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Posted by - 2024.04.19,Fri
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Posted by Ru Na - 2016.02.14,Sun
宇宙空間における時間や光の歪み、ブラックホールなどについて
つらつら考えていたら、
折しも米研究チームが重力波の観測に成功したという、ビッグ・ニュース!
アインシュタインが一般相対性理論と共に予想していたもの存在が、
ちょうど100年目に実証された訳である。

重力波にしてもニュートリノにしても、人の可視の範囲を大きく超えた
世界が実際に存在するという予想や、無限に広がる想像の一端を、
実際に実在するものと肯定する出来事に、わくわくと胸おどる。

しかし地上では、可視や知覚の範囲で日常の時間が流れていく。
その日常に思考が交差し、知覚と思考の入り混じる、自分を取り巻く世界を
何とか認識し定義しようと、人間は古来からもがいてきたのではないか。

      

世界の捉え方を、西欧哲学のかっての大きな二つの流れで整理してみる。
一般論-法則から個々の事例を考察していく、アリストテレス以降の演繹法
に対し、経験や観察という個々の事例から法則を見出してゆく帰納法。
これは、16-17世紀の英国人、フランシス・ベーコンが提唱したもので、
ルネ・デカルトの「コギト・エルゴスム(我思う、ゆえに我あり)」に到達する、
あの感動的な追及に通じるものだと思う。
(余談:学生時代の一般教養の哲学の講義で、さらっと触れただけだが、
このスリリングな思考過程と結論に、私はいたく感銘を受けて、
デカルトの研究書を何冊か読んでみたりもした。
後年、パリのサンジェルマン・デュ・プレ教会でデカルトの墓を見つけ、
詣でた時は、デカルトも実在の人間だったと感無量だった。
ちなみに、この教会の前広場には、サルトルやボーヴォワール等
実存主義者のたまり場だったカフェがある。)

フランシス・ベーコンの「イドラ」の観念が面白く、日常生活の中で
当てはまる事など、ついつい考えてしまう。
経験論哲学の祖ベーコンは、経験の重要性を説きながら、一方では
正しい認識の妨げになるもの-誤解や先入観、偏見などを「イドラ」
(元々の意味は偶像)とし、それに注意する重要性を説き、
イドラに陥るその要因を、4つに分かりやすく分けている。

1.種族のイドラ 人間という種が陥りやすいイドラ。

2.洞窟のイドラ 各個人が持つ偏見。

3.市場のイドラ 社会生活で、言葉などから生ずる偏見。

4.劇場のイドラ 学説、権威などを無批判に受け入れることで生ずるイドラ。

1.は、魚は人に聞こえない周波数でコミュニケーションを取っているのに、
その声が聞こえないから魚は話さない、と思い込んでいるようなもの?
人が他の生き物より優れている、と信じ込んでいる者があまりにも多い。

3.は、曖昧なあるいは不適切な言葉が誤解を生む、といったようなもの?
噂や人の悪口をそのまま信じ込むのも、これに相当するだろう。
ネット時代のソーシャル・メディアの広がりで、その傾向に拍車がかかり、
このイドラはますます人の思考を曇らせているように思える。
また、故意に使われる言葉や(例:敗戦→終戦)、勇ましいキャッチフレーズなどが、
物事の実態をぼかしてしまい、思考停止を招いている、現在の日本社会のような・・。

4.は、権威をむやみやたらに信奉し、エライ先生の言う事だから正しい、と
これまた、肩書きや社会的地位への盲信も加わって、自分の頭で考えるのを
放棄していながら気付かない、といった場面があまりにも多すぎる。
新聞やテレビの報道をそのまま鵜呑みにする、というのも、
マスメディアを権威と捉え、それに対する信仰があるから?

2.は、1.3.4.のイドラに影響されている個々人の視野。
この洞窟のイドラは、イメージを伴っていつも私の頭の片隅のどこかにある。
人は深い洞窟の奥に座して、洞窟の狭い入り口から見える世界しか知らない。
もし洞窟から出られれば、外に広がる無限の世界に触れられるのだが。
たとえそこから出ることが人間には不可能としても、自分の座っている位置を
少し変えるだけで、違うものが見えてくるはずである。
にもかかわらず、現在の自分の位置から動く(見方、価値観を変えてみる)のが
なかなか出来ないのは、それを思いつけないのか、
あるいは別の世界を何となく感じていても、方向転換する困難さに、
躊躇してしまうのか。
そして人は、自分の性向や価値観からなかなか逃れられないでいる。

      
洞窟のイドラのイメージは、何故かいつも私にシャルロットの乙女を想起させる。
テニスンが「鏡は横にひび割れて」と詩に書き、ラファエル前派の画家ハントが
絵に描き、それを見た夏目漱石が「薤露行」という短編にした、
「アーサー王伝説」の中の、ひとつの悲恋物語である。

      

シャルロットの姫エレインは、アーサー王宮廷の第一の騎士ランスロットに恋し、
恋やみにやつれて、想い人のいる城へと流れる川を小舟で下りながら息絶える。

  このおとめ みまかりぬ みまかりぬ 恋やみに

テニスンの詩では、姫は来る日も来る日も高い塔の小部屋で錦の糸の綾布を織っている。
部屋の鏡には一つきりの小さな窓から見える景色が写し出されるのみ。
姫にはこの部屋と鏡に写る世界が全て。今だ心を捧げる者も持たず、
何人もまだ乙女に誓いを立ててはいない。
その明鏡に、カメロットの宮廷へ帰ろうと急ぎ駒を進めるランスロットの姿が
偶然写った時、姫は思わず織物を投げ打って窓に駆け寄ろうとした。
その刹那、とりどりの糸は張り詰め切れ八散し、鏡は真中より割れた。
絡む錦の糸の中で立ち尽くす乙女が「我が命運はここに尽きたり!」と
叫ぶ瞬間を、ハントの絵は描いている。

閉じた小さな世界から外に出ようとした衝撃は、いかばかりだったか。
整然と織り成されていたた日常は、引きちぎられ宙に飛散する千々の糸となって、
乙女の運命を絡め取ってしまった。
そしてそれは、やがて来るアーサー王宮廷の崩壊を招く諍いに
繋がっていった。







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