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Posted by - 2024.04.26,Fri
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Posted by Ru Na - 2013.11.23,Sat
ここのところずっと雨続き。
しかも半端な雨ではなく、一時的だが観測史上最高という雨量を記録したり、
雨音がやたらうるさいと思っていたら、いつの間にかあられに変わって
それが積もっていたりする。
本来北陸の11月は、その暗いイメージに反して案外晴れの日が多かったのだが。
12月~1月並の気温になる寒波の合間に、貴重な小春日和がはさまれる。
 こんな日をドイツでは「老婦人の夏」と呼ぶらしい。
穏やかな日差しの中、今年最後の池の水換えをした。

   

水温が下がって、2日前からパタッとごはんをあまり食べなくなった池の金魚たち。
水がきれいになってのんびりとくつろいでいた。

池のほとりのモミジは、先日の寒波でいつもの年よりいっそう紅くなった。

    

 

夕方後片付けをしていると、吊り籠の中のバナナやクルミを食べたい
ヒヨドリ、シジュウカラ、ウグイスが相次いで、「まだ終わらないの」
といったふうに鳴いた。
メジロの群が近くを通過する声も聞こえた。

    







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Posted by Ru Na - 2013.11.06,Wed
ちょっと無理しすぎたせいか、持病のアレルギー性皮膚炎の悪化で、
手指がひどい状態。キーボードを触るのも難儀です。
内川の報告など、もう少し後に載せますね。






Posted by Ru Na - 2013.09.17,Tue
台風一過。こちらは強い雨が降った程度だったが、
各地の水害、風害のニュースには、暗澹とした想いである。
増々極端な気候が増える近年、人間の諸活動による地球温暖化の
影響は、もう疑えないだろう。

こうしている間にも、最近太陽圏外に到達した惑星探査機ボイジャー1号は、
未知の宇宙空間を飛び続けている。
1977年に打ち上げられて、ずっと漆黒の中を歩み続ける孤独な旅人。

宇宙で未知の知的生命体に出会った時のため、地球人類からのメッセージとして、
地上の様々な言語、音楽、画像などを収録したレコードも積んでいると、
グレン・グールドの色んなエピソードを綴った映画、
「グレン・グールドに関する32章」で知った。
レコードには彼の、バッハ平均律第2巻-1、プレリュードとフーガが
収められているらしい。
その他に何が入っているか調べてみたら、
カール・リヒターによるバッハの「ブランデンブルク協奏曲」、
サヴァリッシュ指揮のモーツァルト「魔笛」、
日本からは、山口五郎による琴古流尺八の「巣鶴鈴慕」、(このCDは私のお気に入り)
各国の民族音楽や、ルイ・アームストロングや、チャック・ベリーも。
イギリスからは、ビートルズではなくて、何と
デビット・マンロウとロンドン古楽コンソートの曲だった。

打ち上げ当時健在だった音楽家はもうほとんど亡くなっているが、
その音楽は行き続けている。
1977年に誰が現在の地球の異常気象を想像しただろうか。

台風が来る前、サギコロニーの様子を見に行った帰り、
暗くなった川原で月を撮影している人がいた。
何のカメラを使っているのか、好奇心に駆られてのぞきこむと、
耳も口も不自由なその人は、私も月を写したがっていると思ったらしく、
私のカメラを自分の三脚に乗せて、慣れた手つきで
月をきれいに写して下さった。





高倍率だけれど素子サイズが小さい、しょせんコンデジと思っていた
自分のカメラで、こんなにくっきりときれいに撮れるなんてと驚いた。
月明かりの下で、身振りでしばらく楽しく語らって、
広大な宇宙空間の一片に、少しだけ近づけた気がした。









Posted by Ru Na - 2013.08.05,Mon
1月の始め、凍った道で自転車で転んで負った左膝の傷。
その傷口がなかなか治らず、最後に豆粒大の3つの穴が残ったのが
ようやく塞がって、整形外科通いからやっと開放されたのが、何と7月末。
その翌日の夜、心臓辺りが苦しくなって、脇から左腕をマッサージしていたら
脇下が痛くなってきた。
数日前から左肘にあるデキモノもひどく痛んでいたが、その肘の周りも腫れてきた。
翌日、脇下の痛みは更にひどくなり腕も上げられなくなった。
左腕の腫れも全体に広がり、夜には手首近くに帯状の水ぶくれ地帯が出現。
どうも身体に何か悪いものが入ったらしい。

肘のやたら痛かったデキモノは、庭に上着を着ないで出てブルーベリーの実の
摘み取りをした時、気付かずに毒虫に触った痕だろうか。
ブルーベリーにはよく虫がついて、これまでも刺されたことがある。
そのデキモノから毒が広がったのだろうか。
それとも前日整形外科で、なかなか治らない左中指の腱鞘炎を抑える注射を
した痕に、ばい菌が入ってしまったのかもしれない。

注射の翌日の水曜日、サギのコロニーの様子を見に行ったが、別状はなかった。
サギコロニーに行く時は必ず長袖に手袋。今年はマダニが怖くて、
また広報活動のため、草むらには入らず遊歩道からの観察。
その周囲の草はすでに刈られ、草に触ることもない。
ただ、すっかりお馴染みになった散歩の犬たちをなでたりするので、
犬たちは草むらに出入りし、何かくっつけていたのかもしれない。

