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見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
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Posted by Ru Na - 2017.03.16,Thu
ロンドン古楽コンソートを主宰したデヴィッド・マンロウは、
元々音楽学校出身の演奏家だったわけではないらしい。
ケンブリッジで英語学を学んでいる間に音楽学者との出会いがあり、
独学で管楽器を習得したという。

同じケンブリッジで学んでいたホグウッド等とロンドン古楽コンソートを
設立。
英国の音楽家には、音大ではなく普通大学出身者が割りと多いような
気がする。学問的な興味を実践に移しやすい土壌があるのだろうか?
マンロウはケンブリッジの前に1年ペルーで英語教師をし、
その間に南米の民謡の収集をしたり、ケンブリッジ後はバーミンガム大で
17世紀の俗謡の研究をしたという。
ホグウッドも初めから音楽をやっていたのではないらしい。

   

マンロウ自身は33歳という若さで急逝したが、ロンドン古楽コンソートに
関わった演奏家は、その後の古楽界の中心的な存在になっている。
それまで忘れられていた古楽演奏の普及に大きな役割を果たしたマンロウ。
もっと聴きたいと、以前探した時はなかなか見つからなかったCDが、
最近手に入りやすくなっているような気がする。
(ホグウッドのCDも同様である。)

1977年に打ち上げられた宇宙探査機ボイジャー1号。
2012年に太陽系を脱出して、更に遠くへ旅し続けている。
いつか太陽系外の知的生物に遭遇することを期待して、その船内には
地球の様々な言語や文化を記録したゴールデンレコードが乗せられている。
各国が選んだ音楽も収録されていて、以前書いたようにカナダからは
グレン・グールドによるバッハの平均律、アメリカはチャック・ベリー
日本は山口五郎の琴古流尺八、
そして英国からはこのデビッド・マンロウの演奏が選ばれていた。

  

最近、太陽系外惑星に知的生物が存在している可能性が高い、
という話題がまた盛んになってきている。
マンロウのリコーダー曲を聴いていると、
漆黒で広大無辺な宇宙空間に、このような可憐な響きが
リボンのように軽やかな曲線を描いて流れていき、
不思議な存在が星ぼしの間からそれを拾い上げて驚嘆する、
そんな時が実際に在る様な、ふとそのような想像が
脳裏をかすめていくのである。


  







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Posted by Ru Na - 2017.03.09,Thu
英国の音楽家で、私が気になっているもう一人のDavidがいる。
デヴィッド・マンロウ。ロンドン古楽コンソートを主宰した
古楽研究家で管楽器奏者。
デビッド・ボウイと同じDavidの名であるが、日本語表記はなぜか
デイヴィッドとなっている事が多い。
1942年生まれだから、ボウイの5歳年上。(J.レノンの2歳年下。)

デヴィッド・マンロウを知ったのは、全くの偶然、
たまたま手にしたCDの奏者だった。

かって我が町には、中心街にクラシック音楽専門のCD店があった。
この町の規模にしては大きく品揃えも良く、どうも全国的にも
知られた店だったらしい。
家からも割りと近く、便利のいい場所だったので、しょっ中入り浸っていた。

昔は廉価版Boxセットなどは少なく、ほぼいつも金欠だったので(今も)、
定価2~3千円のCDを1枚買うにあたっては、しばしの黙考と決断が必要
だったが(今も)、掘り出し物ワゴンセールが大好きで(今も)、
その店にいる半分くらいの時間は、何か面白いものがないかと、
ワゴンの中のCDを1枚づつ引っ張り出しては眺めていた。
そして定価の半額くらいになっていると、有名作曲家、有名曲、有名演奏家
以外のちょっと変わったものでも手が出しやすかった。
お陰で、古代ギリシア音楽、ロシア正教の鐘の音、ルネサンス時代の俗謡、
ポーランド現代音楽・・・等々、幅広いタイプのコレクションができた。

その中で特に気に入ったのは、ゴシック期の音楽という1枚。

    

中世写本のジャケットに心惹かれてつい買ってしまったCD。
聴いてびっくり、涼やかなポリフォニーの声楽と鐘の音、
ノリのいいリズム。さわやかな風に吹かれているような美しさで、
何時いかなる時でも聴いていたい1枚になった。

それまで、J.S.バッハなどバロック期以前の教会音楽といえば
グレゴリオ聖歌しか知らなかった。
このノートルダム楽派の音楽は、私の古楽に対する興味に火を点けた。
もっと色々聴いてみたいと思い、他の演奏家によるCDも入手したが、
先のこの1枚のような魅力に乏しかった。
このアルヒーフというレーベルから出ているCDの演奏家こそ
デヴィット・マンロウとロンドン古楽コンソートである。

デビット・マンロウの他のCDも探してみたが、当時は見つけられず、
ネットで検索、なんてこともしない時代だったので、
気になりながらも年月が過ぎた。
ようやく大阪の、やはり今は無きクラシックCD専門店で
マンロウの別のCDを見つけた。「十字軍の音楽」。

もうこの頃になると、音楽史の本も何冊か読んでいて、
例として載っているバロック以前の曲の楽譜も拾い読みしたりしていた。
やれ、南仏トルバドゥールの曲だ、北仏トルヴェールはないかしら?
楽譜で読んだ曲をプロの演奏家の実際の演奏で聴きたい。
ベルナール・ド・ヴァンタドゥールはどの演奏家がいいかしら?
イベリア半島のユダヤ音楽? 赤い写本の音楽もあるね、
ギョーム・ド・マショーはやっぱりいいね・・・など、目移りするものが
あまりにも多いCDの山の中で、古典派ほどポピュラーではないので、
ただでさえ単独では値の張る古楽の輸入CD、演奏家にも色々こだわりが
できていたので、どの1枚を買おうか、いつも決めかねていて
マンロウのCDが最優先という訳でもなかった。
そして、この演奏家がどのような人であったかを知ったのは
もっと後のことである。










