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見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
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Posted by - 2024.04.27,Sat
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Posted by Ru Na - 2018.11.30,Fri
堀田善衛 生誕100年の記念年、ということで、
出身地である隣県では、様々な企画展などが行われているらしい。

http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/bunka/list/201810/CK2018102002000238.html

これほどの人なのに、絶版になっている著作が多く、
あの本を買いたいと思っても、手に入らなかったりしたが、
この機会に再販されたものも出てきたり、新たな関連本が出版されたり、
ようやく又世間がそのすごさを再認識する機運がでてきたような・・・。
でもやっぱり、まだまだ動きが鈍いのがいらだたしい。

だいたい、曇りのない目で世界を見、権力や権威や長いものには
決して巻かれない人間は、特にこの時代、あまり良く思われない。
私にとってもごく当たり前と思われる事なのだが、
何故か大勢が見たがらない、言いたがらない事を率直に、
そのものずばりと言い当てたり、ほんとうにその通り、と
言われて初めて今まで漠然と形にならずに思っていた事に
はっきりとした形象を与えてくれたり、
宮崎駿氏が言うように、堀田さんの思想と言葉は本当に灯台の光のよう。

先日、TVの歴史番組でレギュラーが語っていて、いたく同感したこと。
「正しく判断できる人は少ししかいない。・・・
 世間では正しさより分かりやすさが好まれる。選挙の時など特に。・・
 歴史を見るには、そんな人間の習性を自覚することが必要。・・」

実は我が町と縁が深い堀田善衛さん。親戚の家があった縁で
若い頃の数年間をこの町で過ごしていた。
かって香林坊にあった、自伝的な小説にも出てくる親戚の楽器店が、
米国東部の工業都市に長年住み、その町のオーケストラに入っている
叔父が、子供の頃最初にバイオリンを買ってもらった店、と聞くと、
なんだかとても身近にも感じられるのだった。

私がスペインを旅したり、スペインの歴史や文化を考える時、
やはり堀田さんの著作で読んだことが、必ず頭の隅っこにある。
全著作を読んでいるわけではないが、(読みたくても手に入らないものが多い。)
一番好きなのは、「路上の人」。
ヨーロッパ文学では当たり前だが、日本文学にはあまりないグローバルな
感覚が堀田さんのベースにあって、それがトーマス・マンやドストエフスキー、
ロマン・ロランなどと並んで、飽きずに繰り返し読みたくなる
重要な要素になっている。











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Posted by Ru Na - 2018.09.30,Sun
台風・地震・またまた台風接近。

姪が北海道で住んでいる町のすぐ近くが震源地だった。
幸い物的破損だけで済んだらしい。
彼女は東日本大震災の時も北関東にいて、大きな揺れを
経験している。

翁長知事が亡くなった沖縄の知事選、台風の影響は如何に?

リンゼイ・ケンプの訃報を新聞で見て、
昔ロンドンのパブで偶然出会った、リンゼイ・ケンプ・カンパニーの
メンバーである青年と交わした会話を思い出していたら、
今度はきききりんの訃報。残念。

9月いっぱいもどうせ暑かろう、
クルト・ワイルの三文オペラのような秋の空気はまだ当分先、
と思っていたら、台風や長雨やなにやかやで、
気温が急に低くなったりする。でも蚊は暗躍する。

サギコロニーのサギたち、まとまった渡りの光景が二度見られた。
全体数がそれより減っているので、知らないうちに少しづつ
渡って行ってしまったようだ。
親鳥にごはんのおねだりをしているヒナが、まだ少数いるが・・・。

月下美人の花は二つ開き、庭の金木犀がもう花を付け始めている。










Posted by Ru Na - 2018.08.31,Fri
クロサワの映画のタイトルではないが、8月は何かと戦さを想起させる。
そんな8月は、スケルツォでも、バラードでもアンプロムチュでもなく、
やはりラプソディーとしか例えようがないんだな。

今年生誕100年として話題に上る人で、自分にとって重要な存在が
何人もいる。
ネルソン・マンデラ、レナード・バーンスタイン、いわさきちひろ・・・
いずれも、戦争など人間社会の巨大な力に踏み潰されそうになる、
脆く小さくしかし美しくて尊い何かを必死で守ろうとした方々。
同じ年の生まれだったと気付いた次第。

そんな8月に、翁長知事が亡くなり、さくらももこが亡くなり、
猛暑と水浸しの小さな列島。
とてもじゃないが、まともな方向を向いているとは思えぬこの国の
政治と社会の漂流が行き着く先は?

