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見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
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Posted by Ru Na - 2016.06.27,Mon
26日、野鳥の会の有志でサギコロニーのカウント調査を行った。
集まったのは12名+1名。
1名は、対岸に来ていたのだが、皆の姿が見えなくて
日を間違ったのかしら、と帰ってしまった。(のが、後で分かった。)

今年のコロニーは、例年営巣を始めるのが一番遅い左岸上流の木立に
サギが集まって、そこから営巣が増えていき、ついで中州。
去年もおととしも一番巣が密集していた左岸下流の木立は、
6月の中頃からようやく営巣を始めた。

ほぼ毎日コロニー通いをしている。
日毎どんどん巣が増えて、ヒナも次々誕生している左岸上流のカウントを
どうやったら正確に、効率良く数えられるかしら、と
ここのところ頭を悩ませていた。
この木立は、草陰になっている箇所を見るには、両岸とも
見る場所を変えて色んな地点から観察しないと、数が把握できない。
また、木立の上部は奥行きがあまりなく、両岸からそのまま
数えたのでは、重複(ダブルカウント)が多く出来てしまう。

  

写真を山ほど撮って、パノラマ図を作って巣の位置を記入しようと
したり、両岸から見てどの場所や巣が重複するか把握しようとしたり、
あれこれ試みたが、どうもすっきりこない。

どの位置にどのサギが営巣しているか、予め図面を作ろうと思ったのは、
シラサギ類が巣の上でじっと抱卵している時、身体の一部しか見えないと、
それがコサギなのかチュウサギなのか識別が難しい。
親鳥がお腹の下に、まだ小さなヒナを隠している場合、
タイミング良く親鳥が身を起こさなければ、分からない。
巣作りを始めた頃から毎日観察している私でさえ、
広い範囲にどんどん増えていく巣が、次第に把握できなくなっている。
年に一度カウントの時だけ来る人には、短時間での識別が大変だろうと
思った次第だが、詳細図面はややこしすぎてギブアップした。

結局のところ、どこのどの巣にどのサギが抱卵していて、
どの巣にヒナが何羽いるか、とにかく記憶に刻んで、
当日、現地で確認しながら、カウント漏れがないよう調査用紙に
片っ端から記入するという、地道な方法しかなさそう。

良く晴れた26日の午後3時、まだ誰も来ていない。
左岸の下流の木立からカウントを始める。
ここはサギが集まり出したのが最近なので、まだ巣も少なく、
数えるのが楽な場所。手早く済ませる。
ついで中州。両岸からの重複箇所が少ないが、奥に潜っている巣を
探すのが大変な場所である。
(5月末すでにヒナの声はするのに、なかなかヒナが見つけられなかった。)

日差しが強すぎて、双眼鏡代わりのビデオカメラのモニターが
とても見づらい。眩しくてアマサギの茶色の背中さえ白く見えてしまう。
そのうちいつもの鳥調査メンバーが集まり始めた。

強い陽光に、その白さが一層輝くチュウサギの巣立ちヒナ。

 

巣が一番密集している問題の左岸上流の木立のカウントに移り、
5時前に右岸側に回る。
一応集合時間は5時にしてあったので、ぽつぽつと人が来だした。
5時20分からは、戻って来るサギのカウント。
コロニー全体の巣やヒナを数えるのは、時間をかければ一人でも出来るが、
色んな方向から飛来するサギのカウントは、やはり人数を要する。
そちらを皆に任せて、私は右岸からの中州、左岸上流のカウントを続けた。

餌取りに出かけていたサギの群が次々帰って来て、コロニーの木立は
次第に白い点で埋まっていく。途中から参加の人達もやって来た。
7時半カウント終了。
その後も戻るサギあり、飛び立つサギあり。
しばらく数人のメンバーとそれを見、また左岸に回って
コロニー全体の巡回をしてから帰った。












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Posted by Ru Na - 2016.06.26,Sun
国民投票の結果、EU離脱を決めた英国。
その衝撃のニュースがその後も収まらない。
私は、何とかぎりぎり残留になるのでは、と思っていたのだが、
この結果を聞いても、「ああそうか。やっぱり大英帝国。」
という感想というか、感慨があった。

