
プロムナード・デ・ザングレ(英国人の散歩道)の名称を持つこの道は、
ネグレスコ・ホテルなど、超高級ホテルが並び、カジノやらメセナ広場やら
ベル・エポックには避暑で訪れる英国の紳士、貴婦人たちが
優雅にさんざめいていたことだろう。
時代は変わって、ネグレスコ・ホテルには、短パンでサンダル履きの米国人が
出入りなどしていたが、夜の浜に下りると、街の喧騒はほとんど聞こえない。

日が暮れる頃、浜で夜を過ごそうという人が、あちらこちらに
ぽつぽつと寝袋を持って現れる。
皆、海のささやきを聞きたくて、静かな身振りで小声で話し、
騒ぐ者などいない。
波の音を聞きながらうとうとしていると、
ただ波が水打ち際の小石をさらう、カラカラという微かな音だけが
いつまでも聞こえてくるのだった。

夜明け前の青白く霞む海に、一人また一人と入ってゆく。
滑らかでとても柔らかな海水に身を委ねて、水平線を眺めると、
どこまでも穏やかな世界が広がっていた。

ここでこのような惨劇が起きる日が来ようとは。






Posted by Ru Na - 2016.07.09,Sat
アッバス・キアロスタミ監督が亡くなった。
まだ70代。
この先も珠玉の作品がもっと見られるものと思っていたのだが・・。

近頃イラン映画はTVでほとんど放映していないが、
一時期イラン映画ブームが起こっていて、
この地方都市でも独立系小劇場でイラン映画祭が何度も催され、
色んな監督作品を観ることができた。

昔NHKがアジア映画をよく放映していた時、
偶然見た「バシュー 小さな異邦人」にすっかり魅せられ、
イラン映画に関心を持ち始めた私が、同監督(バフラム・ベイザーイ)による
他の作品も劇場で観ることができたし、巨匠マフマルハルバフ監督作品や
その娘さんが監督した「りんご」(何と!17才の時の作品らしい。)でも、
イラン映画の特徴とも云える、どう展開していくかの分からなさ、
物事がはかどらなくてやきもきさせる、を堪能したものだ。

物事が思うようにはかどらない、といえば、キアロスタミ作品が圧巻。
町のその辺にいる子供(役者でない)を使って、日常の些細な出来事を
描いているが、何か画面にとても大きなスケールを感じていた。
「友達の家はどこ?」「そして人生はつづく」「オリーブの林をぬけて」の
ジグザグの道三部作や、「桜桃の味」など、
映画の様々なシーンを今でも脳内再生できるほど、繰り返し観たものだ。
「パンと裏通り」「トラベラー」といった初期作品も、
劇場で観られたのは、映画祭ならでは。

監督しなくても制作に関わった作品、「鍵」「白い風船」も
とても好きで何度でも観たい映画である。


Posted by Ru Na - 2016.06.27,Mon
26日、野鳥の会の有志でサギコロニーのカウント調査を行った。
集まったのは12名+1名。
1名は、対岸に来ていたのだが、皆の姿が見えなくて
日を間違ったのかしら、と帰ってしまった。(のが、後で分かった。)

今年のコロニーは、例年営巣を始めるのが一番遅い左岸上流の木立に
サギが集まって、そこから営巣が増えていき、ついで中州。
去年もおととしも一番巣が密集していた左岸下流の木立は、
6月の中頃からようやく営巣を始めた。

ほぼ毎日コロニー通いをしている。
日毎どんどん巣が増えて、ヒナも次々誕生している左岸上流のカウントを
どうやったら正確に、効率良く数えられるかしら、と
ここのところ頭を悩ませていた。
この木立は、草陰になっている箇所を見るには、両岸とも
見る場所を変えて色んな地点から観察しないと、数が把握できない。
また、木立の上部は奥行きがあまりなく、両岸からそのまま
数えたのでは、重複(ダブルカウント)が多く出来てしまう。

  

写真を山ほど撮って、パノラマ図を作って巣の位置を記入しようと
したり、両岸から見てどの場所や巣が重複するか把握しようとしたり、
あれこれ試みたが、どうもすっきりこない。

どの位置にどのサギが営巣しているか、予め図面を作ろうと思ったのは、
シラサギ類が巣の上でじっと抱卵している時、身体の一部しか見えないと、
それがコサギなのかチュウサギなのか識別が難しい。
親鳥がお腹の下に、まだ小さなヒナを隠している場合、
タイミング良く親鳥が身を起こさなければ、分からない。
巣作りを始めた頃から毎日観察している私でさえ、
広い範囲にどんどん増えていく巣が、次第に把握できなくなっている。
年に一度カウントの時だけ来る人には、短時間での識別が大変だろうと
思った次第だが、詳細図面はややこしすぎてギブアップした。

