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Posted by - 2024.04.25,Thu
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Posted by Ru Na - 2016.03.11,Fri
東日本大震災から5年が経った。
TVでは一日中被災地の今を映し続けていた。
当事者以外には、徐々に風化している観のある記憶を、
何とか留めねばならない。
福島の原発事故後はあんなに原発や放射能に騒いでいたのに、
何か別の問題に関心が移ったら、ほとんどその事を口にしなくなった人もいる。
問題解決には程遠く、放射能は生物の寿命をはるかに超えて存在し続けるのに・・。
忘れないしつこさ、粘り強さが必要である。
原発事故は全然収束していないのに、あれは終わった事という態度で、
なし崩し的に原発再稼動を進める政府や経済産業界の姿勢に、
高浜第3原発運転差し止めの判決は、よくぞ警告を鳴らしてくれた。

日本には昔から「水に流す」といって、何でも早く忘れようとする
気風が確かにある。
「不易と流行」の、「流行」ばかりを重視し、
「変わっていくこと」「新しいこと」への絶対的な信仰があるみたいだ。
テクノロジーの進化で、確かに生活様式や時空に対する感覚は
変化してきている。
しかし、生物としての人の性質や、歴史的地理的に培われた気質は
そう急激に変わるものではない。
何かというと、「それは何時のこと?」「もう古いよ。」と言うのは、
そこでもう思考を放棄しているように、私には思われる。
現代アートも、「新しくなければ」と言う呪縛に、長年囚われてきた
一面がある。

反面、出来上がった秩序に安住しすぎている日本社会も、また問題である。










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Posted by Ru Na - 2016.02.27,Sat
時折、この世は“胡蝶の夢”か?と思ってしまう感覚は、
多分少なからぬ人が持っているものだろう。
現在自分が居る世界が本当に夢ならいい。そうすれば、
パルミラ遺跡は破壊されていず、こんなに多くの人が難民として
彷徨を余儀なくされることもなく、地元生物や住民を蹂躙するような
辺野古埋め立ての強行もなく、私のマザーリバーが工事で様変わりしてゆく
のを目の当たりにしなければならぬこともなく、
蝶が目覚めれば、全てがもう少しましな世界になっているかもしれない。

加賀藩お抱え学者だった祖先の墓の横に、お弟子さんたちが建ててくれた
石碑があって、四面びっしり漢字で覆われている。
漢文のうえ、石の劣化で文字が読みづらくなっている箇所もあって、
よく分からないのだが、お墓参りに行く度に眺めては、
少し意味が汲み取れると嬉しくなる。
その中に漢詩のような文があり、私のお気に入りは、
「百年酔夢」という一節。
その文字を幾度も眺め、静かな墓所で木々のざわめきを聴いていると、
江戸時代に生きた先祖が、やはりその時代なりの無常観で、世界や自分もを
俯瞰していたのかと、急にとても身近に感じられる瞬間がある。

秋の終り頃から、時々萩尾望都作品を読み返している。
少女漫画にかって無かった発想のストーリーと、深い心理描写や文学性を導入し、
漫画の範疇を超え、演劇や文学など、色んなジャンルの文化に影響を与えてきた。
その中で、改めて特に面白いと思ったのは、パラレルワールドを扱った作品。

パラレルワールドとは、SFによく出てくる、この世界と並行して存在する
並行世界、並行宇宙、並行時空、異世界。
手塚治虫がよく扱ったテーマで、世界を別の視点から眺めるその想像力には、
私も子供の頃からずい分刺激を受けてきた。

   

もしも関が原で西軍が勝利していたら、日本の首都は東京ではなかったかも
しれず、私も別の町に生まれていたかもしれない。(祖先は西軍。)
もしもあの日、出かけるのが5分遅かったら、交通事故に遭っていなかったかも
しれない・・・。
その「もしも」の世界が、実際に存在し、自分が居る現実空間に重なっているのが
並行世界である。

    

「もしも」の世界は、想像上の物語として、文学や映画によく描かれる。
「ナルニア国物語」では、子供たちが入り込んだ古いタンスの奥に異世界が広がる。
「ネヴァーエンディングストーリー」では、古い書物の中の世界が、
本を読む少年の現実世界と干渉し合う。
現実の街に少しだけ現実とずれた別の時空間が重なっていて、ふとしたはずみに
二つの世界を行き来する破目になる物語は、レイ・ブラッドベリがよく書いている。
映画でも、タイムトラベルや過去と現在が重なってしまうもの、
時間と夢が入れ子状態になるものなど、枚挙にいとまがない。
 
   

