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Posted by - 2024.04.29,Mon
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Posted by Ru Na - 2016.03.14,Mon
3月13日、河口の森で探鳥会が行われた。
よく晴れて春めいた日差しに川面はきらきらしているが、風は冷たい。
行く途中で出会ったカワアイサの♀。♂は最近少なくなってきた。

 

行く先々にモズがいた。タチヤナギに新芽が出始めている。

  

河岸の藪ではウグイスが地鳴き。もうじき美声が聞ける?

  

さえずるホオジロ。春を感じさせる。

  

繁殖羽で頭が白くなったカワウたち。

 

探鳥会のこの日のトピックその1。ハチジョウツグミ。







その2。水浴びするミヤマホオジロ。



その3。沖合いの水鳥。何しろ遠いので、フィールドスコープでも識別が難しい。
アビかオオハムかで論争が起こる。

 

「お腹に白い部分があったら○○・・・。」
「喉元は・・? よく見えないよ。」 

オオハムとシロエリオオハム、ということに落着。
海で泳ぐカルガモもいた!
解散後、森の一箇所に粘ってヒレンジャクを観察し続ける会員もいた。
1時間見ていたら、行動パターンが見えてきたという。脱帽。

  

オオジュリンも、ちょうど群で移動中のようだった。

 


  








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Posted by Ru Na - 2016.03.11,Fri
東日本大震災から5年が経った。
TVでは一日中被災地の今を映し続けていた。
当事者以外には、徐々に風化している観のある記憶を、
何とか留めねばならない。
福島の原発事故後はあんなに原発や放射能に騒いでいたのに、
何か別の問題に関心が移ったら、ほとんどその事を口にしなくなった人もいる。
問題解決には程遠く、放射能は生物の寿命をはるかに超えて存在し続けるのに・・。
忘れないしつこさ、粘り強さが必要である。
原発事故は全然収束していないのに、あれは終わった事という態度で、
なし崩し的に原発再稼動を進める政府や経済産業界の姿勢に、
高浜第3原発運転差し止めの判決は、よくぞ警告を鳴らしてくれた。

日本には昔から「水に流す」といって、何でも早く忘れようとする
気風が確かにある。
「不易と流行」の、「流行」ばかりを重視し、
「変わっていくこと」「新しいこと」への絶対的な信仰があるみたいだ。
テクノロジーの進化で、確かに生活様式や時空に対する感覚は
変化してきている。
しかし、生物としての人の性質や、歴史的地理的に培われた気質は
そう急激に変わるものではない。
何かというと、「それは何時のこと?」「もう古いよ。」と言うのは、
そこでもう思考を放棄しているように、私には思われる。
現代アートも、「新しくなければ」と言う呪縛に、長年囚われてきた
一面がある。

反面、出来上がった秩序に安住しすぎている日本社会も、また問題である。










Posted by Ru Na - 2016.03.05,Sat
3月に入ったとたん、また雪。

  

  

その淡雪は1日で消え、今日は再び4月並の暖かさ。
その陽気に誘われ、週末の河岸は、散歩する人走る人と、
いつもに増して人出が多く、人が多いと鳥が少ない。

下流方向へ自転車を走らせていると、前方に沈む日が
奇妙な形になっていた。

 

まるで水に映った陽のように、縦に引き伸ばされて、太陽が3つあるように見えた。

 

こういう現象を何と呼ぶのだろうか。サンピラー(太陽柱)の一種?
刻々と沈む日。雲の下に出た太陽は何だか大きな電球がぶら下がっているみたい。

 

線香花火の火玉が今にも落ちようとする様になってきた。

 

ようやく雲と分離。

 


 









Posted by Ru Na - 2016.03.03,Thu


少女漫画雑誌マーガレットの創刊50周年記念展が開催されている。
会場近くに用事があったので、ついでに足を運んでみた。
会場の入り口横の壁には、歴代の表紙がずらりと並べられていた。

  

なつかしい。私も子供の頃この雑誌で漫画を夢中で読んだ。
タイガースやわたなべまさこの「ガラスの城」、西谷祥子の表紙もあって
時代を感じさせる。

   

「ベルサイユのバラ」は、マーガレットに連載されていたのだった。

   