Posted by Ru Na - 2017.02.17,Fri
思うところあって、今度絶対D.ボウイのCDを大人買いしてやろうと
決めていたのだが、そして最近、ポップスやロックもクラシックのように
廉価版のBoxセットが割りと出ていると知ったのだが、
いざ買うとなると、それなりにまとまったお金が要るので、
目ぼしいものみんな片っ端からカートに入れる大人買いは、
いざやろうとしても、なかなか出来ないものである。

CDをこれ以上増やすまいといつも思うのだが
長年念願だったJ.S.バッハ全集147枚組の旧バージョンが
年末に大安売り。つい購入。まだ一部しか聴いていない。
増え続けていつの間にか家の中のスペースを圧迫しているCDは、
主にクラシック。2千枚を超えた頃からもう数えていない。
いくら沢山あっても、一度に聴けるのは1枚だけ。
1日に平均3枚聴いたとして、1年で聴けるCDは約1100枚にすぎない。
気に入ったCDは繰り返し聴くので、長年聴いていないかわいそうなCDが
どうしてもできてしまう。

デビット・ボウイのCD は、つい繰り返して何度も聴いてしまう部類。
初期から1枚づつゆっくり購入していこうかとも思ったのだが、
ベルリン時代の5枚組(ベルリン3部作+ライブ2枚)を先ず入手。
そしてボウイの変化に富んだ面白さを再認識した。
1枚のアルバムに色んなタイプの曲が入っているが、それらが
有機的に繋がって全体が一つの作品のようになっている。
もちろん、個々の楽曲を部品としてアルバム全体を作品に仕立てるやり方は、
ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
で、世界初の「コンセプト・アルバム」が誕生して以降、
色んなミュージシャンが試みるようになったが、
ボウイのアルバムは、一見控えめに、しかしアルバム全体の構造が
実にしっかりしている、と、それが何度聴いても飽きさせない
大きな要素なのかもしれない。

ボウイに関する評論など、色んな書籍も出ているが、読んだ事はない。
だから、世の中でボウイの其々の楽曲がどんなふうに評価され
評論されているか、ほとんど知らないのだが、
ボウイというと必ずついて回るビジュアルな要素を抜きに
音の世界だけでも何かが格別に面白くて、その面白さが何であるか、
ズバリと言い当てる言葉をまだ見つけられずにいる。




Posted by Ru Na - 2016.08.14,Sun
吉田秀和さんの「名曲のたのしみ」特別番組を、NHKのFMでやっている。
1991~93年に放送された、「ブラームス その生涯と音楽」を
4回にまとめたもので、作曲家シリーズとしては、モーツァルト、
ベートーヴェンに続く第3弾。
先週の9,10,11日に3回、次は22日に第4回目を放送するらしい。
こういう日程になったのは、おそらく8日に天皇の「お気持ちメッセージ」
が入ったからなのだろう。

吉田秀和さんが亡くなられて早や4年。
私がこの長寿番組を聴き始めたのは遅く、作曲家シリーズでは
シューマンからである。
「名曲のたのしみ」放送全記録の小冊子を見ると、
モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ショパン、、
グリーグ、ドビュッシー、フランス近代音楽、ラヴェル、
シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ドヴォルザーク、
ベルリオーズ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチ、
R.シュトラウス、チャイコフスキー、プーランク、
ハイドン、ラフマニノフ、シベリウス が取り上げられた。

ブラームスに関して、私は結構知らない曲が多い。
4曲の交響曲やピアノ小品集やピアノ協奏曲は、
自分にとって重要な存在で、特にピアノ曲では
時にラプソディーが無性に聴きたくなったり、間奏曲が
弾きたくなったり、その時々の心に寄り添ってくれるものが多い。

吉田秀和さんは特に歌曲がお好きだったようだ。
以前の放送で、ブラームスの音楽を、
「思い出がいっぱい詰まったような・・。」と表現されていた。
その「甘い旋律」は、ショパンなど他の作曲家とは少し色が違う甘さで、
私の10代の頃は取っ付きにくかった。

ブラームスは少年時代から家計を助けるため、酒場のピアノ弾きを
していた、と知ったのも、吉田さんの本を通じてである。
子供時代から大人の現実の世界に触れてきた作曲家には、
夢と憧れを、常に苦い現実社会が取り囲んでいる感覚が離れず、
このような音となって現れたのかもしれなかった。

ピアノコンチェルトはやはりギレリスの演奏が最高と、
吉田さんが語るのを聞いて、全く同感と嬉しくなった。
ただ、番組をチーフディレクター氏がまとめるにあたって、
間奏曲は是非グレン・グールドの演奏を選んでほしかった。
前述の小冊子を見ると、吉田秀和さんはグールドの演奏も
取り上げているので。
グールドのブラームスを、吉田秀和さんがどのように語ったか
聞きたかった。

この「名曲のたのしみ」のアーカイブを、もっと定期的に放送して
もらえないものだろうか?
ちょうど「日曜喫茶室」の過去の番組を、月に一度放送しているように。











Posted by Ru Na - 2016.05.12,Thu
デヴィッド・ボウイを中心としたの写真展があると知って、
雨の合間に見に出かけた。

   

