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Posted by - 2024.04.24,Wed
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Posted by Ru Na - 2011.02.19,Sat

今日の朝日新聞に、久しぶりに吉田秀和氏の「音楽展望」が載った。
大相撲についての文章だった。
吉田秀和さんの大ファンの私は、かねがねその心洗われるような美しい文章の随所に
書かれた大相撲についての話で、氏の大の相撲好きを知っていたので、
今回の大相撲八百長事件に、氏がどんなに心を痛めていることかと、
気が気ではなかったのだけれど、
渾身の力で立ち直って欲しいという、氏の力強いメッセージに、安堵の心地がした。

今日はまた中日新聞の夕刊にも、吉田秀和氏が最近完成させた歌曲と自伝を重ね合わせた
著作四部作、「永遠の故郷」についてのインタビューが載っていた。
私はまだその最終章を読んでいないけれど、シューベルトの「菩提樹」で
しめくくられているらしい。
そしてやはり、「菩提樹」というと、どうしてもトーマス・マンの「魔の山」。
戦争を知らない私でさえ、「魔の山」の終章をすぐ思い起こしてしまう。
氏はご自分の戦争体験と重ねての一文を書かれているというので、
ますます早く読まねばという気になった。

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シューベルトといえば、昨夏アレルギー性皮膚炎がひどく悪化して
指が腫れあがってしまう少し前、ピアノソナタの一曲がやたら頭の中に流れて離れず、
弾けもしないのに楽譜をひっぱりだしては鍵盤を押していた。
№13 D.664 イ長調ソナタである。
-シューベルトには死のにおいがする、だから面白い。- とは、
ピアニスト内田光子がシューベルトのピアノソナタ連続録音に臨んでいた頃の言葉。
確かにピアノソナタには、即興曲よりどうしようもない暗さもあるが、
それは何か健康的な暗さで、ブラームスの音楽にみられる人間の深い憂愁とは
異なるもののような気がする。
ベートーヴェンに心酔していた彼の音楽には、規模の大きさや広がりを感じさせる
響きもあり、さらに抽象的な和音やロマン派の先駆者らしい旋律もある。
ベートーヴェンが濃い緑の森とすると、新緑をわたる風のような爽やかさや、
小さな野の花のような素朴さと愛らしさも見せてくれる。
D.664は、そんな若緑の曲。

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楽曲のアナリゼができるような、音楽の専門知識があるわけではないが、
たまには素人の横好き解釈だってしてみたい。

第1楽章は思わず歌をく口ずさんでしまうような心楽しげな足取りで始まる。

resize2273.jpg明るい気分の散歩に、
第2主題(?)の美しい旋律が、
さざ波のように揺れる三連符の
伴奏の上に、まるでごく近い時の
優しい思い出が、心にふと
湧き出るように流れる。鈴を振るような
愛らしいメロディーである。
短調に変わった同じ旋律が、
今度は低音部に現れる。
それから、そこはやはりシューベルト。
和音の連打があって、展開部へ。
右手も左手もオクターブに開いた音階が上昇してドラマチックに盛り上がる。
再現部に戻って、めでたしめでたし。

2楽章はアンダンテ。
和音の連なりで始まる。この2楽章だけは以前から知っていた。
ピアノを習っていた子供の頃の教本、ソナチネアルバムの後ろの方に
付録のように載っていた色んな小曲に混じっていたのだった。
なにしろ練習嫌いで、下手くそで、ソナチネをちょっとかじっただけのレベルで
やめてしまったピアノだったが、後年また弾きたくなって自分で練習を始め、
昔の教本をおさらいしていたら、この曲に出会った。
表記は4分の3拍子だが、旋律はまるで4分の4拍子のような感じがして、
簡単そうなのに拍子が取りにくい。
優しくてきれいな曲だけれど、なにか不安定で落ち着かない不思議な曲だと思っていた。
それもそのはず、ソナタの中間楽章で、前後の楽章にはさまれてはじめて
その性格がはっきりするものだった。

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 河の岸辺の草地に座って、
 流れているのかいないのか
 分からぬようなたゆたう水面を、
 ぼんやり見つめながら
 物思いにふけっているような、
 そんな楽章。
 シューベルトらしく
 長調と短調の間を行き来するのは、
 嬉しさと憂いの間を揺れ動く
 青年の心のよう。



3楽章は再びアレグロ。
移ろいやすい青春の心は、ここにきて一気にはじける。
やわらかな草におおわれた丘を一息に駆け下り、軽やかな足取りで
草原を踊るように走り興じている。

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駆け上がったり駆け下ったり、
そして、これで全てはよいのだ、
といったふうの、
印象的なフレーズが
肯定的に繰り返される。
フランツさんご機嫌ですね、と
思わず声をかけてしまいたくなる。





緑の一陣の風に吹かれたような、こんな爽やかさは、シューベルトの曲に時々現れる。
明暗が人の心の内というより、自然の風景の光と影のように思われるのが、
彼の音楽の味わいなのかもしれない。

 




 

