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Posted by - 2024.04.18,Thu
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Posted by Ru Na - 2011.08.22,Mon

翌18日は、福井方面へ。三国にあるラヴェンダーファームを目指した。

私は蚊にひとつ刺されるとアレルギー性皮膚炎がひどく悪化する。
なのに蚊は私がとっても好きらしく、何人も一緒にいても私に突進してくるのである。
アレルギーの関係上、蚊除けスプレーなどの薬品は使えない。
それでいつも、ラヴェンダーエッセンスを水で薄めたものを、蚊除けスプレー替わりに
使っている。

つれあいが北海道に出張する時に、ラヴェンダーエッセンスを買ってきてもらうのだが、
毎年北海道に行くわけではないので、どこか近場で手に入ればいいと思っていた。

去年の秋、敦賀に行く途中立ち寄ったS.A.で、ラヴェンダー蒸留水なるものを
手に入れたら、それがなかなか使いでがある。
それを作っている所に一度行ってみようということになった。

花の季節は終わっているし、果たして販売所が開いているかは分からなかったけれど、
福井との県境も魅力的な風景がたくさんある。
北潟湖畔の道を行き、芦原温泉を抜けて三国町のラヴェンダーファームにたどり着いた

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曇空の下、地平を覆うようにラヴェンダー畑が広がっていた。
きれいな声のさえずりの主を探すと、電線にとまったホオジロが目に入った。
双眼鏡で覗いていたら、農作業をしていた男性が近づいてきて、
「鳥を見に来られたのですか。」と声をかけてきた。それがこのファームの農場主だった。

resize3053.jpgひとしきり鳥について
話し込んだ。
農場主は、以前は野鳥に
興味がなかったけれど、
畑仕事をしていると
いろんな鳥がやって来るので、
自然鳥の名も覚えるように
なったという。
ノスリはしょっちゅう来るし、
オオタカが舞うこともある。
近くの小川には
カワセミもいるし、
畑にはヒバリが沢山
巣をつくるらしい。
ただ、カラスやトビにすぐ卵やヒナを盗られるので、無事に巣立ちできるヒナは少ないとのこと。

手造りの小屋の販売所でラヴェンダーエッセンスと蒸留水を買う。
花の季節には、この小屋の中でずっとラヴェンダーの花を蒸留し続けるのだと、
写真を見せてくれた。
蒸留した水の上にできる油の皮膜がエッセンス、その他がラヴェンダー蒸留水に
なるのだそうだ。

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 冬に20cm位雪が
 積もるという畑には、
 今でも少し
 花が咲いていた。








農場主に教えてもらった鴨池、冬になるとアメリカヒドリガモやミコアイサが見られるという
加戸の大堰に向かう。
ここに来る時に横を通り、気になっていた池である。


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 水草や蓮が水面を
 びっしり被って、
 奧の方には
 ダイサギやチュウサギの
 白い姿が点々とある。
 カルガモも
 混じっていた。









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水路のように見える水面の所々に、水の輪ができている。
大きなコイかフナがいるよう。


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Posted by Ru Na - 2011.08.21,Sun

富山ファミリーパークは4時半閉園。
夏はもう少し長く開園して欲しいと思うけれど、動物たちは暑さで疲れるので、
早く休みたいのかもしれない。
せっかくここまで来たのだからと、近くの白鳥城址に行ってみることにした。
呉羽の梨園が連なる丘陵を行くと、ハシボソガラスがやたら群れていた。
何か特別美味しいものでもあるのだろうか。

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山道に入ると、
下では33℃くらい
あったのが、
涼しくなってきた。

赤土の小山が
白鳥城址。
裾の方は
階段の整備中。
赤土で滑る崖を
登り、階段を上がると、
広々と草に覆われた
北二の丸跡に出た。




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さらに登ると、本丸跡。こちらは少し狭く、中央が小高い丘になっていた。
昔はここに祠でもあったのだろうか。

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 現在は国土地理院の
 計測地点になって
 いるよう。










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本丸跡からの眺めは、
広く富山平野が見渡せる
絶景である。

説明の看板を読むと、
1183年、源義仲の武将が
ここに陣を張ったのが
最初の記録で、その後も
古文献に度々登場。
豊臣秀吉が佐々成政攻めを
した時も、ここに陣を張り、
その時代の遺物が
多数出土しているとのこと。