会場には、昔から現在に至るまでの原画などが展示されていた。
トキワ荘のメンバーで、私が最も好きだった漫画家、水野英子に始まり、
(水野英子作品は、後年単行本にまとめられた、かなり古い時代の作品から
ずっと読んできた。)
「エースをねらえ!」など、なつかしのスポーツもの・・・・etc.
有吉京子の「スワン」のカラーイラストは、息を呑むほど幻想的で
美しい。
「ベルバラ」は、生原稿を見ると、案外ざっくり描いている。

原画とストーリー説明をつらつら見ていると、
人物の描き方、コマ割、テーマなどの時代変遷がよく分かる。
ストーリーに起伏がありスケールが大きい物語は、
近年になるほど、ささいな日常の恋愛ものに代わっていったような
そんな印象を受けた。






Posted by Ru Na - 2016.02.27,Sat
時折、この世は“胡蝶の夢”か?と思ってしまう感覚は、
多分少なからぬ人が持っているものだろう。
現在自分が居る世界が本当に夢ならいい。そうすれば、
パルミラ遺跡は破壊されていず、こんなに多くの人が難民として
彷徨を余儀なくされることもなく、地元生物や住民を蹂躙するような
辺野古埋め立ての強行もなく、私のマザーリバーが工事で様変わりしてゆく
のを目の当たりにしなければならぬこともなく、
蝶が目覚めれば、全てがもう少しましな世界になっているかもしれない。

加賀藩お抱え学者だった祖先の墓の横に、お弟子さんたちが建ててくれた
石碑があって、四面びっしり漢字で覆われている。
漢文のうえ、石の劣化で文字が読みづらくなっている箇所もあって、
よく分からないのだが、お墓参りに行く度に眺めては、
少し意味が汲み取れると嬉しくなる。
その中に漢詩のような文があり、私のお気に入りは、
「百年酔夢」という一節。
その文字を幾度も眺め、静かな墓所で木々のざわめきを聴いていると、
江戸時代に生きた先祖が、やはりその時代なりの無常観で、世界や自分もを
俯瞰していたのかと、急にとても身近に感じられる瞬間がある。

秋の終り頃から、時々萩尾望都作品を読み返している。
少女漫画にかって無かった発想のストーリーと、深い心理描写や文学性を導入し、
漫画の範疇を超え、演劇や文学など、色んなジャンルの文化に影響を与えてきた。
その中で、改めて特に面白いと思ったのは、パラレルワールドを扱った作品。

パラレルワールドとは、SFによく出てくる、この世界と並行して存在する
並行世界、並行宇宙、並行時空、異世界。
手塚治虫がよく扱ったテーマで、世界を別の視点から眺めるその想像力には、
私も子供の頃からずい分刺激を受けてきた。

   

もしも関が原で西軍が勝利していたら、日本の首都は東京ではなかったかも
しれず、私も別の町に生まれていたかもしれない。(祖先は西軍。)
もしもあの日、出かけるのが5分遅かったら、交通事故に遭っていなかったかも
しれない・・・。
その「もしも」の世界が、実際に存在し、自分が居る現実空間に重なっているのが
並行世界である。

    

「もしも」の世界は、想像上の物語として、文学や映画によく描かれる。
「ナルニア国物語」では、子供たちが入り込んだ古いタンスの奥に異世界が広がる。
「ネヴァーエンディングストーリー」では、古い書物の中の世界が、
本を読む少年の現実世界と干渉し合う。
現実の街に少しだけ現実とずれた別の時空間が重なっていて、ふとしたはずみに
二つの世界を行き来する破目になる物語は、レイ・ブラッドベリがよく書いている。
映画でも、タイムトラベルや過去と現在が重なってしまうもの、
時間と夢が入れ子状態になるものなど、枚挙にいとまがない。
 
   

パラレルワールドは完全に空想の産物なのかというと、
宇宙には反物質というものもあったりするので、
量子力学の世界では、「複数の干渉し合う世界」が存在しえる、
という仮説もあるらしい。
人は人の知覚で捉えられるもののみ現実として、知覚外の世界は
空想だと決め付けがちだが、想像力の中に多次元世界を垣間見るための
重要なキーが、もしかしたら転がっているかもしれない。

