見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
Posted by Ru Na - 2011.01.31,Mon
昨日から降り続いた雪は60cmを超える大雪となった。
この冬の金沢は、年末の寒波以来
雪が消えたことがない。
気温が低いので、一度降った雪が
融けずに残り、その上にさらに雪が積もる
というくり返し。
それでも木の枝に積もった雪は、
いいかげんに消えていたのに、
一晩でこんな状態になってしまった。
庭にはだんだん雪捨て場がなくなってきて、
ヒヨドリたちのお食事場の山茶花も
ついにこんなに埋まってしまった。
でも大丈夫。
テラスや作場の屋根の下に
みかんをかごや太い針金で吊ってあるし、
雪がひどくなってからは、不器用なヒヨのため、
テラスに降りる踏み台の手すりの上や
テラスの地面の上に直接置いたりしている。
2週間ほど前、雪がやはりひどく降った日、今までメジロたちと仲良く交代で食べていたヒヨが、
一体どうしたことか突然、他の小鳥たちを威嚇するようになった。
そして枝の上にとまって羽毛をふるわせる動作を、時々するようになった。
ヒヨ子はこんな子じゃなかったのに・・。
それでも、最初は羽毛をふるわせるヒヨの横で、平然と食べていたメジロたちだったが、
しだいに姿を見せなくなっていた。どこか他にいい場所見つけたかな、と思っていたら、
今日久しぶりに現れ、つがいで仲良く食事していた。
気の弱いウグイスは、電光石火の如く、サッと来てはサッと食べ、サッと去っていく。
この子は、節目節目に私にわざわざ挨拶に来てくれるなかなか優しい子である。
今日またヒヨが羽毛を震わせている、と見ると、ムクドリが庭に降りてきていた。
何度かみかんに近づこうとトライする度、ヒヨに追われていたけれど、
少しは食べられたかしら。
この積雪量だと、池を掘り出すのに相当苦労する。今日は雪かきに半日を費やしてしまった。
それからやっと夕方、香林坊に買い物に出かけた。
雪に埋まっている商店街。
信号機だって重たそう。
街の様子。思ったより歩きやすかった。
ここ数日ずっとこの時間はすでに氷点下だった。
今日は寒さが少しましな気がする。
タテマチ広場は
しっかり雪捨て場になっていた。
大きなかまくらが作れそう。
帰りはまた雪が激しくなった。
明日の朝までに
まだまだ積もりそう。・・嗚呼。
この冬の金沢は、年末の寒波以来
雪が消えたことがない。
気温が低いので、一度降った雪が
融けずに残り、その上にさらに雪が積もる
というくり返し。
それでも木の枝に積もった雪は、
いいかげんに消えていたのに、
一晩でこんな状態になってしまった。
庭にはだんだん雪捨て場がなくなってきて、
ヒヨドリたちのお食事場の山茶花も
ついにこんなに埋まってしまった。
でも大丈夫。
テラスや作場の屋根の下に
みかんをかごや太い針金で吊ってあるし、
雪がひどくなってからは、不器用なヒヨのため、
テラスに降りる踏み台の手すりの上や
テラスの地面の上に直接置いたりしている。
2週間ほど前、雪がやはりひどく降った日、今までメジロたちと仲良く交代で食べていたヒヨが、
一体どうしたことか突然、他の小鳥たちを威嚇するようになった。
そして枝の上にとまって羽毛をふるわせる動作を、時々するようになった。
ヒヨ子はこんな子じゃなかったのに・・。
それでも、最初は羽毛をふるわせるヒヨの横で、平然と食べていたメジロたちだったが、
しだいに姿を見せなくなっていた。どこか他にいい場所見つけたかな、と思っていたら、
今日久しぶりに現れ、つがいで仲良く食事していた。
気の弱いウグイスは、電光石火の如く、サッと来てはサッと食べ、サッと去っていく。
この子は、節目節目に私にわざわざ挨拶に来てくれるなかなか優しい子である。
今日またヒヨが羽毛を震わせている、と見ると、ムクドリが庭に降りてきていた。
何度かみかんに近づこうとトライする度、ヒヨに追われていたけれど、
少しは食べられたかしら。
この積雪量だと、池を掘り出すのに相当苦労する。今日は雪かきに半日を費やしてしまった。
それからやっと夕方、香林坊に買い物に出かけた。
雪に埋まっている商店街。
信号機だって重たそう。
街の様子。思ったより歩きやすかった。
ここ数日ずっとこの時間はすでに氷点下だった。
今日は寒さが少しましな気がする。
タテマチ広場は
しっかり雪捨て場になっていた。
大きなかまくらが作れそう。
帰りはまた雪が激しくなった。
明日の朝までに
まだまだ積もりそう。・・嗚呼。
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Posted by Ru Na - 2011.01.26,Wed
まったくもって迷惑な話。
今年の夏に、テレビのアナログ放送が、デジタル放送に換るという。
国の方針だからと、なにやかやその理由を言うけれど、
テレビを見たくば地デジ受信機を期日までに個人負担で用意せよと、半ば強制。
機械が壊れれば新しいシステムのものを買うのはいたしかたがないが、
我が家のブラウン管テレビは9年目だけれど、まだしっかりきれいに映っている。
まだ壊れていないものを買い換えるのは、それこそ「もったいない」。
しかし、チューナーを付けたとたんテレビの寿命が来る、という可能性もある。
そこで、どちらにしても必要になる、デジタル放送対応のレコーダーを先に購入して、
当分チューナー代わりにしようということになり、12月頃からあれこれ調べはじめた。
調べてみて分かったのが、もはやDVDレコーダーは生産縮小で、
みなブルーレイレコーダーに呑み込まれつつあること。
2番組同時録画機能のWチューナー付きでなければ、
録画しているチャンネル以外は視聴できないということ。
まだ高価いブルーレイレコーダーだが、どうせ買うなら納得のいく機能の機種を
納得のいく価格で(なるべく安く)買いたい。
ネットで“価格コム”など、いろんな口コミを読み、メーカーのサイトを見、
気になるものは取り扱い説明書をダウンロードしたりもした。
また、壁(アンテナ線の出口)→ブースター(電波増幅器)→VHSビデオデッキ→アナログテレビ
という接続をしているので、
壁→ブースター→VHSビデオデッキ→ブルーレイレコーダー→アナログテレビ
といったように、アナログ機器の間にデジタル機器をはさんで使えるかどうか。
接続のアンテナケーブルはどうすればいいのか。
まず、同軸ケーブルとは何ぞや、から調べはじめた。
それから、どこのメーカーのものが良いかの選択。
T社のは比較的安価だけれど、エラーの多さであまり評判が良くない。
P社かS社のものが良さそうで、特にP社製は画質が良いらしい。
4機種くらいに候補をしぼり、アンテナケーブルについても調べたり、
そうこうするうちに、目をつけていた機種の、“価格コム”に載っている価格が、
面白いくらいどんどん下がってきて、各店が値下げ競争をしているよう。
1ヶ月で1万円以上下がった。
どこで手を打つか、を毎日まるで株価の動向を見るみたいに注視していた。
ネット通販で購入の場合、信用が出来る店かどうかも調べなければならない。
そして、いくつかのチャンスを逃した後、
年末についにメールで注文。
年が明けて、注文した店の営業が始まってから、注文確定のメールが返ってきて、
それから数日後、品が無事届いた。
延長保障も付けて、別のところに注文したアンテナケーブルやブルーレイディスクメディアも
含めて、金沢の家電量販店のセール価格より安く購入できた。
さて7日間の間に、初期不良がないか試してみなければならない。
2時間ほどかけてなんとか思ったように接続できて、
アナログ機器→デジタル機器→アナログ機器 でちゃんと放送が受信できることが
確認できた。
おまけに、今まで見られなかった、NHK BSハイビジョン局もみられるようになった。
ところが、ハイビジョン番組の録画を始めたら、テレビ画面の色がおかしくなった。
なぜ。初期不良かしら。アンテナケーブルのせいかしら。と
あせっていろいろ原因を考え、いろいろやってみる。
テレビに接続した古いS端子ケーブルを交換したら解決した。
それにしても、デジタル放送のチャンネルの多いこと。
何が何だか分からなくなる。こんなに番組が沢山必要かしら?