金曜になっても腫れは退くどころか増々ひどくなり、脇下の痛みも耐えがたく、
いつも持病を総合的に診てもらっている医院へ行った。
「これはひどい。アレルギーによるものか感染なのか、とにかく血液検査を
しましょう。」と、血液を採られ、念のためと抗生物質の飲み薬をもらった。
「明日の朝には結果が出るので、朝一に電話して下さい。」

左腕がかゆくてほとんど眠れぬまま、朝電話で検査結果を聞くと、
「白血球が以上に増えていて、正常値の倍以上。他の数値も照らし合わせると
これは細菌に感染した症状です。すぐに抗生物質の点滴をします。
飲み薬ももっと強いものに換えます。」
で、強い日差しの下、世の中いろんな事があるなあ、と思いながら医院へ。
早速点滴2パック分をされた。
抗生物質の点滴は続けてしなければならない、ということで、
翌日は日曜日にも関らず、用事から先生が戻ってくる夕方に、また医院へ。

白血球が異状に増えている、といっても、腫れや痛みやかゆみの他は
普通にしゃべったりゆっくり日常の用事をできるくらいだったが、
日曜日、やたら足が重く身体がだるい。時々息をするのも辛いくらい
全身に鉛でも流し込まれたみたいに動けなくなった。
目を離した隙に土木課が何かやるのではと、サギコロニーが心配でならないけれど、
これではとっても見に行けそうもない。
夕方少しだるさがおさまって点滴を受けに出かけることはできた。

脇下のリンパ腺のせいだったらしい痛みは退いてきたが、
その代わりひどいだるさが時々襲ってくる。
全身を廻っている血液の中で、白血球と薬が細菌と戦争しているのだから
いたし方ない。
細菌が勢力を盛り返さぬよう、身体が疲れることはしてはならないと
言われるけれど、日常のやらなければならない事はやらねばならず、
安静にしているのは結構難しい。
明日、また点滴し、白血球がどれ程減ったかまた血液検査。
さて、結果はいかに。

      
 
 
  
 
 
  
Posted by Ru Na - 2013.04.06,Sat
今年の桜はあっという間に開き、金沢は昨日満開になった。



上は2日前の写真。
鳥調査のメンバーによるお花見会を、今日の午後に予定していたら、
週末は大荒れの天気という予報。でももう日時はずらせない。
どうなるかしらと互いに連絡をとり合いながら、
少々の雨なら河川敷の広い橋の下に入りましょうと、準備を進めた。



花の時期の無料開放をしている兼六園周辺では、
暴風雨に備えてぼんぼりが下に降ろされていた。



兼六園の桜。風で散り始めた花びらが水面に漂っている。



午後1時、メンバーが各々食べ物飲み物を持って河川敷に集まった。
一人が山野草の天ぷらやおひたしをずらりと並べ、
その種類の豊富さにみんなびっくり。



ツクシ、スギナ、ヨモギ、カラスノテッポウ、ユキノシタ、
藪椿の花・・・・。 こんなものまで食べられるなんて知らなかったものも。
さすがに野草にも詳しい人が多い野鳥の会のお花見弁当。
花の下で宴を開いたとたん雨粒が落ちてきたので、橋の下に移動した。

      

心配していた強い横風もなく、はずむ話の花も咲く楽しい宴となった。





Posted by Ru Na - 2013.02.19,Tue

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1月始め、凍った道で自転車ごと転倒して左膝に怪我してしまった事は以前にも書いた。
血だらけになってようやく家にたどり着いて、膝下にぽっかり空いた穴に驚いたにも
関わらず、その頃はそんなに重大な怪我とは思ってはいなかった。
翌日整形外科医院に行って、骨は無事だったものの、
縫いたくてもこんなにごっそり皮膚の下部組織ごと無くなってしまったのでは無理。
と、医者に言われても、2〜3週間で治る気でいた。
普通身体にこんな大きな穴が開いたら、とんでもない痛さのはずが、
寒さで感覚がなくなっていたせいか、たまたま神経の通う場所を外れたのか、
不思議なことにそんなにひどく痛くなかったので、気楽に考えていた。




 


このような傷は消毒して乾燥させるのではなく、皮膚から滲み出てくる浸潤液をそのままに、
傷口を保護シートで被って皮膚組織の自然再生を促すというのが、最近の治療法の
主流らしい。その浸潤液のおかげで痛みも少ないという。
また、血行を良くするため歩くのも奨励される。
それで膝をそう曲げなくても歩ける平地を少し歩くように心がけた。
ゆっくり数歩進んで立ち止まり、鳥を眺め写真を撮る、という鳥見のペースが最適。
このケガのせいで、椎間板ヘルニア用の日頃のリハビリ体操が十分できないので、
川原に行っては、柔らかい土や雪の上を長靴でゆっくり歩き回ってくると、
腰や背中の調子も整えられた。



