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見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
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Posted by - 2024.04.26,Fri
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Posted by Ru Na - 2011.08.18,Thu
連日猛暑続き。
今にも雨になりそうなどんよりと蒸し暑い中、富山ファミリーパークを訪ねた。
主に日本の里山にいる身近な生き物を中心とした特徴ある動物園で、
野鳥の観察舎もあるというので、一度行ってみたいと思っていた。


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 つい、S.A.で
 長居をしてしまい、
 着いた頃には
 もう3時を過ぎていた。

 蝉しぐれの
 湖のほとりを
 歩いて行くと、
 小さな観察舎が
 見えてきた。






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こんなに暑いので
鳥はあまりいないだろうと、
湖をのぞいてみたら、
対岸の枝に休むアオサギや、
カルガモの姿があった。

そのうち雨が降り出して、
草木もざわめき、
湖面には風の紋が
白を織りなし移ってゆく。



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暑さで茹だっていたカモたちも泳ぎだし、25羽ほど集まった。
その様に見とれていたら、あっという間に4時。
ファミリーパークは4時半に閉まるというので、次のコーナーへ。


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私はキリンが大好き。またそこで引っかかってしまった。
彼らは雨宿りしていて、なかなか近くには来てくれなかった。
同じ所にシマウマもいた。塩を舐めて猛暑をしのいでいると、先日の新聞に載っていたが、
塩を舐める姿は見られなかった。少しは夏バテが解消されているのかな。


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いしかわ動物園でも、キリンとシマウマは一緒にいる。相性がいいのだろうか。
フンボルトペンギンの池へ。4羽いて、まるで人形のようにじっとしていた。

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この子達にとって日本の夏は過ごしにくいだろう。昨夏は熱中症で亡くなった子もいたと聞く。
かわいそうに、一歩でも動くのもイヤ、といった様子だった。




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Posted by Ru Na - 2011.07.25,Mon
2ヶ月に一度の恒例の池の水換え。
今年もようやく、夏前の(と言っても、もうすっかり夏だけれど。)水換えができた。
去年は梅雨明けに、いきなり猛暑になった日にしたが、その後さらに暑くなり続け、
記録的な暑い夏になったが、
今年は6月前半から気温が急上昇。なんとかせねばとタイミングを図っていた。

先週月曜日に予定したのだけれど、その数日前から、
週末週明けは35〜6℃の猛暑日になるとの予報。
炎天下での作業の大変さはもちろん、水を汲み置いてもお湯になってしまう。
一度に大量の汲み置き水が必要なので、池の水換えには準備に2〜3日かかる。
一週間先送りにして、天候の様子を見ていたら、
台風のおかげで少し涼しくなった。

今日は昨日より暑くなったけれど、汲み置き水の温度はそう上がっていない。

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池を洗っている間、臨時に衣装ケース水槽で待っている金魚たちも
快適そうな顔をしていた。

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きれいになった池で、気持ちよさそうにしている金魚たち。

その後、池に角材を渡しネット(狸、鳥よけ)を張ってから、夏の熱気や日差しを
避けるための波板を被せた。
池はそのままの方が人間の目には見好くて庭らしいが、
波板とその上のすだれのおかげで、猛暑の夏も水温が27℃以下に抑えられ、
冬は寒さと雪を防ぐこともできる。

片付けが終わる頃にはもう暗くなり、雨がざっと降ってきた。




Posted by Ru Na - 2011.07.11,Mon
金沢美大の傍を通ってホームセンターに行ったおとついの事。
以前から、美大に通じる坂道にあるこんな看板が、いつも気になっていた。

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 “落マメ”って何だろう。
 不動産屋の看板らしい
 けれど、名前からして
 園芸店も兼ねていて、
 配達のトラックから
 時々種子がこぼれるので、
 通行車両はスリップしない
 ように気をつけてね、
 という意味かしら。
 くらいに思っていた。







坂を登って石引通りを渡り、美大に近づくと、こんな大きな看板が目の前に現れた。

resize2918.jpg一体いつから
こんなものが。
どうもやはり、
園芸店ではなく
学生用の本物の
不動産屋のよう。
この書き方では、
あの“落マメ”も
何かのシャレに
相違ない。

と思いつつ
美大の裏の
鶴間坂を
降りる。





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 この坂は歩行者専用。
 木々に覆われ、
 いつもひんやりしている。
 斜面にいろんな植物が
 生えているので、
 ここを通るのは
 いつも楽しい。

 
 

 



坂を降りきって浅野川に向かう途中、小さな葡萄畑があって、

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そこにもこんな看板が・・・












川を渡って、ショッピングセンターなどが建ち並ぶ大通りの向かい側に・・
・・・・出ました、ご本尊!