   

萩尾望都作品に話を戻そう。
「ポーの一族」で、時空を超えて生き続ける少年たちと
各時代に偶然関わった人のつながりが、物語を追うごとに
次第に明らかになる、という壮大で複雑な構想を描き切った力量は、
後の作品で更に留まることなく発展してゆく。まさしく天才。

誰かの見る夢が現実とシンクロする代表的なものは、「モザイクラセン」や
SF大賞を受けた「バルバラ異界」。
「11人いる!」に始まり、宇宙空間にまで広がる世界観は、
「A-A’」「銀の三角」で更に複雑に発展する。

「マージナル」は、色んな要素を含んだ完成度の高い作品である。
核か環境汚染でヒトに子供が生まれなくなった未来の地球。
男ばかりになった世界で、“マザ”と呼ばれる唯一の疑似女性に、
各地方の町や村が“センター”で人工的に誕生した子供を貰う。
地上で暮らす人間は、この世界のシステムの全体像が見えない。
見えないが、何かおかしいぞと感じる者たちが、物語を進展させていく。

興味深いのは、これまで萩尾作品に度々出てきた、人間の性別の問題。
萩尾作品には、性転換する種が登場し、物語の核になっている。
生物界には性が未分化だったり性転換するものがいる。
高等生物には現在のところ見られないが、環境ホルモンが生物の♂♀の
バランスを崩すということが、実際に起きている。
将来人間にもそれが起こらないとは、誰が予測できようか。





Posted by Ru Na - 2016.02.21,Sun
20日、中流域鳥調査。
朝早いうちは風はわりと冷たかったが、まだ明るかったのだが、
冬ももう残り僅かという気配を混じえて、空気は次第にかすみ
細かい雨が降り始めた。黄砂も来ているらしい。
朝のホシハジロ。

 

 

先日から土砂を取り除く河道の掘削工事をしていたので、
下流の方の細い中州や水際の草木がすっかり無くなった。
雪見橋下流に僅かに残るのみの草地を、少ない水鳥が
拠り所にしている。

    

  

河岸の緑地公園でも鳥は減少している。
それでも、ミヤマホオジロに久しぶりに会うことが出来た。

 

上流に行くにつれ、河川敷の草木が増えるが、
ここも時々木の間伐をしているので、何だかスカスカしている。
藪の中にいたキジ。何故か赤い肉垂が無く、黒い顔をしていた。

  

他の場所にいた別の1羽。普通はこんな顔。

 

小止みなく降り続く雨に、カメラでの撮影がなかなか出来ない。
アトリの小群がいた。
   

雨の中のキジバト。

  

遊歩道端で採餌するイカルたち。

 

 

まだ細雨降り続く帰り道、カワアイサ♀が石の上で羽づくろいしていた。

  

  

この子にもまた会えた。

 

おそらく、工事のせいで下流域の隠れ場所が居づらくなったから、
ここまで上がって来たのだろうが、
早々と新聞に投稿されたり、カメラマンや見物人に取り囲まれて、
何だか可哀想である。




Posted by Ru Na - 2016.02.14,Sun
宇宙空間における時間や光の歪み、ブラックホールなどについて
つらつら考えていたら、
折しも米研究チームが重力波の観測に成功したという、ビッグ・ニュース!
アインシュタインが一般相対性理論と共に予想していたもの存在が、
ちょうど100年目に実証された訳である。

重力波にしてもニュートリノにしても、人の可視の範囲を大きく超えた
世界が実際に存在するという予想や、無限に広がる想像の一端を、
実際に実在するものと肯定する出来事に、わくわくと胸おどる。

しかし地上では、可視や知覚の範囲で日常の時間が流れていく。
その日常に思考が交差し、知覚と思考の入り混じる、自分を取り巻く世界を
何とか認識し定義しようと、人間は古来からもがいてきたのではないか。

      