週に一度ほど電話をくれるイギリスの叔母は、最近の移民問題を
憂えていたし、社会保障が充実している英国に、どうしても
移民や難民が押し寄せる現状は、元々の住民には、居心地の悪さに
なっているのだろうことは想像に難くない。

それにしてもこの衝撃のニュースは、経済問題ばかりに終始している。
新聞で読む限り、あらゆる国の首長のコメントは、
世界経済に及ぼす悪影響を第一に挙げているように思われる。
それより、欧州の端の島国がこれまで独自の立場を持ってきた歴史、
それで培われてきた気質というものに、あまり言及していないのが
気になる。

“英国とヨーロッパ”、と以前よく言っていたように、
英国はヨーロッパと一線を画している意識が強いのだろうと思う。
その点は、“日本とアジア”、というように、日本人が日本は
他のアジアの国と違うという意識を持っているのに似ているかもしれない。
しかし日本人が万世一系の天皇と、単一民族と思い込んでいる(本当に思い込
らしい。日本人の遺伝子を調べると、種々雑多な民族が交じり合っている
と、以前読んだことがある。)に対し、
英国はケルトやサクソン、ノルマンと、次々違う民族が入って来て
国を作ってきた歴史がはっきりしているし、
ウエールズ人やスコットランド人に、英語の教科書で習ったように
「あなたはイングリッシュ?」と聞くと、怒る人は多い。
イングランドはUK-英国の一部で、イングリッシュ=英国人ではない。
王室の姻戚関係も欧州全体に繋がっているし、
日本と他のアジアの国々との関係より、もっとヨーロッパの他の国と
歴史的、民族的、文化的関係が深く、そういう点では欧州大陸の国々同様、
この国は特別他国とは違っていると、はっきり線引きできないものが
あるように、はたからは見えるのだが、
それでも、英国は英国、といった独特な何かがあるのを
私も実際に肌で感じてきた。



 (英国に対する想いを、これからもまた時々書きたいと思っています。)

Posted by Ru Na - 2016.06.20,Mon
18日の中流域鳥調査は、初夏というには暑すぎるくらい。
梅雨の合間と言っても、容赦なく照り付ける強い日差し。
それでも、心置きないメンバーと鳥を数え、歩きながら鳥談義に
つい夢中になっていると、暑さも忘れる。

2日前に解禁になった鮎の釣り人がいる近くでも、シギ・チドリが
活発にかれらの大切な季節の活動を展開している。
飛び回るコチドリ。

 

忙しそうなイソシギ。

 

河川敷の工事はほぼ終盤。かって美しい木陰を作っていた木立も
全て取り払われ、芝だけになってしまった。

 

芝張り作業中。まるでカーペットを敷いているみたい。

      

雑木林が残っている区間に入ると、
1羽のヒヨドリが枝にとまってしきりに鳴いていた。
 
 

人が近寄っても逃げない。逃げないどころか、こちらを見ながら
可愛らしい仕草で何か言いたげ。

 

 

あまりに人懐こい様子なので、もしかして人間に飼われていた(本当は禁止)
ことのある子かしら、人恋しくて淋しいのかしらと、立ち去り難くなり、
「ヒヨちゃん、どうしたの?ひとりなの?」と声をかけると、
つぶらな瞳で何かしきりに訴えている様なのが、更に可愛いくて
置き去りにして先に進めなくて困った。

少し離れた所に、もう1羽ヒヨドリが現れたので、
「ヒヨちゃん、お友達がいるよ。」と、私が言ったとたん、
別方向に飛んで、また近くの枝にとまった。

 

「こっちを見ててね。」というふうに、また可愛いらしい仕草で
こちらの目を釘付けにする。

実はこれ、近くに巣があるらしい。
巣から我々の注意をそらすための行動だった。
こんな時、野鳥はよく威嚇ポーズを取ったり、警戒音で鳴くのだが、
このヒヨは、カワイイ作戦に出たらしかった。
こちらが鳥好き、ヒヨ好きということを見越してのことだろう。
つくづくヒヨドリは何て賢いのだろうと、ますますヒヨが愛おしくなった。