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営業かつ昼寝中・・・・・・・・。

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・・・・・。 何を申せましょう。

その昔、美大生の下宿は、 「古い・汚い、でも安い・広い」 が定番だった。
最近は小奇麗な所に住む学生が多いのだろうか。
それとも依然、 「古い・汚い、でも安い・広い」 ばかりが人気で、
このようなのぼりを立てないと、こんなきれいで高価そうな不動産屋さんは、
美大生に振り向いてもらえないのであろうか。
場所がら金大生もターゲットだと思われるが。

そして同じ道を帰る時、またまた目に入った看板群。

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   注釈無用。









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   マメで催眠術をかけて
   どうする!













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戻れ、と言われたって・・・。








この蒸し暑いのに、こんなものを見つけてしまい、脱力しっぱなしの帰路でした。





Posted by Ru Na - 2011.06.27,Mon
やれやれ、金属アレルギーのパッチテストがやっと終了した。

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ぐらぐらしている歯があって、去年から気になっていた。
暑くなると悪化する私のアレルギー性皮膚炎も、もしかして歯と関係があるのではと、
疑っていた。
歯の治療に使われる金属のアレルギーを調べてくれるらしい歯医者が、
少し遠いけれど、なんとか通えそうな所にあると知って、
そのうち行ってみなければ、と思いつつ、雑多な用事に追われ、
ついつい先延ばしにしていたら、別の歯の被せものが取れてしまった。

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 それで、思い切って
 その歯科に電話してみると、
 予約でいっぱい。
 2週間後にやっと診察が
 受けられたが、
 金属アレルギーのテストは、
 紹介された他の皮膚科に
 行かねばならなかった。




ずっと通っている皮膚科は、パッチテストを行なっていないので、初めての検査体験である。
テストを受ける3日前から、抗ヒスタミンのかゆみ止め飲み薬をやめなければならなかった。
急に暑くなったので、かゆみ止めなしというのは、かなりきつい。

resize2864.jpg背中に17種類の金属の試験薬液を
染込ませたパッチを、4列に貼られ、
2日間は背中を濡らせない。
とても蒸し暑い気候、
背中にお湯がかからないよう
髪や手足を洗うのは、
結構な苦労だった。
しかも、どんなに痒くとも
背中を掻くことはできない。

2日後、パッチテープは
剥がされたが、
背中をゴシゴシ洗うことも
掻く事も、してはいけない。

パッチを剥がした日と翌日、皮膚の反応を調べられたら、5種類の陽性反応が出ていた。
状態はどんどん変化するので、最終判定まで分からない、というのが
このテストの性質らしい。

そして、パッチを貼ってから1週間後の今日、最終判定があった。
その間、かゆみ止めの飲み薬も飲めず、背中にはかゆみ止めの塗り薬も塗れず、
掻く事もできず、こんな大変な思いは二度としたくない、と思った。

resize2861.jpg 何しろ私は蚊に一回刺されると、
 毒が回って、全身が無茶苦茶
 痒くなる体質。
 よりによってこんな時期に 
 連日8月のような暑さ。
 蚊は大量発生しているし、
 この間でも、庭の金魚たちの
 世話をしないわけにはいかない。

 蚊取線香や蚊よけグッズを
 総動員し、エアコンも強めにかけて、
 何とかしのいだのだった。

結果、一番恐れていた検査のやり直しはまぬがれ、最終判定では、
金属アレルギーの陽性反応が全て消えていた!
よかった。これで歯の治療が保健の適用範囲でできる。

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歯の金属がアレルギーの元では
なさそうなことが分かったが、
歯茎を治すと皮膚炎が改善する
可能性が大、と皮膚科のお医者様に
言われたのだった。