世界の捉え方を、西欧哲学のかっての大きな二つの流れで整理してみる。
一般論-法則から個々の事例を考察していく、アリストテレス以降の演繹法
に対し、経験や観察という個々の事例から法則を見出してゆく帰納法。
これは、16-17世紀の英国人、フランシス・ベーコンが提唱したもので、
ルネ・デカルトの「コギト・エルゴスム(我思う、ゆえに我あり)」に到達する、
あの感動的な追及に通じるものだと思う。
(余談:学生時代の一般教養の哲学の講義で、さらっと触れただけだが、
このスリリングな思考過程と結論に、私はいたく感銘を受けて、
デカルトの研究書を何冊か読んでみたりもした。
後年、パリのサンジェルマン・デュ・プレ教会でデカルトの墓を見つけ、
詣でた時は、デカルトも実在の人間だったと感無量だった。
ちなみに、この教会の前広場には、サルトルやボーヴォワール等
実存主義者のたまり場だったカフェがある。)

フランシス・ベーコンの「イドラ」の観念が面白く、日常生活の中で
当てはまる事など、ついつい考えてしまう。
経験論哲学の祖ベーコンは、経験の重要性を説きながら、一方では
正しい認識の妨げになるもの-誤解や先入観、偏見などを「イドラ」
(元々の意味は偶像)とし、それに注意する重要性を説き、
イドラに陥るその要因を、4つに分かりやすく分けている。

1.種族のイドラ 人間という種が陥りやすいイドラ。

2.洞窟のイドラ 各個人が持つ偏見。

3.市場のイドラ 社会生活で、言葉などから生ずる偏見。

4.劇場のイドラ 学説、権威などを無批判に受け入れることで生ずるイドラ。

1.は、魚は人に聞こえない周波数でコミュニケーションを取っているのに、
その声が聞こえないから魚は話さない、と思い込んでいるようなもの?
人が他の生き物より優れている、と信じ込んでいる者があまりにも多い。

3.は、曖昧なあるいは不適切な言葉が誤解を生む、といったようなもの?
噂や人の悪口をそのまま信じ込むのも、これに相当するだろう。
ネット時代のソーシャル・メディアの広がりで、その傾向に拍車がかかり、
このイドラはますます人の思考を曇らせているように思える。
また、故意に使われる言葉や(例:敗戦→終戦)、勇ましいキャッチフレーズなどが、
物事の実態をぼかしてしまい、思考停止を招いている、現在の日本社会のような・・。

4.は、権威をむやみやたらに信奉し、エライ先生の言う事だから正しい、と
これまた、肩書きや社会的地位への盲信も加わって、自分の頭で考えるのを
放棄していながら気付かない、といった場面があまりにも多すぎる。
新聞やテレビの報道をそのまま鵜呑みにする、というのも、
マスメディアを権威と捉え、それに対する信仰があるから?

2.は、1.3.4.のイドラに影響されている個々人の視野。
この洞窟のイドラは、イメージを伴っていつも私の頭の片隅のどこかにある。
人は深い洞窟の奥に座して、洞窟の狭い入り口から見える世界しか知らない。
もし洞窟から出られれば、外に広がる無限の世界に触れられるのだが。
たとえそこから出ることが人間には不可能としても、自分の座っている位置を
少し変えるだけで、違うものが見えてくるはずである。
にもかかわらず、現在の自分の位置から動く(見方、価値観を変えてみる)のが
なかなか出来ないのは、それを思いつけないのか、
あるいは別の世界を何となく感じていても、方向転換する困難さに、
躊躇してしまうのか。
そして人は、自分の性向や価値観からなかなか逃れられないでいる。

      
洞窟のイドラのイメージは、何故かいつも私にシャルロットの乙女を想起させる。
テニスンが「鏡は横にひび割れて」と詩に書き、ラファエル前派の画家ハントが
絵に描き、それを見た夏目漱石が「薤露行」という短編にした、
「アーサー王伝説」の中の、ひとつの悲恋物語である。

      