ヤマボウシの白い花邑。

   

コース終点にいたアオサギとゴイサギ。

  

  

木陰で一服。
  
    




Posted by Ru Na - 2016.06.16,Thu
慌しく日が過ぎて、早や6月も半ば。
春から高温の晴天ばかりで、雨が少ないものだから、
川の水はほとんど干上がった状態が続き、方々で
魚たちが浅い水の中ででもがく水紋が出来ていた。

ようやく入梅。まださほどの降り方ではないが、とても蒸し暑い。
忙しい上に体調不良を起こしがちな気候の変動。
こういう季節は特に、室内に生けた植物に目をやると安らぐ心地。
(だいたい私は、どんな時でも身近に植物がないと我慢できない。)

窓辺のジャガイモの花。

 

知らないうちに家の前の鉢に生えていた小判草が涼しげである。

   
どんなに忙しい時でも、庭ですることが毎日あるので、
庭を一巡りして草木を眺めるのが日課である。
祖父が植えたもの、父が植えたもの、自然に生えたものなど、
様々な草が、庭の方々で其々の居場所を占めていて、
たまに草むしりをする以外、別段手入れなどしないのだが、
草たちは自然に庭の景観を作ってくれている。

白い十字星のようなドクダミの花が、この季節の華である。

 
この時期のみ楽しめる、生のドクダミを刻んだドクダミ茶は
甘い香りがする。
食べられるものが自然に生えてくるのはありがたい。
カタハ(よしな)。鉄分が豊富で、茎だけを茹でて食べていたが、
今年は葉ごと茹でて漬物に。いっそう味がでた。

 

池のほとりの葵は、生える場所が時々勝手に移動している。

 

既に真夏のように強い日差しが、槙の幹に南天の影模様を投げる。

 

一度、何種類の草木が生えているものか、リストアップして
一通り写真でも撮っておきたいと常々思っているのだが、
いつも忙しさにかまけて、自分の庭さえ把握しきれないでいる。

   

 



Posted by Ru Na - 2016.06.08,Wed
連日サギのコロニーに、監視を兼ねて観察に通っている。
木の上のチュウサギ。

 

羽づくろいする姿を、夕日が美しく染める。

 

営巣もずい分増え、ヒナも誕生し始めている。
これから巣作りのコサギとアマサギのカップル。

 

帰る頃にはすっかり暗くなり、近頃帰路の前方の空に見える
やたら明るい赤い点が気になっていた。

   

星にしてはあまりに大きく、最初は夜間飛行物体かと思ったが、
点滅も動きもしない。
一体これは、本当に火星なのだろうか?
そして、火星がこの10年で地球に最も接近している事を知った。

 

軍神マルスの赤い戦いの星、火星。
この赤さは、時には禍々しい印象を与えるせいか、また地球のお隣で
行き来するのも夢ではないと思えるせいか、SF小説などにに取り上げられる
ことが多い星。
しかし、この赤い宝石のような光を見ていると、
争いや禍をもたらすイメージはなく、只々ドロップのような甘ささえ感じ、
宙からの親しげな挨拶のように思えてくる。

 

毎日楽しみにしていた赤い光を、この2日ばかりは
梅雨めいた曇り空が隠してしまった。





Posted by Ru Na - 2016.05.29,Sun
もう1本の記事は、上野千鶴子氏による、関東の小さな市における
公民館と図書館の改修計画に関するもの。

市が提示した計画案に対し、市民側からこんな市民センターがほしいと
対案を出した話で、そこに至るまでの市民グループの活動に
氏が少し関わって、この小さな自治体の市民による民主主義の実践のほどを
実感したと書いている。
市民が立ち上げた100人を超えるワーキンググループで、1年かけて
議論を重ねてきたきたという。

