忍者ブログ
見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8
Posted by - 2024.04.20,Sat
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted by Ru Na - 2018.04.30,Mon
「松雪草」は、チャイコフスキーのあの魅惑的なピアノ小品集
「四季」の中の四月の曲。
「四季」の12曲はどれも好きだが、これは特に私のお気に入り。
季節おかまいなしに年から年中この曲を弾いているが、
それでも、ふと気付くと早や五月の風。

沖縄の普天間基地問題、シリア情勢、ロヒンギャ難民、
#Me Too の広がり ・・・でも日本では・・・
南北首脳会談の今後・・・?
気になる色んな世界情勢や社会問題が、次々吹き付ける風のよう
だが、寒暖差に翻弄されている我がささやかな日常では、
サギの戻りが遅くてやきもきしている間に、庭にすみれやつつじの花。
行きつ戻りつしていた季節が、今は一斉に新緑に被われ始めている。

連休前半、早速、水と緑と黄色い小花と白い鳥たちと、たっぷり
すてきな時を過ごすことができた。






PR
Posted by Ru Na - 2018.03.30,Fri
以前、冬の初めに会ったハヤブサの子のことを書いた。
あまりに幼くてたより無げで、果たして無事に冬越しできるか
心配していた。
その後の大寒波、大雪。
生まれてから最初の冬が越せずに命を落とす野鳥が多いという。
この冬は、昨夏生まれの若い野鳥にとって、格別厳しい冬となった。

いつの間にか桜花がほころんでいる。
五月並の陽気の日が続いて、河岸に山をなしていた除雪捨て場の雪の壁も、
見る見るうちに小さくなった。

私は相変わらず何やかやと忙しく、特に午前中はスケジュールがびっしり。
夕方になってようやく川の様子が見に行ける。
何かと理由を付けては、結局毎日川まで行ってしまうのは、
ダイサギやアオサギなど、サギたちに会うためである。
冬の大ダイサギは、春シベリアに渡るので、しばしの別れが惜しい。
最近は会える日と会えない日が交互する。
会えないと、いよいよ行ってしまったのか、と思って淋しくなり、
翌日会えると、ほっとすると同時に、早く渡らなくていいのかと
心配になる。

今日はもうダイサギの気配はなく、この川にいたダイサギはみんな
去ってしまった気がしたが、
それでももしやと、その姿を探していつもより少しだけ遠出をした。
風が冷たい。日も落ちる。もう帰ろうと引き返しかけたら、
護岸のまばらな枯れ草の中に、じっと動かない鳥の姿。
ハシボソかしら?何をしているの?と近づくと、
羽が茶色いハヤブサの若鳥!
驚かせないようにそっと遠くからズームして見る。
冬の初めに出会ったハヤブサの同じ子のような気がして
思わず話しかけた。

ハヤブサの子はじっと同じ場所に座ったまま、頭だけ動かして
こちらを見る。
見知ったものに対する人懐こい表情をして、警戒心の欠片も
ないような様子。
あどけない顔をして私を見る仕草が、とても馴染み深い感じがして、
ますます同じ子のように思えてきた。
それならば、無事に冬越しが出来たということ。
近頃時々、件のハヤブサの子のことを思い起こしていたので、
天が我々を再会させてくれたのだろうか。

それにしても、ハヤブサの子は一向に移動しようとしない。
身体の向きさえ変えず、動かすのは頭だけ。
どこか具合でも悪いのか?足に釣り糸でも絡んで動けないのか?
夕闇も迫る。だんだん心配になってきた。
「大丈夫?あんよ動かせる?もうねんねに帰らなくてもいいの?」
私は、話しかけながら少しづつハヤブサに近づいて行った。
可愛い目で私の言う事を〔どのくらい分かっているか〕
一生懸命聞いているようだったが、5m位に近づいた時
ようやく仕方なさそうに飛び立った。
良かった! ちゃんと飛べるのだ。