アナログ終了まで、できるだけアナログ放送の方を見ようと思う。
ハードディスクのレコーダー自体が初めてなので、
(今までは、VHSテープに録って、アナログDVDレコーダーでダビングしていた。)
ハードディスクに録画して、それを改めてDVDやBDメディアにダビングする、
といった手順を、ひとつづつ試している。
それで分かったこと。
デジタル放送は、DVD-Rにビデオ方式ではダビングできず、VR方式にしか対応していない。
なんでなの。
写真はほとんど文章と関係ありません。
文字ばっかりじゃつまんない、と思って
適当に載せました。
Posted by Ru Na - 2011.01.21,Fri
1月19日
雪を被った屋根並みの映像の1シーンが欲しくて、夕方撮影に出かけた帰り、
あい変わらず雪で白くおおわれた川原に降りてみた。
もうかなり暗くなっていたけれど、カモたちの姿が点々と認められた。
カワアイサが二羽、と思って双眼鏡をのぞいてみたら・・・・。
何と!ほっぺたのところに白い斑紋が!
これがうわさのホオジロガモかしら?
一生懸命目をこらす。
こんな時に限って、持参のビデオカメラには、うっかりあまり残量のないバッテリーを
装着していたので、映像撮影ができないのが残念。
では、コンデジ(コンパクトデジカメ)の出番。
しかし遠い上にあたりは暗く、デジタルズーム40倍では手ぶれがひどい。
それでも、後で家で本と照らし合わせて確認する手がかりになった。
確かにホオジロガモ。 やったね!やっと見つけた。
先日から何度も見かけた、羽毛に頭をつっこんで寝ているカワアイサだと思っていた彼らも
実はホオジロガモだったのかもしれない。
鉛色の重い空は、西の地平に近いところだけが薄くなり、
白い雲の背後で今沈む陽の、光線が透けて染まり、
まるでバロック絵画(ブーシェやフラゴナールなど)に描かれた空のような、
神々しいまでの様相を、束の間地上に見せてくれた。
雪を被った屋根並みの映像の1シーンが欲しくて、夕方撮影に出かけた帰り、
あい変わらず雪で白くおおわれた川原に降りてみた。
もうかなり暗くなっていたけれど、カモたちの姿が点々と認められた。
カワアイサが二羽、と思って双眼鏡をのぞいてみたら・・・・。
何と!ほっぺたのところに白い斑紋が!
これがうわさのホオジロガモかしら?
一生懸命目をこらす。
こんな時に限って、持参のビデオカメラには、うっかりあまり残量のないバッテリーを
装着していたので、映像撮影ができないのが残念。
では、コンデジ(コンパクトデジカメ)の出番。
しかし遠い上にあたりは暗く、デジタルズーム40倍では手ぶれがひどい。
それでも、後で家で本と照らし合わせて確認する手がかりになった。
確かにホオジロガモ。 やったね!やっと見つけた。
先日から何度も見かけた、羽毛に頭をつっこんで寝ているカワアイサだと思っていた彼らも
実はホオジロガモだったのかもしれない。
鉛色の重い空は、西の地平に近いところだけが薄くなり、
白い雲の背後で今沈む陽の、光線が透けて染まり、
まるでバロック絵画(ブーシェやフラゴナールなど)に描かれた空のような、
神々しいまでの様相を、束の間地上に見せてくれた。
Posted by Ru Na - 2011.01.17,Mon
16日は兼六園の探鳥会の日。
なのに、昨夜から吹き荒れた粉雪が朝になっても治まらず、
庭に出ると、横から吹き付ける細かい雪で目を開けているのも辛いくらい。
これでは兼六園に歩いてゆく途中で遭難しそう。
楽しみにしていた久しぶりの探鳥会はあきらめて、
池の上に山のように積もった雪の雪かきをした。
1時間半くらいして、やっと池の上の波板に到達して、
その下の池の中をのぞいて、金魚たちの無事を確かめられた。
その間、ヒヨやメジロは、雪かきする私のすぐ側で、
風に飛ばされそうになりながら、せっせとみかんを食べ続けていた。
12時からは野鳥の会の新年会。会場の広坂休憩館(県立美術館別館)に
向かう頃には雪もやみ、青空が見えた。
踏み固められた雪で、歩道はつるつる。長靴でよかった。
石浦神社の常夜灯も、
横からの雪でこんなに真っ白。
兼六園の横の坂も
まるで粉砂糖をまぶしたみたい。
会場の広坂休憩館もこんな状態。
楽しい新年会の帰り、友人と近代文学館に寄って、旧知の漫画家の原画展を見た。
元四高の建物を使った文学館は、
昔の建材や装飾をそのまま残し、
いつも静かで落ち着いた雰囲気で、
私のお気に入りの場所。
なのに、昨夜から吹き荒れた粉雪が朝になっても治まらず、
庭に出ると、横から吹き付ける細かい雪で目を開けているのも辛いくらい。
これでは兼六園に歩いてゆく途中で遭難しそう。
楽しみにしていた久しぶりの探鳥会はあきらめて、
池の上に山のように積もった雪の雪かきをした。
1時間半くらいして、やっと池の上の波板に到達して、
その下の池の中をのぞいて、金魚たちの無事を確かめられた。
その間、ヒヨやメジロは、雪かきする私のすぐ側で、
風に飛ばされそうになりながら、せっせとみかんを食べ続けていた。
12時からは野鳥の会の新年会。会場の広坂休憩館(県立美術館別館)に
向かう頃には雪もやみ、青空が見えた。
踏み固められた雪で、歩道はつるつる。長靴でよかった。
石浦神社の常夜灯も、
横からの雪でこんなに真っ白。
兼六園の横の坂も
まるで粉砂糖をまぶしたみたい。
会場の広坂休憩館もこんな状態。
楽しい新年会の帰り、友人と近代文学館に寄って、旧知の漫画家の原画展を見た。
元四高の建物を使った文学館は、
昔の建材や装飾をそのまま残し、
いつも静かで落ち着いた雰囲気で、
私のお気に入りの場所。
Posted by Ru Na - 2011.01.14,Fri
昨日のこと、寺町に用事があったので、道の途中の川原に降りてみた。
気になるホオジロガモが今回は見つかるかしら。
先日より雪の量が減って、幾分歩きやすい。
カワアイサが数羽、頭を羽根につっこんで休んでいた。
2日前より、カモたちの数が多く、
この日もかなり気温が低かったのに、
(多分この時間1℃もなかった。)
鳥たちはけっこう活動的で楽しげ。
オオバンは対岸の方、
皆なかなか近くに来てくれないが、
カルガモだけは平気でそばに寄ってくる。
活発に泳ぎ回っているのは、カワアイサの雌。
男の子は寒さでじっとしているのに、女の子の方が元気みたい。
キンクロハジロがいる、という話も聞いていたので、その姿を探す。
私は、冬にこの川で見かける白黒カモはみんなカワアイサだと思い込んでいた。
よく見ると、黒白の入り方も体形も違う。一緒にいるのは奥さん?