色んな立場の異見をまとめる役の人が音をあげかけた時、
上野氏が言ったのは、「民主主義はノイズの発生装置。ノイズを楽しんで
ください。」

氏は続けて、―民主主義はテマヒマのかかる意思決定のツールだが、
権力者は民主主義がキライ。地方自治体から中央政府に至るまで、
「オレ様に任せろ。」で、ノイズの発生がキライだからだ。―

ここで言う「ノイズ」は、様々な意見や考え方のことだろう。
民主主義が根付いていない体制の国家は、その「ノイズ」を、
排しあるいは弾圧し、権力に都合のいいひとつの方向しか認めない。

多数決が少数意見を呑み込んでしまうという欠点もあるが、
民主的というのは様々な意見を自由に言い合える、というのが基本だと思う。
日本は果たして民主主義が根付いているかというと、
政府や企業から市民の小さな集まりまで、はなはだ心もとない。
特に最近は、役所が好きな予定調和を重んじて、
自粛してしまうか、違った見方をするものをひどく攻撃するかで、
市民側があるいはマスコミが、自ら「ノイズ」を排除しようとする、
重苦しい空気が社会に蔓延しているように感じる。
自ら民主主義に背を向けている、と言い換えてもいい。

また皆が一斉に同じ方を向く、というのも気持ちが悪い。
例えそれが正しいと思われる方向でも、意見が皆同じ、というのは
やはりどこか変である。・・・・
というようなことを、鶴見俊輔氏も書いていて、同感する。
「私は正しい。」と言う人を自分は信用しない。と。

SEARDsの活動に、どこか明るい希望を感じてしまうのは、
学生運動として、一つのまとまった団体ではなく個々の集まり、と
言い切っているところである。

ある目的に対して人が集まり組織が出来ると、組織の意向に
みな従わなければならないと、個々人の意見や活動を
組織のために抑え込んでしまいがちになる。
その方が効率や都合が良い訳だが、その時点でテマヒマかける
民主的なプロセスを放棄することになり、
民主主義の「ノイズ」を排した全体主義的な国家体制と
大差なくなってしまう。

其々の意見や生き方を抑え込むことなく、ゆるやかなネットワークで
つながる、という活動の仕方に、「長いものには巻かれろ。」
「出る杭は打て。」式の息苦しい日本社会をいくらか蘇生させる
一陣の涼風を感じる。








Posted by Ru Na - 2016.05.25,Wed
わりと最近読んだ新聞記事で、印象に残った2本。

ひとつは考古学者による文化論的エッセイで、
若い頃は理路整然としたものが好きで、音楽でも構成が
しっかりはっきりしたベートーヴェンやブラームスが好みの
中心で、マーラーなんか聴くものか、と思っていたが、
年とともに割り切れないものも受け付けられるようになった。
それにつれ、考古学でも事実をきちんと分類整理するだけでなく、
曖昧な事柄も色々想像を楽しめるようになり、世界が広がった感じ。
というもの。

なるほど納得、と思いながら読んだ。
私も若い頃、マーラーやブルックナーが受け入れられなかったのは、
ブラームスはともかく、ベートーヴェンのように音楽の構造が
はっきりしなくて掴みどころがない、というのが理由だった。
聴いていて、どのように曲想が進んで帰結するのか見当が付かず、
その捉えづらさに始めは入りにくかった。と吉田秀和さんも書いている。

以前このブログにシューベルトのピアノソナタに対する
素人のアナリゼを載せた時、
             「シューベルトは癖になる」

次は「ブルックナーも癖になる。」を書こうと思っていたくらい、
今やすっかりブルックナーも自分にとって大きな存在である。

作曲家が生きた時代が違うにも関わらず、
ブルックナーとマーラーは、よくひとまとめにされる。
掴みどころがない茫洋さが共通しているせいか。
マーラーは、どこか民族音楽のような何か独特な味があって、
ファンが多いように思うが、ブルックナーは更に亡羊としている。