さて、これから歯科に通うのは
また大変。



Posted by Ru Na - 2011.06.26,Sun
木魚と言えば、お寺でお坊さんがポクポクと叩く、中が空洞の木でできた丸いもの。
さる筋(?)からの情報によると、韓国のお寺には、本当に木でできた魚がいるという。

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仕事で韓国の慶州に行って来たつれあいが、こんな写真を撮ってきた。
慶州は新羅の王都だったところで、日本で云うと奈良のような感じの古い都らしい。
世界遺産だらけで、その世界遺産のお寺、仏国寺で見つけたという。
長さが大人の背丈ほどありそうな大きなものらしい。
どんな意味があるものなのか、韓国の他のお寺にもあるものなのか、
魚だから、何か水に関係していると想像できるけれど、
説明もなく、ガイドブックにも載っていないというので、不明。


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この絵葉書の写真は、新羅時代の離宮に造られた曲水の一部という。
まるでランドアートみたい。

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慶州銘菓、皇南パン。
パンといっても、
中身が黒あんの
おまんじゅう。
味は、日本のお菓子と
そう変わらない。










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 CDくらいの大きさの
 厚みが5cmほどある
 ずっしり重い箱。





 何だろうと
 開けてみると、




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中はメモ帳。といっても、一枚ずつ違った美術・工芸品の写真がプリントされていて、
まるで小さな画集のようで、こんな贅沢なメモ帳、もったいなくて使えない。
三つの箱はそれぞれ、朝鮮王朝絵画の一部、衣類の布や刺繍・アクセサリーなど
古い服飾工芸、女性の伝統的なパッチワークといった民芸品、のシリーズである。
数えてみたら、一箱には32通りの図版が1セットになっていて、それが10セット入っていた。

日本と似たところが多いように思われる韓国。
(仏留学時代、韓国人学生とはよく意気投合したものだった。)
近くて親しみを感じている国だけれど、私はまだ訪ねたことがない。
日本は昔から随分、文化面でも影響を受け、そして、“韓流”のおかげで、
韓国の文物が随分紹介されるようになったけれど、
まだまだ知らない美しいものが沢山ありそうな心惹かれる地である。

ヒヨドリもいっぱいいて、日本と同じように鳴いていたらしい。





Posted by Ru Na - 2011.04.09,Sat
最初にあの恐ろしい津波の映像を見てから、ずっと気になっていることがあった。
以前NHKアーカイヴで見た、仙台平野のイグネと呼ばれる屋敷林がある地区、
長喜城の安否である。
農家の家屋敷がこんもりとした雑木林に囲まれていて、さながら森の中の家のようである。
番組を何気なく見ていて、その自然やそこに生きる人々の情景があまりにも素敵で、
途中から思わず録画してしまった。私のお宝映像である。
東北地方の被災の状況が分かるにつれ、ますます気になって調べてみたら、
長喜城は津波で流された遺体が多く発見された若林地区にあった。
私同様にイグネの生活に魅せられていた人が多くいるらしく、
震災直後から、ネット上には長喜城の安否を訪ねる書き込みが相次いだが、
問いへの答えはなかった。

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3月29日の朝日新聞に載った、航空写真を基にした津波被害の地図を
グーグルマップと照らし合わせて、いくら見ても長喜城の辺りはひどく浸水している。
あの美しい森は流されてしまったのだろうか。
映像で見たイグネの中に住む人々が、慈しんで手入れし育てた森には、
住民が集まって花見をする桜もあり、さまざまな小動物や野鳥の巣もあり、
自然と共存する人間の理想的な生活に思えたのだけれど。何と惨い。

後に見つけたネット上の映像では、若林地区の痛ましく荒廃した中にも、
木立が残っている所もあった。
長喜城の皆さんは、無事に避難できたのだろうか。
流されずに残った森で、生活を再建できそうな所はどのくらいあるのだろうか。
私は情報を収集しつづけている。