それにしても、この子たちもすぐ水に潜ってしまう。
この子がとても気になって追跡。
嘴の近くに白い斑点が・・・。
帰ってから鳥の本を見ると、
キンクロハジロの雌には
嘴の元に白い紋を持つものがある、
と書いてあった。
この日は他に、ツグミ、ハクセキレイ、
ムクドリ、ヒヨドリもいた。
半月が中空にかかり、
雪の夕刻は、独特の光を放つ。
気になるホオジロガモが今回は見つかるかしら。
先日より雪の量が減って、幾分歩きやすい。
カワアイサが数羽、頭を羽根につっこんで休んでいた。
2日前より、カモたちの数が多く、
この日もかなり気温が低かったのに、
(多分この時間1℃もなかった。)
鳥たちはけっこう活動的で楽しげ。
オオバンは対岸の方、
皆なかなか近くに来てくれないが、
カルガモだけは平気でそばに寄ってくる。
活発に泳ぎ回っているのは、カワアイサの雌。
男の子は寒さでじっとしているのに、女の子の方が元気みたい。
キンクロハジロがいる、という話も聞いていたので、その姿を探す。
私は、冬にこの川で見かける白黒カモはみんなカワアイサだと思い込んでいた。
よく見ると、黒白の入り方も体形も違う。一緒にいるのは奥さん?
それにしても、この子たちもすぐ水に潜ってしまう。
この子がとても気になって追跡。
嘴の近くに白い斑点が・・・。
帰ってから鳥の本を見ると、
キンクロハジロの雌には
嘴の元に白い紋を持つものがある、
と書いてあった。
この日は他に、ツグミ、ハクセキレイ、
ムクドリ、ヒヨドリもいた。
半月が中空にかかり、
雪の夕刻は、独特の光を放つ。
Posted by Ru Na - 2011.01.12,Wed
Posted by Ru Na - 2011.01.06,Thu
Posted by Ru Na - 2011.01.01,Sat
明けましておめでとうございます。
年末年始に暴風雪になるという天気予報がはずれて、今日は小雨で、そう寒くない。
午後から初詣に出かけ、そのまま雪の兼六園を散策した。
Kénroku-én (Le jardin du château)
段差のある園内には、二つの大きな池のほか
方々に小さなせせらぎがある。
流れを眺めながらゆっくり歩いていると、
瑠璃色の点がきらりと光って飛んだ。
カワセミだった!
兼六園にカワセミがいると聞いてはいたものの
見たのは初めて。
ようやく撮った一枚は、手ぶれで残念。
木立の間の芝には、シロハラとセグロセキレイが一緒にかけ回っていた。
霞が池は半分以上雪で覆われ、
鴨たちの姿はなく、
鯉たちはとても寒そうな顔をしていた。
いつもこの場所にいる緋鯉の
メンバーが足りない。
どうしたのだろう。
雲が切れて青空が見え、医王山がつかの間の夕映えに美しく染まった。
年末年始に暴風雪になるという天気予報がはずれて、今日は小雨で、そう寒くない。
午後から初詣に出かけ、そのまま雪の兼六園を散策した。
Kénroku-én (Le jardin du château)
段差のある園内には、二つの大きな池のほか
方々に小さなせせらぎがある。
流れを眺めながらゆっくり歩いていると、
瑠璃色の点がきらりと光って飛んだ。
カワセミだった!
兼六園にカワセミがいると聞いてはいたものの
見たのは初めて。
ようやく撮った一枚は、手ぶれで残念。
木立の間の芝には、シロハラとセグロセキレイが一緒にかけ回っていた。
霞が池は半分以上雪で覆われ、
鴨たちの姿はなく、
鯉たちはとても寒そうな顔をしていた。
いつもこの場所にいる緋鯉の
メンバーが足りない。
どうしたのだろう。
雲が切れて青空が見え、医王山がつかの間の夕映えに美しく染まった。
Posted by Ru Na - 2010.12.27,Mon
雪の降り始めの景色はそう悪くない。
どんより雲って灰色の街に、さっと刷毛ではいたような白が加わるのは
なかなか風情がある。
風景がすっぽりと真綿に包まれるようになるのも悪くない。
埃にまみれた街が浄化されたように見える。
ただしそれは、雪をのんびり鑑賞できる余裕があってのこと。
おとついから降りだした雪がしだいに本降りになって、
この冬は予行練習なしにいきなり大雪になった。
庭の池の金魚たちを、寒さと雪から守るため、角材を何本も渡した上に透明な波板を乗せて、
さらにその上の一部に、光を透すビニールシートを被せてあるが、
昼間雪が積もれば、池が暗くなってかわいそうなので、
しょっちゅう雪払いをするし、
古い家を建て直して以来、大屋根の雪が池を直撃するので、油断ができない。
10cmの積雪だと、池の上はその倍以上。
角材と波板が雪の重みに耐えられなくなる前に、夜でも雪かきが必要になる。
だから私の冬は、夏同様とても忙しい。
雪の降り始める数日前から、庭にヒヨドリのつがいが来るようになった。
山茶花の枝の上下に刺したりんごやみかんをつついている。
まだ警戒心が強くて、すぐ逃げてしまうが。
そして今日、ついにメジロがみかんにしがみついているところを
窓越しに目撃した。
メジたち、これから毎日来てくれるかな。
Posted by Ru Na - 2010.12.25,Sat
Joyeux Noël à tout le monde!