シャルロットの姫エレインは、アーサー王宮廷の第一の騎士ランスロットに恋し、
恋やみにやつれて、想い人のいる城へと流れる川を小舟で下りながら息絶える。

  このおとめ みまかりぬ みまかりぬ 恋やみに

テニスンの詩では、姫は来る日も来る日も高い塔の小部屋で錦の糸の綾布を織っている。
部屋の鏡には一つきりの小さな窓から見える景色が写し出されるのみ。
姫にはこの部屋と鏡に写る世界が全て。今だ心を捧げる者も持たず、
何人もまだ乙女に誓いを立ててはいない。
その明鏡に、カメロットの宮廷へ帰ろうと急ぎ駒を進めるランスロットの姿が
偶然写った時、姫は思わず織物を投げ打って窓に駆け寄ろうとした。
その刹那、とりどりの糸は張り詰め切れ八散し、鏡は真中より割れた。
絡む錦の糸の中で立ち尽くす乙女が「我が命運はここに尽きたり!」と
叫ぶ瞬間を、ハントの絵は描いている。

閉じた小さな世界から外に出ようとした衝撃は、いかばかりだったか。
整然と織り成されていたた日常は、引きちぎられ宙に飛散する千々の糸となって、
乙女の運命を絡め取ってしまった。
そしてそれは、やがて来るアーサー王宮廷の崩壊を招く諍いに
繋がっていった。







Posted by Ru Na - 2016.02.08,Mon
近日、X線天文衛星が打ち上げられるという記事を読んだ。
天体は、可視光以外に赤外線や電磁波を出していて、
それらの8割がX線でしか観測できないのだという。
目に見えないそれらを観測することで、星の誕生や死、
銀河団の形成や動きを解明するのに役立つらしい。
ブラックホールが引き起こしている時空のひずみまで、
観測できるのだという。

世界は人の目に見えないもので満ちている。というより、
人の感覚は世界や宇宙空間のほんの一部しか捉えられていない。
人が見ることができるは赤外線から紫外線の間の七色にすぎないが、
金魚や鳥は更に多くの色が見えているらしい。
人にとっては♂♀同色で性別の見分けが付かない鳥も、
かれらには女の子の色や男の子の色、といった其々違う色が見えるらしい。

      

音に関しても、犬は人の耳に届かない高音を聞くし、
象は人に聞こえない低音で、ぺちゃくちゃおしゃべりをしているという。
猫が誰もいない空間を凝視して毛を逆立てるのも、
多分そこに、人の感覚に掬い上げられない何かが在るのだろう。
匂いの発散で、仲間に危機を伝える樹木など、
人の五感の外にある世界を、ようやく“科学”によって、
存在証明でき始めているが、それでも人は依然として、
限られた知覚の中のみで、これが世界の全てであると信じ、
人にとっての“現実世界”から逃れられないでいる。

      

以前読んだ本に、動物が生まれて死ぬまでの間に打つ心臓の鼓動回数は
同じで、寿命の短いネズミは長いゾウより鼓動が速い。
つまり、ネズミにとっての時間は凝縮されている。という話があった。
そうか、寿命が3~4年のメダカの1時間は、人の20数時間に相当するのか、
と思うと、「ちょっと待っててね。」と、メダカたちに待ってもらう時間が
かれらにはかなりの長時間の待ちぼうけだろうと、
メダカを世話しながらいつも申し訳ない気持ちになる。

時間は決して一様に流れている訳ではない。
筒井康隆が初期の小説でよく描いている、人間の時間でも、
人によって状況によって、時間が伸び縮みするという感覚に
共感を覚えたものだ。
しかしこれは、あくまでも想念上の時間。
天体の運動で生じる現象を、人は“数”でうまく刻んで、
地球上では普遍で不変な“時間”を発見(発明?)して、指標として
人間世界の中央に置いた。

私は時計の造型がとても好きである。
ドットが数文字を塗り替えていくデジタルではなく、円盤上に
ゆっくり休みなく2本の針が動いていくアナログ時計が。
この端整で無駄のない形の起源は、おそらく日時計だろうが、
日時計の動く針は太陽の影。地球の軌道がもたらす季節のうつろいを
そのまま映している。
シャルトル大聖堂の、ひっそりとした「日時計の天使」を思い出す。
時や暦は神の領域なのか。

地球上では不変の法則を持つはずの時間が、宇宙空間レベルになると、
それが不変ではなくなるという。
時が淀んだり歪んだり、逆流したりするという宇宙空間は、
想像の域を超えているが、この時空間の歪みを計算に入れなければ
宇宙ロケットは飛ばせないというので、
やはりこれも現実的に人の世界と結びついている。