会場になった建物の明るい吹き抜けに、D.ボウイの様々な写真が
散りばめられた大きなパネルが。

  

実はこれ、鋤田正義という世界のミュージシャンの写真を撮ってきた写真家の
「サウンド アンド ヴィジョン」という展覧会である。
撮影禁止コーナーには、レコードジャケットなどで見覚えのある
いろんなアーティストの写真パネルが並び、ジミヘン、カルチャークラブや
清四郎、若き日の沢田研二、木村カエラなど、見ていると
それぞれの時代の音が聞こえてきそうだった。

  

今年1月のデヴィッド・ボウイの訃報に、
「ジギー、星になったの?!」と思わず叫んだ私。
特別熱心なフアンだったわけではないが、
いつもどこかで、その存在の大きさを感じていたのだった。

訃報を聞いて、思わず買ってしまったベストアルバム。

        

刻々と変化し続ける彼の音楽を俯瞰するには役不足、と
あまり評判が良くないアルバムだが、とりあえず代表作が色々入っている。
「火星の生活」などは、上昇する移調が、元祖無調音楽といわれる
ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」と通ずるところがある、なんて
思ったりする。

姉が昔買った「ヒーローズ」のLPが家にあったし、
ひと時代遅れでブリティッシュ・ハードロックを聴き始めた私だが、
パンク・ロックはリアルタイムで聴いていた。
壮大で複雑になりすぎたロックを、生で社会への率直なメッセージ性を
打ち出すシンプルなものに回帰させた、セックス・ピストルズや
ザ・ストラングラーズなどのパンク全盛期は、ケイト・ブッシュや
このD.ボウイなど、独自の個性を持ったアーティストが同時に活躍し、
クィーンといった大御所も新曲を次々ヒットさせていたし、
ロッド・スチュアートは益々ソウルに磨きをかけ、
過激な西独のパンクの一方で、独自スタイルのエルビス・コステロの出現、
米からはボストンなど美し系サウンド・・・・様々な音楽が
生まれていた。
レゲエやサルサなど、英米以外の音楽が世界を圧巻し始めたのもこの頃で、
ずい分華やかな音楽シーンを作り上げていたと、今更ながら思う。

  

その中で、D.ボウイの深々とした声で歌われる楽曲は、時代が移っても
いつまでも古びず、時代に左右されずに聞くことができる。
それは彼がロックミュージシャンというジャンルを超えた表現者で、
ロックも彼にとってはひとつの表現手段で、時代に迎合しようという気が
なかったからかもしれない。

 

厳めしい旧県庁舎の壁に並んだD.ボウイの色んな表情。
おなじみ、「ヒーローズ」のアルバムジャケットになった1枚。

  

D.ボウイの曲は、その亡羊とした響きを楽しんできたので、
英語の歌詞の意味をあまり気にせずに聴いてきたが、
これはベルリンの壁に引き裂かれた恋人たちを歌った歌だった。



            




Posted by Ru Na - 2016.01.15,Fri
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調は、
子供の頃から好きな曲である。
特に小学高学年から中学にかけて、最も好きな曲の
3本指に入っていた。
これは私にとってオレンジ色の曲。
なぜオレンジ色かと聞かれても、自分でも分からないのだが。

私はいろんなものが色彩と結びついていて、
それぞれの数字には色のイメージがあるし、
作曲家や演奏家にも色と数字のイメージがある。
例えば、1は白、スカルラッティやヘンデル。
メンデルスゾーンは緑で、数字に当てはめると4なのだが、
このヴァイオリン協奏曲はオレンジのイメージなのである。
オレンジ色の曲は、他にランゲの「花の歌」などがある。

大人になり様々な多くのを知っていくにつれ、
この曲からしばらく遠ざかっていたが、
一昨年、いろんな野鳥の動画を編集した映像作品を
作った時、サギの渡りのシーンに使うフリー素材の音楽を
散々探していた。
初めはブルックナーの後期の交響曲の一部(静かな部分)を
使いたいと思ったが、著作権フリー素材では見つからず、
オーケストラスコアをPCに打ち込んで自分で作るには
大変すぎるし、うまくいくとは思われない。
偶然この曲をフリー素材で見つけ、第2楽章を映像に合わせてみたら
この曲以外考えられないほどにマッチしたのだった。
それ以来この曲は、私にとってのサギの渡りの音楽になってしまった。

渡りの群が薄紅の夕空に消えていくのを見送った後、自転車で帰る道すがら、
この第2楽章のメロディーが自然に頭の中に流れることがしばしば。
そんな時いつの間にか、勝手に付けた歌詞で小さく口ずさんでいる。

  紅染むる秋の夕暮れ 白き鳥水辺に集い軽やかに舞い遊ぶ・・・。

と、昨年末、いつものように歌っていたら、
ふと、昔訪れたライプツィヒの街並みが目に浮かび、
当時旧市庁舎の中にあったメンデルスゾーン記念館、
ゲヴァントハウスが見える広場など、どんどん連想が広がってゆき、
クルト・マズアさんにお会いしたときの事が思い出された。


  ― つづく ー


Posted by Ru Na - 2016.01.08,Fri
TV番組はリアルタイムでしっかり見られることが少なく、
気になる番組は、レコーダーのHDDに録っておいて
後で小出しに何回かに分けて見ることが多い私。
年末放映したNHK・Eテレの“2015年音楽ハイライト”を、
そんなふうに見ていたら、15年度に亡くなった著名な音楽家に、
クルト・マズアさんの名があった!