今はさり気なく山に隠れているけれど、ここは歴史の重要な舞台だったと、
時の向うに思いを馳せ、しばし戦国武将のときの声を聞くような心地がした。

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金沢への帰路で、ものすごい豪雨に遭った。
高速の前を走る車もよく見えないほどの白い雨の線に囲まれてしまった。




Posted by Ru Na - 2011.05.17,Tue
海際の住宅地を通って南下し、九十九湾を目指す。次第に空が暗くなり、
道が内陸部に入り込んだあたりで、ぽつぽつ雨が降り出した。
九十九湾の北側に着いた頃には夕暮と雨で薄暗くなっていた。

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 左の奥。
 その日最後らしい
 遊覧船が出るところ。
 

 晴れていれば
 透明な海の色が
 とてもきれいな筈だけれど
 今は灰色っぽくて
 水底もあまり見えない。




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湾に沿って車で進むが、行き止まりになってしまった。
ちょうどその時、目の前の防波堤の後ろから小鳥が舞い上がって電線にとまった。
海水に浸かったのか、やたら羽毛をふるっている。
何の鳥?  何とイソヒヨドリだった!! ずっと会いたいと思っていた鳥!

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引き返し、別の道から湾の中ほどへ。
メインの水中遊覧船の船着場があるが、もう人気もなかった。

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こんなこぢんまりした
所だったかな。

子供の頃、父が穴水に
単身赴任していて、
夏休みには穴水の宿舎が
我が家の別荘のようだった。
そこを起点に、能登の方々を
周り、父が金沢に戻った後も
夏は毎年のように
能登に出かけた。




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岩場の海で、ヤドカリや小さなカニと遊ぶのが何よりも楽しみだった。
青にあるいは緑に澄んだ水底をのぞくと、目眩がするほど深みまでよく見え、
吸い込まれそうで怖いのだけれど、目が離せなくなっていた。
別世界のような深い水底を、畏怖で凍りついたように見つめていた感覚が、
心の最も奥まったところにいつも沈んでいて、海の夢をよく見る。
海に恐れを抱きながら、私は海にいつも焦がれている。

珠洲や九十九湾に来たのは、子供時代以来のこと。
中でも九十九湾は、海中が見える遊覧船に乗って海の中をのぞき、
水の深さと透明さに最も魅せられた思い出の場所である。

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穴水の山中を通って金沢への帰路についた。

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Posted by Ru Na - 2011.05.15,Sun
木ノ浦海岸を通って、         resize2635.jpg
途中小さな塩田をいくつも見ながら、
能登半島最北端の禄剛崎に到着。



昼食をとりに、道の駅の
広い駐車場に面した食堂に入ると、
レジの横の土産物コーナーに
穴の開いた白い小石が積んであった。
店の人にたずねると、
禄剛崎の崖の下の海岸で拾ってきた、
ここでしか見つからない石だという。
「お天気石」と呼んでいるのは、水にぬれると黒くなるからだそうだ。
波が作った形と穴がおもしろくて思わずいくつも買ってしまった。

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 この辺りの海岸は
 岬をひとつ回って
 隣の浜に行くと
 石の種類がみな
 違ってくるのだそうだ。

 いろんな花が咲く
 急な坂道を登って
 灯台へ。



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今は無人の灯台の周囲から
ぐるりと海が見渡せてとても爽快。
水平線が弧を描いていた。地球は丸い。

「日本列島ここが中心」という
石碑もあった。

ひろびろとした水平線から、崖下に
目を移すと白い洗濯板のような岩場。
その端にたたずむアオサギが
点のように小さく見えた。






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道の駅で、甘すぎず絶妙な味の豆乳ソフトクリームを食べてから出発。
金剛崎の山道を通る。谷間の民家の壁には-原発反対!-と大きく書かれていた。
古いものらしく、白いペンキが剥がれかかっていた。
よくぞ闘いました。珠洲原発の建設を阻止できて本当に良かった。

途中工事中の迂回路を通ったら、道に迷ってしまった。
ぐるぐる回って、何とか海沿いの道に戻る。(このあたりはもう内浦)

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 蛸島のあたりの小さな川から
 海に泳ぎ出るコブハクチョウを
 目撃。
 野生のコブハクチョウは稀らしい。 
 あなたはここの住民?
 それとも迷い鳥?
 何処から来たの?
 海に浮かぶ網の塊を
 さかんにつつく姿は
 なんだか寂しそう。