一年の最後の月、クリスマスから降誕節が始まる。
イエスキリストの誕生日は、正確には分かっていないが、
四世紀頃に、一年で一番長い夜の季節にこそ希望の灯をともそうと、
クリスマスを12月25日に定めた、という説を聞いたことがある。
それから幾世紀、クリスマスは民俗、宗教を超えた世界的な楽しい行事となり、
世界中あちこちで街角は華やかに飾られ、人々は思い思いの祝祭を過ごす。
寒波がやって来て、舞う雪が薄っすらと街を覆い始めたイヴに
我が家でも、ささやかな飾りつけの下で、ささやかなクリスマスの食卓を囲んだ。
クリスマスには様々な思い出がある。
祖母がクリスチャンだったので、
子供の頃はよく教会のクリスマス礼拝に
雪道を歩いて出かけたものだった。
24日の晩になると、家の外から
よく賛美歌が聞こえた。
ローソクを手にしたクリスマスキャロルの
一行が訪ねて来たのである。
私も一度キャロルに参加したことがある。
みぞれ混じりの宵、教会の信者の家を
一軒づつ回って歌うのは楽しかった。
キリスト教系の幼稚園に行っていたので、
小学生になっても、そのまま同じ幼稚園の
日曜学校に、中学を卒業するまで通った。
そこでは、クリスマスにキリスト降誕の
聖劇を子供たちで演じる慣わしだった。
最年少クラスは、たいてい羊の役。
大きくなるにつれ、羊飼い役や宿屋の人、
東方の三博士、といろんな役をした。
天使役になれると、白くて薄いベールを
まとい、頭にきらきらした銀の輪を被れるのが嬉しかった。
小学生の時はついに、あこがれの聖母マリア役が一度だけ回ってきた。
(途中とちってしまったが。)
中学生になると、もっぱら聖歌隊。進行役でもある。
その後、宗教を外側から見るようになり、
教会から離れてしまったが、
降誕劇で覚えた台詞は、
今でもすぐ口をついて出てくるし、
聖書の物語を沢山聞いたのは、
後年、西洋美術や文学などを
理解する上で、大いに役立っている。
何より、幼い頃から美しい旋律と
美しい言葉に満ちた賛美歌に
触れられたのは幸いだったと思う。
まぶねのかたえに われは立ちて
受けたるたまもの たたえまつる
いのちのいのちよ わがものすべてを
とりて よきしたまえ
天(あめ)には栄え 御神にあれや
土には安き 人にあれやと
御使いたちが たたうる歌を
聞きてもろびと ともに喜び
いまぞ生まれし 御子をたたえん
上の賛美歌は、J.S.バッハのモッテット、
下のものはメンデルスゾーンの作曲だと後年知った。
すぐれた音楽とすぐれた訳詩は(記憶にたよって書いているので
正確かどうか)小さな子供の胸にも深く刻み込まれる。
それから、クリスマスの色彩。
私が子供の頃はまだ、クリスマスは一般的ではなく、
今のように飾りが街にあふれているということはなかった。
入園前のごく幼い頃から、親が目を離したすきに、一人でトコトコ幼稚園まで
遊びに行っていたほど幼稚園っ子だったらしい私の記憶に、
今もなおはっきり残っている光景がある。2歳ごろだったろうか。
広い玄関を入ったところの、広いホールの奥、磨きこまれた古い濃い茶色の床板に
大きなツリーが置かれていて、濃い緑の樅の枝に無数に飾られている金と赤の飾り。
赤・金・緑・茶 の日常では見られない色の組み合わせに、ただもう、うっとりとしていた。
園長先生が、金のリボンを十字にかけた赤い包み紙にくるまれた小箱を、
ツリーから一つはずして下さったのを覚えている。
それ以来、クリスマスは子供の頃の最も美的な色彩の日になった。
南フランスのマルセイユに留学した時に知ったこと。
プロヴァンス地方では、「サントン」という素焼きの人形に色をつけたものを、
クリスマスに飾るのが一般的。
12月になるとマルセイユの中心街にサントン市がたつ。
それぞれの工房が店を出しているので、工房によって微妙に違う作りの人形を、
市を回って、お気に入りの表情をしたものを見つけるのが、マルセイユっ子の楽しみである。
古代ギリシアのタナグラ人形が起源というサントン。
旧港の近くの博物館で、とても古い大きなサントンを見ることができる。
プロヴァンスの伝統装束を着た人形が多く、キリストの生誕の情景を作って、
周りをプロヴァンス人達が取り囲むような形に配置する。
(私はあまり色んなサントンを買って来なかったので、それを今再現できないが。)
スペインの市場でも、似たようななものが売られていたが、
こちらはプラスチック製だった。
古いドイツ民謡に、樅の木を歌ったものが多数あることからして、
どうやらツリーはドイツなど北の国のものらしい。
イギリスでは、クリスマス三ヶ日の感覚で、26日はボキシング・ディといって、
プレゼントを開ける日らしい。
国によって様々な習慣があるが、特にヨーロッパでは、キリスト教以前の土着の宗教の
(例えばドルイド教など)風習の影響を、色濃く残しているように思われる。
一年の最後の月、クリスマスから降誕節が始まる。
イエスキリストの誕生日は、正確には分かっていないが、
四世紀頃に、一年で一番長い夜の季節にこそ希望の灯をともそうと、
クリスマスを12月25日に定めた、という説を聞いたことがある。
それから幾世紀、クリスマスは民俗、宗教を超えた世界的な楽しい行事となり、
世界中あちこちで街角は華やかに飾られ、人々は思い思いの祝祭を過ごす。
寒波がやって来て、舞う雪が薄っすらと街を覆い始めたイヴに
我が家でも、ささやかな飾りつけの下で、ささやかなクリスマスの食卓を囲んだ。
クリスマスには様々な思い出がある。
祖母がクリスチャンだったので、
子供の頃はよく教会のクリスマス礼拝に
雪道を歩いて出かけたものだった。
24日の晩になると、家の外から
よく賛美歌が聞こえた。
ローソクを手にしたクリスマスキャロルの
一行が訪ねて来たのである。
私も一度キャロルに参加したことがある。
みぞれ混じりの宵、教会の信者の家を
一軒づつ回って歌うのは楽しかった。
キリスト教系の幼稚園に行っていたので、
小学生になっても、そのまま同じ幼稚園の
日曜学校に、中学を卒業するまで通った。
そこでは、クリスマスにキリスト降誕の
聖劇を子供たちで演じる慣わしだった。
最年少クラスは、たいてい羊の役。
大きくなるにつれ、羊飼い役や宿屋の人、
東方の三博士、といろんな役をした。
天使役になれると、白くて薄いベールを
まとい、頭にきらきらした銀の輪を被れるのが嬉しかった。