最初の2週間ほどで傷口が若干狭まったが、その後進展なし。
医院に行く度、良くならないなあ、と言われ、薬浴や色んな軟膏を次々と
試されるが、傷口はそのまま変わらずで、がっかりするの繰り返し。
今度はステロイド系を試してみようと、自分でも毎日塗れる薬を処方され1週間。
心持ち皮膚再生の兆しが見えてきたと先生は言うが、
用事で少々無理になったかもしれない街歩きをした後、膝がひどく痛くなって
以前よりずっと歩きにくくなっていた。また体調も芳しくない。
傷口の周囲が黒くなっていて、「壊死」の文字が頭をよぎる。
いつもは冬の寒さが嬉しいくらいなのに、この冬の異常低温が、
傷のせいで暖かいお風呂に十分浸かれない身に相当こたえているよう。
ともかく、しばらく通院の間隔を開けることが許されたので、ようやく
アレルギー体質改善の漢方薬を出してくれるかかりつけの医院にも行く時間ができた。



健康全般何でも相談できる先生に傷口を見せると、とたんに険しい表情になった先生が、
- このままでは1ヶ月経っても状態は変わらないでしょう。
 アレルギーの痒み緩和よりまず傷が回復しやすい血行を良くするお薬を出しましょう。- 
と処方されたのがこの漢方薬。

                

この薬の処方に最初ギョッとしたらしい、いつも親しく話している薬局の人が言うには、
- これは通常、がんの治療で衰弱しきった患者さんの体力を取り戻すための、
 最後の手段として使われる漢方薬です。-

何だか自分がとっても重症患者のような気がしたのだった。
実際、家族は皮膚移植のため入院しなければならないのではと、
ずっと杞憂しているし、
あまりにも治りが遅く歩きづらそうな私を、友人たちがやたら心配して、
大きな総合病院に行った方がいいよ。とか、出歩いては駄目。と言うのである。

医院の帰り、いつもはたいして時間がかからない道が、
このところ増ます歩きにくくなっている私には果てしなく遠いものに思えた。
川原を歩いていると平気なのに、街中は随分障害物が多いのが分る。
商店街の歩道などは少し傾斜していたり、歩道と車道の間の段差、
建物の入口の階段、固さの違う色んな素材の敷タイル。
ケガした足で歩くと、街がいかにバリヤフリーに程遠いかが実感できる。



さてこの漢方薬、お湯に溶かして飲むのだが、甘くてなかなか美味なのである。
今まで色んな漢方薬を飲んだが、美味しさではこれが一番。
先日からの膝の痛さはそのままだが、傷口の端のところが若干浅くなって
きたような気がする。このまま普通に動けるまで回復してほしい。

この究極の漢方薬とステロイド軟膏の効果を、また報告しますね。






 

Posted by Ru Na - 2013.01.01,Tue
新年おめでとうございます。

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今年は少しは明るい年になりますように。
皆さまの多幸をお祈り致しております。


環境破壊がこれ以上進みませんように。
経済優先の価値観が方向転換し、成長神話から脱却できますように。
せっかく高まった脱原発の気運が後退しませんように。
地球上の全ての生きものが、平安の内にその本来の力を発揮できますように。




 
Posted by Ru Na - 2012.10.12,Fri
日中日差しが強いと、暑い時間帯がしばらくあるけれど、
朝夕は寒さを感じるくらい、ようやく秋が廻ってきた。
それなのに、相変わらず当分警戒しなければならないのは、蚊。

この夏の猛暑のピーク時には、蚊は少なめだった。
今年は雨が少なかったせいか、あるいはあまりに暑いと、さすがの蚊たちも
その行動が鈍っていたのかもしれない。

例年秋がかってくる時期の蚊は、しつこくてタチが悪いのだけれど、
やはり今年も10月に入ってから、ちょっと油断をするとよく刺されるようになった。
アレルギー性皮膚炎の持病持ちの私は、ひとつ蚊に刺されると全身に毒が回り、
悪いところはさらにひどく腫れ、全身のかゆみで七転八倒しなければならない。

近頃は温暖化のせいか、5月始めから11月頃まで蚊に悩まされる。
彼女らは気温が15℃以上あれば血を吸い、Tシャツなどの薄い布地の上からでも
平気で刺す。おまけに近頃の蚊は小型化し、音も立てない。
ほぼ半年様々な蚊除けグッズのお世話になる。
今まで色んなものを試してみた。

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  定番の、薬液を電気で温めて蒸気を出すもの。








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  電気を使わない蚊が嫌いな香りのポット。







今年は薬液を染込ませた吊り下げ式のプレートが、多く出回っていた。

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  効用も60日〜180日とさまざま。
  しかし、よく効くのは使い始めの数日のような
  気がする。





この他にも、1回の噴射で6疊くらいの広さに14時間ほど効果が保たれるスプレー式がある。
ただし水槽のある部屋では使えないし、薬の刺激も皮膚に心配。
また青白い光で蚊をおびき寄せて感電死させる蚊取ランタン、
蚊も取れるけれど、他の小さい羽虫や蛾も犠牲になって可哀そう。

そして、何といっても最後の頼みの綱は、最も古典的な、

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        蚊取り線香!