サギコロニーのサギヒナたちは、ようやく自力で危険が回避できる
くらい成長したものが大半になった。
今年も春先から、ずっとサギコロニーに通いづめていて、
ここに至ってずい分長い旅をしてきたような心持である。






Posted by Ru Na - 2018.07.30,Mon
連日の猛暑。 
昨日37℃、今日36℃。 熱帯夜続き。
朝は9時頃すでに30℃超え。夕方5時でもまだ33℃くらい。

サッカーW杯は、フランスが優勝。 
まだ19才のエンバペは、人格的にもなかなかの人物のようだ。

西日本豪雨。死者は200人超え。
こちらでは幸い大きな人的被害はなかったが、
3日間の大雨で、一時的に川の水位が日頃の3倍。
今年は低い位置の巣が少ないサギコロニーだが、被害にあった子が
やはりいる。

雨がやむと梅雨明け宣言、いきなりの猛暑。危険な暑さ。
どさくさにまぎれて、またカジノ法案通過。
モリカケ疑惑は一体どこへ?
それに政権に忖度する原発訴訟の結果。
沖縄の翁長知事は、辺野古埋め立て阻止のため、
ついに最後のカードを切った。
でも、黒を平気で白とごまかし、正当性も正義も
まともな感覚なんて微塵もない今の政権には、
何をやってもねじ伏せられるだろうなと思うと、
やりきれない。
そして、なるべくものを考えないようにしている国民の
多くの無関心。










Posted by Ru Na - 2018.06.30,Sat
いつの間にか、番狂わせが多かった(ように思う)サッカーのW 杯。
予選リーグが終わり、よもやと思った日本は、
なんとか決勝トーナメントに進める事と相成った。

私には、日本だから応援する、といった様な感覚はあまりないのだが、
何となく嬉しいのも事実。
現政権はいつもの手法で、どさくさに紛れて、問題多い法案を
さっさと通してしまったが・・・。

遅れて来たサギたちの子育てが、佳境に入っているので、
サギコロニー通いで忙しく、他に何も手が付かない。
部屋の片付けは一体何時になったら目途がつくのか・・・。

棚の内容の分類整理だけではなく、増え続けるPCの外付けHDDの
内容も、同時に整理しているのだが、
撮影に出てると、PCに取り込まねばならないカメラや動画のデーターが、
毎日約20Gづつ増えていくので、
HDDの当座の空きを作るため、データーBD-Rもせっせと焼く。
でなければ追いつかないのである。

自転車操業とは、まさしくこういう事。






Posted by Ru Na - 2018.05.28,Mon
仕事がしやすくなるよう、少し部屋を整理しようと、
この冬、本棚を追加した。
個展のはがき用の作品写真を撮るため、ある程度広い壁面を
確保しておく必要があって、部屋の壁の2面は棚を置かない
ようにしていたのだが、床に平積みの本やCDの山、散乱する
書類やいろんな道具。
もっときちんと収納システムができていないと、肝心の制作も
やりづらくなる一方。

で、壁面180cm×180cm分の棚を入れて、CDや本や、カメラ用品、
パソコン関連のものなど、少しづつ整理しては収めていっている
のだが、一向に片付かないどころか、ひとつ山を崩すと、かえって
収拾が付かなくなったり、一体何時になったら埒が明くのか、
快適に仕事できる環境に出来るのか、見当が付かなくなってしまった。

もう要らない、と思われるものをある程度は捨てているのだが、
基本的には物を溜め込む習性があるので、ミニマリストには
なれそうもない。









Posted by Ru Na - 2018.04.30,Mon
「松雪草」は、チャイコフスキーのあの魅惑的なピアノ小品集
「四季」の中の四月の曲。
「四季」の12曲はどれも好きだが、これは特に私のお気に入り。
季節おかまいなしに年から年中この曲を弾いているが、
それでも、ふと気付くと早や五月の風。