パラレルワールドは完全に空想の産物なのかというと、
宇宙には反物質というものもあったりするので、
量子力学の世界では、「複数の干渉し合う世界」が存在しえる、
という仮説もあるらしい。
人は人の知覚で捉えられるもののみ現実として、知覚外の世界は
空想だと決め付けがちだが、想像力の中に多次元世界を垣間見るための
重要なキーが、もしかしたら転がっているかもしれない。

   

萩尾望都作品に話を戻そう。
「ポーの一族」で、時空を超えて生き続ける少年たちと
各時代に偶然関わった人のつながりが、物語を追うごとに
次第に明らかになる、という壮大で複雑な構想を描き切った力量は、
後の作品で更に留まることなく発展してゆく。まさしく天才。

誰かの見る夢が現実とシンクロする代表的なものは、「モザイクラセン」や
SF大賞を受けた「バルバラ異界」。
「11人いる!」に始まり、宇宙空間にまで広がる世界観は、
「A-A’」「銀の三角」で更に複雑に発展する。

「マージナル」は、色んな要素を含んだ完成度の高い作品である。
核か環境汚染でヒトに子供が生まれなくなった未来の地球。
男ばかりになった世界で、“マザ”と呼ばれる唯一の疑似女性に、
各地方の町や村が“センター”で人工的に誕生した子供を貰う。
地上で暮らす人間は、この世界のシステムの全体像が見えない。
見えないが、何かおかしいぞと感じる者たちが、物語を進展させていく。

興味深いのは、これまで萩尾作品に度々出てきた、人間の性別の問題。
萩尾作品には、性転換する種が登場し、物語の核になっている。
生物界には性が未分化だったり性転換するものがいる。
高等生物には現在のところ見られないが、環境ホルモンが生物の♂♀の
バランスを崩すということが、実際に起きている。
将来人間にもそれが起こらないとは、誰が予測できようか。





Posted by Ru Na - 2016.02.14,Sun
宇宙空間における時間や光の歪み、ブラックホールなどについて
つらつら考えていたら、
折しも米研究チームが重力波の観測に成功したという、ビッグ・ニュース!
アインシュタインが一般相対性理論と共に予想していたもの存在が、
ちょうど100年目に実証された訳である。

重力波にしてもニュートリノにしても、人の可視の範囲を大きく超えた
世界が実際に存在するという予想や、無限に広がる想像の一端を、
実際に実在するものと肯定する出来事に、わくわくと胸おどる。

しかし地上では、可視や知覚の範囲で日常の時間が流れていく。
その日常に思考が交差し、知覚と思考の入り混じる、自分を取り巻く世界を
何とか認識し定義しようと、人間は古来からもがいてきたのではないか。

      

世界の捉え方を、西欧哲学のかっての大きな二つの流れで整理してみる。
一般論-法則から個々の事例を考察していく、アリストテレス以降の演繹法
に対し、経験や観察という個々の事例から法則を見出してゆく帰納法。
これは、16-17世紀の英国人、フランシス・ベーコンが提唱したもので、
ルネ・デカルトの「コギト・エルゴスム(我思う、ゆえに我あり)」に到達する、
あの感動的な追及に通じるものだと思う。
(余談:学生時代の一般教養の哲学の講義で、さらっと触れただけだが、
このスリリングな思考過程と結論に、私はいたく感銘を受けて、
デカルトの研究書を何冊か読んでみたりもした。
後年、パリのサンジェルマン・デュ・プレ教会でデカルトの墓を見つけ、
詣でた時は、デカルトも実在の人間だったと感無量だった。
ちなみに、この教会の前広場には、サルトルやボーヴォワール等
実存主義者のたまり場だったカフェがある。)

フランシス・ベーコンの「イドラ」の観念が面白く、日常生活の中で
当てはまる事など、ついつい考えてしまう。
経験論哲学の祖ベーコンは、経験の重要性を説きながら、一方では
正しい認識の妨げになるもの-誤解や先入観、偏見などを「イドラ」
(元々の意味は偶像)とし、それに注意する重要性を説き、
イドラに陥るその要因を、4つに分かりやすく分けている。

1.種族のイドラ 人間という種が陥りやすいイドラ。

2.洞窟のイドラ 各個人が持つ偏見。

3.市場のイドラ 社会生活で、言葉などから生ずる偏見。

4.劇場のイドラ 学説、権威などを無批判に受け入れることで生ずるイドラ。

1.は、魚は人に聞こえない周波数でコミュニケーションを取っているのに、
その声が聞こえないから魚は話さない、と思い込んでいるようなもの?
人が他の生き物より優れている、と信じ込んでいる者があまりにも多い。

3.は、曖昧なあるいは不適切な言葉が誤解を生む、といったようなもの?
噂や人の悪口をそのまま信じ込むのも、これに相当するだろう。
ネット時代のソーシャル・メディアの広がりで、その傾向に拍車がかかり、
このイドラはますます人の思考を曇らせているように思える。
また、故意に使われる言葉や(例:敗戦→終戦)、勇ましいキャッチフレーズなどが、
物事の実態をぼかしてしまい、思考停止を招いている、現在の日本社会のような・・。

4.は、権威をむやみやたらに信奉し、エライ先生の言う事だから正しい、と
これまた、肩書きや社会的地位への盲信も加わって、自分の頭で考えるのを
放棄していながら気付かない、といった場面があまりにも多すぎる。
新聞やテレビの報道をそのまま鵜呑みにする、というのも、
マスメディアを権威と捉え、それに対する信仰があるから?