     結局これが一番たよりになっている。






Posted by Ru Na - 2012.08.05,Sun

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子供の頃の夏休みの楽しみの一つに、花火大会があった。
7月末から8月にかけて、地元の新聞2社が相次いで催すもので、
当日の昼間、試し上げのドンというお腹に響く音が聞こえてくると、
気もそぞろになって、早く夜になるのを待ちわびたものだ。

夕飯を済ましてから、家族と川原に向かって歩き出す頃には、ドン、パチパチと
すでに花火が始まっている音がした。
川原には大勢の見物客が集まって、敷いたシートの上で宴会をしていたり、
団扇であおぎながら近所の人とおしゃべりに興じていたり、思い思いに花火を楽しんでいた。

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以前は打ち上げ場所が上流寄りで、家に比較的近く、
大きくなってからはしばしば、打ち上げているのが見える所まで歩いて行って、
頭上に降ってくるような花火のスペクタクルを楽しんだ。
仕掛け花火が正面に見えるその辺りは、さすがに人垣ができていたが、
途中から見物に加わっても、花火がよく見える場所を確保するのは別段難しくもなかった。

大人になっても長く、花火は何か特別の、取っておきのイベントだった。
と同時に、水鳥など川にいる生き物を怖がらせているのではと、気になりだした。

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10年ほど前、打ち上げ場所が下流の方に移って、近くの川原に出ても
建物の向うに花火がごく小さくしか見えなくなってから、あまり見に行かなくなった。
一度近くまで行ってみたが、打ち上げ会場付近は人で埋まり、場所探しに歩くこともままならず、
大勢の整理の警備員が、そこ立ち止まらないで、そこ入らないで、そこに座っては駄目など
とても口うるさく、ロープで誘導までしていて、
地方都市の中規模の花火大会は、自由にのんびり見られるのが魅力なのに、
これではまるで神田両国花火の人地獄みたいじゃない。

神田は一度見に行ったが、あまりにもの人の多さと、ロープ誘導で数十分待たされる、
あまりにもの自由の利かなさと、どこまで行っても、ビルの隙間から花火の端っこしか見えない
あまりにもの見にくさに、それに、花火が終わってから帰宅を急ぐ人ごみ、
地下鉄の駅周辺は人であふれ、入口から広場までを覆い尽くす人の列、
一体いつになったらバスにも乗れるものか見当がつかない位の人の多さに、
寸でパニックを起こしそうになって以来、
大きな有名花火大会には警戒心を持つようになったのだった。


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近年ほとんど見に行くことが無くなった花火を、
久しぶりに母が見たいと言うので、
近くの川原の橋の上まで行ってみた。

建物の陰に小さく見える花火だけれど、
橋の真中辺りに立つと川面にも光が映る。
遠い花火も悪くないと、
夜になってもむせ返るような暑さの中で、
川を伝ってくる微かな涼風を楽しみながら、
のんびりと眺めた。


今年買ったカメラで撮影してみる。さすが光学35倍。思ったより大きく写すことができた。

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手持ちの花火モードで撮影。
夜空に炸裂してすぐ消えゆく束の間の光を切り取ると、光の軌跡が線を描く。


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Posted by Ru Na - 2012.05.21,Mon
今日は日本の広い範囲で金環日蝕が見られた日だった。
これほど広範囲で見られるのは、932年ぶりという。
しかし北陸はその範囲からはずれ、部分日蝕となった。

朝7時過ぎ、辺りは暗いのに植物に落ちる光が、鈍い金粉をまぶしたような
異様な色になっている。
残念ながら、その色彩を写真でそのまま再現するのは、なかなか難しい。

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日蝕グラスを持っていないので、直接太陽を見ることはできない。
試しにフィルターなしのカメラを日に向けると、三日月形の反射光が写った。

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庭の作場の柱に映る槇の葉の影。無数の三日月模様ができた。

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日蝕は地球と太陽の間に月が入り込むことで起こる。
月が地球により近ければ皆既日蝕になり、月が少し遠いため太陽の輪郭がはみ出せば
金環日蝕になる。

日本でこれほどの広範囲で金環日食が見られた932年前は、ちょうど源平合戦の
水島の戦いの最中だったという。平家が源氏に勝った唯一の戦。
天岩戸伝説の時は、多分皆既日蝕だったのでは。

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日蝕というと、すぐ連想するのが
マーク・トウェインの、
「アーサー王宮廷のヤンキー」。
コネチカット州の兵器技師が
タイムスリップして、
中世イギリスのアーサー王の
時代に行ってしまうという、
不思議で痛快な物語。

本家本元の「中世騎士物語」
と並んで、
私の子供の頃の愛読書だった。




19世紀の科学技術を中世イギリスに持ち込んで、アーサー王の信頼を得、
ボス卿と呼ばれるようになったヤンキーが、魔法使いマーリンと対決する時
「太陽を消してご覧に入れる。」と、日食を利用するのである。
歴史的な日食の年月日、場所を暗記していたなんて、驚くような話だが、
自転車生産工場を作って、甲冑の騎士の銀輪部隊を結成するほどのボス卿。
こういう事も朝飯前なのかもしれない。

resize5456.jpg 太陽が隠れて地上が暗くなると、
 鳥たちがやたら騒いでいた。
 ハシブトガラスが
 近くのアンテナの上で、
 落ち着かなげに
 鳴いたり飛び立ったり。
 明るさが戻ったとたんに、
 ヒヨドリはいつもの囀りを
 始めた。