小学生の時はついに、あこがれの聖母マリア役が一度だけ回ってきた。
(途中とちってしまったが。)
中学生になると、もっぱら聖歌隊。進行役でもある。
その後、宗教を外側から見るようになり、
教会から離れてしまったが、
降誕劇で覚えた台詞は、
今でもすぐ口をついて出てくるし、
聖書の物語を沢山聞いたのは、
後年、西洋美術や文学などを
理解する上で、大いに役立っている。
何より、幼い頃から美しい旋律と
美しい言葉に満ちた賛美歌に
触れられたのは幸いだったと思う。
まぶねのかたえに われは立ちて
受けたるたまもの たたえまつる
いのちのいのちよ わがものすべてを
とりて よきしたまえ
天(あめ)には栄え 御神にあれや
土には安き 人にあれやと
御使いたちが たたうる歌を
聞きてもろびと ともに喜び
いまぞ生まれし 御子をたたえん
上の賛美歌は、J.S.バッハのモッテット、
下のものはメンデルスゾーンの作曲だと後年知った。
すぐれた音楽とすぐれた訳詩は(記憶にたよって書いているので
正確かどうか)小さな子供の胸にも深く刻み込まれる。
それから、クリスマスの色彩。
私が子供の頃はまだ、クリスマスは一般的ではなく、
今のように飾りが街にあふれているということはなかった。
入園前のごく幼い頃から、親が目を離したすきに、一人でトコトコ幼稚園まで
遊びに行っていたほど幼稚園っ子だったらしい私の記憶に、
今もなおはっきり残っている光景がある。2歳ごろだったろうか。
広い玄関を入ったところの、広いホールの奥、磨きこまれた古い濃い茶色の床板に
大きなツリーが置かれていて、濃い緑の樅の枝に無数に飾られている金と赤の飾り。
赤・金・緑・茶 の日常では見られない色の組み合わせに、ただもう、うっとりとしていた。
園長先生が、金のリボンを十字にかけた赤い包み紙にくるまれた小箱を、
ツリーから一つはずして下さったのを覚えている。
それ以来、クリスマスは子供の頃の最も美的な色彩の日になった。
南フランスのマルセイユに留学した時に知ったこと。
プロヴァンス地方では、「サントン」という素焼きの人形に色をつけたものを、
クリスマスに飾るのが一般的。
12月になるとマルセイユの中心街にサントン市がたつ。
それぞれの工房が店を出しているので、工房によって微妙に違う作りの人形を、
市を回って、お気に入りの表情をしたものを見つけるのが、マルセイユっ子の楽しみである。
古代ギリシアのタナグラ人形が起源というサントン。
旧港の近くの博物館で、とても古い大きなサントンを見ることができる。
プロヴァンスの伝統装束を着た人形が多く、キリストの生誕の情景を作って、
周りをプロヴァンス人達が取り囲むような形に配置する。
(私はあまり色んなサントンを買って来なかったので、それを今再現できないが。)
スペインの市場でも、似たようななものが売られていたが、
こちらはプラスチック製だった。
古いドイツ民謡に、樅の木を歌ったものが多数あることからして、
どうやらツリーはドイツなど北の国のものらしい。
イギリスでは、クリスマス三ヶ日の感覚で、26日はボキシング・ディといって、
プレゼントを開ける日らしい。
国によって様々な習慣があるが、特にヨーロッパでは、キリスト教以前の土着の宗教の
(例えばドルイド教など)風習の影響を、色濃く残しているように思われる。
Posted by Ru Na - 2010.12.22,Wed
Posted by Ru Na - 2010.12.19,Sun
日本野鳥の会会員の友人に誘われて、加賀市片野の鴨池に行った。
この時期、北陸でこんなにすっきりと晴れ上がる日は少なく、貴重な一日。
車窓から、雪を頂いた白山がきれいに見えた。
片野の鴨池観察館についた頃には、もう夕暮れ。
長い竹ざおの束を横抱えにしたおじさんたちが、何人も道を歩いて行く。
聞くと、飛んでいる鴨を宙に投げ上げた網で捕らえる伝統の「坂網猟」の人達だという。
この伝統の技を守りながら、潟周辺の環境保全に努めているらしい。
こんな沢山のマガンが一堂に会しているのを見るのは初めて。その賑やかなこと。
(ガラス張りの観察館の中には、外のマイクでひろった音声がライヴで流されている。)
しだいに暗くなるので、
鳥たちの色がよく見えないが、
マガンのお尻の白さが目立つ。
遠くには、ダイサギの姿。
カワウも混じっているらしい。
観察館のスタッフに
教えられて、
-サンカノゴイ-という
ゴイサギを茶色くしたような
鳥が岸辺にいるのを見た。
館の双眼鏡で覗くと、
じっとしている後姿から
首が少し伸びてきて、
そのうち踊るような動作をして
いなくなった。
遠くて暗くて、
肉眼で見つけるのは難しい。
一日の仕事を終えたコハクチョウが二羽戻ってきたが、
すでに写真を撮るには暗すぎる。
交代でこれから近くの田んぼに出かける鳥たちが、時々群れを成して飛んで行く。
スタッフが、「今、○○が飛び立ちました。右の方です。」などとアナウンスするので、
それにつられて空を見ると、密集した黒い点のような群れのシルエットが
ざあっと過ぎて行く。
かすみがかかったように見える群れは、トモエガモだという。
暗くて見えなかったのだが、実はマガンの後方にはトモエガモが沢山いたのだった。
この時期、北陸でこんなにすっきりと晴れ上がる日は少なく、貴重な一日。
車窓から、雪を頂いた白山がきれいに見えた。
片野の鴨池観察館についた頃には、もう夕暮れ。
長い竹ざおの束を横抱えにしたおじさんたちが、何人も道を歩いて行く。
聞くと、飛んでいる鴨を宙に投げ上げた網で捕らえる伝統の「坂網猟」の人達だという。
この伝統の技を守りながら、潟周辺の環境保全に努めているらしい。
こんな沢山のマガンが一堂に会しているのを見るのは初めて。その賑やかなこと。
(ガラス張りの観察館の中には、外のマイクでひろった音声がライヴで流されている。)
しだいに暗くなるので、
鳥たちの色がよく見えないが、
マガンのお尻の白さが目立つ。
遠くには、ダイサギの姿。
カワウも混じっているらしい。
観察館のスタッフに
教えられて、
-サンカノゴイ-という
ゴイサギを茶色くしたような
鳥が岸辺にいるのを見た。
館の双眼鏡で覗くと、
じっとしている後姿から
首が少し伸びてきて、
そのうち踊るような動作をして
いなくなった。
遠くて暗くて、
肉眼で見つけるのは難しい。
一日の仕事を終えたコハクチョウが二羽戻ってきたが、