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平将門直系の殿様がいる相馬市も気になっていた。
家来衆の子孫が、年に一度、先祖伝来の甲冑を着け馳せ参じるという
あの野馬追いの祭りがよく知られている。
殿様は無事で、被災地に援助物資の野菜など配っていたというが、
その他の情報はなく、人と共に馬達もどうしているか心配だったが、
ようやく少し状況が分かってきた。
津波に流されながらも救助された馬も多くいたという話には、ちょっと嬉しくなった。
県外に疎開した馬も多数。しかしいまだ安否の分からない武者メンバーもいるという。
それに、代々大切にしてきた武具を、すっかり失った方々もいるのでは。
そして、野馬追いの会場は、福島第1原発の30km以内に入っているので、
この伝統的な行事の存続も危ぶまれているとのこと。

福島県も、歴史と文化の宝庫。
知れば知るほど、我々が失ったものの大きさに絶句する。


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10ヶ月後の追記 :

 
大震災から早や10ヶ月以上経った。
私の住む北陸は、次々とやって来る寒波で雪に閉ざされている。
仙台平野の寒さは、如何ばかりだろうか。
静かな楽園、イグネのその後を気にかけながら、実際に現地に赴けないこの身が歯がゆい。
塩害から木々を救うための、何らかの対策はあるのだろうか。
この冬、全国的に冬の渡り鳥が少ないそうである。
夏のシベリアの異常低温などの原因も云われているが、震災の影響もあるかもしれない。
森に住んでいた野鳥たちや色んな生きものたちは、どうなっているのだろうか。









Posted by Ru Na - 2011.04.07,Thu
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ようやく春めいてきて、庭の玉椿も次々と開いている。
今年は花数が多い。
せっかく出したおひな様だから、しばらく飾ったままにすることにした。

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子供の時分に遊んだプラスチックのままごとセット。
時代を感じさせる。

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おひな様のお道具は古いものが多く、昔はこんな小さな可愛らしいものを
手造りする職人が沢山いたという。

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そのほかのちいさいものも、昔から折にふれて集めてきたものだから、
古いものから最近のものまで、とりどりにそろっている。
私が集めたガラスの動物もけっこうあって、鎌倉やギリシアの土産物やで買った
小壷と共に、色あせた履物や邦楽器のミニチュアと仲良く並んでいて、
この物たちだけでも我が家のささやかな歴史が刻まれている。

津波に押し流された家々にもきっと、このようなその家だけの大切なお道具が
其々あったのだろうと思うと、突然断ち切られた日常の、
何気ない幸福の時間と痕跡が失われることへの悲しみがいや増す。
Posted by Ru Na - 2011.04.03,Sun
3月3日は全国的に桃の節句だが、その時分まだ雪が降って寒い金沢のひな祭りは、
昔から一月遅れの4月3日であった。
商業的には、金沢の街でも2~3月にひな祭り関連の品が売られるけれど、
我が家では慣習に従って4月に雛人形を飾り、子供の頃はその前で、
3色に染めた寒天や缶詰の果物でおままごとをし、小さな容器に自分で盛り付けた
ご馳走を食べるのは、とても楽しみな事だった。
姪が小さい頃も、近所の女の子と一緒に同じようにして遊んでいた。
子供の頃の母も伯母たちもそうしてきたらしい。

東北を襲ったあまりにも酷い災害に、落ち着かない毎日だけれど、
雛人形は元々厄払いの意味から生まれたもの。
少しは明るさが欲しいと思い、押入れから出して座敷に飾った。
もう小さな女の子はいないから、さすがにおままごとはしないけれど、
おひな様の小さいお道具を、くるんであった紙から逐一出して並べると、
やはり心が浮き々してくる。

我が家のおひな様は、ちいさな古い変わり雛。
子供の頃は、デパートにあるような普通のおひな様がうらやましかったけれど、
同時に、他にないような形が自慢でもあった。

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日本橋の白木屋デパート(後の東急デパート)ブランドのデザイナーだった大伯父が
手作りしたもので、なんでも大伯父は、ゼセッション雛と呼んでいたらしい。
ゼセッションといえば、グスタフ・クリムトやオットー・ワグナーが中心となった
世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーンに起こった美術・デザイン運動のこと。
いわゆるウィーン分離派である。
アール・ヌーボーよりデザインのモダン化をめざし、直線と黄金率を重視したというが、
家のキューブ形のおひな様が黄金比になっているかまだ調べたことがない。
ごく小さい頃に一度会っただけの大伯父だけれど、このおひな様を眺めていると
当時の西洋のハイカラなデザインを取り入れて悦に入る大伯父の姿が
何故か目に浮かぶようである。