恋路海岸のはずれ、見付島にたどり着く。

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いきなり海の中にこんな巨岩がある光景は、不思議な感じがする。
軍艦というより、頭の巻き毛が伸びたトロールのよう。
Posted by Ru Na - 2011.05.14,Sat
輪島の街を出て、珠洲方向にしばらく行くと、あの有名な千枚田。

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resize2627.jpg ここには子供の頃
 来たはずだし、
 TVのニュースでも
 時々見ているけれど、
 一枚の田んぼが
 こんなに小さかったかしら。
 これでは田植えも
 稲刈りもとても大変そうで、
 成る程、人手を確保するため
 駐日大使館員の家族の
 田植え体験会など、
 毎年いろんな企画で
 人寄せするはずね。
 と思った。





さらに進むと曽々木海岸。岩場の海の絶景が続く。

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窓石と静かな浜。
外浦なのに波は穏やか。




波の花が舞う冬になると
落水が空に向かって
吹き上がるという垂水の滝。






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このあたりの波打ち際は緑色をしている。
よく見ると、緑なのは水ではなく岩や石の色。

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右は波の浸食で形造られたという、ホタテ岩。
このあたりの遊歩道は、数年前の能登沖地震の影響で通行止めになっていた。






Posted by Ru Na - 2011.05.12,Thu
翌7日は朝から初夏のような暑さ。
まず輪島の朝市をぶらついた。

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 昔美大のスケッチ旅行で
 来た時は、ほとんどが
 魚など海産物の屋台だった。
 次に訪ねた時は、だいぶ
 観光客向きの店が増えていた。
 今は漆器の店や
 土産物の店が
 海産物の屋台より
 多いくらい。




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色とりどりの布で編んだ草履を売る
おばあさん達があちらこちらにいて、
おしゃべりに興じている風景は
相変わらずだった。








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 朝市通りにある
 イナチュウ美術館に
 初めて入ってみた。
 輪島塗の最大手・稲忠の
 社長のコレクションで、
 ヨーロッパ宮廷美術が中心。
 ルーベンスの大作を購入した
 時は大きな話題になった。



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 テーブルの上にある
 3点の銀器は、
 ルードヴィヒⅡ世が
 使っていたものという。


 豪華絢爛な展示
 だけれど、
 玉石混交のよう。
 鑑定価格を
 大きく表示している
 のが可笑しかった。



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Posted by Ru Na - 2011.05.11,Wed
5月6、7日の二日間、車での能登半島一周旅に出かけた。
能登有料道で穴水へ。それから内陸を通って外浦の西保海岸に向かった。

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 さわやかな新緑に囲まれた
 男女滝。
 ウグイスのさえずりが
 谷間に響きわたっていた。

 ひとたび天が怒ると
 大災害をもたらす水だが、
 私は水のある風景に
 なぜかいつも心惹かれる。

 




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そこから曲がりくねった道を進むと、海からの風を防ぐ間垣の集落、大沢に出る。

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これから輪島まで能登最後の秘境と言われる西保海岸。
海に落ち込む切り立った崖の高台に沿って道が続く。

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 崖下にはところどころ
 奇岩があって、
 それぞれ名が付いている。












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この道は20年ぶり。
道の両脇の木々が
空を隠すように覆い被さり、
まるで緑のトンネルの
ようだった。
枝々の間から低い海面が
垣間見える風景がいつまでも
心に残って、再び訪れたいと
ずっと思っていた。
それが、能登沖地震の後
道を広げたせいなのか、
なつかしい緑のトンネルは
ほとんど残っていなかった。





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千畳敷とゾウゾウ鼻 という岩を見て、方々の展望台に停まりながら輪島へ。
どこに行ってもシジュウカラやウグイス、そしてヒヨドリがにぎやかに鳴いていた。

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 輪島の海岸に着いた頃
 日没が始まった。
 この岩場は昔、
 食べかけのコロッケを
 トンビにさらわれた
 思い出深い場所。
 澄んだ水底が
 見られるはずの岩場は 
 水位が下がっていて
 赤潮のせいか
 水はよどんでいた。







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輪島に来たのも20年ぶり。ずいぶん街がすっきりし、きれいになっている。
旧輪島駅は道の駅になっていて、夜そこで御陣乗太鼓の公演を見ることができた。