鳥の視覚はとても優れていて、人間には見えない色や奥行が判るらしいが、
世界が異様な薄明かりに包まれていた時、彼らはどんな色を見ていたのだろう。

日食や月食の“食”は、英語でエクリプスと言う。
鴨類の♂が非繁殖期に一時的に♀のような羽色になる状態も、エクリプスと呼ぶ。

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金魚の視覚も、人間には見えない
色彩をとらえているらしいが、
金魚たちには、別段変わった
素振りはなかったように
思える。

太陽は何事もなかったように
照り始め、
午後は気温が上昇。
その陽の下で
池の水換えをした。


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Posted by Ru Na - 2012.03.14,Wed
この冬、夜になると家の中がやたらにゴトゴトするような気がしていた。
風が強い日は、僅かなすきま風が部屋の間のドアを揺らすことがある。
屋根雪が落ちる音もバカにはならない。
窓を打つあられや雨の音もかなり大きく響くが、今思えばそんな音以外のものが
混じっているように時々感じられていた。

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ある時、隙あらば侵入しようとする例の茶トラの野良猫が、
家の外壁に作り付けた物置小屋の戸を押し開けて、中に入り込んでいるのを発見。
突っかい棒をしたのだが、例年より多い屋根雪が落ちた拍子か、
物置小屋の戸の薄いアルミ板の下部に数箇所に裂け目が出来てしまった。
春になってから修理するとして、とりあえず猫が裂け目を広げて入り込まないように
トゲ板を挟んだりの対策をこうじていたのだが、
寒さがひどい夜は特に、ガサゴソと何かが動き回るような音がするようになった。
その度に懐中電灯を持って見回るが、物置小屋には何の変化もなかった。

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ゴトゴトガサガサは増々ひどくなり、どう見ても家の壁の中で何か動物が動いている音。
ネズミのような小さい音ではない。時々ドサッという大きな音もする。
猫の進入口があるのだろうか。
最初は換気扇の吹出し口を疑った。足場があれば小さな猫なら入れそう。
しかし調べてみたら、穴には金網が取り付けてあって動いた形跡はない。

家を立て直した時、元の古い家の一部を残して新しい家と繋げたのだが、
その繋ぎ目あたりの壁が一番うるさく、このあたりが疑わしい。
つぶさに見て回ると、何と・・・
古い部分の外壁の下に、細長く穴が開いていた!

ここはお隣の塀との間が人が通れないくらい一番狭く、上部の壁が少しせり出しているので、
下の方がよく見えず、今まで気がつかなかったのだった。
とりあえず細長い板を上下に重ねて穴をふさいだ。
この頃には既に、猫以外の何か夜行性の動物が侵入しているのではと疑い始めていた。

謎の動物が夜中に侵入するなら、今夜はもうこれで入れないだろうと思い、
夜になっても音がしないようなので少し安心していたら、夜中に壁の中でまた音がしだした。
今度はゴンゴンと各在に体当たりしているような音までする。
どうやら閉じ込めてしまったようだ。明け方まで時々ひどく暴れているような音。
安眠妨害も甚だしい。今我が家は色んな事が重なって、たいへん気ぜわしい最中なのに。

さて、どうしたら良いのだろうか。とにかく様子を見て、この状態を分析せねば。
他の家族は、家の中の物音のする壁と反対側で寝ているので、呑気に構えている。
というより、差し迫った色んな予定や行事で頭がいっぱいで、それどころではなさそう。


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 とは言うものの、早く何とかしなければ
 閉じ込められた動物が

 中で餓死でもしたらどうしよう、と
 気が気ではない。
 音のする範囲もだんだん広がっていくよう。
 謎の動物が慌てふためいているのかもしれない。 
 私だって途方にくれて、半ばパニック状態。



とはいえ、また穴を開け放したままにしておいて、一体何時出入りしているか、
何処をどのように行動しているか分からない動物の出没に怯えているより、
今のように所在が分かっている方が対処し易い気がする。

音がする度そこの壁を手で叩くとしばらく静かになって、それから別の場所からまた音がする、
の繰り返し。少しづつ壁の中の移動パターンが見えてきたような気がした。
この頃にはもうハクビシンではと疑って、ネットで色々調べてみた。
ハクビシン駆除業者がいるくらい、家に入り込むと厄介な存在らしい。
これ以上あまりどこでも動き回らないように、
ハクビシンが嫌うという竹酸を、壁に穴を開けて垂らしてみようかなどとも考えた。

3日目の夜、ドサッと大きな音がしたので、どこかから外に脱出したかと、
懐中電灯を手に、音のした所の外壁を見に行ったが何もいない。
穴をふさいだ板が動かされたのでは、と横手に回ると、
お隣の塀の上を、細長い尾の白っぽい猫のようなものが走って逃げていった。
しかし、穴を塞いだ板は動かされた形跡はなかった。

アルミ製のその塀の上部は、巾2cmもないくらいで、ツルツルしているので、
普通の猫は乗り越えることは出来ても、上を伝い歩くなんてできないだろう。
そういえば、この動物の姿を見たのは初めてではない。
庭から逃げ去るのを数度見かけて、見慣れない猫だなあ、と思っていたのだった。
謎の動物はハクビシンだと確信。