2.は、1.3.4.のイドラに影響されている個々人の視野。
この洞窟のイドラは、イメージを伴っていつも私の頭の片隅のどこかにある。
人は深い洞窟の奥に座して、洞窟の狭い入り口から見える世界しか知らない。
もし洞窟から出られれば、外に広がる無限の世界に触れられるのだが。
たとえそこから出ることが人間には不可能としても、自分の座っている位置を
少し変えるだけで、違うものが見えてくるはずである。
にもかかわらず、現在の自分の位置から動く(見方、価値観を変えてみる)のが
なかなか出来ないのは、それを思いつけないのか、
あるいは別の世界を何となく感じていても、方向転換する困難さに、
躊躇してしまうのか。
そして人は、自分の性向や価値観からなかなか逃れられないでいる。

      
洞窟のイドラのイメージは、何故かいつも私にシャルロットの乙女を想起させる。
テニスンが「鏡は横にひび割れて」と詩に書き、ラファエル前派の画家ハントが
絵に描き、それを見た夏目漱石が「薤露行」という短編にした、
「アーサー王伝説」の中の、ひとつの悲恋物語である。

      

シャルロットの姫エレインは、アーサー王宮廷の第一の騎士ランスロットに恋し、
恋やみにやつれて、想い人のいる城へと流れる川を小舟で下りながら息絶える。

  このおとめ みまかりぬ みまかりぬ 恋やみに

テニスンの詩では、姫は来る日も来る日も高い塔の小部屋で錦の糸の綾布を織っている。
部屋の鏡には一つきりの小さな窓から見える景色が写し出されるのみ。
姫にはこの部屋と鏡に写る世界が全て。今だ心を捧げる者も持たず、
何人もまだ乙女に誓いを立ててはいない。
その明鏡に、カメロットの宮廷へ帰ろうと急ぎ駒を進めるランスロットの姿が
偶然写った時、姫は思わず織物を投げ打って窓に駆け寄ろうとした。
その刹那、とりどりの糸は張り詰め切れ八散し、鏡は真中より割れた。
絡む錦の糸の中で立ち尽くす乙女が「我が命運はここに尽きたり!」と
叫ぶ瞬間を、ハントの絵は描いている。

閉じた小さな世界から外に出ようとした衝撃は、いかばかりだったか。
整然と織り成されていたた日常は、引きちぎられ宙に飛散する千々の糸となって、
乙女の運命を絡め取ってしまった。
そしてそれは、やがて来るアーサー王宮廷の崩壊を招く諍いに
繋がっていった。







Posted by Ru Na - 2016.02.08,Mon
近日、X線天文衛星が打ち上げられるという記事を読んだ。
天体は、可視光以外に赤外線や電磁波を出していて、
それらの8割がX線でしか観測できないのだという。
目に見えないそれらを観測することで、星の誕生や死、
銀河団の形成や動きを解明するのに役立つらしい。
ブラックホールが引き起こしている時空のひずみまで、
観測できるのだという。

世界は人の目に見えないもので満ちている。というより、
人の感覚は世界や宇宙空間のほんの一部しか捉えられていない。
人が見ることができるは赤外線から紫外線の間の七色にすぎないが、
金魚や鳥は更に多くの色が見えているらしい。
人にとっては♂♀同色で性別の見分けが付かない鳥も、
かれらには女の子の色や男の子の色、といった其々違う色が見えるらしい。

      

音に関しても、犬は人の耳に届かない高音を聞くし、
象は人に聞こえない低音で、ぺちゃくちゃおしゃべりをしているという。
猫が誰もいない空間を凝視して毛を逆立てるのも、
多分そこに、人の感覚に掬い上げられない何かが在るのだろう。
匂いの発散で、仲間に危機を伝える樹木など、
人の五感の外にある世界を、ようやく“科学”によって、
存在証明でき始めているが、それでも人は依然として、
限られた知覚の中のみで、これが世界の全てであると信じ、
人にとっての“現実世界”から逃れられないでいる。

      