沖縄の普天間基地問題、シリア情勢、ロヒンギャ難民、
#Me Too の広がり ・・・でも日本では・・・
南北首脳会談の今後・・・?
気になる色んな世界情勢や社会問題が、次々吹き付ける風のよう
だが、寒暖差に翻弄されている我がささやかな日常では、
サギの戻りが遅くてやきもきしている間に、庭にすみれやつつじの花。
行きつ戻りつしていた季節が、今は一斉に新緑に被われ始めている。

連休前半、早速、水と緑と黄色い小花と白い鳥たちと、たっぷり
すてきな時を過ごすことができた。






Posted by Ru Na - 2017.08.17,Thu
TV番組、イギリス鉄道の旅は、エジンバラの後インバネスへ。
私はスコットランドはエジンバラまでで、その北には行ったことがない。
しかしTV画面で、途中のハイランドの野の風景を見た時、
胸がざわついた。
ヨークシャー・ムーア(荒野)より、更に繊細で淡い色彩ながら、
強い風で焼けた草地の野性。
行ったことがないのに、懐かしい想いがする。

昔、ヨークシャーの叔母の家に遊びに行くと、
北イングランドを中心とした観光パンフレットを、叔母はよく私のために、
集めて取っておいてくれていた。
イギリスのいろんなパンフレット(雑誌も)の紙質は独特で、
その手触りや匂いや印刷の発色に、子供の頃から馴染んできた。
観光パンフレットは主に、田園風景の中の城など歴史遺産や、
トレッキングコースを紹介する写真が沢山載っていて、
それを眺めているだけで、英国の田舎を満喫できるような気さえして
きたのである。

私がこの世で最も好きな場所のひとつであるヨークシャー・ムーアの
(再び訪れることができるかどうか分からないが。)ハワース郊外、
あの小説の舞台になった“嵐が丘”の、湿気を含んだ寒風にさらされ、
羊のシルエットが、ヘンリ・ムーアの彫刻のように灰色の空を背景に
そびえるような丘の草のにおいと、パンフレットの中の北イングランドや
スコットランドの草地の写真から想起された広がりが、そのまま
イメージの中のハイランドに繋がっているのかもしれない。






Posted by Ru Na - 2017.08.15,Tue
暑さは一応ピークを超えたのだろうか?まだ油断はできないけれど。

何かと気ぜわしく、予定がびしっり詰まった毎日。
そんな中で、何気なく鉄道の再放送番組をTVで観た。
NHK-BSのイギリス鉄道の旅である。

ふっと見ると、なつかしいマンチェスター、リバプール。
に続いて、ウィンダミア。北イングランドの湖沼地帯である。
ここには、リーズから地元の観光バスに乗って日帰りした。
バスに乗っていたのは、地元の年配の方がほとんどで、
外国人は私と、オーストラリアから来た女の子二人組のみだった。

道中の野や小川や滝などの自然風景、耕作地の緑も美しかったが、
湖に着いて、私は皆が行くのとは逆方向に行きたくなったので、
湖畔の森の散策時間が無くなってしまった。
で、いつまでもウィンダミアの一番美しい風景を見逃した、と
心残りを引きずっている。
番組のの中で旅をしている関口知宏さんは、車まで借りて
この湖沼地帯の美しい森の中へ。
本当は私もこんな場所に行きたかったのである。

番組はウィンダミアからスコットランドのエジンバラへ。
エジンバラを訪ねたのは、仏留学時代のごく早い時期で、
一度きりなのだが、特に印象深く、また思い入れもある
町のひとつである。
TV の映像を見ても、この町の空気や街角のにおいを思い出す。

だいたいイギリスは独特のにおいがある。
無論それぞれの国、それぞれの町には独自のにおいがあって、
風景を思い出す時、一緒に想起されることが多い。
においが時の中の風景を呼び起こすのか、
風景が香りを呼び込むのか、そのどちらもありうるだろう。

私が特にイギリスの風景をにおいと共に思い出すのは何故だろう。
ロンドンのヴィクトリア駅にしても、その名を聞いただけで
駅周辺の雰囲気、構内の様子をにおいと共に思い出し、
決して平面的なイメージで終わるということがないのである。