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Posted by Ru Na - 2011.02.16,Wed
このブログを開設してから半年、こんなフラッシュが作れるなんて今まで気が付かなかった。
図の右下にマウスを当てると、再生マークが出て、ア二メーションをくり返しできます。





Posted by Ru Na - 2011.02.14,Mon
金沢の冬の食の祭典フードピアが、この連休に行われた。
20年以上前、お祭りが少ない金沢に大勢が楽しめるお祭りを作りたい、それには
食べ物に関するイベントがよかろう、と考えた仕掛人達によって始まったイベントである。
その後各地で食がテーマの催しも増え、今では珍しくもなくなったし、メインの
高級料亭に著名人を招いての食談は、高価くて庶民にはなかなか参加できないが、
中央公園でのフードピアランドは、能登産の生牡蠣の炉辺焼きが手軽にできるのが魅力的。

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 今年は行くつもりがなかったけれど、
 たまたま時間が空いた母が
 フードピアで炉辺焼きをまだ
 食べたことがないというので、
 買い物がてらに一緒に出かけた。








resize2237.jpg雪原に各地の名産の食べ物を売る
屋台のテントが並ぶ。
今年はずいぶん配置が変わっている。

クラッシクな青いバスの内部は
喫煙コーナーになっていた。









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ここ数年、たいてい開いている
トルコ・サンドイッチのお店。






ケバブは羊肉ではなくて、鳥肉。




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例年炉辺焼きコーナーは、公園の真ん中に
大テントをしつらえてあるのに、
今年は公園の隅の方に、縦一列に炉を並べてあった。
去年あまりにぬかるんで、まともに歩けないくらい
だったので、舗装道に沿った配置にしたのだろうか。
夕方で人が少なくて、すぐ席を見つけられた。












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牡蠣は一袋に10個。二人でちょっと食べるには充分。
今年は紙皿や割り箸も有料だった。

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 広坂の漆器屋さんには
 こんな可愛らしいお雛様の
 お道具が飾られていた。











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この季節、街にある花といったら、
たいていは葉牡丹。
鮮やかなグラデーションに
いつも目を惹かれる。














Posted by Ru Na - 2011.01.06,Thu
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昼間っからお屠蘇をいただけるのは元旦の楽しみ。

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お正月のお雑煮にだけ使う漆椀。
けっこう古い物で、
蓋の内側には鶉の蒔絵がある。

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なんといっても、おせち料理!
私は魚が食べられないので、いつも私だけカマボコ抜き、ハムの押し寿司。

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和菓子でお茶を一服。右は金沢のお正月の定番、福梅。

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Posted by Ru Na - 2010.12.25,Sat
Joyeux  Noël à tout le monde!

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一年の最後の月、クリスマスから降誕節が始まる。
イエスキリストの誕生日は、正確には分かっていないが、
四世紀頃に、一年で一番長い夜の季節にこそ希望の灯をともそうと、
クリスマスを12月25日に定めた、という説を聞いたことがある。
それから幾世紀、クリスマスは民俗、宗教を超えた世界的な楽しい行事となり、
世界中あちこちで街角は華やかに飾られ、人々は思い思いの祝祭を過ごす。

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寒波がやって来て、舞う雪が薄っすらと街を覆い始めたイヴに
我が家でも、ささやかな飾りつけの下で、ささやかなクリスマスの食卓を囲んだ。

クリスマスには様々な思い出がある。resize2013.jpg
祖母がクリスチャンだったので、
子供の頃はよく教会のクリスマス礼拝に
雪道を歩いて出かけたものだった。
24日の晩になると、家の外から
よく賛美歌が聞こえた。
ローソクを手にしたクリスマスキャロルの
一行が訪ねて来たのである。
私も一度キャロルに参加したことがある。
みぞれ混じりの宵、教会の信者の家を
一軒づつ回って歌うのは楽しかった。

