東北地方の水族館、動物園の痛ましい被害情報も、少しづつ入ってくるようになった。
津波で跡形もなく流されてしまった岩手県の、地下水族科学館もぐらんぴあ。
スタッフ撮影の痛ましい被害状況写真に、もう声を失うばかり。
そして、建物は何とか大丈夫だったらしいけれど、物資がなかなか届かないために、
自家発電機の燃料も底をついて、魚たちが衰弱していくのをただ見ているしかないという
福島県いわき市の、アクアマリン福島。
東北地方への燃料の輸送は、日本海側を通って北側から徐々に始まっているようだけれど、
いわき市は地図で見るとあんなに関東に近いのに、
依然、水戸-いわき間は車両通行止めが続いている。
加えて、原発事故のせいで、いわき市は特に物資が届きにくいらしい。
とにかく毎日、輸送関係の復興情報を注視し、
もう少し、もう少しがんばってと、小さな命が少しでも多く助かるようにと祈りつづけている。
被災した動物園、水族館への義援金はこちら。
(ただ現在、取り扱い銀行のシステムダウンが多いので状況を見極めた上で。)
http://www.jazga.or.jp/
被災状況を一覧にしているHP。
http://appleeyes.jugem.jp/?eid=682
今年もワイルドジャスミンが
花開いて、よい香りを放っている。
道のべのたけ高き十字架に
ジャスミンの花の腕(かいな)
雪のごとく届きて
十字架の上なる神の額に漂う
はてしなき苦悩の色を
そこはかと包みとき
外の面(とのも)にて
君にし遭はば嬉しきものを
R.M.Rilke
Je m'inquiete a elle beaucoup parce-qu'il y a le centrale nucleaire
en probleme a Fukushima.
Mais elle ne peut pas s'echapper car elle ne peut pas quitter de vaches.
栃木北部、福島県に隣接する牧場で働いている姪からの、
間接的な情報。
福島第1原発の近くには、無数に牧場、養鶏場があるが、
みな牛や鶏をおいて行く訳にはいかないので、ほとんどの牧場の人達は
避難指示が出ても、牧場に留まっているらしい。
姪の処も、大爆発が起きれば危ないが、牛から離れて帰ってくる気はない様子。
最初の揺れで牛舎の壁の一部は倒壊し、彼女の下宿は食器棚が倒れるなどして
惨たる状態らしいのに。
原発や放射能の怖さは、今やみな分かっているけれど、
避難できない事情の人達も大勢いる。
原発にこういう事態を引き起こした人為的原因や、最初の対処のまずさや遅れを
非難することは容易いが、恐怖心をやっと抑えて冷静であろうと努める人々に、
さらなる危機感をあおっても仕様がない。
この上パニック状態が起こる事は、さらに事態を悪化させるだけ。
自分で直接、炉の冷却に手を貸せることができない以上、
ひたすら、事故処理に尽力している人たちを頼みにし、
これよりひどい事態にならない事を願うのみ。
冷静でいることの重要性を痛感する。
仙台や岩手、福島出身で最近の消息を知らない友人、知人が
少なからずいる。
NHK FMラジオの安否情報をずっと聴いていて、知っている苗字が告げられると、
あの人の親兄弟、親戚ではないかと、心がざわつく。
この地震で、他の活断層が動く可能性は充分あるから、
南北の断層の上にある金沢市も、大災害に無縁ではない。
さて、その時私も東北の人たちのように冷静に行動できるだろうか。
Aizu-bandai-san La montagne symbolique de Fukushima mai, 2010
昨年5月の会津磐梯山
「かなざわ るねっせんす展」で展示する扇子のデザイン版下を、
主催者のデザイン事務所に無事届けて、
暗くなりかけて人気のない川べりを、顔にみぞれを受けながら自転車で走り帰宅すると、
