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Posted by - 2024.04.18,Thu
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Posted by Ru Na - 2011.12.25,Sun
「G.G. シークレット・ライフ」によれば、グレン・グールドがコーネリア・フォスと知り合ったのは、
コーネリアの夫、ルーカスを通じてであった。

ルーカス・フォスは有能な指揮者・作曲家で、レナード・バーンスタインとも親しく、
彼と演奏会のリハーサルをしている時に、突然グールドが現れた。
その少し前にフォス夫妻が車に乗っていると、カーラジオからG.G.のゴールドベルグ変奏曲が
流れ、ルーカスは思わず車を停めて聴き入っていた。
グールドもルーカスを尊敬していて、二人はすぐ親しくなり頻繁に電話で話したらしい。

resize3560.jpg

 

 グールドは指揮者レナード・バーンスタインと
 親しくしていて、何度か共演している。
 左は物議をかもしたコンサート、
 ブラームス・ピアノ協奏曲No.1のCD。
 テンポに対する二人の意見が合わなくて、
 バーンスタインが演奏前に時々していた
 スピーチでその事を話したら、
 新聞に「誰がボスだ!」と、
 スキャンダルとして書かれてしまった。
 映画でも大きく取り上げられている。









この交友の中で、次第にグールドとフォス婦人、画家のコーネリアは惹かれ合っていき、
フォス夫妻が破綻寸前になった時、コーネリアは二人の子供を連れてグールドの元に走った。

「夫は笑って送り出してくれました。なぜ笑うのと聞いたら、君はいずれ戻るだろう、
と答えました。」 と映画の中でコーネリアさんは語っていた。

resize3575.jpg

ルーカスは妻を取り戻すまで
4年以上待たなければならなかった。
グールドは夫妻の離婚が
成立しだいコーネリアと正式に
結婚するつもりでいた。

グールドは子供たちを
とても可愛がり、
映画の中でも大きくなった二人が、
とてもなつかしそうに、
もう一度会いたかった、と
語っていた。


いろんな理由で、やはりこの天才と一緒に生活するのは無理と判断した彼女は、
子供を連れて夫の元に帰っていった。
可哀想なG.G.。ずっと諦めきれなかったらしい。
74年初夏、グールドは長い道のりを車でとばしてコーネリアに会いに行っている。
それからもこの別れはグールドにとって長く尾を引いていたらしい。

75年グールドはソプラノ歌手、ロクソナーラ・ロスラックを、カーラジオを介して
見出し、その後ヒンデミットの歌曲「マリアの生涯」を一緒に録音している。
控えめで内気な性格だったらしいウクライナ系の彼女の緊張は、グールドの優しい心遣いや
ユーモアで完全に解きほぐされたのだろう。
そしてまた一枚、グールドの傑作のレコードが世に出たのだった。

resize3561.jpg

このCDジャケットの写真はとても印象的で、まるで恋人同士のようと思った人も
多かったらしい。
実際二人は心を通わせるようになったらしいが、控えめなロスラックは多くを語りたがらず、
今だに二人は本当に恋人同士だったのか、友人たちにも謎らしい。
ただ、この写真をレコードジャケットに使うのに、グールドはとても積極的だったというから、
自分の元を去った女性たちに見せたかったのかもしれない。

グールドの奇行とされている事のひとつに、今まで親しかった人との交友を、
突然一方的に断ち切る、というものがある。
断交された側は、その理由も分からず戸惑うばかりだったらしい。
この事をもっても、グールドはアスペルガー症候群だったと断じる人もいるが、
本当のことは分からない。
私には、野生動物が何かの拍子に人に好意的になり、何かの拍子にふいっと
いなくなるという、人間の頭では理解不可能な行動に出るような、
そんなふうに思えてしまう。

「グレンは年取った家畜や、役に立たなくなった動物たちが安心して幸福に暮らせる場所を、
どこかに作りたいと、いつも夢見ていました。」 (グールドの従姉妹、ジェシー・グレイク)

その候補地、お気に入りのマニツリン島にグールドはロスラックを案内している。
草地が広がる自然の天国で、二人は牛たちにマーラーを歌って聞かせた。
その映像が映画にチラッと出てきて、TV番組「グレン・グールドのトロント」の、
動物園の象の前でグールドが歌う場面に移ってゆく。

resize3550.jpg
ロスラックも一方的に
その交友を断ち切られた。
それでもグールドとの
暖かい思い出を、大切に
し続けているという。

映画の中で、現在の彼女が
話す姿を見たが、どこか苦しげで、
本当はこんなふうに公に
ひっぱり出されるのが
辛かったのではないかと
思ってしまった。
高音域の歌手の地声が
低いのも、ちょっと意外だった。


映画の後半には、
プロコフィエフのソナタ、
ブラームスのバラードなどが
使われ、シベリウスも流れる。

続いて登場するのは、ペトラ・クラーク。
グールド・ファンなら誰でも、彼がバーブラ・ストライサンドやペトラ・クラークの
大ファンだったことを知っている。
私は、ストライサンドはともかく、ペトラ・クラークがどんな歌手か知らなかったが、
「ダウン・タウン」は聞いたことがある。
グールドのラジオ・ドキュメンタリーに取り上げられたペトラは、
「会ってみたかった。会えばきっとお互いに得るものが沢山あったでしょう。」
と言っている。
彼女はグールドの葬儀には加わっている。

とてもナイーヴに進行してきた映画だけれど、途中から役者がグールドの格好をして
歩く遠景が挟まれる。
別の映画「グレン・グールド ロシアへの旅」でも同様だった。
あれはやめて欲しいものだ。

ゴールドベルグで始まった映画はゴールドベルグで終わる。
丁度グールドの短い人生のように。
グールドの眠る墓地では、友人が花を捧げている。
そう、このように彼に関わっていた人たちがいつも訪ねているのだと気づくと、
去年、私の分身鴨(つれあいが私の代わりに連れていったカモの人形)が、
お墓参りをしてきたのが夢のように思われる。

アリア・ダ・カーポが静かに終わると、エンディング・ロールに、
グールドが作曲した、「フーガを書きたいの?」が流れて、
世界がグールドを失った悲しみの気持ちが前向きな気分に変わって、劇場を後にした。

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「G.G. シークレット・ライフ」には、
映画に出ていた女性たちの他に
グールドが恋した何人もの女性の
ことが書かれている。
それではこの実らなかった恋が、
彼の演奏にどのような影響を
もたらしたのか、
レコーディングされた曲と
色んな出来事の年代を、
少し照らし合わせてみた。




ピカソは奥さんが変わる度に、その表現スタイルが変化していった。
そこまで顕著ではなくとも、これらの恋愛によってグールドの演奏に何か特別な変化が
現れているだろうか。
グールドの音楽は常にグールドである。しかしこれらの事を多少心に留めておくと、
微妙に移り変わっていった演奏の謎を解く手掛かりにあるいはなるかもしれない。


 -第4回につづく-





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