12月19日。報道はされていたのだろうが、忙しくて気が付かなかった。
“音楽ハイライト”でも、さらっと流しただけ。
あまり大きく扱われていなかったのでは。何故?
この世界の時代の流れを変えるのに大きく貢献した巨匠を・・。

ベルリンが東西に分断されていた冷戦時代、東独のライプツィヒは
民主化運動の急先鋒で、ゲヴァントハウスの指揮者マズアさんは
その中心にいた。
ベルリンの壁崩壊前夜、激しさを増す民主化デモに、東独政府は
軍隊を出そうとしていたが、最高指導者ホーネッカーが、
市民に影響力のあるマズアさんに意見を聞こうと言い出し、
マズアさんは、軍隊は出さない方がよろしい。と答えたので、
政府は武力鎮圧をしなかった、とそんなエピソードが私の持っている本に
載っている。その真偽はともかく、
マズアさんは、市民にも政府にも冷静な行動を呼びかけ続け、
結果、「プラハの春」「天安門」の二の舞は避けられ、
ベルリンの壁は流血を見ないで開き、その民主化の流れは
ソ連邦の崩壊に繋がり、東西冷戦時代は終わりを告げた。

東西ドイツ統一記念コンサートで、ベートーヴェンの第九を指揮。
この感動的な演奏を、日本でも多くの人がTVで見ただろう。
私もいたく感銘を受けた一人である。
その後NYフィル、ロンドンフィル、フランス国立管の主席指揮者や
音楽監督を務め、私はその重厚な響きに心惹かれてきた。

そんなマズアさんが我が町にやって来たのは2009年の12月。
「えっ、あの生きた伝説の巨匠の演奏が生で聴けるなんて。」と、
足と心に翼が生えたように音楽堂に向かった。
メンデルスゾーン基金主催の2日間にわたるコンサートとシンポジウムで
名付けて「ミステリアス・メンデルスゾーン」。

ゲヴァントハウスは、市民階級による最古のオーケストラホール。
このゲヴァントハウス管を大きく発展させたのが、
1835年に主席指揮者に就任したメンデルスゾーンである。
裕福な家庭に生まれた彼は、自らの資金でライプツィヒ音楽院を設立。

ライプツィヒは、ゲーテ、シューマン、リスト・・と、
綺羅星のような作家や作曲家ゆかりの文化都市。
そして言うまでもなく、J.S.バッハの町。
そのバッハを再評価し彼の音楽を世に復興させたのは、
このメンデルスゾーンで、聖トーマス寺院前のバッハの像も
彼が資金を集めて建立したものらしい。

シンポジウムでは、ゲヴァントハウス管のメンバーによる室内楽演奏などの後、
有名なのにまだその評価が十分でないメンデルスゾーンの音楽を、
もっと世に伝えようと努めているマズアさんや、研究家による
興味深い話の後、会場からの質問を募った。
誰もバッハ関連の事を話さないし聞かないので、私がおずおずと質問した。

メンデルスゾーンの音楽は、時々「無言歌集」の楽譜をピアノで拾い読みしているが、
バッハの対位法の影響を、素人の私は見つけられないでいる。
それで専門家の方々の意見を是非聞きたかったのだ。
そして、楽曲への直接の影響より、前の時代の音楽の再発見という点に
メンデルスゾーンの真骨頂がある、という説明をして頂いた。

この日の様子を載せているHPを見つけた。
(私のバッハの質問のことも書いてあります。)

http://www.oekfan.com/review/2009/1214.htm

シンポジウムの後、関係者はホールのロビーで立食パーティ。
会場の世話をしていた方が、私にも出席のお誘いをして下さった。
シャンパングラス片手に、隅っこで舞い上がるような気持ちでいたら、
ミッチーさん(井上道義さん)が、近づいて来て、
「良い質問をありがとう。」と、私のグラスにカチッと軽く乾杯して
また去っていった。
緊張した気分が次第にほぐれて、思い切ってマズアさんの近くへ。


  ― 2につづく ー








Posted by Ru Na - 2015.08.21,Fri
3年前亡くなった吉田秀和さんのラジオ番組「名曲のたのしみ」から、
過去の番組を編集したスペシャル特集で、
待ちに待ったベートーヴェン・シリーズが、17日から四日間放送された。

  

美術や音楽には、記号的な言語、いわゆる話したり読み書きに使う“言葉”ではなく、
造形言語、音楽言語と言えばいいような別の言葉がある。
造形作品を制作する時は、“言葉”ではなく色や形や線や空間で思考するし、
音楽を奏でる時は音の流れそのものが思考になる。

ベートーヴェンの音楽は、世界や人間のあらゆることが詰まっていて、
汲めども尽きぬ泉のような、私にとっても常に特別の存在である。
1曲のピアノソナタを楽譜と指と鍵盤で追う時、
感情の流れや時や人生の移ろい、実存の根源といったような多くのもの
がたち現れ、変容しながら収斂し、泉の最も澄んだ光に導かれる想いがする。

昔よく、無人島に持って行きたい1枚のレコードは?なんて
友人同士で話していたが、無人島に持って行くなら、
私はベートーヴェンの32曲のピアノソナタの楽譜の方を選びたいと思った。
(後にバッハの平均律全曲の楽譜も捨てがたくなったが。)

  