ほよほよとした頼りない飛び方だったが、とりあえず飛んだ。
それで私も一安心して帰路に着いた。














Posted by Ru Na - 2018.02.28,Wed
バッハ研究で知られる音学者、磯山雅さんが亡くなった。
2月22日。
雪道で転倒した後、意識が戻らなかったらしい。
痛ましい事故で、とても残念である。

分かりやすい古楽の入門書にはお世話になった。
国立音大で教えていて、“I教授のブログ”は、時々楽しく
読ませていただいていた。
FMラジオ番組、“バロックの森”、“古楽の楽しみ”での解説も
とても聞きやすかった。

まだこれからの研究が楽しみだったのに・・・・。
残念としか言いようがない。












Posted by Ru Na - 2018.02.16,Fri
記録的と言われる大雪はとりあえず過ぎて、
幹線道路は別に、買い物にも出られないくらい
大量に積もった路地の雪も消えつつあるが、
雪に地表がすっぽり覆われた数日間で、
どれだけの生きものが飢えて、危機的状況に
追い込まれたことだろう。

植物や山岳、時には野鳥を撮りに、県内方々に
足を伸ばしている自然写真家である知人が言うには、
「この雪で食べ物が見つからないせいか、 鳥たちは
日頃食べないものまでつついている。」

先日、私が良く通る道に沿った石垣に、
丸く膨らんだ茶色の鳥がへばりついていた。
ふくら雀ならぬ、ふくら鶫だった!
石垣に縦に取り付いて、羽を時々ぱたぱたさせて、
何をしているのか、と見ると、
石垣に積もった雪から滴る水を呑んでいるらしかった が、
同時に石垣の苔をつついて毟り取って食べていた。
私が3m位の至近距離に来ても、それどころじゃない、
といった切迫した様子。 他の通行人が来たら、
さすがに逃げてしまったが、 何とかしてあげたい。
近頃いつもポケットに忍ばせているビスケットを 砕いて、
ツグミがいた場所に撒いてきたのだが・・・。

庭の小鳥たちは、当然のように人のすぐ側に来て
ごはんが出てくるのを待っている。
日頃は怖がりのヒヨ子も、すぐ目の前の枝にとまって、
大好物のバナナが出てくるのが待ちきれない様子。
みんなお代わりも当たり前のように要求。
せめてこの子たちにはひもじい思いをさせたくない。
野鳥だけれど、ほとんど家族のようになっている。

やはりよく通る道沿いの生垣。
この辺はスズメがよくいたからと、通るたびに ビスケット
などの粉を撒いていたら、 ハシボソガラスが2羽、
食べに来るようになった。
天敵が少なく、賢く融通が利いて、街中であんなに 逞しそうに
生きているカラスだけれど、 普通の冬でも、生まれて1年目の若鳥で
無事に冬越し 出来るものは少ないという。
ましてや、こんな厳冬では・・・。

ボソは私の姿を遠くからでも認めると、嬉しそうに
可愛い顔をして飛んで来て、お口汚しの小さな欠片を 食べる。
そのうちスズメの小群も出てくるようになった。
スズメに混じって、ヒヨが1羽。
それこそ2m位しかない私の目の前で、平気で ビスケットの欠片をつつく。
そのうち手の上からでも 食べそうな雰囲気。
私は初対面の野鳥たちでも、すぐ仲間と思われることが
割と多いタイプのようだが、
それにしても、こんなに警戒心なくしてどーするの?
と心配になるほど。
みな切羽詰っていて、余裕を失っているようだ。
早く普通並みの冬に戻ってよね。

先に食べたボソたちは、近くの木にとまって、
スズメや ヒヨから横取りするわけでもなくただ見ている。
こういう緊急事態。
何だか野鳥たちも譲り合いや 助け合いの気持ちを結構持っている、
というのは、 情緒的に考えすぎだろうか?