すでに写真を撮るには暗すぎる。
交代でこれから近くの田んぼに出かける鳥たちが、時々群れを成して飛んで行く。
スタッフが、「今、○○が飛び立ちました。右の方です。」などとアナウンスするので、
それにつられて空を見ると、密集した黒い点のような群れのシルエットが
ざあっと過ぎて行く。
かすみがかかったように見える群れは、トモエガモだという。
暗くて見えなかったのだが、実はマガンの後方にはトモエガモが沢山いたのだった。
Posted by Ru Na - 2010.12.14,Tue
季候と気温が目まぐるしく変わるこの頃、
どうやら金沢も、いよいよ雪の季節に突入しそう。
比較的暖かな日が多くて、まだ秋の気分なのだけれど。
庭の山茶花の老木は、
いつの間にかしたの方の
一枝に白い花も咲かせるようになった。
中心の枝は、もう何年も前から枯れている。
もうじきこの木の一枝に
ミカンやリンゴを刺して
小鳥たちの冬のレストランを開店する。
強風にも耐えていたプチトマトの季節は
もうお終い。鉢を片付けた。
最後に収穫したまだ青い実は、
かごに入れて置いておくと
そのうち赤くなる。
まばらな南天の実。一体いつ誰がついばんでいるのか。
室内に射す陽光が、
ありがたく感じられる季節。
夏にはあんなに忌わしく思えた
太陽なのに。
雪降る前の、今年最後の池の水換えも無事終えた。
どうやら金沢も、いよいよ雪の季節に突入しそう。
比較的暖かな日が多くて、まだ秋の気分なのだけれど。
庭の山茶花の老木は、
いつの間にかしたの方の
一枝に白い花も咲かせるようになった。
中心の枝は、もう何年も前から枯れている。
もうじきこの木の一枝に
ミカンやリンゴを刺して
小鳥たちの冬のレストランを開店する。
強風にも耐えていたプチトマトの季節は
もうお終い。鉢を片付けた。
最後に収穫したまだ青い実は、
かごに入れて置いておくと
そのうち赤くなる。
まばらな南天の実。一体いつ誰がついばんでいるのか。
室内に射す陽光が、
ありがたく感じられる季節。
夏にはあんなに忌わしく思えた
太陽なのに。
雪降る前の、今年最後の池の水換えも無事終えた。
Posted by Ru Na - 2010.12.06,Mon
八幡神社を出た頃から、しだいに天気は下り坂。
これから敦賀半島を横断し、三方五湖に向かうのに、
コンビニに寄ってお弁当を買っている間に雨が降りだした。
敦賀半島の付け根から、
気比の松原を望む。
半島のこちら側にも
きれいな浜が幾つも連なっている。
しだいに雨は激しさを増し、敦賀半島の山中の紅葉もかすんで残念。
半島の西側に抜けると、ちょうど水晶浜に出た。
砂も水も水晶のようにきれい、ということで、日本の砂浜八十八選になっていて、
夏には関西方面からの海水浴客でいっぱいというこの浜も、
今は雨と強風でひどく荒れ、車から出てみたものの横なぐりの雨、
落ち着いて撮影するどころか、駐車場の公衆トイレの建物の陰から
のぞいて見るのがやっと。
海上には風にあおられているサーファーの姿が点々とあった。
向こうの岬には原発が見える。
高速増殖炉もんじゅも、ここから遠くないはず。
よくもまあ、原発の近くの海に入る気になれるな、
というより、よりによってこんな綺麗な処をなんで原発だらけにしてしまったのだろう、と
荒れてもなお美しい海の色を眺めながら、やりきれない思いだった。
美浜町に入るトンネルの出口で、何かが目に飛び込んだ。
ほんの一瞬だったが、車道脇を悠々と歩いている猿の顔の鮮やかな薄赤色が
目の奥に残った。
久々子湖のほとりを通って三方五湖レインボーラインへ。
道はどんどん登って行き、右に左にと垣間見える五湖がしだいに低くなる。
かなり登って、第一駐車場に到着。
ここはすでに見晴らしの良い展望台
になっていて、
海も湖も広々と見渡せる。
それにしても風が強く寒い。
時折さっと晴れるが、
次の瞬間また雨が降り出す。
水平線が霞んで空と区別がつかない。
ここから山頂公園には
リフトとケーブルカーがある。
せっかくだからと
ケーブルカーに乗り山頂へ。
これだけ登っただけなのに、
視野がかなり広くなった。
360度の海と山と湖の
大俯瞰。
と、見渡す間も無く、大粒の雨が
たたきつけるように落ちてきた。
景色は忽ちかき曇り、
一面鉛色に暗くなり、
強風に足を掬われそうになる。
細長い公園を、風に逆らいながら
やっと進み、
ようやく展望テラスが屋根代わりに
なっている下層階に避難。
しかしここも吹きさらし。
(奥にはカブトムシが冬眠する
大きなガラスケースがあった。)
雨は真横から吹き付ける。
ケーブルカーで一緒だったカップルは、早々と降りてしまった。
公園内の建物はみんな閉まっていて、中に入れない。
やっとのこと、小さな茶室の建物の陰で、しばらく雨風をしのぐ。
雲は速く流れ、ところどころ破れ目から光が落ちるので、
霞んだ遠景にスポットライトが移動するように、
一瞬だけ明るみ、たちどころにまた灰色に沈む。
雨風が治まった、とその瞬間、二重の虹が現れた。
それも見る間に消えてゆき、
一片の白い小さな雲にかかる
梯子の様になってしまった。
今や訪問者は我々だけになって
しまった公園の、
ささやかなバラ園で、
管理人らしい小父さんが一人
黙々とバラの手入れをしていた。
最初に避難したテラスの上には、
「誓いの鍵」を奉納するコーナーが。
かわらけ投げができる場所もある。
めだか村という小さな流れもしつらえてあったが、
いくら目を凝らしても、めだかの姿は見えなかった。
横には、「めだかたちは寒いので一番底に潜ってじっとしています。」
と、張り紙があった。
刻々と天気は変わる。
陽が射すと、周囲の山の紅葉がこんなにもまぶしい。
光と影が交錯するスペクタクルを、もっと見ていたかったが、
あまりにも寒く、山頂を降りた。
土産物屋でしばらく暖をとって外に出ると、
海側の空には竜巻が垂れ下がっていた。
一路金沢へ。
帰ってから、その日福井と石川で、屋根が飛ばされるなど
竜巻の被害が数件あったことを知った。
お土産屋さんの入り口にあった
植物でできた大きな亀。
お土産のカニの格好をしたリーフパイ。
カニは入っていなかった。
これから敦賀半島を横断し、三方五湖に向かうのに、
コンビニに寄ってお弁当を買っている間に雨が降りだした。
敦賀半島の付け根から、
気比の松原を望む。