音で思考していても、名状しがたいものを“言葉”に置き換えて
表現したくなるのも、人の常である。
また、他の人がどのようにその音楽を受け取っているかも
知りたくなる。
吉田秀和さんの評論は、深い感受を更に深く掘り下げて、
“言葉”とは別の領域に存在するものを、的確で誰にでも平易な“言葉”に
置き換えて、自分の感受をうまく“言葉”に出来ずにもどかしい思いを
している我々に見せてくれる。
そして、はっとするような新しい視点に気付かせてくれる。



Posted by Ru Na - 2015.07.21,Tue
サギコロニーのカウント調査と個人的にした再調査の後、
コロニーの周辺では気がかりな事が続いている。

 

川原の夏の草刈が始まった。
河川課や業者へオオヨシキリへの配慮を頼む。
同時に、河川課から委託されたという護岸の状態調べの業者が
いたので、また河川課に工事予定を問い合わせたり、
そうこうしている間にも、トビやカラスのせいではない
サギの一斉飛び立ち。軽いパニック状態は人が何か悪戯をしているせい。
サギの営巣場所にごく近い左岸の遊歩道で、
怪しい言動の二人を二組見た。

いつも犬の散歩をしながら、サギを見守っている近所の奥さんから、
サギの頭だけ二つ落ちているのを見た、というショッキングな話を聞く。
猛禽かキツネかタヌキの仕業と思われるが、
人の犯罪行為の可能性も捨てきれない。
営巣場所の木立に入れそうな隙間が、遊歩道横に作られていた。

台風が目前に迫っている時も、去った直後もコロニー通い。
暑い日中は、庭の池の水温が上昇しないよう、周囲の水撒きを
頻繁に行い、家の事を大急ぎで片付け、夕方に向けて出かけ、
日没後15~20分までコロニーの観察と監視。
帰ってすぐ色んな片づけ、やっと遅い夕食。
撮影したデーターをPCに取り込んでから、ようやく一休み。
夜中に再び起きて、自分の仕事。
と、結構ぎりぎりの多忙生活を続けている。

夜中にふとTVをつけた。
チャイコフスキーの四季の「秋の歌」を、若い女性ピアニストが
森の中で弾いている。
番組表を見ると、ベルリン郊外の森の中のコンサート。
この上もない繊細な音に、思わず惹き込まれた。
カティア・ブニアティシヴィリ、グルジア出身。
とても美しい人だが、画面はほとんど見ず、音だけ聴く。
ブラームスの間奏曲。ショパンやドビュッシー・・・・。
何という音色だろう。
全身ひりひりした痛みでできているような。

若い柔らかな感性は、そのまま外気に触れると
傷だらけになってしまう。だから薄い皮膜で覆って、
その皮膜を幾重にも重ねて、痛みを遠ざけるように
人は生きてゆく。
そして、いつの間にか皮膜そのものが外界への受容体と化し、
その下に敏感な神経があることすら忘れてしまう。

このピアニストは、そんな皮膜をほとんど身に着けていない様な、
そして、音楽を創造するものはもとより、
皮膜なしの剥き出しの痛みをも音にしているのだから、
そんな音楽を生のままで創造者と一体になって具現している様な、
ただただ驚嘆する音楽を、森の緑の中に放っていた。

 








Posted by Ru Na - 2015.06.11,Thu
同級生の演奏で始めて聴いたベートーヴェンのピアノソナタ“悲愴”に
心惹かれて、高校1年の時に買ったレコードと楽譜。
何とか自分でもこの魅力的な曲を弾いてみたいと、
毎日ピアノの前に座って、楽譜から音をひろっていった。

   

子供の時分、ピアノ教室に通っていた。
親も私も全然熱心ではなく、それどころか教室に通えばご褒美に
少女まんが雑誌を買ってもらえたので、そちらが主な目的になっていた。
先生にも匙を投げられたくらい練習もちゃらんぽらんとしたものだったので、
当然少しも上達せず、他の学習者が必ず通るハノンなどのスケールの練習も
パス。バイエルとツェルニー30番、100番と、ソナチネアルバムを
少しかじった程度で、中学時代にはもう教室をやめていた。

練習も練習曲もあまり好きではなかったが、ピアノや音楽が嫌いだった
わけではない。
それどころか、何かのきっかけで突然好きになった曲には熱中した。
子供の頃、習ったわけではないが、他の子と同様、“エリーゼのために”や、
“乙女の祈り”は弾きちらしていたし、中学生の頃、ピアノが得意な友人が
弾いていた、ショパンの“子犬のワルツ”を、自分も弾きたくなって、
楽譜を買って練習したりもしていた。

このベートーヴェンの“悲愴”には、更に情熱を傾けて、
ついには私の数少ないレパートリーに加わったのだった。
楽譜を指で読みながら、常に頭にあったのはリヒテルの響き。
買ったレコードの演奏者がリヒテルだったのは偶然だが、
後日他の奏者の“悲愴”をいくら聴いても、自分の“悲愴”のイメージとは
どこかズレがあり、その後次々と知っていくことになるベートーヴェンの
32曲のピアノソナタ全体の、私のベートーヴェン観は、
リヒテルによって形成されたと言っても過言ではない。






Posted by Ru Na - 2015.05.30,Sat
今年生誕100年のスヴャトスラフ・リヒテル。
最後の巨匠、20世紀最大のピアニストと、どれだけ賞賛しても
し尽せないこのピアノの巨人に、世界中の人が其々の褪せぬ想いを
抱いていることだろう。
私も折に触れて、“私のリヒテル”を書いてみたいと思っていたが、
十分な言葉にし難くて躊躇していた。
先日、朝日新聞の文化欄で取り上げられていたのをきっかけに、
時々メモのように書き連ねてみようと思い立った。