ヒヨドリが食べ残した、山茶花の枝に刺したリンゴやミカンが、
木の周囲の雪が溶けて少なくなった時に、夜になってから消えてしまうことがあった。
去年の春先もそうだったので、またネズミが来て食べるのかしらと、思っていた。
秋に熟した柿の実を、枝ごと折って食べたのも、どうやら犯人はこのハクビシンらしい。

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どこから外に出たのだろうと、もう一度見回ってみた。
穴の開いた壁の上方に、今はもう使ってりない換気扇の排気口がある。
この古い家の部分の内部の部屋は、物置代わりになっていて、
換気扇そのものは取り外してあり、取り外した後の四角い壁の穴は、
部屋の内側から板を当てて塞いであるのだが、
外壁に逆L字型に突き出した排気口がどうも怪しい。
ハクビシンが走っていたお隣の塀にも近い。覗いてみると、下部の網が半分破れている。
壁の中を伝って、ここからも出入りしていたのかもしれないと、
細い椅子を持っていって、何とかその排気口をガムテープでふさいだ。
(何の因果で夜中にこんなことしなきゃならないの。人が見たら泥棒と思うでしょうね。)

さっき外に出ていったのだから、さあこれでもう中に入れまい。
と騒音から開放されるのに期待したのだったが・・・・・・。

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     某動物園提供のハクビシンのフリー写真



最初は静かだった。ああやっと、と安心できるような静けさだった。
が、深夜、またあのゴトゴトガサガサが始まった!
以前よりうるさいくらいに。

ついには居間のTVの後ろの壁の中でガリガリひっかく音がするようになった。
今度こそ本当に閉じ込めてしまったのか。

ネットで調べたハクビシンの生態。
民家の天井裏に住み着き、その辺りをダニと病原菌の巣にする。
東京渋谷あたりでも出没し、ビルの上の電線を伝い歩いているらしい。
自分の頭が入る所なら、どんな小さな隙間でも通れるという。
猫よりずっと侵入を食い止めるのが難しそうな動物である。
天井裏の巣や、壁の中の断熱材にくるまっている写真などが載っていた。
捕獲された後のハクビシンを許可をもらって飼っている人のサイトには、
毛布の上に寝そべったり、人に抱っこされてトロンと甘えた目をした写真まで
掲載されていた。
しかし、ネコ科で可愛い顔をしているといっても、かなり獰猛らしい。


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この頃には、もうすっかりハクビシンに対して腹を立てていて、
一週間やそこらでは簡単に餓死しないだろう、などと思い、
音がする度、活動範囲がこれ以上広がらないようにと、近くの壁や床をドンドンと叩いて嚇した。
しかし、夜中ずっとこんな事をしているわけにもいかない。
何か対策を立てねば。
なるべく早く、この家を建てた建設会社や大工さんに相談してみよう。

そうして落ち着かないまま、3日目の朝突然ひらめいた。
暗くなってから穴を開け放って、その周りに小麦粉を撒いておく。
家の中で音がした、穴から一番遠い場所から、徐々に穴に近い方へ移動しながら、
家族総出で壁や天井を叩いてハクビシンを嚇し、穴から追い出すようにする。
外に回って見て、穴の周囲の小麦粉に足跡が付いていたら、ハクビシンが外に出た証拠。
即、穴をまた板で塞ぐ。
そうすれば、ハクビシンを確実に家から追い出すことができる。

一度でうまくいくか分からないが、やってみようということになり、夜を待った。
行動に移す予定の時間の前、みんな各々自分の用事をしていたが、
金魚の水換えの水を汲む音、炊事の音、TVの音、片付けの音など、
丁度、家の中は自然にいろんな音で充満していたので、今がチャンスかもしれないと、
穴を塞いだ板を動かして、小麦粉を撒いた。

20分程して、外でガタッという何かが倒れた大きな音がした。
急いで穴を見に行ったが、小麦粉の上に足跡はない。
しかし、横にずらした板の断面に、撒いた記憶のない小麦粉の点が付いていた。

周囲を見回っても、あんな大きな音たてるような物は何も倒れていなかった。
ハクビシンが外に出たかどうか判断に困ったが、
とりあえず、また板で穴を塞いでおいた。

3時間後、懐中電灯を持って庭の見回りをする。
作場の屋根の下に、金属の細い鉢置き台の上に小さなお盆を乗せて石で重石をし、
ヒヨドリたちが昼間食べ残したリンゴのかけらなどを置いて、
夜明けと共に鳥たちが食べられるようにしてあるのだが、
そのお盆が重石と共に遠くに吹っ飛ばされていた。
夜行性の動物が食べにこないように、そのお盆台の周囲には、
猫よけのトゲ板を敷き詰めて、ネズミなどが近づけないようにしてあったのだが。

脱出の機会をうかがっていたハクビシンが、空腹のあまりジャンプして
お盆に飛びかかって、リンゴのかけらをかっさらっていったように思える。
あの大きな音も、その時のものか。
とすると、ハクビシンは確実に外に出たということになる。

その想像は正しかったようで、
いつも音がし出す夜半過ぎになっても、音がしなかった!