Posted by Ru Na - 2011.05.10,Tue
5月4日は糸魚川の翡翠峡へ。

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 この辺りの山には翡翠の原石が多く、
 渓流に乗って海まで運ばれ、
 海岸では今でも翡翠を拾うことが
 できるらしい。

 翡翠峡と呼ばれる所は
 何箇所かあるが、
 我々は青海川を遡って
 橋立ヒスイ峡の下端に行ってみた。












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急な崖に沿って組まれた
今にも崩れそうで危なっかしい
木の遊歩道を奥まで進む。



流れの中のそこかしこに翡翠の
大きな原石があるらしいが、
白っぽい岩がそうなのかも
しれない。
流れの色そのものが、
翡翠を溶いた様である。




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海から急に高くなる山を降りて、道の駅・親不知ピアパークへ。
屋内展示としては世界最大の翡翠の原石がある資料館は、もう閉まっていたけれど、
石碑やレストランの入り口に飾ってある石も原石のようだった。

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暮れかけた海岸には、粟津潔による
巨大な海亀のモニュメントが、緑の光に照らされていた。

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Posted by Ru Na - 2011.01.01,Sat
明けましておめでとうございます。

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年末年始に暴風雪になるという天気予報がはずれて、今日は小雨で、そう寒くない。
午後から初詣に出かけ、そのまま雪の兼六園を散策した。
Kénroku-én (Le jardin du château)
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段差のある園内には、二つの大きな池のほか
方々に小さなせせらぎがある。
流れを眺めながらゆっくり歩いていると、
瑠璃色の点がきらりと光って飛んだ。
カワセミだった!

兼六園にカワセミがいると聞いてはいたものの
見たのは初めて。
ようやく撮った一枚は、手ぶれで残念。


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木立の間の芝には、シロハラとセグロセキレイが一緒にかけ回っていた。

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霞が池は半分以上雪で覆われ、
鴨たちの姿はなく、
鯉たちはとても寒そうな顔をしていた。
いつもこの場所にいる緋鯉の
メンバーが足りない。
どうしたのだろう。

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雲が切れて青空が見え、医王山がつかの間の夕映えに美しく染まった。

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Posted by Ru Na - 2010.12.06,Mon
八幡神社を出た頃から、しだいに天気は下り坂。
これから敦賀半島を横断し、三方五湖に向かうのに、
コンビニに寄ってお弁当を買っている間に雨が降りだした。

resize1830.jpg 敦賀半島の付け根から、
 気比の松原を望む。
 半島のこちら側にも
 きれいな浜が幾つも連なっている。










しだいに雨は激しさを増し、敦賀半島の山中の紅葉もかすんで残念。
半島の西側に抜けると、ちょうど水晶浜に出た。
砂も水も水晶のようにきれい、ということで、日本の砂浜八十八選になっていて、
夏には関西方面からの海水浴客でいっぱいというこの浜も、
今は雨と強風でひどく荒れ、車から出てみたものの横なぐりの雨、
落ち着いて撮影するどころか、駐車場の公衆トイレの建物の陰から
のぞいて見るのがやっと。

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海上には風にあおられているサーファーの姿が点々とあった。
向こうの岬には原発が見える。
高速増殖炉もんじゅも、ここから遠くないはず。
よくもまあ、原発の近くの海に入る気になれるな、
というより、よりによってこんな綺麗な処をなんで原発だらけにしてしまったのだろう、と
荒れてもなお美しい海の色を眺めながら、やりきれない思いだった。

美浜町に入るトンネルの出口で、何かが目に飛び込んだ。
ほんの一瞬だったが、車道脇を悠々と歩いている猿の顔の鮮やかな薄赤色が
目の奥に残った。

久々子湖のほとりを通って三方五湖レインボーラインへ。
道はどんどん登って行き、右に左にと垣間見える五湖がしだいに低くなる。

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かなり登って、第一駐車場に到着。
ここはすでに見晴らしの良い展望台
になっていて、
海も湖も広々と見渡せる。
それにしても風が強く寒い。
時折さっと晴れるが、
次の瞬間また雨が降り出す。
水平線が霞んで空と区別がつかない。



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resize1838.jpgここから山頂公園には
リフトとケーブルカーがある。
せっかくだからと
ケーブルカーに乗り山頂へ。