Posted by Ru Na - 2016.01.26,Tue
平年より高めの気温続きのこの冬。
異常気象と言いながら、雪のない街にすっかり慣れていたら、
ついに日本列島を覆う強烈な寒気がやって来た。
24日夕刻の川原。

 

          

気温は既に氷点下。さすがに歩く人も少ない。
近頃ようやく増えてきたキンクロハジロも、岸辺に寄っている。

 

アオサギも寒そうに草陰でじっとしていた。

  

強風と共に真横から粉雪が吹きつけるものだから、
こんな景色も現れる。

 

 

凍る世界の、きっぱりとした白黒の造形。
時折逆立つ川面で、ホオジロガモだけがはしゃいでいた。
風が厚い雲を片寄せると、沈む日が景色を淡紅に染める。

  

  

 

凛とした束の間の清浄な世界。

  


この後、吹き付ける粉雪が街をすっぽり埋め尽くした。




Posted by Ru Na - 2016.01.19,Tue
17日は城の庭園での探鳥会があった。
いつもは雪に埋もれているのに、まるで太平洋側のような天気。
市内のもう一つの野鳥の団体も探鳥会をしていて、
時々グループが合流するものだから、
互いに顔見知りと挨拶したり情報交換したり、と
和気藹々と何だか楽しい雰囲気だった。

         

年頭にはあまり鳥がいなかった庭園も、カラ類の混群がいたり、
小鳥たちが活発に動き回っていた。

「君はいつからコゲラ?」シジュウカラがまるでコゲラのように
松の幹にしがみついて虫を食べていた。

  

久々に合ったヒガラ。ビデオからの切り出し画像なので
画質の粗さは御容赦のほどを。

   

曲水の植え込みに出入りしていた小さなミソサザイ。
やはり動画からの切り出しです。

   

お正月には何故か会えなかったカワラヒワ。
この子たちがいると、やっといつもの庭園が戻ってきたよう。

  

実はここの密かなアイドルになっている、アオサギ。

  

カワアイサがこの池に来るのは珍しい。
水に潜って、草の様な物を嘴にくっつけてきた。

  

午後は会場を変えて野鳥の会の新年会があった。
その後、今護岸の工事計画が立てられようとしているサギコロニーと
その周囲の、現在の護岸の様子をチェックしに行った。
サギの塒は年末に解散したが、ダイサギが1羽、中州の木にとまっていた。

 

連続する河川工事のせいで、以前はこの川の方々にいたマガモが、
今はここにしか集まらないようになっている。
この日はずい分と数が多い上に、更に新たな群が飛来して、
120羽ほどになった。

 

マガモを見ていたら、一旦下流の方へ飛んだダイサギが戻って来た。

ダイサギも人懐っこくて、私が川沿いの遊歩道を自転車で走りながら
途中で出会ったダイサギに挨拶すると、まるで先導するように、
飛び立って私の進行方向の先にとまって、振り返って私が横に来るのを待ち、
また飛び立って少し先にとまる、を繰り返す子が時々いる。
この若そうなダイサギも、丁度そんな感じで、私を仲間と思ってか、
何となく一緒に近くに居たそうな様子をしていた。
暗くなってきたのでもう帰らなければならない。
私は何度も何度も振り返り、ダイサギはいつまでもこちらを見つめていた。

河川工事で、鳥たちの居場所がますます狭められようとしている。
地球は人間が作ったものではなく、山も川も森も野も人のためだけに
存在しているわけではない。
それを人間の占有物のように考え、人さえよければと思う愚かさ。
保護活動に携わる者さえ、何の意地か足の引っ張り合いをすることもある。
やむにやまれぬ想いで、この子たちを何とか守りたい、
出来る限りの事をしたい、というのが私の望みなのだが。


 





Posted by Ru Na - 2016.01.17,Sun
1月16日の中流域鳥調査。
朝は陽が出て、このまま天気はもつと思われたのだが・・・。
小雨が時々粉雪状になり、寒い。
雨が降ると、カメラが取り出せない。風景が灰色がかってくる。
しかしまた冬らしい寒さが戻って来たせいか、
山からなかなか降りて来なかった小鳥たちも、思ったより多く
川辺の緑地で活動していた。

朝日を浴びるカワアイサ。

 