Posted by Ru Na - 2018.02.07,Wed
またまた雪の話題。
蛇行する偏西風のせいと言われる大寒気団の居座りが、
日本海側に記録的な大雪をもたらしている。
隣県ほどではないが、わが町も雪に埋もれ、さらにしつこく
降り続くものだから、道際の雪の壁は嵩が増える一方。

庭の池の上の雪囲い用の波板が、雪の重みで潰れやしないか
ヒヤヒヤ。(こまめな雪よけが必要。)
鳥たちは餌も見つけられず、居場所も狭められ、
この冬が越せないものが続出するのでは、と危惧。
せめて庭の小鳥レストランの常連たちには、お腹いっぱい
食べさせたい。

あなたが外出する時、ポケットにパンくずやお米などを忍ばせて、
安全そうで雪の影響が少なそうなスポットを見つけたら、
そっと撒いて欲しい。
もしかしたら、それで命拾いできる野鳥がいるかもしれない。
こんな非常事態には、皆で協力せねば。
Posted by Ru Na - 2018.01.28,Sun
数年ぶりの大雪で60cm超えだった積雪が、ようやく道路が見えるくらい
溶けて、ほんの1日だけ自転車に乗れた。
その翌日から荒天。
今度は日本全体が、深刻な交通マヒに陥るほどの大寒気団。
積雪はこの前ほどではないが、日中も氷点下。
時折台風並みの強風。
道を歩くのに、凍ってない箇所を探して足元から目が離せなかった。

庭の小鳥レストランに来る小鳥たちは、余裕が全くなし。
猛烈な勢いで食べて、すぐまた次の催促。
私が庭に出ても、逃げずに近くで待機している。
というより、木の上などに集まって、こちらを熱心にうかがって、
目力でごはんを呼び寄せたい様子。

河岸に行けば、それなりの雪深さ。人があまり歩かないので、
かえって安心している様子の水鳥もいる。
タシギもつい油断して。雪の上の目立つ場所でくつろいでいた。
イソヒヨ子さんは、寒そうに民家の前庭の木からちょっと顔を出して、
またすぐに引っ込んでしまった。

日中は多忙。丁度時間が少し空く夕方、川原でアオサギと
しばらく過ごすのが私の日課。
ひどく吹雪く日は外に出られなかった。
今日は、凍りついた雪がようやく溶けてきたようだ。
しばしの寒波の中休み?






Posted by Ru Na - 2018.01.09,Tue
雨やみぞれ、あられや雪、と、相変わらず冬の北陸の空模様は良くない。
まだ明けていないと錯覚するくらい、朝がどんより暗い日も多く、
青空がのぞいたかと思うとすぐまた厚い雲に覆われ、雨が落ちてくる。
それでも、能天気に青空が続く太平洋側の冬より、こんな水っぽい天候が
私は案外好きなのである。

天気が悪いと自転車に乗れないことも多いが、日に一度は川べりに出てみる。
川や川に出るまでの道で、冬季によく友だちができてしまう。
人間や犬猫ではなく、野鳥の友である。
野鳥が友になるなんて、野鳥関係者も含めてほとんど信じてもらえないが、
われわれの関係は、“友”と呼ぶほか他の言葉がない。

イソヒヨ子、イソヒヨ君は、時期が来ればまたつがいになるのだろうが、
今は別の場所でそれぞれ別に会い、今日も会えて良かったね・・。と
再会を喜び合ったり、これから天気が荒れるらしいから気をつけてね・・。
など、いろいろ話をしている。
私がまだもう少し先まで行って、すぐ戻ってくるような時には、
そう言っておくと、待っていてくれたり、呼ぶとまたわざわざ出て来て
くれたりする。こんなに優しくしてもらって時々申し訳なくも思う。
そしてミソサザイも新たな友に加わりそうな気配。

数年越しの友、カワガラスに会えない日もあるが、うまく行き会うと
向うの方がいち早く私を見つけて、ジジッと嬉しそうに鳴きながら
大急ぎで近くまで飛んできてくれるので、しばし話をして、
また明日、と名残を惜しみながら別れるのである。