      

私が好きな3大ピアニストは、G.グールド、リヒテル、ミケランジェリである。
そのうちリヒテルは、演奏者として最初に好きになった、
いわば初恋のピアニストである。

高校生になったばかりの春、音大を目指す同級生の演奏会に行った。
皆きれいなドレスを着て演奏するピアノ教室の発表会で、
一人だけシンプルなズボン姿で弾いた彼女の曲が、ベートーヴェンの
ピアノソナタ“悲愴”の第1楽章。
実はこの時初めてこの曲を聴いたのだった。
小柄な彼女が生み出す迫力の音量。この曲にすっかり魅せられてしまった。
そして次の週には、どちらが先だったかもう覚えていないが、
乏しいお小遣いをはたいて、“悲愴”の楽譜とレコードを買っていた。

当時はLPレコードの時代。レコード屋に行って“悲愴”が入ったレコードの
何枚かを視聴させてもらって買ったのが、リヒテルの盤だった。
まだピアニストの名をほとんど知らなかった頃、
演奏家へのこだわりなんて無く、ただ色んな曲をもっと知りたい、聴きたい
と思っていた時代である。

リヒテルの盤を選んだのは、単に他のレコードより若干安価かったからと、
少し視聴して、私が欲しい迫力も十分と思ったからである。
それにジャケットのピアニストの顔つきがとても気に入ったのだった。
何かこの世の不条理や虚無を全て知りながら、嘆くわけでもなく
諦念ではなく強い意志でもってそれらを静観しているような・・・・。

A面が“悲愴”、B面には同じベートーヴェンの“熱情”のライヴ演奏が入っていた。
幾度も盤に針を落として擦り切れるくらい聴いた。





     


Posted by Ru Na - 2015.05.03,Sun
ラ・フォルジュルネが開催中である。

    

いつもゴールデンウィーク中なので、他の予定とぶつかってなかなか行けない。
今年は特に、新幹線開業で例年より人も多いだろう。私は人ごみが苦手である。
が、今回のテーマは無視できない私の大好きな「バロック時代の音楽」。
いろんな古楽アンサンブル等による魅力的なプログラムが目白押し。
マラン・マレのヴィォール曲など、曲名を見るだけでうっとりしてしまう
公演予定表を見ていて、中野振一郎のコンサートを見つけてしまった。
地方ではその生演奏を聴く機会はなかなか廻ってこない。
どうしても欠かしたくなくて、前売り券を買ってしまった。

中野振一郎は、世界の優れたチェンバロ奏者十指の一人で、
ラジオやTVで聴くその演奏にいつも惹かれてきた。
お昼過ぎのあまり都合がよくない時間帯だが、何とか時間をやりくりして
出かけた。
いつもアウトドアのいでたちで川原や森ばかりに行っていて、
近頃あまり街なかを通らないので、駅周辺の普通の服装をした人の雑踏が
かえって新鮮に思えた。

駅前では吹奏楽団の演奏、県立音楽堂の前の広場には椅子とテーブルが並らび、
音楽堂で売っているランチボックスを、ビールと共に広げている人々。

        

地下のコンコースでは、楽器体験コーナーに列ができていた。
時間があったら私もハープに触ってみたい。

コンサートは、J,S.バッハ、パーセル、F.クープラン、フローベルガー
と、バロックのお国めぐりの趣向。
中野さんのユーモアあふれる軽妙な説明が間にはさまれる。
その語りのすぐ後に、其々の国のバロック音楽の特徴や雰囲気を
弾き分けた演奏に入っていけるなんて、やはり只者ではない。
こじんまりして室内楽向きのアートホールが、チェンバロの
華麗で繊細な音に満たされ、17世紀のヨーロッパの典雅な宮廷というより、
それより前の時代のゴシック建築、それもケルンやランスの大伽藍の、
全ての石が力学的に正しい位置に収まり、どれ一つとして取り除くことは
出来ない緊張感の上に積み上げられたアーチや空に向かって聳える尖塔を
見るような心持がした。

最後の曲は、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータの
有名なシャコンヌを、中野さんがチェンバロ用に編曲した大作。
ギドン・クレーメルの素敵なカデンツァ付きの演奏や、ブゾーニ編曲の
ピアノ版-ミケランジェリの演奏に匹敵する美しさだった。

 

チェンバロの鍵盤は二段になっている。この鍵盤から
とても一人の奏者によるとは思えないほどの、色彩豊かで厚みのある
音が紡ぎ出されたのだった。

  

感動覚めやらぬ心地で、音楽堂のエントランスホールにいたら、
何と中野振一郎御本人が普通の通行人のような顔で現れ、
少しお話しすることもできた。そして握手も!
鍵盤奏者でこんな気楽に握手に応じてくださるなんて・・・・。
世界的な有名人なのに、偉ぶるところが微塵もない
とても気さくな方だった。
だから、このようなストレートに“音楽そのもの”(G.グールドが
リヒテルへの敬意に使った言葉)に入り込む演奏ができるのか。
元々ファンだが、いっそう大ファンになった。














Posted by Ru Na - 2014.12.17,Wed
バロック時代の楽器、クラヴィコードによる室内楽コンサートを
県立音楽堂に聴きに行った。

クリスマスツリーが飾られたエントランス。

   