結局のところ、どこのどの巣にどのサギが抱卵していて、
どの巣にヒナが何羽いるか、とにかく記憶に刻んで、
当日、現地で確認しながら、カウント漏れがないよう調査用紙に
片っ端から記入するという、地道な方法しかなさそう。

良く晴れた26日の午後3時、まだ誰も来ていない。
左岸の下流の木立からカウントを始める。
ここはサギが集まり出したのが最近なので、まだ巣も少なく、
数えるのが楽な場所。手早く済ませる。
ついで中州。両岸からの重複箇所が少ないが、奥に潜っている巣を
探すのが大変な場所である。
(5月末すでにヒナの声はするのに、なかなかヒナが見つけられなかった。)

日差しが強すぎて、双眼鏡代わりのビデオカメラのモニターが
とても見づらい。眩しくてアマサギの茶色の背中さえ白く見えてしまう。
そのうちいつもの鳥調査メンバーが集まり始めた。

強い陽光に、その白さが一層輝くチュウサギの巣立ちヒナ。

 

巣が一番密集している問題の左岸上流の木立のカウントに移り、
5時前に右岸側に回る。
一応集合時間は5時にしてあったので、ぽつぽつと人が来だした。
5時20分からは、戻って来るサギのカウント。
コロニー全体の巣やヒナを数えるのは、時間をかければ一人でも出来るが、
色んな方向から飛来するサギのカウントは、やはり人数を要する。
そちらを皆に任せて、私は右岸からの中州、左岸上流のカウントを続けた。

餌取りに出かけていたサギの群が次々帰って来て、コロニーの木立は
次第に白い点で埋まっていく。途中から参加の人達もやって来た。
7時半カウント終了。
その後も戻るサギあり、飛び立つサギあり。
しばらく数人のメンバーとそれを見、また左岸に回って
コロニー全体の巡回をしてから帰った。












Posted by Ru Na - 2016.06.26,Sun
国民投票の結果、EU離脱を決めた英国。
その衝撃のニュースがその後も収まらない。
私は、何とかぎりぎり残留になるのでは、と思っていたのだが、
この結果を聞いても、「ああそうか。やっぱり大英帝国。」
という感想というか、感慨があった。

週に一度ほど電話をくれるイギリスの叔母は、最近の移民問題を
憂えていたし、社会保障が充実している英国に、どうしても
移民や難民が押し寄せる現状は、元々の住民には、居心地の悪さに
なっているのだろうことは想像に難くない。

それにしてもこの衝撃のニュースは、経済問題ばかりに終始している。
新聞で読む限り、あらゆる国の首長のコメントは、
世界経済に及ぼす悪影響を第一に挙げているように思われる。
それより、欧州の端の島国がこれまで独自の立場を持ってきた歴史、
それで培われてきた気質というものに、あまり言及していないのが
気になる。

“英国とヨーロッパ”、と以前よく言っていたように、
英国はヨーロッパと一線を画している意識が強いのだろうと思う。
その点は、“日本とアジア”、というように、日本人が日本は
他のアジアの国と違うという意識を持っているのに似ているかもしれない。
しかし日本人が万世一系の天皇と、単一民族と思い込んでいる(本当に思い込
らしい。日本人の遺伝子を調べると、種々雑多な民族が交じり合っている
と、以前読んだことがある。)に対し、
英国はケルトやサクソン、ノルマンと、次々違う民族が入って来て
国を作ってきた歴史がはっきりしているし、
ウエールズ人やスコットランド人に、英語の教科書で習ったように
「あなたはイングリッシュ?」と聞くと、怒る人は多い。
イングランドはUK-英国の一部で、イングリッシュ=英国人ではない。
王室の姻戚関係も欧州全体に繋がっているし、
日本と他のアジアの国々との関係より、もっとヨーロッパの他の国と
歴史的、民族的、文化的関係が深く、そういう点では欧州大陸の国々同様、
この国は特別他国とは違っていると、はっきり線引きできないものが
あるように、はたからは見えるのだが、
それでも、英国は英国、といった独特な何かがあるのを
私も実際に肌で感じてきた。



 (英国に対する想いを、これからもまた時々書きたいと思っています。)

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