しかしブルックナーは多くの音楽好きにとって、やはり気になる存在らしく、
例えば古楽について雑談していても、いつのまにか
ブルックナーは何番が好き?誰の指揮によるものがいいと思う?・・
等々、いつの間にかその名が出てくることが多い。
やはりギュンター・ヴァントが振ったものが凄いね。
特に晩年の90年代の録音が・・・。など、
みな指揮者とその録音年代までついこだわってしまうのも、
ブルックナーならではかもしれない。

割り切れないが大きな流れに身を委ねるような音のかたまりに
包まれる感じに抵抗がなくなるのは、
年齢と共に世界を丸のまま捉える感覚が育つからかもしれない。

Posted by Ru Na - 2016.05.22,Sun
かっては草木や中州で変化に富んで緑豊かだった、我が川の中流域。
数年前に河川工事でこれらが全て取り除かれる前後から、
毎月1回、野鳥の会の有志で、もう何年もこの区域の鳥調査を行ってきた。

工事予定が分かった頃、野鳥の会の反応は今ひとつだった。
そこで、この川の周辺に住む者や縁の深い会員が立ち上がり、
とにかく鳥の種類と数がどのように変化しているかのデーターを
集積していこうと、地道な活動を続けている。

月に1度といっても、メンバーのほとんどは、ほぼ毎日この川を見ているので、
小さな変化や工事の予兆を見逃すまいと、常に目を配っていて、
色んな情報を持ち寄ったりしている。
(常に見ているのでなければ、その変化に気が付かず対応が出来ない。)

5月21日、日差しは強く初夏の陽気。
カルガモなどは子育てのためどこかに潜りこんでいるので、
水鳥はとても少ない。
その代わり、芝張り前の河川敷や、水位が下がって露出した浅瀬を
ちょこちょこ走り回る小さな姿が多く見られた。

コチドリ。黄色いアイリングがチャームポイント。

 

日頃この辺りはイカルチドリの方が多いが、
下流の居場所が工事で狭められているせいで、ここまで上がってきた
のかもしれない。

 

川の中にはキアシシギの群がいて、時々飛び回っていた。

 

常連のイソシギの姿もあった。
陽光に、今が盛りと燃え上がるような植物たち。



              

いつもはせいぜい1羽しか見れれないキセキレイ。
この日は幼鳥を含め、5羽に出会った。

  

コースの終点近く、今度はセグロセキレイの幼鳥が。

 

兄弟らしい。

  

シギチ(シギとチドリ)と幼鳥日和の一日となった。

   




Posted by Ru Na - 2016.05.12,Thu
デヴィッド・ボウイを中心としたの写真展があると知って、
雨の合間に見に出かけた。

   

会場になった建物の明るい吹き抜けに、D.ボウイの様々な写真が
散りばめられた大きなパネルが。

  

実はこれ、鋤田正義という世界のミュージシャンの写真を撮ってきた写真家の
「サウンド アンド ヴィジョン」という展覧会である。
撮影禁止コーナーには、レコードジャケットなどで見覚えのある
いろんなアーティストの写真パネルが並び、ジミヘン、カルチャークラブや
清四郎、若き日の沢田研二、木村カエラなど、見ていると
それぞれの時代の音が聞こえてきそうだった。

  

今年1月のデヴィッド・ボウイの訃報に、
「ジギー、星になったの?!」と思わず叫んだ私。
特別熱心なフアンだったわけではないが、
いつもどこかで、その存在の大きさを感じていたのだった。

訃報を聞いて、思わず買ってしまったベストアルバム。

        

刻々と変化し続ける彼の音楽を俯瞰するには役不足、と
あまり評判が良くないアルバムだが、とりあえず代表作が色々入っている。
「火星の生活」などは、上昇する移調が、元祖無調音楽といわれる
ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」と通ずるところがある、なんて
思ったりする。