以前読んだ本に、動物が生まれて死ぬまでの間に打つ心臓の鼓動回数は
同じで、寿命の短いネズミは長いゾウより鼓動が速い。
つまり、ネズミにとっての時間は凝縮されている。という話があった。
そうか、寿命が3~4年のメダカの1時間は、人の20数時間に相当するのか、
と思うと、「ちょっと待っててね。」と、メダカたちに待ってもらう時間が
かれらにはかなりの長時間の待ちぼうけだろうと、
メダカを世話しながらいつも申し訳ない気持ちになる。

時間は決して一様に流れている訳ではない。
筒井康隆が初期の小説でよく描いている、人間の時間でも、
人によって状況によって、時間が伸び縮みするという感覚に
共感を覚えたものだ。
しかしこれは、あくまでも想念上の時間。
天体の運動で生じる現象を、人は“数”でうまく刻んで、
地球上では普遍で不変な“時間”を発見(発明?)して、指標として
人間世界の中央に置いた。

私は時計の造型がとても好きである。
ドットが数文字を塗り替えていくデジタルではなく、円盤上に
ゆっくり休みなく2本の針が動いていくアナログ時計が。
この端整で無駄のない形の起源は、おそらく日時計だろうが、
日時計の動く針は太陽の影。地球の軌道がもたらす季節のうつろいを
そのまま映している。
シャルトル大聖堂の、ひっそりとした「日時計の天使」を思い出す。
時や暦は神の領域なのか。

地球上では不変の法則を持つはずの時間が、宇宙空間レベルになると、
それが不変ではなくなるという。
時が淀んだり歪んだり、逆流したりするという宇宙空間は、
想像の域を超えているが、この時空間の歪みを計算に入れなければ
宇宙ロケットは飛ばせないというので、
やはりこれも現実的に人の世界と結びついている。







Posted by Ru Na - 2016.01.02,Sat
       明けましておめでとうございます。


     


    




Posted by Ru Na - 2015.07.26,Sun
「知の巨人」と呼ばれる鶴見俊輔さんが20日亡くなった。

  

市井の人間の心の声を押し潰して巨大な力で突き進む権力という怪獣に対し、
声を上げ、行動し、常に舳先に立って、頼もしい羅針盤になってきた。

べ平連、9条の会・・と、一人の力ではどうしようもないと
無力感におそわれがちな事態に、ともかく行動することの大切さを
教えてくれた。

加藤周一、小田実、そして今また日本の良心がひとつ失われた。

“戦争法案”の強行採決、原発再稼動への動き、
不気味な黒雲が刻々地を覆おうとしている時に消えた巨星は、
しかしながら、小さな無数の星屑を散らし、
われわれはその星明りを絶やしてはならない。

どんな権威も信じず、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考えること、
自分の足で歩くこと、行動すること、やわらかい心を持って。

たとえそれが正義であっても、皆が全く同一の意見を持つ事は恐ろしい。
孤立を恐れず、むしろ群れることを恐れよと。

泥沼でもがく時にも、私の一条の光となり続けてください。

  







Posted by Ru Na - 2015.01.01,Thu
    明けましておめでとうございます。

 



  昨夜から降りだした雪は、大雪になり
  庭にはメジロ、ウグイス、シジュウカラ、ヒヨドリが
  入れ代わり立ち代り来て、ミカンやバナナを食べるのに大忙し。

                                              
    
 すっかり雪に埋もれた川の幻想的な光。

     


 


 


Posted by Ru Na - 2014.12.31,Wed
どうも時間の流れる速度は一定ではない。
川の流れのように、ある箇所ではたゆたい、または淀み、
別の箇所では瀬を早める。
日々の過ぎ方は人其々なのに、12月だけは一様に足早である。
冬至に向かって昼が少しづつ短くなっていたものが、
この日を境に急に日暮れが遅くなる。
クリスマスと正月が接近しすぎているのも、更に気を慌しくさせる。

冬至の日はひどく荒れ、日没までまだ間があるというのに、
厚い雲が空を覆って、風景は露出を絞りすぎたような色をしていた。

  

束の間、雲の切れ間から落日の夕映えが、暗い川面に射した。

  

キリストの誕生日が25日に決められたのも、一番暗い日の後、
陽光が復活してゆくという意味が込められているという。

            

クリスマスはやはり単なるお祭りではなく、1年のうちの特別な祝祭。
J.S.バッハのクリスマスオラトリオのCDをかけ、つつましい会食をした。
今年もヨークシャーの叔母が、シュトレンとクリスマス・プディングを
送ってくれた。金粉をまぶしたアーモンドが乗っている。

  