Posted by Ru Na - 2017.06.30,Fri
6月は水の無い月。
長く雨らしい雨は降らなかった。ここに来て梅雨らしくなった。
何かと気ぜわしく、ずい分いろんな事があったように思えるのに、
やはりサギコロニー観察が生活のかなりの時間を占めて、この月も過ぎる。

メモ―
    そこに所属しているという意識から、
    そこを自分が所有しているという意識に変わったとき、
    共同性は排他性に変質する。

部屋の整理をしていて、小さな新聞の切抜きが出てきた。
朝日新聞の、「折々のことば」である。

共謀罪が強行採決された。暗雲を感じてしまう。

こんな言い訳、通用するはずもないのに、説明にならない説明で、
本来もっと追求されるべき事がごまかされ、世間は“忖度”が蔓延し、
なるべく当たり障りのないことを話し、当たり障りのないように
生活していく。

自分達がある社会なり組織なりを所有しているかの如き幻想を抱けば、
(たいていの場合、幻想にすぎないのだが)
傲慢で目が曇っていることにも気付かなくなり、
違う意見を受け入れる心の余裕も無くなり、
“仲間”ではないものへの排除にひた走るようになる。
国家のレベルから、市井の小さなサークルに至るまで、
何かそんな空気がこの世界を覆っているような気がする。

ものごとを違う角度から見て、批判したりパロディー化したりする事が
そんなに“窮屈な考え”のように見えますか?
いろんな社会問題を、自分の問題として考え、真面目に語る事が、
そんなに“今ここで話してもしようがない事”ですか?

もう何年も前から、留学生が日本人学生と色々真剣に討論しようとしても、
すぐはぐらかされてしまう、と嘆いていると聞かされてきた。
一体何時からこのような雰囲気になったのか。
梅雨時のうっとおしさより、世間を覆う不快指数が気になる。





Posted by Ru Na - 2016.12.31,Sat


今年も後30分足らず。
ヒトが勝手に作った暦だけれど、年の切り替わりは、やはり何か特別。

2016年の世界を象徴するような言葉が二つある。

 同調圧力

国政から市民の小団体にいたるまで、
意見を同じにするのが美徳という雰囲気があって、
異なる意見を力ずくでも排除しようとする動きが強まった年。
何だかじわじわと、ファシスト的な圧力さえ感じる。

 正常性バイアス

異状なことが起こりそうな時、そこまで酷くはならないだろう、
ならないはずだ、と、人の理性に希望を託しすぎて
現実を十分把握していなかったと、後から気づく。
トランプ・ショックのような。

 

ベルリンでのテロの衝撃から、まだ立ち直れない。
来る年は、このような憎しみの連鎖が少しでも緩和されますように。

 









Posted by Ru Na - 2016.10.30,Sun
ポーランドの映画監督、巨匠アンジェイ・ワイダの訃報。
「灰とダイヤモンド」は、見ないで済ませられる映画ではない。
以前は時々ワイダ監督作品をTVで放映していたが、近年は全くなし。
社会派のずっしり重いテーマ、抽象的で時には難解な印象も与える
映画は、敬遠されがちなのだろうか?

新潟県知事選、原発再稼動に慎重派が当選し、ひとまずホッ。

登山家、田部井淳子さんが亡くなった。
女性で始めてエベレスト登頂の偉業を成し遂げたすごい人だが、
その気さくで飾り気のなさで、私はとても尊敬していた。
真に一流の人は、虚飾も偉ぶるところが微塵もない。
Tvで語る田部井さんを通じて、まだ訪ねた事はない福島県の三春町の
美しさにイメージを膨らませていたのだが、それだけにいっそう
あの忌まわしい原発事故はショックだった。
福島の子供たちと一緒に富士山に登るプロジェクトで、
この夏その登山の様子を、たまたまTVで見た時は、もうずい分
お辛そうだったので、心を痛めていた。

訃報続きだが、中西夏之さんも亡くなって、
これでハイレッドセンターのメンバーが全て鬼籍に入った。

ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞。

アメリカ大統領選の泥沼試合。

自分の身の回りとしては、
鎮守の森ギャラリーの作品制作と同時に、渡って行って次第に数が少なく
なってゆくコロニーのサギの様子見やカウントにも通いづめ、
とにかくいつも時間と体力をぎりぎりに使う日々が過ぎた。
庭の作場の一つを解体し、隣の庭の大木も切られてしまったので、
住宅密集地にぽっかりと空が開いてしまったが、鳥たちにはかえって
なかなかの評判なのか、エナガの群などがやって来た。