姉が昔買った「ヒーローズ」のLPが家にあったし、
ひと時代遅れでブリティッシュ・ハードロックを聴き始めた私だが、
パンク・ロックはリアルタイムで聴いていた。
壮大で複雑になりすぎたロックを、生で社会への率直なメッセージ性を
打ち出すシンプルなものに回帰させた、セックス・ピストルズや
ザ・ストラングラーズなどのパンク全盛期は、ケイト・ブッシュや
このD.ボウイなど、独自の個性を持ったアーティストが同時に活躍し、
クィーンといった大御所も新曲を次々ヒットさせていたし、
ロッド・スチュアートは益々ソウルに磨きをかけ、
過激な西独のパンクの一方で、独自スタイルのエルビス・コステロの出現、
米からはボストンなど美し系サウンド・・・・様々な音楽が
生まれていた。
レゲエやサルサなど、英米以外の音楽が世界を圧巻し始めたのもこの頃で、
ずい分華やかな音楽シーンを作り上げていたと、今更ながら思う。

  

その中で、D.ボウイの深々とした声で歌われる楽曲は、時代が移っても
いつまでも古びず、時代に左右されずに聞くことができる。
それは彼がロックミュージシャンというジャンルを超えた表現者で、
ロックも彼にとってはひとつの表現手段で、時代に迎合しようという気が
なかったからかもしれない。

 

厳めしい旧県庁舎の壁に並んだD.ボウイの色んな表情。
おなじみ、「ヒーローズ」のアルバムジャケットになった1枚。

  

D.ボウイの曲は、その亡羊とした響きを楽しんできたので、
英語の歌詞の意味をあまり気にせずに聴いてきたが、
これはベルリンの壁に引き裂かれた恋人たちを歌った歌だった。



            




Posted by Ru Na - 2016.05.10,Tue
5月8日、河口の森での探鳥会。
よく晴れ上がり、日差しが強すぎるくらい。
川にはまだキンクロハジロやホシハジロが少数残っている。

      

驚いたのは、こんな時期にヨシガモに会えたこと。

 

写真がみな白飛びするくらいの眩しい陽光。

 

こちらは♀。

 

♀タイプは3羽いたが、そのうち1羽は♂若かエクリプスのような気がした。
こぼれるような白い花をつけたニセアカシアが良い香りを放っている。

 

         

よく川べりに自生するニセアカシア。
外来種なので切った方がいいと言う人もいるが、島国日本の野山も
古来から色んな外来の生物が入って来て、日本の自然を作り上げている。
このニセアカシアの花は、いろんな野鳥のご馳走になっている。
「学者は色々言うが、自然の生態は人知を超えたところにある。
人間の浅知恵で自然にあれこれ手を入れても、結局また元に戻っている。」
という、ある人の言葉を思い出す。

林道に入ると、カワラヒワが柔らかな青葉を夢中になって食べていた。

  

ちょっとだけ姿を見せてくれたコサメビタキ。

  

海岸にはシロチドリがいた。
 
  

  

お腹に緑陰が映って、まるで黄色い鳥に見えるヒヨドリ。

  

黄色と白の二色の花が同時に咲くので、その名が付いたキンギンボク。

   

探鳥会前後に色んな鳥が見られることも多い。
この日も解散後、水浴びするキジバトやマミチャジナイなどに会った。

 

まだ識別できていないヒタキの幼鳥のような小鳥、アカハラ、
そして一瞬だけれど、サンコウチョウの全身が見られた。







Posted by Ru Na - 2016.05.07,Sat
強風が吹き荒れたり異常な高温。やはり気候は尋常ではないけれど、
それでもツバメは巣作りを始め、季節は緑輝く妙なる五月。

      

瑞々しい青葉が萌える野を歩いた。

  

咲き乱れる白い花に、小さな赤い点を打つスズメノテッポウ。

 

   

川近く、湿地帯の上には白い雲がのんびり浮かんでいた。

    

     

近くの畑からキジが出てきて、羽の美しさを誇る。

    

 

ヤブニンジン、それともヤブジラミ?
白い小さな花を星のように散りばめた叢に分け入る。



まるで白い花の海を泳いでいるよう。



光を透かして、羊歯が視界を埋め尽くす。



潅木をひっそりと飾っていたのは、天蚕の繭。

  

これは既に抜け殻だが、この繭から薄緑色の極上の絹ができるという。

   