クリスマスの前、近所の川にカンムリカイツブリが現れた。
昔はもっと上流にいたこともあるが、下流からここまで来るのは
近年なかったことである。



カンムリが現れた日は、私にとって特別なこの鳥が、こんなに近くに
いることが嬉しくて、眠れないくらいだった。
このまま居ついてくれるだろうかと、わくわくしていたが、
カンムリカイツブリは、たった3日で行ってしまった。
4日目の地元紙朝刊に、今冬も近所に現れた希少種の水鳥の記事が載ってしまい、
その日の午前中、大勢の人が詰め掛けて居心地が悪くなったのか、
午後には他の水鳥と共に姿を消した。その日以来、川はガランとしている。

希少種の情報は、完全に居なくなってからでなければ公表しない、
という鉄則があるが、ただ珍しい鳥の写真を撮って自慢の種にしたいという、
そんな人間が増えてきて、鳥の気持ちも考えず、追い回す事がかれらにどんな
ダメージを与えるか想像すらせず、野鳥の生活を平気で踏みにじって、
その生息域をますます狭めている。

年末、久々に会ったドバト。この普通の鳩が激減している。

 

野鳥仲間でさえ、このドバトには気を払っていないようだ。
私は外に出る度ドバトの姿を探しているが、下流の橋近くで
一度に6羽に見た12月28日以前の100日間、10羽も見つけられなかった。
ヨーロッパでは、鳩が群れる光景は、街や広場の美観の一部になっていて、
歴史的な建造物や街角の彫刻に、巣を作ろうがフンをしようが、
鳩が一緒に生活しているのが当たり前という寛容さがあるのに、
日本では邪魔者扱い。方々で追い立てられ、餌をあげる人は非難され、
この人懐こい優しい鳥が減っている事すら気が付いていない。

12月はずっと天気が悪かったが、それでも自転車で河口近くまで
走れる日が数日あった。
耕作地の電線にずらりと並んだスズメ。まるでスズメのネックレス。

    

こんなネックレスなら着けてみたい。



件の希少種と似ているため、希少種探しの鳥カメラマンに
この冬も追いまわされているカワアイサは、いつも居る場所から
姿を消し、今までいなかった所に移動していた。
ここもじきに見つけられてしまうだろう。どうかそっとしておいてあげて。

 

川まで来たウミアイサ。カワアイサの嘴の先が下に曲がっているのに対し、
こちらは真っ直ぐである。まだ若そうなつがいだった。

 

1月、サギコロニーとその上流区間の工事が始まる。
年明け早々に、今度は施工業者も一緒に現地立会いをする。
工事の事を考えると、お正月どころではない落ち着かぬ年末年始である。



 皆さま、良いお年をお迎え下さい。











Posted by Ru Na - 2014.11.27,Thu


11月は長い旅のようである。

11月9日、ベルリンの壁崩壊から25年。
ベルリンにはいろんな想いがある。あれから四半世紀経ったとは。

世界に対していつも、わくわくする視点を教えてくれた
赤瀬川原平が亡くなった。

何かしら心に染みるたたずまいの、最も尊敬する俳優の一人である
高倉健も逝ってしまった。

香港の民主的選挙を求める学生たちの抗議活動が、
強制的に排除されようとしている。

意味不明の衆議院解散。

安全性を置き去りにした原発再起動への動き。
何のため?リニア新幹線。日本の山野をここまで破壊したい?
少子化の時代、これから人口が減るというのに、
いつまで経済発展の狂想曲を続けるつもり?
狭い土地に増えすぎたヒトの数が、自然界で丁度よいバランスの数に
なるのは好ましいと私には思える。
かろうじて衣食住が足り、自分の活動に必要なものがある程度あれば、
それ以上の富は求めず、経済効率や成長神話に踊らされず、
これ以上自然を傷つけず、心豊かに暮らす事はできないものか。

11月始め恒例の、竹林での展覧会が終わった後、
渡るサギの最後の1羽を見送ってから、川を河口まで下る日々。
今年最後の池の水換えも終えた。








Posted by Ru Na - 2014.08.12,Tue
つれあいの北欧での仕事はもうじき終わる。
夏の休暇を利用した旅の絵葉書が、次々と届いた。

  

ヘルシンキからフェリーでザンクトペテルブルクのビザなし観光。
それからバルト三国。ポーランドのワルシャワを回る行程。

かつてのレニングラード、ザンクトペテルブルクの絵葉書が
届いたのは、他の街からの便りが来た後、一番最後だった。

  

二週間以上かかってやって来たロシアからの葉書。何だか妙に嬉しい。

ワルシャワからは二枚。ショパンの心臓が眠る街。
若くしてパリに亡命したショパンは、二度と祖国の土を踏むことなく、
パリのペールラシェーズ墓地に埋葬されたが、
その心臓だけは、故郷に戻されたという。

  