そしてこの子たちも川に無事戻って来た。

 

       

もうすっかり互いに顔馴染みになったせいか、(昨冬は一時期、毎日のように
会っていたので。鳥は個体識別能力がとても高いらしい。)
私が割りと近くにいても、くつろいだ姿を見せてくれる。
どうかあまりカメラマンに追い回されませんように。









Posted by Ru Na - 2016.08.31,Wed
こちらでは、変な動きをする台風10号の重大な影響はほとんどなく、
8月も早や過ぎ行こうとしている。
(この台風による被災地、またイタリア中部の地震被災地の方々に
お見舞い申し上げます。)
まとまった強い雨が断続的に降り、気温が急に下がったが、
強風も無く、今日は昨日より8℃高い真夏に逆戻り。
日差しはぎらぎらと、夕方サギコロニーに出かける時間帯もまだ
33℃近くあった。
流石に夜は涼しさが戻り、巣立って飛び回るサギのヒナたちの姿にも
季節が感じられる。

多忙すぎる日々に、「冬になったらとりかかろう。」という事ばかり
どんどん溜まっていくが、それでも新聞はなるべくじっくり読む、
というのが日課。
家では3紙購読しているが、どうしても目を通したいのは1紙半。
いくつかの記事や評論やエッセイが、いろいろ考える材料になっている
ものの、反芻しないと数日後には忘れてしまう。
その時々に心惹かれた文の内容を、時々書き留めておくのもいいかもしれない。

楽しみにしているのは、朝日新聞1面の隅に載っている「折々のことば」。
著名人のことばも市井の人が何気なく言ったことばも、分け隔てなく
哲学者の鷲田清一さんは取り上げ、短いうがった解説を付けている。
全ての解釈に共感しているわけではないが、時々とてもすとんとくる。

もうずい分前だが、
「聞いていない。」-無能な上司
その翌日、
「もう決まった事だから。」-同上

と、2日連続。別に会社でなくとも、日常にありがちな事。
信頼していた人が、大切な場面でこういう事を言ったことがあった。
今思えば、その人を過大評価していたようだ。

最近印象深かったのは、
「人間が抱く嫉妬の中で最も暗くて陰湿なのは、対象となる人間の
正しさや立派さに対してなの。」-宮本輝の小説より

皆それぞれ独立した個であり、違うのが当たり前と、人間を捉えていれば、
嫉妬心など起こり様がないはずだが、右へならえが好きで、
他人を自分と同じ地平に引き摺り下ろして考えがちな日本人気質は、
嫉妬深い国民性と言われても仕方が無い。
(以前スペイン人の女の子に日本人ってとても嫉妬深いみたいね、
と言われた事がある。)
それが更に進むと・・・・。納得。

「“自由の獲得”は劇的な政治変化を伴うのに対し、“自由の喪失”は
音もなく徐々に、ほとんど人の気づかぬうちに進行することが多い。」
               -猪木武徳 経済学者

現在起こっている事。






Posted by Ru Na - 2016.05.29,Sun
もう1本の記事は、上野千鶴子氏による、関東の小さな市における
公民館と図書館の改修計画に関するもの。

市が提示した計画案に対し、市民側からこんな市民センターがほしいと
対案を出した話で、そこに至るまでの市民グループの活動に
氏が少し関わって、この小さな自治体の市民による民主主義の実践のほどを
実感したと書いている。
市民が立ち上げた100人を超えるワーキンググループで、1年かけて
議論を重ねてきたきたという。

色んな立場の異見をまとめる役の人が音をあげかけた時、
上野氏が言ったのは、「民主主義はノイズの発生装置。ノイズを楽しんで
ください。」

氏は続けて、―民主主義はテマヒマのかかる意思決定のツールだが、
権力者は民主主義がキライ。地方自治体から中央政府に至るまで、
「オレ様に任せろ。」で、ノイズの発生がキライだからだ。―