また別の日、滴るような緑に包まれた森で、
五月の陽光に輝くアカハラに出会った。









Posted by Ru Na - 2016.04.18,Mon
熊本を襲った大地震。14日夜9時台の大きな地震には、
初め気が付かなかった。
その後、続々と入ってくる被害状況と続く大きな余震のニュース。
14日の前震の後、更に大きな揺れの本震が翌日の深夜に起こった。
親戚が住む所は今のところ大きな被害はないが、
震源地を変えたしつこい余震が続いている。気が気ではない。

16日の朝、気を揉んでばかりでも仕方がないと、
中流域鳥調査に出かけた。初夏のような暑い日になった。
ソメイヨシノは散り、さすがに冬の水鳥は少なくなった。
まだ少数残っているコガモ。

 

カワセミ、ずい分水深の浅い所に飛び込んでいた。

 

枝垂桜が見ごろ。

     

クルミやタンポポ、ヒメオドリコソウの花に、春爛漫を感じる。



               

コムクドリを初認。

 

イカルチドリも繁殖の準備。(地味な色ですが2羽います。)

  
キジもすっかりきれいな繁殖羽になって、畑から出てきた。
近くに抱卵中の巣があるのかもしれない。

  

ぐんぐん上昇する気温。上着を脱いで、いつもよりスローペースで歩いた。

      

  



  




Posted by Ru Na - 2016.04.14,Thu
また少し遡ります。
3月末、海の近くに用事があって出かけたついでに、浜を歩いた。
初夏のような陽光に、これほど青い海を見るのは久しぶりだと思った。

  

眩しく照り返す砂の上に、様々な文様が出来ている。

 

風の紋に、人や犬が歩いた跡。そして交差する点線は、

 

鳥が歩いた足跡。何の鳥だろう。カラスよりは小さくシギよりは大きそう。

 

少し離れた波打ち際で、光に霞む鳥の群が見えた。
ちょこちょことせわしなく、波の動きに合わせて走り回っている。

  

こんな動きをするのはシギ類に違いない。でも少し大きいような・・・。
そおっと近づいてみると、

  

カモメの中でも特に小さいユリカモメ!

  

日頃は川で見ているユリカモメ。海ではこんなに走り回ることもあるとは
知らなかった。
冬鳥だからもうじきいなくなる。渡り前の真剣な栄養補給だろうが、
まるで波と戯れているかのような可愛い姿にしばし見とれた。

  




 








Posted by Ru Na - 2016.04.04,Mon
湖の中ほどに、何の為か櫓のようなものが幾つも組んであって、
カワウの休憩所になっていた。

  

夕日を受けて、金色に輝き始めた湖。

  

   

  

  

ミレーの「春」色に染まった田園。

  

湖面に光の道。

   

  

散策路を引き返すと、囲いの上にヒドリガモたちがとまり、
お休みの準備。オナガガモも仲良く混じっていた。

  

ヨーロッパガチョウたちは、まだ活動中。

  

「ごはん、誰もくれないんだから・・・つまんないの。」

   








Posted by Ru Na - 2016.04.03,Sun
以前来た時は記憶になかったが、岸辺の一角が網で囲われ、
ガン科の白っぽい鳥がいた。他のカモたちも出入り自由で、
辺りにたむろしている。

 

 

  

囲いの背後を人が通るたび、近寄って食べ物をおねだりする様子。

 

 

 

よっぽどお腹が空いているのか、盛んにねだるのだけれど、
誰も何もくれない。でもちゃんと餌をもらっているのだろう、
餓死寸前というふうでもない。
ハイイロガンとガチョウの交雑種、家禽のヨーロッパガチョウだと、
後で調べて知った。
私の日頃の行動圏では、ガン科の鳥は見られないけれど、
こんな表情豊かで愛想よしの可愛い子たちが、近くにいるといいなあ。
家禽でも野鳥でも、鳥は鳥。みな可愛い。

夕暮れの湖畔をしばらく歩く。
湖にせり出した枝は、カモたちの格好の休憩所。

  

船小屋のある風景。日が沈みかけて、風景のトーンは灰色味がかる。

    

  

  





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