ベルリンの玄関口だったZoo駅は、今やトラムの普通の駅の一つになり、
旧東ベルリンのハウプトバンホフ(中央駅)が、その名の通り
中央駅になっているとのこと。

東西ドイツが統一してまだ間もない頃、
ハウプトバンホフで出会ったポーランド人の女の子を思い出す。
駅のホームのキオスクで、お菓子を買っていた私に話し掛けてきた。
「クラクフから遊びに来たのよ。ベルリンは素敵ね。
 ポーランドじゃ学校で習うのはロシア語ばかり。
 私はロシアが大っきらい。英語は英米映画を見て自分で勉強したの。」
ひとしきりおしゃべりしていたら、電車が来たのでそこでお別れ。
赤いベレー帽がよく似合った彼女は今どうしているだろうか。

それより数年前、鉄道のユースパスで西ヨーロッパの各地を旅した夏休み。
フランクフルトから西ベルリン行きの列車に乗った。
当時はまだ冷戦時代。西ベルリンは東欧の鉄のカーテンの向こうに浮かぶ
離れ小島のようだった。
西ベルリンに行くには旧東ドイツ国内を通らなければならず、
ユースパスが使えなかった。

    

西ベルリンから東ベルリンへは、日帰りならば簡単にビザが下りたので、
トラムに乗って出かけた。
数年後に壁が崩壊するなんて想像もしなかった頃、
列車が地下に潜って東側に入ると、使われていない駅の暗いホームの
片隅に、銃を持った兵士が立っている光景が、車窓を過ぎていった。
フリードリヒシュトラッセ駅に着いて、検問を通り、
すすけた暗い階段を降りると、西から来る家族か知人を
待ち受けているらしい人の群の真剣なまなざしに囲まれた。
ペルガモン美術館のペルガモン祭壇や、イシュタール門の巨大さに
圧倒され、ボーデ美術館の建物に残る大戦の銃弾跡に衝撃を受けた。

    

テレビ塔に登れば、シャンゼリゼ通りのような大通りが、
ブランデンブルク門の所で、壁で分断されているのが見えた。
テレビ塔の下にたむろしていたパンクファッションの男の子たち。
私が付けていたジョン・レノンのバッジを嬉しそうに見るので、
思わずバッジをはずしてあげてしまった。
彼らは今どうしているだろう。ドイツはその後の激動の時代を経て、
今頃はいいおじさんになっているはずの彼らは、昔、東洋人の女の子から
ジョン・レノンのバッジを貰ったなんて、多分覚えていないだろう。

    

日が落ちた後のブランデンブルク門は暗かった。人通りもほとんど無く、
銃を持った若い兵士が、所在無さげに脇に立っているだけ。
再びトラムで西ベルリンに戻ると、
Zoo駅前の、ヨーロッパでは珍しいネオンの光がやたら明るくて、
その落差に驚いたものだった。

    

翌日、そのZoo駅からパリに戻る夜行列車に乗った。
暗緑色の大きくて厳めしい車輌は、ワルシャワから来たもので、混んでいた。
座れるコンパートメントを探すと、夜もまだ時間は早いのに、
もう室内灯を消し暗くしている部屋があった。その薄暗い室内の奥、
6人がけの窓際に一組の男女だけが、向かい合ってひっそりと座っていた。
男は黒いタキシードに蝶ネクタイ。女は鮮やかな赤色の身体にぴったりとした
ワンピース。当時の西側では見かけないいでたちである。

   

コンパートメントの中には、ひどく張り詰めた空気が流れていた。
他の部屋が人で溢れているのに、ここだけ空いていたのは、
この異様な空気を皆避けたからかもしれない。
貧乏旅行中の外国人学生の無遠慮さで、そんな空気に気が付かない振りをして、
私は中に入って座った。
とにかく疲れていたので、早く座席が欲しかった。
うとうとしては目を覚ます度、彼らは相変わらず一言もしゃべらず、
いつも同じ姿勢でじっと座っていた。

  
列車はどこかの駅に着いて、急に辺りがざわざわしだした。
国境駅でパスポート検閲官が乗り込んできたのだ。
検閲官が車掌と共に、順にコンパートメントを回っているのが聞こえる。
我々の部屋の戸も、コンコンと叩いて入ってきた。
私も彼らもパスポートと切符を見せ、あっさりと国境を通過。
走り出した列車は、しばらくしてまた止まって検閲官がやって来た。
先のは東ドイツで、今度は西ドイツの検閲らしかった。

もう空が白んでいる。駅のホームでは、大きな荷物をいくつも抱えた
アフリカ系の青年たちが、何か密輸入でもやらかしたのが発覚したのか、
警察官に引っ張られていくのが見えた。

   