水鳥たちとも、何か共有する仲間意識がある。
鳥は識別能力がとても優れているらしい。
私にはどのカワアイサも同じに見えるのに、かれらは同じ様な人間の群の
中でも、私をちゃんと見分けているらしい。



Posted by Ru Na - 2017.12.31,Sun
その後の寒波到来で、12月にしては20数年ぶりの積雪があったり、
天候は平年より低温で雨やみぞれの日が多い。
寒い方がよかろうと思うのに、川に来る冬の水鳥はあまり増えない。

秋の終わり頃から会った冬の水鳥たち。(サギも含めて)

コガモ、マガモ、カワアイサ、ホシハジロ、キンクロハジロ、
ヒドリガモ、ヨシガモ、オカヨシガモ、トモエガモ、
ハシビロガモ、オナガガモ、ミコアイサ、ウミアイサ、
ホオジロガモ、オシドリ、マガン、ヒシクイ、セグロカモメ、
カワガラス・・・・
そして冬の大ダイサギ。


冬限定ではないけれど、

カルガモ、カイツブリ、カンムリカイツブリ、バン、オオバン、
カワウ、
水辺の鳥としては、セグロセキレイ、ハクセキレイ、イソヒヨドリ
それから、アオサギ、コサギ、ゴイサギ、何とチュウダイサギ(冬越しするの?)

遠出はほとんどせず、自転車や徒歩で動き回れる範囲で会った鳥たちである。
リストアップしてみたら、この範囲内では、まままあの種数かもしれない。
川で会うウミアイサは久しぶり。ミコアイサは1日だけの遠足。
キンクロハジロが少ないのが気になる。
カワアイサの全体数も少な目。
・・・というか、最近野鳥の全体数が急に激減しているような気がする。
私のいるこの地域だけのことだろうか?
それとももっと広範囲で?・・・何か大きな自然災害の予兆?





Posted by Ru Na - 2017.12.12,Tue
寒波到来。
晩秋の早い時期からすでに真冬の寒さになったり、悪天候続き。
ここ近年としては、冬になるのがとても早まった感じ。
昨日から荒れに荒れて、庭の池を覆う波板の上に、雪が薄っすら積もった。

それでも、近所の川に来る冬の水鳥の常連はまだ揃っていない。
下流の方は徐々に増えているとはいうものの、冬の水鳥の本格的な季節は
特別早まってはいないようだ。
キンクロハジロが顔を見せたのは、まだ二回のみ。
ホオジロガモも一度来ただけ。
川の環境は年々悪化している。落ち着かないので鳥たちが来なくなったのか、
地球全体で野鳥が激減しているのか分からないが、
例年、年末年始あたりにメンバーが揃い始めるので、もう少し待ってみよう。







Posted by Ru Na - 2017.11.30,Thu
昨日の午後、河岸でしばらく行っていない場所に足を伸ばした。
川に来ている冬の水鳥はまだ少ないようだが、ここも賑わいがいまひとつ。
その中で一箇所、カルガモ、コガモ、カワアイサが集まっている浅瀬があった。
水を撥ね上げて水浴びしたり、追いかけっこで求愛しそうな様子だったり、
皆活発に活動している。

ふと周りを見渡すと、堤防の上の住宅街の電柱に猛禽がとまっていた。
トビにしては色が薄い。
カメラでズームしてみると。ハヤブサの若鳥だった!
ほっぺには立派なハヤブサらしい紋があるのだが、なんだかとても
幼い感じで、どうも今年生まれたまだほんの子供のようだ。

私がじりじりと少しづつ近づいて行ってもてんで平気で、
目の前の川の中のカモたちを眺めている。おそらくコガモを狙っている
のだろうが、どうやって捕っていいか分からずに、ただ眺めているようにも
見えた。

「コガモやヒヨを捕らないでね。ネズミを狙いなさいよ。」と思わず話しかけて
しまった私を、首をかしげて可愛い顔でただ見つめるだけ。
猛禽とはいえ、人の側にこんな無防備にしていていいものだろうか?
まだ獲物の捕り方をちゃんと知っているのだろうか?
コガモやヒヨは捕ってほしくないけれど、この子だって何か食べられなければ
冬を越せずに餓死してしまう。
様子があまりにも頼り無げで、心配になった。