ここで言う「ノイズ」は、様々な意見や考え方のことだろう。
民主主義が根付いていない体制の国家は、その「ノイズ」を、
排しあるいは弾圧し、権力に都合のいいひとつの方向しか認めない。

多数決が少数意見を呑み込んでしまうという欠点もあるが、
民主的というのは様々な意見を自由に言い合える、というのが基本だと思う。
日本は果たして民主主義が根付いているかというと、
政府や企業から市民の小さな集まりまで、はなはだ心もとない。
特に最近は、役所が好きな予定調和を重んじて、
自粛してしまうか、違った見方をするものをひどく攻撃するかで、
市民側があるいはマスコミが、自ら「ノイズ」を排除しようとする、
重苦しい空気が社会に蔓延しているように感じる。
自ら民主主義に背を向けている、と言い換えてもいい。

また皆が一斉に同じ方を向く、というのも気持ちが悪い。
例えそれが正しいと思われる方向でも、意見が皆同じ、というのは
やはりどこか変である。・・・・
というようなことを、鶴見俊輔氏も書いていて、同感する。
「私は正しい。」と言う人を自分は信用しない。と。

SEARDsの活動に、どこか明るい希望を感じてしまうのは、
学生運動として、一つのまとまった団体ではなく個々の集まり、と
言い切っているところである。

ある目的に対して人が集まり組織が出来ると、組織の意向に
みな従わなければならないと、個々人の意見や活動を
組織のために抑え込んでしまいがちになる。
その方が効率や都合が良い訳だが、その時点でテマヒマかける
民主的なプロセスを放棄することになり、
民主主義の「ノイズ」を排した全体主義的な国家体制と
大差なくなってしまう。

其々の意見や生き方を抑え込むことなく、ゆるやかなネットワークで
つながる、という活動の仕方に、「長いものには巻かれろ。」
「出る杭は打て。」式の息苦しい日本社会をいくらか蘇生させる
一陣の涼風を感じる。








Posted by Ru Na - 2016.05.25,Wed
わりと最近読んだ新聞記事で、印象に残った2本。

ひとつは考古学者による文化論的エッセイで、
若い頃は理路整然としたものが好きで、音楽でも構成が
しっかりはっきりしたベートーヴェンやブラームスが好みの
中心で、マーラーなんか聴くものか、と思っていたが、
年とともに割り切れないものも受け付けられるようになった。
それにつれ、考古学でも事実をきちんと分類整理するだけでなく、
曖昧な事柄も色々想像を楽しめるようになり、世界が広がった感じ。
というもの。

なるほど納得、と思いながら読んだ。
私も若い頃、マーラーやブルックナーが受け入れられなかったのは、
ブラームスはともかく、ベートーヴェンのように音楽の構造が
はっきりしなくて掴みどころがない、というのが理由だった。
聴いていて、どのように曲想が進んで帰結するのか見当が付かず、
その捉えづらさに始めは入りにくかった。と吉田秀和さんも書いている。

以前このブログにシューベルトのピアノソナタに対する
素人のアナリゼを載せた時、
             「シューベルトは癖になる」

次は「ブルックナーも癖になる。」を書こうと思っていたくらい、
今やすっかりブルックナーも自分にとって大きな存在である。

作曲家が生きた時代が違うにも関わらず、
ブルックナーとマーラーは、よくひとまとめにされる。
掴みどころがない茫洋さが共通しているせいか。
マーラーは、どこか民族音楽のような何か独特な味があって、
ファンが多いように思うが、ブルックナーは更に亡羊としている。

しかしブルックナーは多くの音楽好きにとって、やはり気になる存在らしく、
例えば古楽について雑談していても、いつのまにか
ブルックナーは何番が好き?誰の指揮によるものがいいと思う?・・
等々、いつの間にかその名が出てくることが多い。
やはりギュンター・ヴァントが振ったものが凄いね。
特に晩年の90年代の録音が・・・。など、
みな指揮者とその録音年代までついこだわってしまうのも、
ブルックナーならではかもしれない。

割り切れないが大きな流れに身を委ねるような音のかたまりに
包まれる感じに抵抗がなくなるのは、
年齢と共に世界を丸のまま捉える感覚が育つからかもしれない。

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