明るくなった景色の中を列車が走り出すと、
コンパートメントの中の張り詰めた空気が、ふと緩んだ。
二人は一言も発せずひしと抱き合い、それから、
人形が急に命を吹き込まれたかのように、そわそわと動き出した。
荷物らしい荷物は持っていない。女が小さなバッグから何かを
取り出したり、私の知らない言葉で口早に話したり、
そうして彼らは次の駅で降りて行った。

   

今でも目に浮かぶ晴衣の男と女。
どうやら私は亡命の現場に居合わせたらしい。
今思えば、二人があんな格好をしていたのは、
オーケストラの楽団員がコンサートに出演した姿のまま、
列車に飛び乗ったのではないだろうか。


   



   

   












Posted by Ru Na - 2014.07.15,Tue
日本では日付は変わったが、今日はカトーズ・ジュイエ(7月14日)
フランス革命記念日である。
天声人語にも、日本では「パリ祭」と呼ばれるこの記念日の事が載っていた。

私はカトーズ・ジュイエを、アンジェ(ブルターニュの都市)
で1回、
マルセイユで1回、パリで2回過ごした。
パリでの革命記念日パレードは、時期が時期だから、
ヴァカンスに出ているパリ人も多く、シャンゼリゼ大通りを埋め尽くす見物客は
大半が、外国人観光客のように見えた。
フランスの軍事力を誇示する軍事パレードの様相で、(最近はどうか知らないが)
ミサイルを乗せた車輌、戦車、大統領が乗ったオープンカーなどが
次々と通り過ぎるのを、群集の頭越しに垣間見た。
戦闘機が3色の煙の筋を作って、凱旋門の上を飛んでいく。
そして、花火。1回目にシャンゼリゼのパレードを見た時のこと。
丁度イギリスから遊びに来ていた当時高校生の従妹が、我々のすぐ傍の
凱旋門から上がる、花火の大きな音にひどく怯えたので、早々に退散したのだった。

1789年7月14日、政治犯が多かったバスチーユ監獄を襲撃して、
一般民衆が絶対王政を打ち倒し、「自由、平等、博愛」の社会を作り上げた
その誇りは、紆余曲折を経ながら、今もフランスの民主的な行き方に
連綿と生きていると、滞仏中何度も実感したものだ。

いつの間にか7月も半ば。
民主主義から程遠い形で集団的自衛権容認が閣議決定され、
ブラジルでのサッカーW杯がドイツの優勝で幕を閉じ、
滋賀県知事選では、卒原発を掲げる候補が勝利。
シュワルナゼ元ソ連外相の訃報。ウクライナ東部の混迷、ガザ地区への
イスラエル軍の空爆・・・・・・いろんな事が目まぐるしく起こっている。
復興が依然として進まない東日本。
福島原発のせいで生活を奪われた人々を置き去りにして、
公共事業が各地の自然を破壊し続けている。

   









Posted by Ru Na - 2014.03.11,Tue
東日本大震災が起こって今日で3年目。
つい先日の事のような気がしているのに、もう3年も経ってしまったが、
今だ避難先で過ごす人も多く、復興の筋道も十分たっていない。
福島原発事故後、汚染水の流出など次々と問題が起きているのに、
全国の停止中の原発で、いつの間にか着々と、再稼動の動きが進んでいる。
その間、政権交代や復興置き去りの東京オリンピック招致や、沖縄基地問題、
領土問題や集団的自衛権問題や格差解消もないままに増税の話。
ヘイトスピーチも増え、「絆」の言葉がさかんに飛び交った3年前に比べ、
寛容さが激減しているようなこの国は、一体どこへ行こうとしているのだろう。

   

気候変動もますます大きく、洪水などの自然災害も大規模化。
それでますます「国土強靭化」の公共事業が増加し、
町周辺のささやかな自然は、容赦なく潰されていく。

先日新聞に、福島の避難指示区域に住み続け、置き去りにされた動物たちに
餌やりをしている男性の話が載っていた。
原発事故後、家族と逃げようと思ったが、高齢の両親が避難所で過ごすのは無理と
分かり、電気も水もない自宅に戻った。
近所の置き去りにされた犬たちが食べ物を求めて寄ってくるので、
かれらの世話をしているうちに次々と、同じ境遇の動物たちに出会い、
どんなに避難を勧告されても、「じゃあ、代わりにかれらの面倒を見てくれるか。」
と動かず、放射能への恐怖と闘いながら住み続けているという。

震災直後は、「人が大変な時にそれどころじゃない。」と、
同じく被災した生きものたちの事を話すのが、何となくタブーのように
なっていたが、ようやく原発事故という人災の犠牲者である、
人以外の生きものの状況も語られ始めている。

   