先に進んで橋を渡り、今度は対岸を通って帰る時、
やっぱりハヤブサの子は同じ電柱にとまっていた。が、
先ほどから両岸を行き来していた、この辺りが縄張りのハシボソ一家が、
ハヤブサの子がずっと同じ所から動かないのに業を煮やしたのか、
皆でこの子を追い出してしまった。
とまどったハヤブサの子は、1ブロックほど離れた電柱までよろよろ飛んで、
そこに又ちょこんととまった。

私は馴染みのサギに会いに行かねばならないので、その場を離れたが、
その後この子がどうなったか気になっている。






Posted by Ru Na - 2017.11.11,Sat
秋の里山を舞台にした第25回「内川・鎮守の森ギャラリー」は、
11月2日~5日に開催され、今回で25年の歴史に幕を降ろした。

私は初回から連続参加。
最終回の今年は、実行委員とのコラボ作品を展開した。

第1回目、当時この地区に持ち上がった産業廃棄物処理場建設計画に、
反対する内川の住民やその反対運動の賛同者が集まって、
このアートイベントの企画を立ち上げた。

初回の私の作品も、実行委員や地元の皆さんの協力の下で設置。
いわば地域の方々とのコラボ作品だった。刈り入れが終わった水田に
作品の芯になる竹を何本も立ててもらった。
広域の会場の道標になる“移動野外ワーク”の黄色い三角形を、
実行委員の車で道を移動しながらポイントの場所を見つけ、
道沿いの竹林や杉、柿畑、はさなどに設置していった。

今回は、長年の制作で溜まっていった作品のきれっぱしや
染めたロープの塊などを、息を吹き込んだビニール袋に入れて、
竹林に張ったロープに縁日の屋台に並んだ玩具の様に吊り下げる、
という作品。
最初は、それぞれが美術作家でもある実行委員や、毎年参加している他の作家
10名位でコラボができないか、計画を練っていたのだが、少しづつ変更。
最終的に、実行委員でプロの折り紙作家であるKさん、それに
陶芸家で空間感覚が優れた実行委員のNさんとのコラボに落ち着いた。

25年に及ぶ鎮守の森ギャラリーの前半、作品設置時はいつも
Kさんがお手伝いしてくださっていたので、
最終回にまたKさんと共同作業ができたのは、嬉しかった。
そして私は・・・・折り紙にすっかりはまってしまったのだった。

折り紙のことなど、また今回の作品や会場の様子など、
また後日に。






Posted by Ru Na - 2017.10.25,Wed
先日、今年は台風が少ないと書いたその後、22-23日に大型の台風21号の
ありがたくない訪問があった。
風は思ったほどではなかった。夜中・未明の雨も覚悟していたほどでは
なかったが、川がひどく増水した。山の方で大量に降ったのである。
我が川では氾濫も堤防決壊も浸水もなかったが、一時、消防団待機準備の
水準を超えていた。

22日の午後、降り続く雨に川は既に水位が高く、水は濁って浅瀬や中州が
水没しかかっていた。
水鳥たちはどこに潜り込んだかほとんど姿がない。
夕方風が出てくると、河口の森でも小鳥たちはどこかに避難して、
情報交換か、ヒヨドリだけが鳴き交わしていた。
近頃日中コロニー近くの浅瀬で過ごしているサギたちの姿も少なく、
ダイサギが10羽ほど、川中の浅瀬があった場所で心細げに
身を寄せ合っていた。

23日の未明、雨量が最も多かったらしいが、睡眠中で覚えていない。
朝、強い雨風は収まったが、一日雨が降り続き、
川の様子を見に行ったのは、ようやく24日の午後になってから。
水位情報を見て、23日未明の水位の上昇にぎょっとして、
(野鳥の子育て時期が終わっていて良かった!)
水位が下がったのを確認してから出かけたのだが、
実際の川は濁流が渦巻き、堰の段差は水没、浅瀬は水没。
中州・寄り州は浸水。草木がなぎ倒されて、流木やゴミが
あちらこちらに引っ掛かっていたりした。