            

J.S.バッハとその次男で、今年生誕300年のC.P.E.バッハの鍵盤曲のプログラム。
演目を新聞で見た時、これはどうしても絶対聴きに行かねばと思った。
なにしろ、C.P.E.バッハの、「専門家と愛好家のためのクラヴィーア集」
とあったのだから。

バッハファミリーの中でも、C.P.E.(カール・フィリップ・エマニュエル)の
シンフォニアは、特に好きだった。
私が持っている音楽史の本には、この曲集の一曲の楽譜が載っている。
その魅力に取り付かれ、もっと他の曲も弾いてみたい、
何より楽譜だけで知っているこのソナタを、プロが演奏するものを聴きたい
と、楽譜やCDを探したが、楽譜は手に入らないし、第1集、第3番が入った
CDもなかなか見つからなかった。

  

それでも徐々にCDは集まり、楽譜は別のソナタ集が2冊がようやく手に入った。

  

コンサートは普段オーケストラが演奏するステージ上に、
楽器と奏者を囲むように客席が設けられた。

       

クラヴィコードはバロック時代の鍵盤楽器で、とても簡素な顔をしている。
「とても音が小さいのです。どのくらい小さいかちょっと弾いてみましょう。」
と、小林道夫さんは平均律第1集1番のプレリュードを弾き始めた。
本当に小さな小さな繊細な音。
どうもこの楽器は、周囲に気兼ねなく弾けるように、家の中の練習用に
用いられたらしい。
「J.S.バッハの奥さんのアンナ・マグダレーナも息子たちも、きっと
この楽器で練習したのでしょう。」と小林先生。

  

音を少しだけ増幅させるスピーカーをクラヴィコードの下に置いて、
前半はJ.S.バッハの曲。
「グレン・グールドの方式に従って」インヴェンションとシンフォニアの
同じ調の2声と3声の曲をセットにして6曲。
平均律第1集から2曲。
最初の第8番は、私が始めて作った映像作品に使ったもので、
この曲を聴くと、雪が降りしきる川のキンクロハジロの姿がつい浮かんでしまう。
次の第13番も、これまた映像作品に使っている。
そして、フランス組曲から第5番。本当に素敵な演奏だった。

間の小林道夫さんの説明がとても面白く、一般向きのコンサートにしては
結構専門的なことも話されるので、もっと聞いていたいくらいだった。

コンサートの前後や休憩時間には、クラヴィコードに近寄って
撮影することも出来た。

  

鍵盤の数は少ないが、大方のバッハの曲はこれで足りるという。

  

後半はC.P.E.バッハの曲。いよいよ「専門家と愛好家のための・・・」
第1集のソナタ第2番。
CDで聴くチェンバロによるものより、もっとかそけき音の繊細さは、
何とも美しかった。

2曲目は、C.P.Eが長年愛用をしていたクラヴィコードを、
彼の熱烈なファンに贈ることになり、いざ手放すとなると愛惜の曲を
作りたくなって書かれたというロンド「さらば、我がジルバーマン・クラヴィーア」。

3曲目は、「スペインのフォリアによる12の変奏曲」。
同じフォリア変奏曲でも、コレッリやマラン・マレよりずっと軽快であった。

  

日本ではあまりポピュラーではないC.P.E.の曲が聴ける機会が
もっとあればいいのに。
グレン・グールドは、ソナタの1曲を録音していて、
彼の音楽をもっと世に広めたいと思っていたらしい。








Posted by Ru Na - 2014.10.12,Sun
展覧会の締め切りが迫るこの多忙時期。
コンサートに行くなんて、普通考えもしないけれど、
行かないと一生後悔しそうと、どうしてもこの公演は逃したくなかった。

       

“あのゲルギエフ” と “あのネルソン・フレーレ” の共演が、
こんな地方都市で聴くことができる機会は二度と廻って来ないかもしれない。

   

ゲルギエフはカリスマ指揮者と呼ばれるが、どこがどうして良いのか
分析なぞできない。とにかく良いとしか言えない。
数年前、大阪までゲルギエフとマリンスキー管を聴きに行った。
フェスティバルホールの建て直し前のことである。
何かとてつもないものを聞いてしまった、という体験だった。

現在世界最高のピアニストの一人であるフレーレも、
非の打ち所がない、完全に安心しきってその音楽に浸りきれる
バランスの取れた演奏家である。

   

しかもブラームスのピアノ協奏曲第2番という魅力的な演目。
リヒテルをして、エミール・ギレリスの最高の演奏があるから
自分はこの曲の録音をしたくない、と言わしめたギレリスの
レコードを、それとは知らず昔買った。
少ない小遣いから何とか捻出して買った1枚なのに、
10代の頃は、その凄まじい迫力が怖くて、あまり聴かなかった。
清濁双方呑み込んだようなブラームスの音楽を、
心底味わえるようになったのは、年齢が進んでから。
この第2番は、なまじの演奏家では聴きたくないという想いに、
フレーレならば答えてくれるだろう。
という訳で、ブラームスのピアノ協奏曲を生で聴くのは
今回が始めてである。

第1楽章。芳醇な秋の野のような始まり。
甘美な思い出と憧れを運ぶ風が、ピアノのやるせない感情の嵐で
その景色を一変させる。
先行するピアノにオーケストラが肉付けしていくそのタイミングを
見ていると、モーツァルトのピアノ協奏曲のように
弾き振りする事が到底無理、というのがよく分かる。

通常、第2楽章はアダージョなどの穏やかで優しい旋律になっているが、
このピアノ協奏曲は違う。
第1楽章の重苦しい憂鬱さが、まるで爆発するみたい。
この第1楽章と第2楽章のキツさのおかげで、
若い頃は長い間、この曲を敬遠していた。
アグレッシヴなフレーレの音。突っ走りそうなテンポを、
ゲルギエフはむしろ抑えたがっているように思えた。
それが第3楽章、第4楽章と進むにつれ、双方のテンポが
ぴったりと合って、幸福なロンドで幕を閉じた。

  

アンコールは、グルックの「妖精の踊り」。
とても繊細で美しく、もっとこの人のフランス音楽を
聴きたくなった。
フレーレはF.クープランやラモーをどのように弾くのだろうか?