その後、夜中に何か音がするような気がする度、びくびくしたが、
壁の中を這いずり回るような音は聞こえなくなった。
ようやく落ち着いて、ハクビシンが進入した後の状態を調べてもらったり、
穴を塞ぐための工事をお願いするために、この家を建てた大工さんに連絡した。

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音がしなくなったらゲンキンなもので、ハクビシンのことを色々思い巡らせる。
仙台若林区長喜城の屋敷林・イグネを紹介したTV番組で、
やはりハクビシンが出没して干し柿を食べていくと、屋敷林に住む人が語っていた。
とても牧歌的なエピソードとして扱われていた。
母屋ではなく納屋かどこかに住んでいて、家の人は騒音に悩まされることがなかったのだろう。

あの恐ろしい津波が仙台平野を襲った時、私が心配し続けたイグネは難を逃れたらしいが、
他の所の流された家々の天井裏で、昼間の眠りを貪っていて、
家と共に津波に呑まれたハクビシンも沢山いたかもしれない。
それとも、こんな野生動物は、不思議な勘でいち早く逃げ出していたのだろうか。






Posted by Ru Na - 2012.02.29,Wed
今日は四年に一度の閏日。
今年は7月に1秒の閏秒もあって、例年より1日と1秒長いと、今朝の新聞に載っていた。
宇宙の天体の軌道を人間の尺度で計算・定義した故の誤差であるが、
この「1日と1秒」に呼び起こされる言葉がある。
「永遠と一日」。
ギリシア映画の巨匠で、先月亡くなったアンゲロプロス監督の映画のタイトルである。

太陽の国ギリシアで、わざわざ曇りや雪の日を待って撮影してきたという監督作品の中では、
珍しく眩い陽光の下の海辺のシーンが印象的な映画。
癌を宣告された男が、亡き妻や少年時代の思い出と共に、最後の旅立ち支度をしていて、
偶然アルバニア難民の少年と関わり、物語が展開する。

何気なく過ごした時間が、もう取り戻せない失った愛するものとの、
あれが永遠の時であったと、常に消え去りゆく瞬時々に刻まれ続ける。
1秒が1分に、1分が1時間、1日と集積し、もうじきあの震災から1年。
時は流れるばかりで、止めることも逆行することもできない。
季節がめぐって同じ木に咲く花も、去年と同じ花が二度と咲くことはない。



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Posted by Ru Na - 2011.11.27,Sun
今朝は放射冷却で思い切り冷え込んだが、
午後の日差しは暖かで、庭のモミジが金色に輝いた。

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時は晩秋。
こんな穏やかな光に透いた葉を見ていると、
このように明るい色の髪をしていた友を思い出す。

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先日の、内川鎮守の森ギャラリーで、
久しぶりに会った旧友Nさんに、
共通の友人が亡くなったと聞いた。
もう4年も前のことだという。

長く音信不通になっていた
フランスの女友達。

最後に会ったのは、
仏留学から帰国した後
久しぶりに訪れたフランス
でのこと。
仏北東部のトロワの近くの
彼女の家を訪ね、泊めてもらった。


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高校時代からの知り合いのNさんは、いろんな仲間を集めて、廃校でキャンプしたり
海辺でバーベキューをしたりと、いつも何か楽しい企画を思いついては
人の輪を広げていく人なので、そんな遊び仲間の中に、
日本人男性と結婚して金沢に住んでいた彼女も、いつの間にか加わっていた。

私が仏留学する前は、彼女に仏会話を教えてもらったりもした。
当時は鼻が高いのを気にして、日本人のように低くなりたいと言っていた。
明るい色の細い髪の毛を私がほめたら、冬に生える髪は色が濃くなるのよ、
と笑った。
最初は日本語をほとんど話せず、あまり金沢の生活は好きではないようだった。
というより、男性に従う日本女性の慣習や、儀礼的な事が気に入らなかったらしい。
ボリス・ヴィアンの「墓に唾をかけろ」の詩が好きだった。


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パリから電車に乗り、彼女の住む町に向かう途中、
車窓にはなだらかな丘陵に色づいたぶどう畑が広がり、
まさしく黄金の秋の豊穣な風景。今でも目の奥に焼き付いている。

町の静かな一角にある新しいアパルトマンに、彼女は小さな娘さんと住んでいた。
日本人のご主人とは少し前に離婚したところ。
フランスに移ってから、仕事の関係かノイローゼ気味だったご主人が、
娘さんを道連れに自殺を図ったというショッキングな話をきいた。
まだ幼い娘さんの頬には、その時の傷が生々しく残っていた。

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  3人でトロワの町に出かけたり、
  夜は近所に住む友人宅に
  食事に招かれたりして
  楽しく過ごした。
  その時の皆の会話は、
  実存主義者の溜まり場だった
  私の知らない時代の,
  サンジェルマン・デュ・プレの
  カフェの香りがした。
 
 
  あんな大変な思いをしたのに
  生きることにとても積極的で、
  リベラルな良い友人達に囲まれて、
  私は安堵と共に頼もしさも感じていた。


 



「来年になったらトロワに引っ越して看護婦の研修を受けるのよ。」
と聞いて駅で別れてから、私は南仏や南独、ベルリンなどを駆け回り、各地の友人を訪ね、
アルビの教会では、ベトナム戦争従軍後にフランスに亡命したというハンガリー人の老人と
語ったり、クレルモンフェランの丘では、失業して物乞いをしているという青年と話し込んだり、
色んな風景と共に、様々な人生との出会いを山ほど抱えて、ひと月後に帰国した。