キリスト教系の幼稚園に行っていたので、
小学生になっても、そのまま同じ幼稚園の
日曜学校に、中学を卒業するまで通った。
そこでは、クリスマスにキリスト降誕の
聖劇を子供たちで演じる慣わしだった。
最年少クラスは、たいてい羊の役。
大きくなるにつれ、羊飼い役や宿屋の人、
東方の三博士、といろんな役をした。
天使役になれると、白くて薄いベールを
まとい、頭にきらきらした銀の輪を被れるのが嬉しかった。
小学生の時はついに、あこがれの聖母マリア役が一度だけ回ってきた。
(途中とちってしまったが。)
中学生になると、もっぱら聖歌隊。進行役でもある。
 
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 その後、宗教を外側から見るようになり、
 教会から離れてしまったが、
 降誕劇で覚えた台詞は、
 今でもすぐ口をついて出てくるし、
 聖書の物語を沢山聞いたのは、
 後年、西洋美術や文学などを
 理解する上で、大いに役立っている。 
 何より、幼い頃から美しい旋律と
 美しい言葉に満ちた賛美歌に
 触れられたのは幸いだったと思う。


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 まぶねのかたえに われは立ちて
 受けたるたまもの たたえまつる
 いのちのいのちよ わがものすべてを
 とりて よきしたまえ
  
 
 天(あめ)には栄え 御神にあれや
 土には安き 人にあれやと
 御使いたちが たたうる歌を
 聞きてもろびと ともに喜び
 いまぞ生まれし 御子をたたえん
 
上の賛美歌は、J.S.バッハのモッテット、
下のものはメンデルスゾーンの作曲だと後年知った。
すぐれた音楽とすぐれた訳詩は(記憶にたよって書いているので
正確かどうか)小さな子供の胸にも深く刻み込まれる。

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それから、クリスマスの色彩。
私が子供の頃はまだ、クリスマスは一般的ではなく、
今のように飾りが街にあふれているということはなかった。
入園前のごく幼い頃から、親が目を離したすきに、一人でトコトコ幼稚園まで
遊びに行っていたほど幼稚園っ子だったらしい私の記憶に、
今もなおはっきり残っている光景がある。2歳ごろだったろうか。
広い玄関を入ったところの、広いホールの奥、磨きこまれた古い濃い茶色の床板に
大きなツリーが置かれていて、濃い緑の樅の枝に無数に飾られている金と赤の飾り。
赤・金・緑・茶 の日常では見られない色の組み合わせに、ただもう、うっとりとしていた。
園長先生が、金のリボンを十字にかけた赤い包み紙にくるまれた小箱を、
ツリーから一つはずして下さったのを覚えている。
それ以来、クリスマスは子供の頃の最も美的な色彩の日になった。

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南フランスのマルセイユに留学した時に知ったこと。
プロヴァンス地方では、「サントン」という素焼きの人形に色をつけたものを、
クリスマスに飾るのが一般的。
12月になるとマルセイユの中心街にサントン市がたつ。
それぞれの工房が店を出しているので、工房によって微妙に違う作りの人形を、
市を回って、お気に入りの表情をしたものを見つけるのが、マルセイユっ子の楽しみである。

古代ギリシアのタナグラ人形が起源というサントン。
旧港の近くの博物館で、とても古い大きなサントンを見ることができる。
プロヴァンスの伝統装束を着た人形が多く、キリストの生誕の情景を作って、
周りをプロヴァンス人達が取り囲むような形に配置する。
(私はあまり色んなサントンを買って来なかったので、それを今再現できないが。)
スペインの市場でも、似たようななものが売られていたが、
こちらはプラスチック製だった。
古いドイツ民謡に、樅の木を歌ったものが多数あることからして、
どうやらツリーはドイツなど北の国のものらしい。
イギリスでは、クリスマス三ヶ日の感覚で、26日はボキシング・ディといって、
プレゼントを開ける日らしい。
国によって様々な習慣があるが、特にヨーロッパでは、キリスト教以前の土着の宗教の
(例えばドルイド教など)風習の影響を、色濃く残しているように思われる。
Posted by Ru Na - 2010.09.09,Thu
今日、幼なじみの親友が東京に旅立った。
金沢の自宅をたたんでの完全な引越しである。