遊歩道の方々に、泥や小枝や枯葉などが散乱していて、
ここまで泥水が被ったということが分かる。
この川近くの高台の下で、崖崩れもあったらしい。
ここは人的被害がなくて良かったのだが、何と水っぽい国なのだろう。
いつもその水の恩恵を受けているが、ひとたび何かあると
土がすぐ脆くなる、何と脆い国土であるか。
(どさくさまぎれの大儀なき解散劇の衆院選の結果なども、こんな国土の
気候風土が国民の気質に相当影響していると思う。)







Posted by Ru Na - 2017.10.20,Fri
我が家の庭の金木犀は、毎年律儀に10月1日にいきなり香るが、
今年は咲き始めが大幅に遅れ、ほとんど香らず散ってしまった。
近所の金木犀も、同じような状況。
家からさほど離れていない高台の地区では、日当たりのせいか
毎年秋分の頃に金木犀が咲くという。
今年こちらの方は二度咲きをし、数日間とても良い香りを放っていた。

金木犀が咲く日がずれるのは、異常気象が取り沙汰される猛暑の夏の
年に時々起こるが、今年は特に変だった。
8月前半までの猛暑、後半の天候不順。8月後半から9月の台風は
例年より少なく、9月後半から10月初めの高温。
1日で10℃ほど気温が上下するのである。
こちら28℃あった日は、リスボンで33℃まで気温が上昇したというから、
この極端な天候は世界規模らしい。

小さなオレンジ色の花邑が、地球温暖化など環境の色んな変化を
考えさせてくれる。
その花をゴキゲンにつつくのはスズメ。
花に寄って来る虫がお目当てのシジュウカラやエナガの群。
鳥たちには、このくらいの日にちのずれは、
かれらの秋の食生活にあまり影響していないようだ。



Posted by Ru Na - 2017.09.30,Sat
その小さな男の子は、にこにこ笑いでうるんだ目を天井に向けたまま、
8畳間の真ん中で、嬉しくってし様がないといった様子で、
小走りのぐるぐる回りをずっと続けていた。
回りすぎて目が回ったのか、最後はぱたっと畳の上に倒れこんで、
それからやっと少し落ち着いた。
幼稚園で仲良しだった男の子が、初めて家に遊びに来た時のこと。
今は亡き幼なじみの彼を思い出す度、何故かこの光景が浮かぶ。

S君は家も近所だったし、共に通っていた幼稚園も近所だったし、
高校を除いて大学までずっと同じ学校だった。
同年代の子供の中でも小柄で幼く見えたが、実は頭がとても良くて
成績が優秀なだけでなく手先がとても器用で、小さい頃から
なんだか色んなものを作っていて、それがあまりに創意工夫に富んで
上手に出来ていたので、よく大人を驚かせていた。

中学生の頃は理科人間になっていて、何でもカエルの心臓移植を
試みたとか、色んな実験に夢中になっているという噂になっていた。
高校は当然県で一番の進学校に行くかと周囲は思っていたが、
ほどほどの進学校へ。それから美大へ。
(まあ私も高校は楽に入れるところを選んだので、当時の美大志願者は
いかに学科の勉強をしたがらなかったかの傾向が、これでちょっと
見えてくるかもしれない。)
この頃、美大入試のための予備校ー美術研究所では、学校の試験で
0点を何枚取ったかが手柄話だった。

高校生のS君はすっかりニヒルになって、ショーペンハウエルなど
読みふけり、社会を斜から鋭い目で見ているようだった。
美術研究所には浪人生が多かった。(当時、美大の油・彫刻に
現役で入るのは至難だった。)
この時分のS君は、実社会を見てきた浪人生たちと一緒になって、
ずい分鋭い社会批判や皮肉っぽい人生論を展開させていて、
ちょっと近寄りがたい雰囲気になっていた。