半島のこちら側にも
きれいな浜が幾つも連なっている。
しだいに雨は激しさを増し、敦賀半島の山中の紅葉もかすんで残念。
半島の西側に抜けると、ちょうど水晶浜に出た。
砂も水も水晶のようにきれい、ということで、日本の砂浜八十八選になっていて、
夏には関西方面からの海水浴客でいっぱいというこの浜も、
今は雨と強風でひどく荒れ、車から出てみたものの横なぐりの雨、
落ち着いて撮影するどころか、駐車場の公衆トイレの建物の陰から
のぞいて見るのがやっと。
海上には風にあおられているサーファーの姿が点々とあった。
向こうの岬には原発が見える。
高速増殖炉もんじゅも、ここから遠くないはず。
よくもまあ、原発の近くの海に入る気になれるな、
というより、よりによってこんな綺麗な処をなんで原発だらけにしてしまったのだろう、と
荒れてもなお美しい海の色を眺めながら、やりきれない思いだった。
美浜町に入るトンネルの出口で、何かが目に飛び込んだ。
ほんの一瞬だったが、車道脇を悠々と歩いている猿の顔の鮮やかな薄赤色が
目の奥に残った。
久々子湖のほとりを通って三方五湖レインボーラインへ。
道はどんどん登って行き、右に左にと垣間見える五湖がしだいに低くなる。
かなり登って、第一駐車場に到着。
ここはすでに見晴らしの良い展望台
になっていて、
海も湖も広々と見渡せる。
それにしても風が強く寒い。
時折さっと晴れるが、
次の瞬間また雨が降り出す。
水平線が霞んで空と区別がつかない。
ここから山頂公園には
リフトとケーブルカーがある。
せっかくだからと
ケーブルカーに乗り山頂へ。
これだけ登っただけなのに、
視野がかなり広くなった。
360度の海と山と湖の
大俯瞰。
と、見渡す間も無く、大粒の雨が
たたきつけるように落ちてきた。
景色は忽ちかき曇り、
一面鉛色に暗くなり、
強風に足を掬われそうになる。
細長い公園を、風に逆らいながら
やっと進み、
ようやく展望テラスが屋根代わりに
なっている下層階に避難。
しかしここも吹きさらし。
(奥にはカブトムシが冬眠する
大きなガラスケースがあった。)
雨は真横から吹き付ける。
ケーブルカーで一緒だったカップルは、早々と降りてしまった。
公園内の建物はみんな閉まっていて、中に入れない。
やっとのこと、小さな茶室の建物の陰で、しばらく雨風をしのぐ。
雲は速く流れ、ところどころ破れ目から光が落ちるので、
霞んだ遠景にスポットライトが移動するように、
一瞬だけ明るみ、たちどころにまた灰色に沈む。
雨風が治まった、とその瞬間、二重の虹が現れた。
それも見る間に消えてゆき、
一片の白い小さな雲にかかる
梯子の様になってしまった。
今や訪問者は我々だけになって
しまった公園の、
ささやかなバラ園で、
管理人らしい小父さんが一人
黙々とバラの手入れをしていた。
最初に避難したテラスの上には、
「誓いの鍵」を奉納するコーナーが。
かわらけ投げができる場所もある。
めだか村という小さな流れもしつらえてあったが、
いくら目を凝らしても、めだかの姿は見えなかった。
横には、「めだかたちは寒いので一番底に潜ってじっとしています。」
と、張り紙があった。
刻々と天気は変わる。
陽が射すと、周囲の山の紅葉がこんなにもまぶしい。
光と影が交錯するスペクタクルを、もっと見ていたかったが、
あまりにも寒く、山頂を降りた。
土産物屋でしばらく暖をとって外に出ると、
海側の空には竜巻が垂れ下がっていた。
一路金沢へ。
帰ってから、その日福井と石川で、屋根が飛ばされるなど
竜巻の被害が数件あったことを知った。
お土産屋さんの入り口にあった
植物でできた大きな亀。
お土産のカニの格好をしたリーフパイ。
カニは入っていなかった。
Posted by Ru Na - 2010.12.05,Sun
翌朝の空は青く晴れわたり、昨日の雨がうそのよう。
まず、市街の東側にある永賞寺へ。
初めて訪ねる先祖の菩提寺。
(実際のお墓は関が原にある。)
簡素な小さいお寺だが、
供養塔の周囲は、きれいに
手入れされている。
大切にされているらしい。
供養塔にお参りする。
落ち葉の散り方まで端正で、すがすがしい。
次に向かったのは、ここからさほど遠くない気比神宮。
歩いて5分ほどの距離だった。
日本三大木造大鳥居で有名。
春日大社や厳島神社に比べると小さいが、手前の橋の欄干と合わせて、
なかなか良い形。
広い境内を一巡すると、そこかしこで巫女さんが落ち葉を掃いていた。
この建物の後ろには池を中心とした横長の庭があって、
ちょうど散りかけた紅葉が、朝の光の中であまりにも美しく、ちょっと立ち寄るだけのつもりが
つい長居をしてしまった。
建物の側面には、手の格好をした謎の突起物が・・。
なんだか変わった木がある、と
近づいてみると、ユーカリだった。
県指定天然記念物の説明書きも。
このユーカリの木にも、他の木立にも
ヒヨドリがいっぱい群れていて、
そこかしこで賑やかに
鳴き交わしていた。
気比神宮の前からは、敦賀中心街の方向が一直線に見える。
車で敦賀城址の真願寺へ向かう。
敦賀城に使われていた礎石が境内に置かれている。
このお寺の場所に、かっての三層の天守閣があったらしい。
ここから住宅街の細い路地を通って、敦賀城石碑のある小学校へ。
この辺り一帯は敦賀城内だったらしい。さらに歩き、八幡神社へ
ここにも敦賀城の礎石があった。
祖先が奉納したという竜の欄間飾りや、
肖像が描かれた絵馬を眺めていたら、
年配の小柄な女性が、ヨモギ猫と共に
近づいてきて、いろいろ説明して下さった。
どうやらこの神社の家の人のよう。
正面の鳥居から奥に向かって左手の方に、
石の柱が立っている。
これは古い鳥居の一部で、
6年前に崩れてしまったのだそうだ。
勿谷石というこの近辺で採れる石で、
脆いものだから、だいぶ傷んでいるけれど、
慶寧という年号が読み取れるので、吉継さんの時代のものに間違いない。
と、婦人は言う。
その時代はこちら側が神社の正面で、今は家が建ち並んでいるけれど、
この方向に真っ直ぐ行くと、お城があった。
「吉継さんはお城から10分ほど歩いて、うちの神社にお参りによくいらしてました。」
「これは吉継さんが、うちに奉納された灯篭です。」
と、400年以上前の事を、つい近頃のように語るのだった。
この方角が敦賀城天守閣。
ああ何と、猫が
ご先祖様の石灯篭を足場に、
雨水を舐めている!