子供の頃は家が近所で、よくお互いの家を行き来して遊んでいた。
彼女の家が、道路の区画整理に引っかかり、他の地区に引っ越して行ってから、
大人になって再会するまで、消息をほとんど知らなかった。

再会したのは私がフランスから帰国したばかりの頃。
友人は大手出版社のメジャーな雑誌の記者になって、東京、NY,イスラエルと
世界を駆け巡ってから、御両親の居る金沢に戻ってきていた。
その後、国際結婚した伴侶のDVによる離婚、働きながら、娘さんを育てながら、
病気になった御両親の看病をしながら博士号を取得したが、博士浪人の時代、
金沢では思うような職につけず、仕事を転々とした。

金沢のいろんな慣習や偏見に囲まれて、いろんな点でずいぶん苦労をしていた。
気性の真っ直ぐな友人は、人に悪意をいだいたり、意地悪な気持ちを持ったり
しないのだが、理不尽と思われることに、率直に怒りを表すので、
出る杭は打たれる式に、周囲から打たれ続けたが、
いつもポジティヴな姿勢を保ち続けているのに、いつも私は感心させられていた。

お母様に続いて一昨年お父様を見送って、金沢での生活に区切りをつけたのか、
友人自身が設計しお金も出して建て直した、あの広くて素敵な実家を手放してまで、
彼女と娘さんがもっとも伸び伸びと活動できるという東京に、拠点を移すことを
決意したようだ。

どうか多くのチャンスがありますように。
今までの苦労を埋め合わせてあまりある幸が来ますように、と
さみしいけれど私は強く願ってやまない。

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        みちをみれば こころおどる    八木重吉
Posted by Ru Na - 2010.08.31,Tue
あまりにも暑いので、せめて涼しげな写真を少し。

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Posted by Ru Na - 2010.08.21,Sat
思わず“閑話”と書いたが、閑なんてとんでもない。
いつ果てるとも知れぬ猛暑の中で、池の水温が上がらないよう、
庭での水撒きを、一体日に何度していることか。
暑ければ暑いほど回数も増やさねばならず、熱帯夜続きなので、日が落ちても何度も庭に出る。

波板で池のあらかたに波板を被せ、その上に隙間なくすだれを敷いている。
カンカン照りの陽が当たるすだれや、まわりの焼けた石や土を水で冷やす。
それで何とか水温は26度以下に抑えられて、(それでも金魚にとっては高すぎるのだけれど)
池の金魚たちは何とか元気。

シャワー口の付いたホースで散水すると、小さな虹ができ、
トカゲたちはあわてて逃げ、蝶や蜂が寄ってくる。

今日初めてみんみんゼミの声に気が付いた。
子供の頃から、みんみんが鳴きだすとそろそろ夏の終わり、
夏休みの手付かずの宿題を片つけるのに、あせりだしたものだった。

それにしても、今年の夏はまだ当分終わりそうもない。
6月半ばからずっと、最低気温、最高気温ともに平年より3℃位高い日が続いている。
若干涼しくなったのは、台風の後の1日だけだった。

40℃を経験したことがある。
昔、モロッコのマラケシュに行った時のこと。
9月も半ば頃だったが、駅に降り立ったとたん、ものすごい熱空気に包まれた。
土も赤いが、空気もまるで燃えるようで、喉がひりひりしたのを覚えている。

それでも、ほとんど湿度がない土地なので、日陰に入るとひんやりとし、
広場で陽にさらされながら大道芸を見ていても、汗をかいたという記憶はない。
現地に駐在している海外青年協力隊の人に偶然出会ったが、
「今日は涼しいなあ。なんせ40℃しかないんだから。」などと言っていた。

かって、ヨーロッパは地中海のほとり、南欧といえるマルセイユに留学し、
夏休みは欧州の方々に出かけたけれど、
汗が流れて、それだけで疲れてしまうような暑さには、めったに会わなかったような。

ただでさえ湿度が高くて過ごしにくい日本の夏は、(特に金沢はいつでも高湿度)
温暖化で増々やりきれないほど暑くなっていくのかしら。

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この暑さの中で、プチトマトは実を付け続けているけれど、
さすがに近頃、葉がしおれ気味。
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