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Posted by Ru Na - 2011.02.08,Tue
何かをしている時、よくラジオのNHK-FMをつけっぱなしにしている。
今日の午後、ベートーヴェンのピアノソナタ№26「告別」が流れてるなあと、
何気なく聴いていたら、なんだかとても面白い弾き方。
タッチはとても軽く、一音一音がはっきりして光の粒のようにキラキラしている。
まるでグレン・グールドみたい。でも、ところどころペダルを効かせているので
G・グールドとは違う。全体の構造がくっきりしていて、知的だけれど情感もある。
軽やかだけど近頃の若いピアニストのように音が薄いのでもない。
一体誰が、と曲が終わって演奏家の名が告げられたら、それはアンドラーシュ・シフだった。
そういえば、先日もシフのベートーヴェン№28をラジオで聴いて、
たいそう感銘を受けたのを思い出した。

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アンドラーシュ・シフといえば、80年代よくNHKでシューベルトのソナタを弾いている
番組をやっていて、何度か録画し何度も視聴したけれど、
どうも冗長でぼやっとしていて、そのおかげでシューベルトのソナタは冗長で
シフは冗長なシューベルト弾き、という印象が長く植え付けられていた。
それが変わったのは、「20世紀の名ピアニスト」という200枚セットのCDボックスを
入手した10年前。
その中のシフの、バッハのインベンションを聴いて、その面白さに正直驚いた。
なるほどG・グールドの弟子と自称しているらしいのも納得できた。

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G・グールドは33歳でコンサートを引退する前、ヨーロッパツアーを行ったが、
ウィーンでのコンサート会場の熱狂的な聴衆の中には、あの、若き日のA・ブレンデルが
居たというし、各コンサートの海賊版が、直後に鉄のカーテンの向こう側、
東欧のラジオから流されて、それを東欧の若いピアニストたちが、むさぼるように聴いていた
中の一人がシフだという。

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20世紀のとてつもないピアノの巨人たち、リヒテル、ギレリス、ホロヴィッツ、
ルービンシュタイン、ミケランジェリ・・・・が、そして、グルダが逝って久しくなる。
ブレンデルは引退表明し、アルゲリッチはあまりソロ活動しなくなり、
ガブリーロフやプレトニョフは指揮者に転向し、
とんでもない演奏を聴かせてくれる大御所が少なくなったような気がしていたけれど、
これからはシフに注目してみよう。楽しみになってきた。

resize0656.jpg

Posted by Ru Na - 2010.09.27,Mon
5日くらい前からやっと秋らしく涼しくなって、指の腫れも少しひいてきた。
もう一月以上お箸さえ持てず、スプーンとフォークでの食事。
ただでさえ年中指の腫れや亀裂に悩んでいるのに、
今年の猛暑で、アレルギー性皮膚炎がひどく悪化して、
特に右手指が1.5倍に膨れ上がって、無数の穴が開いた状態のままいつまでも治らず、
とはいえ、何をするにも指を使わないわけにはいかず、
テープ(絆創膏)をあちこちに貼り付け、四苦八苦しながら日常の事をこなしてきた。

自己流で引き続けているピアノも、ついにどんなテープの貼り方をしても
痛くて鍵盤が抑えられない指の方が増えてきて、
一体どうやったら弾けるのか分からなくなっていた。
しかし、基礎も、指の柔軟さも長さも足りない私が、いったん練習を中断したら、
もう、完全に弾けなくなってしまう。

たとえ1日30分程度でもと、左手中心に鍵盤に向かっていたが、
右手が使えないと、本当につまらない。
いつもは、ベートーヴェンの32曲のピアノソナタを、毎日ちょっとづつ
弾いて (というより、あまりにも下手なので、楽譜から音をひろって鍵盤を押しているだけ、
と言った方が正しいが。) いるのに、
到底ベートーヴェンが弾けそうもない有様で、
仕方がないから、左手+アルファで弾ける曲を探し、ショパンの“雨だれ”や
シューベルトの“セレナーデ”、そして中間部だけは右の2~3本指で旋律がとりあえず弾ける、
ショパンの“幻想即興曲”など、ああ、今日もまた“雨だれ”か、ベートーヴェンが弾けないと
ストレスが溜まる、治ったら思い切り“ワルトシュタイン”を弾いてやる、(というより、押してやる。)
と思いつつテープの糊がくっついてベタベタになった鍵盤を触ってきた。

そして、腫れが少しひいた4日前、久しぶりにベートーヴェンの№31を弾いた。
とはいえ、もともと下手で充分弾けない上、全ての音符が押さえられるには到らないのだが、
2日続けて、とりあえず最後まで弾いた(というより、押した。)。
次の日、また指の悪化。そして、今日はまた少しだけましに№31の半分を弾いた。

天気予報によると、10月に入ったらまたしばらく真夏の暑さに戻るというが、
さて、どうなることやら。
鍵盤が使えないと、映像作品用の曲作りがしづらく、本当に困ってしまう。

この、ベートーヴェンの特別な曲、最晩年の3大ソナタについては、
後日改めて書きたい。

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Posted by Ru Na - 2010.08.22,Sun
先のブログ記事を書いていたら、
つれあいから更に写真が届いてた。
ネットの状態が悪くて、一度に送れなかったという。

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  グールドが住んでいた
  アパルトマンのある建物













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 その入り口







                  

GG10.jpg




    中心街にはこんなストリートが。










711ac89a.jpeg




グールドが晩年に使用していたヤマハの
ピアノが置いてあるロイ・トンプソンホール
そのピアノで、ゴールドベルク変奏曲を録音した。








267deb3a.jpeg




 「グールドのお化粧」
 カナダ放送局前のグールド像が
 店のウィンドウガラスに映って....