これだけ登っただけなのに、
視野がかなり広くなった。
360度の海と山と湖の
大俯瞰。
と、見渡す間も無く、大粒の雨が
たたきつけるように落ちてきた。
景色は忽ちかき曇り、
一面鉛色に暗くなり、
強風に足を掬われそうになる。


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 細長い公園を、風に逆らいながら
 やっと進み、
 ようやく展望テラスが屋根代わりに
 なっている下層階に避難。
  
 しかしここも吹きさらし。
 (奥にはカブトムシが冬眠する
 大きなガラスケースがあった。)
 



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雨は真横から吹き付ける。
ケーブルカーで一緒だったカップルは、早々と降りてしまった。
公園内の建物はみんな閉まっていて、中に入れない。
やっとのこと、小さな茶室の建物の陰で、しばらく雨風をしのぐ。
雲は速く流れ、ところどころ破れ目から光が落ちるので、
霞んだ遠景にスポットライトが移動するように、
一瞬だけ明るみ、たちどころにまた灰色に沈む。

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雨風が治まった、とその瞬間、二重の虹が現れた。

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 それも見る間に消えてゆき、
 一片の白い小さな雲にかかる
 梯子の様になってしまった。












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今や訪問者は我々だけになって
しまった公園の、
ささやかなバラ園で、
管理人らしい小父さんが一人
黙々とバラの手入れをしていた。








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 最初に避難したテラスの上には、
 「誓いの鍵」を奉納するコーナーが。
 かわらけ投げができる場所もある。










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めだか村という小さな流れもしつらえてあったが、
いくら目を凝らしても、めだかの姿は見えなかった。
横には、「めだかたちは寒いので一番底に潜ってじっとしています。」
と、張り紙があった。

刻々と天気は変わる。

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陽が射すと、周囲の山の紅葉がこんなにもまぶしい。
光と影が交錯するスペクタクルを、もっと見ていたかったが、
あまりにも寒く、山頂を降りた。
土産物屋でしばらく暖をとって外に出ると、
海側の空には竜巻が垂れ下がっていた。

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一路金沢へ。
帰ってから、その日福井と石川で、屋根が飛ばされるなど
竜巻の被害が数件あったことを知った。

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 お土産屋さんの入り口にあった
 植物でできた大きな亀。



 

 お土産のカニの格好をしたリーフパイ。
 カニは入っていなかった。

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Posted by Ru Na - 2010.12.05,Sun
翌朝の空は青く晴れわたり、昨日の雨がうそのよう。

resize1795.jpg 
 まず、市街の東側にある永賞寺へ。
 初めて訪ねる先祖の菩提寺。
 (実際のお墓は関が原にある。)
 簡素な小さいお寺だが、
 供養塔の周囲は、きれいに
 手入れされている。
 大切にされているらしい。
 供養塔にお参りする。

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   落ち葉の散り方まで端正で、すがすがしい。

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次に向かったのは、ここからさほど遠くない気比神宮。
歩いて5分ほどの距離だった。

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日本三大木造大鳥居で有名。
春日大社や厳島神社に比べると小さいが、手前の橋の欄干と合わせて、
なかなか良い形。

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広い境内を一巡すると、そこかしこで巫女さんが落ち葉を掃いていた。

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この建物の後ろには池を中心とした横長の庭があって、
ちょうど散りかけた紅葉が、朝の光の中であまりにも美しく、ちょっと立ち寄るだけのつもりが
つい長居をしてしまった。
建物の側面には、手の格好をした謎の突起物が・・。

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resize1803.jpg なんだか変わった木がある、と
 近づいてみると、ユーカリだった。
 県指定天然記念物の説明書きも。

 このユーカリの木にも、他の木立にも
 ヒヨドリがいっぱい群れていて、
 そこかしこで賑やかに
 鳴き交わしていた。

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気比神宮の前からは、敦賀中心街の方向が一直線に見える。
車で敦賀城址の真願寺へ向かう。

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敦賀城に使われていた礎石が境内に置かれている。
このお寺の場所に、かっての三層の天守閣があったらしい。
ここから住宅街の細い路地を通って、敦賀城石碑のある小学校へ。

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この辺り一帯は敦賀城内だったらしい。さらに歩き、八幡神社へ

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 ここにも敦賀城の礎石があった。

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祖先が奉納したという竜の欄間飾りや、
肖像が描かれた絵馬を眺めていたら、
年配の小柄な女性が、ヨモギ猫と共に
近づいてきて、いろいろ説明して下さった。
どうやらこの神社の家の人のよう。