休憩を挟んで、後半はチャイコフスキーの「悲愴」。
3階バルコン席で、ちょうど舞台を斜め上から見下ろす位置で
聴いていたものだから、音が特に立体的に目に見えるようだった。
「悲愴」はやはりゲルギエフやマリンスキーの十八番なのだろう。
スコアも置かずに指揮するゲルギエフの指先から紡ぎだされる
豊かで驚異的な音の波に包まれて、
チャイコフスキーの音楽の海にとっぷり浸かった。

コントラバスの弦から、最後の2音がそっと弾かれ消えてゆくと、
会場はしんと静まりかえり、静寂の刻がしばらく続いた。
誰も身動きしない。
ゲルギエフがおもむろにゆっくり聴衆の方を向いても、
その静寂はしばし続いて、それから、ほんとうに静かな拍手が
少しづつ湧き上がって、それが怒涛のような拍手の嵐になった。

音楽に完全に入り込み、呑まれていた聴衆が我に還るまでの、
この貴重な長い沈黙。
その音の空白の長さに感動したようなゲルギエフの面持ちが、
目に焼きついた。














Posted by Ru Na - 2014.03.19,Wed
ウクライナ情勢は、ロシアがロシア系住民が多いクリミア半島に介入し、
それに対する欧米各国の非難の渦の中、クリミアではその帰属を巡っての
住民投票が行われた事で、ますます混乱を極めている。
私にはロシア人とウクライナ人の違いが分からない。
少し調べてみても、旧ユーゴスラビアのように、ルーツがほぼ同じ人々が
歴史や文化の違いで、○○民族といったように分化していったような印象を受ける。

それより、6世紀のウクライナ地域に「ハザール王国」という、
今だ謎多い改宗ユダヤ教国が勃興していたという、興味深い事を知った。

キエフ・ロシア王国、ビザンチン帝国、それに続く蒙古来襲の「タタールのくびき」。
「ウクライナ・コサック集団」による自治国。リトアニアやポーランドによる支配。
ロシア帝国によるロシア化、と、あまりにも複雑な歴史。
歴代のロシア皇帝によるユダヤ人追放令が続いたが、エカテリーナ2世の時代、
ポーランド分割によってユダヤ人口が一気に増えたという。
(その頃のこの地域はポーランド領だったらしい。)
居住区域の制限、改宗への強要など、ロシア帝国内の反ユダヤは続き、
「屋根の上のバイオリン弾き」に描かれているような、
本格的なユダヤ人迫害「ポグロム」は、ウクライナのオデッサから始まったという。
そのため米国に移住するユダヤ人も増え、ユダヤ系アメリカ人になった。

ロシア革命では、ユダヤ人の活躍が大きな役割を担った。(トロツキーもユダヤ系。)
しかし革命政府で重要な位置を占めていた大勢のユダヤ人も、
1930年のスターリンの大粛清に遭う。

     

ウラディミール・ホロヴィッツは1903年ウクライナのユダヤ人家庭に生まれる。
母にピアノの手ほどきを受け、9才でキエフ音楽院に入学。17才で卒業。
ソ連国内での演奏活動を始めるが、シュナーベル (ベートーヴェン演奏高く評価された
名ピアニスト。グレン・グールドにとっても子供の頃のアイドルだったらしい。)
に師事するという理由で出国。そのまま亡命生活に入った。
丁度ソ連ではユダヤ人への風当たりが強くなっていた頃である。

1928年にアメリカデビュー。驚異的なヴィルテュオーゾ、世紀の大ピアニスト
として、世界にその名を馳せた。

現在もそうなのかもしれないが、当時の米国の聴衆は曲芸師的な名人芸に
拍手喝采する傾向があったという。
その雰囲気を、ツァーで訪れたリヒテルは、こんな国に亡命するなんて
考えもしなかったと言い、
各国のコンサート廻りをしていた吉田秀和氏も、あまり好きではなかったらしい。

ホロヴィッツは演奏活動を4回中断している。
その度に、トスカニーニの娘である奥さんのワンダさんに叱咤激励されて、
公演に復帰したが、神経質なところがあったという彼は、本当は
熱狂する聴衆の前で弾くのは好きではなかったかもしれない。
 30歳ほど年下のグレン・グールドが、あっさりコンサート活動をやめてしまった時、
どのように感じただろうか。

不調に終わって、吉田秀和氏に「ひびの入った骨董」と評された83年の第1回来日公演後、
見事に復活し、86年の里帰り公演、モスクワコンサートの録音を聴くと、
並々ならぬ熱のこもり方を感じる。異様なほどの高揚感。
私がホロヴィッツに惹き込まれたのは、このモスクワライヴを聴いてからである。
 
 
 
 ー 続く ―






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