科は違うが同じ美大に同時期に入った訳だが、いつの間にか疎遠に
なって、気がついたらS君は日展に出品するようになっていた。
何でまた日展!!??
今はどうか知らないが、当時の純美の美大生の大半が、
(というより、私の周囲にいた人たちが)、既成の権威やアカデミズム
(後で考えれば、本当の意味のアカデミズムでは無かったのだが。)に
批判的で、公募展美術団体や元官製の展覧会である日展、
特に「日展なんか・・」と、その権威を頭から否定していたものだ。
だから教授に言われるままに日展に出品している学生との間に、
何か見えない線が引かれているように感じることすらあった。

S君は、本質的に非常に真面目だった。生真面目すぎるくらいだった
かもしれない。

そのS君がまだ園児だった頃に私にくれたのが、
お手本なしで自分で工夫して作ったスズメの折り紙だった。




 ー 続く -









Posted by Ru Na - 2017.09.17,Sun
実は私、学生時代に、“すずめ”とあだ名が付いていた頃がある。
小柄で丸顔で、ぴーちくぱーちくと、ひとりでしょっちゅう囀っていたので、
スズメに似ている、いやスズメそのもの、と周りから見られていたらしい。

私は美大の油絵科だったが、同期の彫刻科の連中とよく集まって、
喧々囂々と青臭い芸術談議をしたものだった。
家のごく近所の傾いた古い長屋に、彫刻科が二人下宿していて、
路地に面した2階の部屋が主なたまり場になっていた。
(1階は、彼らは勝手に床をコンクリートで固めて、制作場にしていた。)
皆夢中で夜通し、芸術論、人生論をまくしたてていたものだ。
それがその頃一番楽しかった。
だから、普通大学の学生が集まって、恋愛やファッションの話をするのを
聞くと、まるで別世界のように感じたものだった。

近所とはいえ、自宅生の私はいい加減に帰らなければならない。
「わたしもう帰るね。」と一人引き上げる時、
「すずめ帰るってよ。・・・さあここから飛んで行きなよ。」と
誰かが必ず窓を開けた。
「すずめは鳥目なので、地上を歩いて帰ります。」
(さすがに2階の窓から出入りしたことはなかった。)

当時(高校時代から)私は漫画家のY.S.さんの同人会に所属し、
同人誌に漫画も載せていたが、その頃の作品に、
自分と自分の周りの美大生の何気ない日常を描いた「わたしはスズメ」
なんてタイトルを付けたものまである。

高校時代、美術部の部室があった古い記念館横は、
どういう地形的条件なのか、鳥の声がよく反響した。
四方全てではなく、南側の木造の外壁近くに立つと、小鳥の声が
天から星が降るように、それでいて空気に白く溶けていくように
不思議な色彩と響きを帯びて聞こえた。(今でもそうだろうか?)

立地条件がいい場所にある高校なので、今思えばかなり多くの種類の
野鳥が行き来していたはずだが、
その頃は鳥の種類に興味はなく、ただスズメの声だけは聞き分けられた。
記念館横の、天から降ってくる銀の響きのようなスズメの声が、
今でも耳の底に残っている。
建物に激突して脳震盪を起こし、私の手の中で亡くなったスズメを
埋葬したのも、この場所。
多感な時代、スズメと共に確かに私の心の何かを埋葬した。
あれは何だったのだろう。

スズメは四十数種類の声音で鳴くという。
とある公園で野鳥調査をしていた山階鳥類研究所の人に、そう聞いた。
それら全てを聞き分けられるのは、よほどのベテランだとも。
でもやはり、幼い頃からなじんだスズメの鳴き方の多くは、
野鳥に特別関心がなかった頃でも、他の鳥とは違う、と聞き分けて
きたような気がする。















ブログ内検索
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
Ru Na
性別:
女性
職業:
金沢市在住の美術家
訪問者
最新TB
Template by mavericyard*
Powered by "Samurai Factory"
忍者ブログ [PR]