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正面の鳥居から奥に向かって左手の方に、
石の柱が立っている。
これは古い鳥居の一部で、
6年前に崩れてしまったのだそうだ。
勿谷石というこの近辺で採れる石で、
脆いものだから、だいぶ傷んでいるけれど、
慶寧という年号が読み取れるので、吉継さんの時代のものに間違いない。
と、婦人は言う。
その時代はこちら側が神社の正面で、今は家が建ち並んでいるけれど、
この方向に真っ直ぐ行くと、お城があった。
「吉継さんはお城から10分ほど歩いて、うちの神社にお参りによくいらしてました。」
「これは吉継さんが、うちに奉納された灯篭です。」
と、400年以上前の事を、つい近頃のように語るのだった。

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 この方角が敦賀城天守閣。


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 ああ何と、猫が
 ご先祖様の石灯篭を足場に、
 雨水を舐めている!


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 おおっ!ご先祖様がこんなキャラクターに・・・・



婦人の話では、大谷刑部の子孫という人が、よく全国あちらこちらから訪ねてくるという。
「特に、横浜在住の方は、毎年関が原と敦賀にお墓参りにお出でになります。」
それを聞いて、少し引っかかるところがあったので、
私も刑部所縁の者と告げると、普段は人を入れないという奥宮の中に、招き入れて下さった。
その建物の内部、奥の祭壇まで「吉継さんはお参りになっていました。」

大谷の祖祖父が亡くなった時、東京から、大谷本家を名乗る夫婦が立派な紋付で、
お墓参りをさせて欲しいと突然訪ねて来て驚いたと、祖母が話していたらしい。
家では、大谷本家ってどういうことだろう。祖祖父の出身、鳥取藩医大谷家は
大谷刑部の子孫とずっと言い伝えてきたのだが、
突然現れた本家ってどういう系統なのだろう、と時々話していた。
横浜の人とは、その本家を名乗った人の関係者かしら。

大谷刑部吉継について、あまり資料が残っておらず、身辺の詳しいことは分かっていない。
ただ、関が原では友の石田光成側について、友情に殉じた「義の人」として、
近年の戦国武将ブームでアイドル的な存在になっているよう。
関が原で敗れた側は、いろんなものが一散し、失われ、更には幕末維新を経て、
口伝えだけが残っていることが多い。
何か手がかりになるようなものがないかしら。

           -つづく-
Posted by Ru Na - 2010.12.02,Thu

毎年11月の末頃、つれあいと関西方面の小旅行をするのが恒例である。
主に大阪に2泊し、京都や奈良の古寺史跡を訪ね、ビデオの撮影などもしている。
今年は、夏からの体調不良をひきずったまま、秋の野外展の作品制作に向けて
無理しすぎたせいか、私の体調がいつまでもあまり良くないので、
大阪をパスするのが残念だったけれど、もっと近場に車で出かけることにした。
何しろ大阪には、「ワルティ堂島」という大好きなCD屋があって、
クラシック音楽CDの専門店が、もう金沢にはなくなってしまったので、
大阪行きは、年に一度のCDまとめ買いのいい機会。
まあいいか、CDは山ほど持っているし、聴くものは沢山あるし。

ということで、
11月28,29日に初めて敦賀を旅した。
いろいろ候補にあげた中で、敦賀を選んだのは、
今年の“鎮守の森ギャラリー”で、のぼり旗型の作品を作ったその勢いで、
ご先祖様所縁の地を訪ねてみたいと思った所以。

あいにく寒波の襲来で、天気は荒れ模様。降りしきる雨の中をのんびり出発。
県境の山中は紅葉が美しいが、途中雨が霰に変わる。

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 トンネルをいくつか抜けて、敦賀に入ると
 道路は乾いていた。


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高速を降りて最初に向かったのは、
町の西端に位置する浄土宗の名刹
西福寺。
福井の紅葉スポットの一つとして
有名であるらしい。

ひなびた風情の総門を入ると、
コンクリート製の大きな三門。
両脇の大きな古いスダジイが印象的。
奥の御影堂の外壁は修復中だった。

左手の阿弥陀堂へ。
目的は国の名勝庭園に指定されている
書院庭園。
縁側のガラス戸の内から庭園を覘いて
驚いた。

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まるでイギリスのロックガーデン!
一部がこんなふうの庭は見たことがある気がするが、
全体がこのようになっている庭園は初めて見た。