おおっ!ご先祖様がこんなキャラクターに・・・・
婦人の話では、大谷刑部の子孫という人が、よく全国あちらこちらから訪ねてくるという。
「特に、横浜在住の方は、毎年関が原と敦賀にお墓参りにお出でになります。」
それを聞いて、少し引っかかるところがあったので、
私も刑部所縁の者と告げると、普段は人を入れないという奥宮の中に、招き入れて下さった。
その建物の内部、奥の祭壇まで「吉継さんはお参りになっていました。」
大谷の祖祖父が亡くなった時、東京から、大谷本家を名乗る夫婦が立派な紋付で、
お墓参りをさせて欲しいと突然訪ねて来て驚いたと、祖母が話していたらしい。
家では、大谷本家ってどういうことだろう。祖祖父の出身、鳥取藩医大谷家は
大谷刑部の子孫とずっと言い伝えてきたのだが、
突然現れた本家ってどういう系統なのだろう、と時々話していた。
横浜の人とは、その本家を名乗った人の関係者かしら。
大谷刑部吉継について、あまり資料が残っておらず、身辺の詳しいことは分かっていない。
ただ、関が原では友の石田光成側について、友情に殉じた「義の人」として、
近年の戦国武将ブームでアイドル的な存在になっているよう。
関が原で敗れた側は、いろんなものが一散し、失われ、更には幕末維新を経て、
口伝えだけが残っていることが多い。
何か手がかりになるようなものがないかしら。
-つづく-
まず、市街の東側にある永賞寺へ。
初めて訪ねる先祖の菩提寺。
(実際のお墓は関が原にある。)
簡素な小さいお寺だが、
供養塔の周囲は、きれいに
手入れされている。
大切にされているらしい。
供養塔にお参りする。
落ち葉の散り方まで端正で、すがすがしい。
次に向かったのは、ここからさほど遠くない気比神宮。
歩いて5分ほどの距離だった。
日本三大木造大鳥居で有名。
春日大社や厳島神社に比べると小さいが、手前の橋の欄干と合わせて、
なかなか良い形。
広い境内を一巡すると、そこかしこで巫女さんが落ち葉を掃いていた。
この建物の後ろには池を中心とした横長の庭があって、
ちょうど散りかけた紅葉が、朝の光の中であまりにも美しく、ちょっと立ち寄るだけのつもりが
つい長居をしてしまった。
建物の側面には、手の格好をした謎の突起物が・・。
なんだか変わった木がある、と
近づいてみると、ユーカリだった。
県指定天然記念物の説明書きも。
このユーカリの木にも、他の木立にも
ヒヨドリがいっぱい群れていて、
そこかしこで賑やかに
鳴き交わしていた。
気比神宮の前からは、敦賀中心街の方向が一直線に見える。
車で敦賀城址の真願寺へ向かう。
敦賀城に使われていた礎石が境内に置かれている。
このお寺の場所に、かっての三層の天守閣があったらしい。
ここから住宅街の細い路地を通って、敦賀城石碑のある小学校へ。
この辺り一帯は敦賀城内だったらしい。さらに歩き、八幡神社へ
ここにも敦賀城の礎石があった。
祖先が奉納したという竜の欄間飾りや、
肖像が描かれた絵馬を眺めていたら、
年配の小柄な女性が、ヨモギ猫と共に
近づいてきて、いろいろ説明して下さった。
どうやらこの神社の家の人のよう。
正面の鳥居から奥に向かって左手の方に、
石の柱が立っている。
これは古い鳥居の一部で、
6年前に崩れてしまったのだそうだ。
勿谷石というこの近辺で採れる石で、
脆いものだから、だいぶ傷んでいるけれど、
慶寧という年号が読み取れるので、吉継さんの時代のものに間違いない。
と、婦人は言う。
その時代はこちら側が神社の正面で、今は家が建ち並んでいるけれど、
この方向に真っ直ぐ行くと、お城があった。
「吉継さんはお城から10分ほど歩いて、うちの神社にお参りによくいらしてました。」
「これは吉継さんが、うちに奉納された灯篭です。」
と、400年以上前の事を、つい近頃のように語るのだった。
この方角が敦賀城天守閣。
ああ何と、猫が
ご先祖様の石灯篭を足場に、
雨水を舐めている!
おおっ!ご先祖様がこんなキャラクターに・・・・
婦人の話では、大谷刑部の子孫という人が、よく全国あちらこちらから訪ねてくるという。
「特に、横浜在住の方は、毎年関が原と敦賀にお墓参りにお出でになります。」
それを聞いて、少し引っかかるところがあったので、
私も刑部所縁の者と告げると、普段は人を入れないという奥宮の中に、招き入れて下さった。
その建物の内部、奥の祭壇まで「吉継さんはお参りになっていました。」
大谷の祖祖父が亡くなった時、東京から、大谷本家を名乗る夫婦が立派な紋付で、
お墓参りをさせて欲しいと突然訪ねて来て驚いたと、祖母が話していたらしい。
家では、大谷本家ってどういうことだろう。祖祖父の出身、鳥取藩医大谷家は
大谷刑部の子孫とずっと言い伝えてきたのだが、
突然現れた本家ってどういう系統なのだろう、と時々話していた。
横浜の人とは、その本家を名乗った人の関係者かしら。
大谷刑部吉継について、あまり資料が残っておらず、身辺の詳しいことは分かっていない。
ただ、関が原では友の石田光成側について、友情に殉じた「義の人」として、
近年の戦国武将ブームでアイドル的な存在になっているよう。
関が原で敗れた側は、いろんなものが一散し、失われ、更には幕末維新を経て、
口伝えだけが残っていることが多い。
何か手がかりになるようなものがないかしら。
-つづく-
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