久しぶりに会ったコゲラ。

  

シメもイカルも今年初めて。

  

  

後姿もなかなか美しいイカル。

 

カシラダカやカワラヒワの群もいた。
しかし何といっても本日の圧巻は、100羽ほどのアトリの群。





去年はこんな大きな群に会えなかったので、
ぱらぱらと木立から木立に飛び回る群を、みんなうっとり見ていた。

 

やはりダイサギがいないと、川辺はさまにならない。

 

帰り、最近2羽から4羽に増えたホオジロガモを見て、また悩む。

 

♀タイプばかりだが、3羽は確実に♀。
もう1羽は、♂の若鳥? それとも♀の若?



  






Posted by Ru Na - 2016.01.15,Fri
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調は、
子供の頃から好きな曲である。
特に小学高学年から中学にかけて、最も好きな曲の
3本指に入っていた。
これは私にとってオレンジ色の曲。
なぜオレンジ色かと聞かれても、自分でも分からないのだが。

私はいろんなものが色彩と結びついていて、
それぞれの数字には色のイメージがあるし、
作曲家や演奏家にも色と数字のイメージがある。
例えば、1は白、スカルラッティやヘンデル。
メンデルスゾーンは緑で、数字に当てはめると4なのだが、
このヴァイオリン協奏曲はオレンジのイメージなのである。
オレンジ色の曲は、他にランゲの「花の歌」などがある。

大人になり様々な多くのを知っていくにつれ、
この曲からしばらく遠ざかっていたが、
一昨年、いろんな野鳥の動画を編集した映像作品を
作った時、サギの渡りのシーンに使うフリー素材の音楽を
散々探していた。
初めはブルックナーの後期の交響曲の一部(静かな部分)を
使いたいと思ったが、著作権フリー素材では見つからず、
オーケストラスコアをPCに打ち込んで自分で作るには
大変すぎるし、うまくいくとは思われない。
偶然この曲をフリー素材で見つけ、第2楽章を映像に合わせてみたら
この曲以外考えられないほどにマッチしたのだった。
それ以来この曲は、私にとってのサギの渡りの音楽になってしまった。

渡りの群が薄紅の夕空に消えていくのを見送った後、自転車で帰る道すがら、
この第2楽章のメロディーが自然に頭の中に流れることがしばしば。
そんな時いつの間にか、勝手に付けた歌詞で小さく口ずさんでいる。

  紅染むる秋の夕暮れ 白き鳥水辺に集い軽やかに舞い遊ぶ・・・。

と、昨年末、いつものように歌っていたら、
ふと、昔訪れたライプツィヒの街並みが目に浮かび、
当時旧市庁舎の中にあったメンデルスゾーン記念館、
ゲヴァントハウスが見える広場など、どんどん連想が広がってゆき、
クルト・マズアさんにお会いしたときの事が思い出された。


  ― つづく ー


Posted by Ru Na - 2016.01.12,Tue
11日は野鳥の会による全国一斉のガンカモ調査。
荒れた天気を心配していたが、小雨は降るもの風も無く
カウントしやすい日になった。
それにしても、今季雪らしい雪は降らず気温も高めなので、
調子が狂うような心許無いような。冬の鳥も少ない。
河川工事のせいで、だいたい川の環境が良くない。
数は減ったものの、律儀に群れているコガモたち。

 

色んな水鳥を探さないといけないくらいだが、
それでもまだ、少数ながら冬のメンバーがいてくれる。
1羽だけのホシハジロ。

  

ホオジロガモも、やっと2羽。

 

冬鳥ではないけれど、カイツブリ。

  

コサギに会うとホッとする。

 

やはり冬の川の主役、カワアイサ。

 

  

セグロカモメが堰の上で完全にくつろぎモード。

 

小さな友人、カワガラスのカワちゃん。 

 

 

「カワ、これから水にもぐるの。見ててね。」





  


Posted by Ru Na - 2016.01.08,Fri
TV番組はリアルタイムでしっかり見られることが少なく、
気になる番組は、レコーダーのHDDに録っておいて
後で小出しに何回かに分けて見ることが多い私。
年末放映したNHK・Eテレの“2015年音楽ハイライト”を、
そんなふうに見ていたら、15年度に亡くなった著名な音楽家に、
クルト・マズアさんの名があった!