紅葉はほとんど終わっていたが、敦賀半島の裾野を借景にして、
というより、山の斜面にそのまま融け込んで一体化している。
どこまでも上昇していくような動き-ムーブマン-を感じる。
後で資料をみると、極楽浄土を地上に表現している、とある。
なるほど。

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 庭に出て歩くと、見事な石組みの
 橋がある池には、
 丸々とした鯉たちがのんびり
 泳いでいる。
 とても大切にされているらしく
 幸せそうな顔をしていた。








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庭の斜面の中ほどに、山から滲みだす
清水を囲った石室があって、
その水が鯉たちを養っているよう。









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 庭園上方から
 寺院の建物郡を望む。












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庭をめぐる間に降りだした雨がしだいに激しさを増し、
阿弥陀堂から御影堂に通じる渡り廊下を行くと、屋根から落ちる雨水が
滝のようになった。
しばらく待っても弱まりそうもない。
駐車場にようやく戻って、ここからほど遠からぬ気比の松原へ。

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気比の松原に着いた頃には、
雨は小降りになっていた。

日本三大松原の一つ。
わりとこじんまりした印象。
白砂や松林の清浄なたたずまい、
海はこの荒天でも、翡翠の原石のような
淡い色をして、波の形まで美しい。
確かに絵や句になる風景である。

デートスポットらしく、
カラスのカップルが仲睦まじく
たわむれていた。

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 浜に人が増えてきたら、
 たちまちトビの大群がやって来た。
 ふと見ると、
 「トビに注意、お弁当を盗られます。」
 といった看板があった。
 風が強くとても寒いこんな状態で、
 誰もお弁当なんか広げないから、
 トビにはお気の毒さまでした。





天気が悪いと日暮れがことさらに早い。
敦賀城の門の一部を移築した来迎寺に着いた時は、もう辺りは薄暗くなっていた。

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早い夕食後、今度は街の東、敦賀港の方へ。
また雨の中、寒さに震えながら、レトロな建物群のライトアップを見た。

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 赤レンガの倉庫群。





 
旧敦賀港駅舎。内部は鉄道資料館になっている。
ライトアップの色が刻々と変化する。
 
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人道の港館。
日本のシンドラーと言われる
第二次大戦下の
リトアニア大使杉原千畝が、
ヴィザを発行して命を救った
6千人のユダヤ人が、
ウラジオストックから
日本に上陸したのが
ここ敦賀港らしい。
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Posted by Ru Na - 2010.12.01,Wed


11月26日、紅葉に染まる玉泉園を訪れた。
石灯篭だらけの西庭から入る。
ここには“隠れキリシタン灯篭”もある。

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resize1749.jpg兼六園に隣接するこの庭園は、
兼六園の原型になったとも言われている。

築庭した脇田直賢は、幼い頃秀吉の朝鮮出兵のせいで孤児になり、可哀そうに思った
宇喜多秀家が日本に連れ帰り、その後
前田利長夫人の玉泉院に育てられて
前田家の家臣となった。

南宋の山水画を型どったという作りの
回遊式庭園で、
斜面を利用した多層構造のこの庭は、
コンパクトながら、隅から隅まで見事な
造作で、見飽きることがない。




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本庭の池を横手から見る。
春には水芭蕉の花が咲く池は今、水に映った紅葉、沈んだ落葉で赤く縁取られている。

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本庭の大池に水を注ぎ込む滝と赤岩の上、
上段の庭に登ると、そこにも中央に池、
奥には金沢で一番古いという茶室がある。

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 茶室の傍には故国を偲んで植えたという
 丈高い朝鮮五葉松が、ノウゼンカズラの
 蔓を巻き付かせ立っている。
 この木は兼六園の中からでもよく見える。









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黄と赤の錦織。見ている自分まで染まってしまいそうな心地で、本庭の方に降りる。

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 石の上、苔の上に散り敷くもみじが
 まるで黄と紅の絵の具の点描。









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本庭正面。石灯籠が深山の峰の見立てのよう。

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東庭の地面に自然にできた三色の染め分け。









 

Posted by Ru Na - 2010.11.20,Sat
11月中旬の金沢の街風景

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金沢市在住の美術家
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