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帰ってから、お礼の手紙を書かねばと思いつつ、
次の展覧会の準備などに追われ、うかうかしているうちに日が過ぎて、
気がついたら彼女はもう新し住居に移っている頃。新しい住所は知らない。
翌年も、展覧会のためベルリンに行ったが、住所を知らぬままで連絡できなかった。
そのうち誰かに聞いたら多分わかるだろうと、呑気に構えていたら、
私を取り囲む状況も徐々に変化し、忙しさにかまけてそのままになってしまったのだった。

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すっかり大きくなった娘さんが、Nさんにその訃報と共に
- 私は日本が嫌いです。連絡はこれが最後です。 -
と知らせてきたそうだ。
長く便りせぬ金沢の友を、彼女は薄情だと怒っていたのだろうか。
もし再び会えたなら、話しかけたいことが沢山あるのに。

私は時々一緒に話したことを思い出すのよ。
いつか私が貸したジャン・コクトーの本はどうしたのかしら。
感想を聞くのを忘れていたね。
あの翌年に知人の紹介で、パリでボリス・ヴィアン基金を主催している
ボリス・ヴィアンの親友だった人に会いに行ったのよ。
いつか私の作ったラタトゥイユを、フランスの味そのもの、さまになってると褒めてくれたね。
あれはいつのことだったか、一緒に三小牛山の奥にカタクリの花を見に行ったでしょう。
近くの空き地で、ラジコンのヘリコプターを飛ばせている人たちがいたでしょう。
あの時の花と空の色をあなたは憶えていたかしら。
 
 
 

 






Posted by Ru Na - 2011.11.18,Fri
北陸の晩秋は鉛色の空に覆われた暗い季節のイメージがあり、地元の者も
そう思い込んでいるが、例年、11月には案外と天気の良い日の方が多いのである。
しかし今年の金沢は、11月に入ってから雨の日だらけ。
展覧会が終わったこの季節、問題だらけの体調の治療にしばらく専念せねばと、
幸い雨がそう降らない今日は、午後から二軒の医院をはしごした。


最初の医院から次の医院へ向かう途中、まだ時間があるので、
東京国立博物館所蔵の金春座伝来の能面・能装束展を見に、
能楽美術館に立ち寄った。


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加賀宝生と云うくらいだから、加賀はずっと宝生流だと思っていたが、
前田利家から4代までは、金春流であったと最近知った。
宝生流は5代綱紀から盛んになったという。
今は亡き伯父は、紀州から殿様に従いて加賀藩に来た太鼓師範の流れをくむ家の
出自であるが、そちらの方は観世流だったというから、加賀の能楽も一筋縄ではいかない。

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金沢で生まれ育つと、能楽がとても近しいものに
思えるけれど、能面などを日頃手軽に見ることも
なく、知識が豊富な訳でもない。
せっかくのいい機会に、古くて重厚な能装束や
能面をたっぷり眺め、扇のデザインを楽しんで、
金春が秀吉の下で大いに発展したことを
この展覧会で知った。




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  旧県庁舎の
  しいのき迎賓館の前では、
  雪つりの作業中。

  いよいよ冬が近い。



 

  横の広場に、どこから来たのか
  猿回しの芸人がいた。
  最初はまばらな見物人も、
  可愛らしいお猿がでんぐり返ったり
  竹馬に乗ったりしていると
  どんどん増えて、やんやの喝采。




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中央公園横のアメリカ楓はもう散り始めている。

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玉川公園の様子。

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雀の群れが紅葉した葉むらにもぐり込んで何かつついていたけれど、
一体何をついばんでいたのかしら。






Posted by Ru Na - 2011.08.20,Sat
ペンギンの池からしばらく行くと、フラミンゴが群れている一角があった。

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雨に降られた後の羽づくろいに忙しそう。フラミンゴに会うのは久しぶり。
昔留学していた南仏の、ローヌ川が地中海に注ぐ河口の湿原、カマルグで
見ていたフラミンゴより、何だか小さくて色が濃い。
と思ったら、チリーのフラミンゴだった。

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何と鮮やかな緋色!

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閉園まであまり時間がないので、先を急ぐ。
リスザルが興味深そうに、檻の中から我々に近づいてきた。
ハクビシンの隣にタヌキ、子供は小さくて痩せていてタヌキらしからぬ感じ。
キツネは木のうろから目だけ覗かせていた。

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もっとゆっくり見たいのに、いつも最初にのんびりしすぎて、時間が足りなくなる。
郷土動物館を駆け足で見て外に出ると、小さな池の縁に丸い頭が一瞬ぬっとのぞいた。
カワウソ?! もう一度出てきてと、目を凝らしていると、いつの間にか
私のすぐ足元に駆け寄ってきて、柵の中からこちらを一生懸命見上げていた。
何か訴えるような目をしていたのは、私をお世話係と間違えたのかしら。

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もう閉園のアナウンス。ミーアキャットの家を未練がましくのぞく。

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小さい子達が沢山。
この四月に生まれた
子供らしい。
元気よく草か何かを
食べていた。









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ガチョウやインコを横目で見ながら園を出た。
結局、全体の四分の一位しか見られなかった。また機会を見つけては、
何度も訪れたい所である。




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