12月19日。報道はされていたのだろうが、忙しくて気が付かなかった。
“音楽ハイライト”でも、さらっと流しただけ。
あまり大きく扱われていなかったのでは。何故?
この世界の時代の流れを変えるのに大きく貢献した巨匠を・・。

ベルリンが東西に分断されていた冷戦時代、東独のライプツィヒは
民主化運動の急先鋒で、ゲヴァントハウスの指揮者マズアさんは
その中心にいた。
ベルリンの壁崩壊前夜、激しさを増す民主化デモに、東独政府は
軍隊を出そうとしていたが、最高指導者ホーネッカーが、
市民に影響力のあるマズアさんに意見を聞こうと言い出し、
マズアさんは、軍隊は出さない方がよろしい。と答えたので、
政府は武力鎮圧をしなかった、とそんなエピソードが私の持っている本に
載っている。その真偽はともかく、
マズアさんは、市民にも政府にも冷静な行動を呼びかけ続け、
結果、「プラハの春」「天安門」の二の舞は避けられ、
ベルリンの壁は流血を見ないで開き、その民主化の流れは
ソ連邦の崩壊に繋がり、東西冷戦時代は終わりを告げた。

東西ドイツ統一記念コンサートで、ベートーヴェンの第九を指揮。
この感動的な演奏を、日本でも多くの人がTVで見ただろう。
私もいたく感銘を受けた一人である。
その後NYフィル、ロンドンフィル、フランス国立管の主席指揮者や
音楽監督を務め、私はその重厚な響きに心惹かれてきた。

そんなマズアさんが我が町にやって来たのは2009年の12月。
「えっ、あの生きた伝説の巨匠の演奏が生で聴けるなんて。」と、
足と心に翼が生えたように音楽堂に向かった。
メンデルスゾーン基金主催の2日間にわたるコンサートとシンポジウムで
名付けて「ミステリアス・メンデルスゾーン」。

ゲヴァントハウスは、市民階級による最古のオーケストラホール。
このゲヴァントハウス管を大きく発展させたのが、
1835年に主席指揮者に就任したメンデルスゾーンである。
裕福な家庭に生まれた彼は、自らの資金でライプツィヒ音楽院を設立。

ライプツィヒは、ゲーテ、シューマン、リスト・・と、
綺羅星のような作家や作曲家ゆかりの文化都市。
そして言うまでもなく、J.S.バッハの町。
そのバッハを再評価し彼の音楽を世に復興させたのは、
このメンデルスゾーンで、聖トーマス寺院前のバッハの像も
彼が資金を集めて建立したものらしい。

シンポジウムでは、ゲヴァントハウス管のメンバーによる室内楽演奏などの後、
有名なのにまだその評価が十分でないメンデルスゾーンの音楽を、
もっと世に伝えようと努めているマズアさんや、研究家による
興味深い話の後、会場からの質問を募った。
誰もバッハ関連の事を話さないし聞かないので、私がおずおずと質問した。

メンデルスゾーンの音楽は、時々「無言歌集」の楽譜をピアノで拾い読みしているが、
バッハの対位法の影響を、素人の私は見つけられないでいる。
それで専門家の方々の意見を是非聞きたかったのだ。
そして、楽曲への直接の影響より、前の時代の音楽の再発見という点に
メンデルスゾーンの真骨頂がある、という説明をして頂いた。

この日の様子を載せているHPを見つけた。
(私のバッハの質問のことも書いてあります。)

http://www.oekfan.com/review/2009/1214.htm

シンポジウムの後、関係者はホールのロビーで立食パーティ。
会場の世話をしていた方が、私にも出席のお誘いをして下さった。
シャンパングラス片手に、隅っこで舞い上がるような気持ちでいたら、
ミッチーさん(井上道義さん)が、近づいて来て、
「良い質問をありがとう。」と、私のグラスにカチッと軽く乾杯して
また去っていった。
緊張した気分が次第にほぐれて、思い切ってマズアさんの近くへ。


  ― 2につづく ー








Posted by Ru Na - 2016.01.02,Sat
       明けましておめでとうございます。


     


    




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