 と思ったら、放送局建物の内部
 にある、グールド像制作の時の
 写真だそうです。







つれあいが、「“何か”と一緒にグールドのお墓の写真を撮ってきたよ。」と言っていたけれど、
その“何か”とは、日本から持っていった小さな鴨の人形だった!
「我々の分身鴨」などと呼んでいたものなので、これで私もお墓参りしたも同然。
ちなみに左下の小さなリス人形と、どんぐりは、誰か別の人が置いて行ったものらしい。

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Posted by Ru Na - 2010.08.20,Fri
Mon mari a visite a Toronto de Glenn Gould

今仕事でカナダに行っているつれあいが、トロントに立ち寄って、
グレン・グールド所縁の場所を訪ねた。

天才ピアニスト、グレン・グールドについて、語りだすときりがない。
コンサートの舞台に初めてネクタイなしで現れたピアニスト。
人気の絶頂期に、32歳で「コンサートは死んだ。」と宣言し、コンサート活動を一切やめ、
スタジオ録音によるレコードや、自分でプロデュースしたTVやラジオ番組などで、
その活動をメディアにより発信した初めてのピアニスト。
スタジオにこもって、自分が納得できる演奏ができるまで、テイクをくり返し、
珠玉のレコードを沢山残した。

その曲の解釈が、いつも物議をかもした。
極端にテンポの遅い、モーツァルトやベートーヴェン。
楽譜の強弱記号やくり返し指示の無視。
とても低い椅子に座り、うなりながら弾く演奏の姿勢。
暑い日でも、厚いコートにマフラー、手袋に身を固めていた姿。
エキセントリックな奇人、と見られていた。
82年に50歳で急逝した。

以上が、グールドについてよく語られていること。

GG01.jpg
   
     カナダ放送局前の、G.グールドのモニュメント


グールドの生前、私も名前は知っていた。
美大の同級生が、歌いながら演奏する変わったピアニストがいる、と
レコードを聴かせてくれたこともあるが、あまり記憶に残っていない。

後に、別の友人がグールドのベートーヴェンをダビングしたテープを2本くれたが、
正統派のベートーヴェン弾き、例えばバックハウスなどと聞き比べて、
その突飛さを、時々おもしろがっている程度だった。

10年ほど前、つれあいと車で富山県の桜ヶ池に出かけた時、このテープを持参し、
道中くり返し聴いていたら、そのノリの良さはまるで長唄みたい、と耳が離せなくなり、
さらに聴き続けるうち、ピアニストの非常な集中力と真摯さが伝わってきて、
これは、ただ変わった演奏をしようなんて思ったウケ狙いなどではなく、
曲の分析と解釈を、自分の感性を信じてとことん追求した、とんでもない演奏だということが、
しだいに私にも分かってきた。

それからというもの、グールドのCDはほぼ全部揃え、グールドに関する書籍も集め、
現在手に入らないものは、図書館で探し回り、すっかりグールディアンになってしまった。
知れば知るほど、その魅力に惹かれ、さらにもっと知りたくなる。
グールド書簡集や著作集を読めば、ユーモアと思いやりに満ちた暖かさの中に、
並々ならぬ知性と明晰な頭脳を感じ、
どんな時でも、彼の演奏を聴くと、渓流にほとばしる清冽な水しぶきを浴びたように、
清浄な心地がする。
グールドのピアノを聴いていると、ちょうど無邪気で無心な子犬が走り回っているような、
何か比類ない無垢なものが、その音色に含まれているのが感じられる。

没後30年近くたっても、彼に関する研究書の出版は、後を断たず、
時たま未発表の音源も出てきたり、CDは売れ続けている。
彼は奇人なんかではなく、野生の動物や鳥のように、
只々純粋に生き物としての生を、虚飾なく生きていたのだと、そして、
人間の中にもいくらか残っている真の生(き)の部分に触れるので、
これほど多くの人の心を摑んで離さないと、私には思われてならない。

55年に、それまであまりメジャーな曲ではなかったバッハのゴールドベルク変奏曲で、
世界にセンセーションを巻き起こしたグールドは、
亡くなる前に、滅多にやらなかった同じ曲の再録音を、このゴールドベルクで行った。
20世紀指折りの名盤となり、グールドの墓石にも、この曲の冒頭が刻まれている。


GG05.jpg



















諸事情で家を数日空けることが難しいので、近頃なかなか海外には出かけられないけれど、
いつの日にか、私もグレン・グールドが生きた街、トロントを訪ね、その空気に触れてみたい。
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