日本野鳥の会福島は、野鳥への放射能の影響を調べるため、
ツバメのモニタリング調査を、防護服を着て行っている。

あらゆる生きものはみな同じ地球上の仲間である。
一人の人間には、本当に僅かで少しの事しかできないと、
ささやかな町の自然を潰す河川工事にあらがって実感したが、
それでも、誰か他の人がやってくれるだろうと、自分だけ
安全な場所にいて、困難に直面している生きものがそこにいるのに
目も耳も塞いでいる事は、私にもできない。

  


 
 
 
 
  
  
Posted by Ru Na - 2014.01.01,Wed

明けましておめでとうございます。


 災いの少ない穏やかな年になりますように。
多くの生命が本来の力を発揮できる、平和で美しい地球でありますように。







 
 




 

Posted by Ru Na - 2013.12.31,Tue
仕事で北欧に行っている連れ合いは、クリスマス休暇を利用して
馴染んだ街を訪ね歩いている。

J.S.バッハゆかりのライプチッヒから届いた絵葉書。

 
聖トーマス教会前のバッハ像の(この像を建てるためメンデルスゾーンが奔走した。)
背後に、クリスマス・オラトリオの楽譜。

そして今日、ドレスデン便りが届いた。



エルベ川のほとりの古都ドレスデンは、第二次大戦時に英米軍の空爆で破壊された。
その無差別爆撃は、広島・長崎と並んで第二次大戦最大の悲劇と伝えられる。

この空爆により崩壊したフラウエン教会。
東西ドイツ統一後間もない頃に私がこの街を訪ねた時は、
川の近くの広場に瓦礫がうず高く積まれたままの姿だった。
街のあちらこちらで、戦後50年以上経っているのに、戦災で壊れた建物の修復が
まだ続いているのが印象的だった。

その後フラウエン教会の再建運動が起こり、
オリジナルの建材を極力使って、2005年に完成。
その計画や資金援助にイギリスも加わっていた。
かって敵対した国が共に手を携えて、この文化遺産を再建したのである。

   

大戦で破壊された街の粘り強い再建は、ポーランドのワルシャワが有名で、
市民が瓦礫になったかっての建物のかけら一つひとつを拾い集め、
ついには古い街を再現させたのだった。
ドイツの街にも、同じような努力によって再建された古い町並みや建物が
方々にある。
フランクフルトのレーマー広場や、ゲーテハウスなど。
このゲーテの生家は、ありとある資料を基に、床板の釘の位置まで、
出来る限り元通りにしてあるらしい。

ヨーロッパでは、自分たちの住む街空間や歴史に対する深い思い入れと愛情が、
およそ不可能と思われる事も成し遂げるケースが多くあるのが羨ましい。
その情熱は、護岸で固められた川を、かっての自然の状態に戻すため、
昔あった岩の大きさや位置にもこだわって再現しようとする姿勢に
連綿と受け継がれている気がする。







Posted by Ru Na - 2013.11.28,Thu
荒天続きの金沢。雨にあられが混じるかと思うと、
強風に重い雲が払われて、雲の切れ目の青空から
陽光がさっと射したり、目まぐるしく天気が変わる。

   

空模様が一時も留まらないのがイギリスの天気。
ヨークシャーの野には、よく雲の影が走って、田園の色彩が刻々変化していた。
そんな事を思い出していたら、
イギリスの叔母からクリスマスプディングが届いた。

何でも11月中に買うと幾分安いらしい。

プディングといってもプリン状のお菓子ではなく、
ドライフルーツがたっぷり入った硬いパウンドケーキのようなもので、
何ヶ月でももつ保存食のよう。
子供のころ、ヨークシャーのおばあちゃんが時々
手製のクリスマスプディングを送ってくれた。
刻んだオレンジの皮の砂糖漬けがたっぷり入って、いろんな香りがして、
それを少しづつ削って食べるのは、とても楽しみだった。

ドイツでもシュトレンという伝統的なクリスマスケーキがあって、
イギリスではこれも好まれるらしい。
後年、ドイツのお菓子に何かなつかしさを覚えたのは、
子供のころから慣れ親しんだクリスマスプディングに良く似た味だった
かもしれない。

今回叔母が送ってくれたのは、所狭しとチェリーやクルミやナッツが乗ったもの。

 

マジパンでできたつたの葉が星のよう。

 

日持ちがするので、クリスマスまで置いておきましょうという私に、
食べてみてどんな味か叔母に報告せねばと母が言うので、
一切れづつ賞味してみた。

  

市販のものだから洋酒の香りもなく、
おばあちゃんのプディングのようなオレンジも入っていないけれど、
ちょうどM.プルーストのマドレーヌ菓子のように、
子供時代の冬のお茶の間がたち現れるような、そんな味がした。
と同時に、今はもういないおばあちゃんの、ヨークシャー訛りの
やさしい口調を思い出していた。




 
 
 
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