TVに信じられない光景が映っていた。
上空から見る広い田畑と、小さく映った宅地の群が、みるみるうちに水に呑み込まれていく。
今日の午後、東北地方で起きた大地震の後の津波の映像だった。
あの家々の人たちは非難した後なのだろうか。
TVは次々と、燃えさかる炎、水が引いた後の街の惨状を映し出していく。
まるで黙示録の光景。
出かける前の午後3時前、聴いていたラジオ番組が突然中断し、
地震情報が入り、津波に注意してくださいとさかんに呼びかけていたが、
まさかこんなひどい事になっていようとは。
金沢では、3時過ぎ窓ガラスがビリビリと一瞬揺れたくらいで、
その後気が付かないくらいだったが、
余震というには大きすぎる揺れが何度もやって来て、それがまだ続いている。
東京、神奈川でもひどい揺れで、交通機関の停止、停電、建物の倒壊などで
ひどく混乱している。
夕方の時点では、被害はまだ明らかになっていなかったが、
時間が経つにつれ津波警報の範囲が広がって、日本海側も注意報の範囲に入ってしまった。
関東地方には親戚、知人が多い。母が電話がつながらないと言う。
いち早くイギリスの親戚からは電話があったという。
地震の直後にBBCでも大きく報道したらしい。
夜半すぎの現在、次々と
聞くに堪えない被害状況が報道され、
依然津波警報の各地の映像が入る。
どうかこれ以上惨事が広がらないで!
「かなざわ るねっせんす展」のための扇子のデザイン版下を、
締め切り日の今日、ようやく入稿できた。
グラフィックデザイナーの友人からお誘いのメールがあったのは2月の始め頃。
型紙をダウンロードして、photoshopで制作して、pdfファイルで入稿なんてしたことがない。
迷っていたら、別の友人からもお誘いがあった。
やり方の感触が摑めたらやってみようかという気になったけれど、
メールで送ってもらった型紙が説明どうりになっていない。
もう一度別の形式で送ってもらって試作。友人にこんなのでいいか送って見てもらったけれど、
彼女は超多忙の真っ最中で、同じデザイン事務所の人が指示書きを添えて送り返してくれた。
これでこのやり方で多分大丈夫と、気楽に考えて横に置き、映像仕事の方にかかっていた。
いよいよ本格的に作ろうかなと、とりかかったら、PCを使った版下原稿なんて初めてなので、
次から次と形式上で分からないことが出てきた。
主催者の公式HPで最終版の型紙をダウンロードしたけれど、
それがwindousではうまく動かない。
主催の事務所と何度も電話でやりとりし、最初の型紙を使ってよいことになった。
その後もいろいろ問題があって、3月に入ってやっと本格的に作り始めることが出来た。
それでもいつもこんなのでいいのかしら、の不安が残り、
また、photoshopも使ったことのない機能を使ってみたら、その試しに2~3時間くらいは
あっという間に過ぎていく。
とりあえず一つデザインを作って、プリントアウトしてみたら、思っていたのと色味が違いすぎる。
また、折ってみたら、平面で考えていたのとかなり違う結果になったけれど、
なかなかうまく修正できず、試行錯誤でデザインを4つ作ってみた。
締め切り間際まで、印刷される色を
なんとかできないかと、
色補正をしてはプリントしてみる、
といったことを繰り返していたので、
たちまち紙の山が出来てしまった。
ぎりぎりになって、
端の方は切り取られるという事に
気が付いたけれど、もう時間切れ。
気楽に考えて始めたら、
思ったより大変だったけれど、
苦労は授業料、
幾つになっても新しく覚えることは多いものだと実感したのだった。
緑色の珊瑚?新種のサボテン?
まるで増殖するフラクタル幾何学みたいなこの不思議な物は一体なんでしょう。
答えはこのページの下部分をお楽しみに。
今日の川。濁流に水が茶色になっていたけれど、
水鳥たちは普通の様子で泳いでいた。
久しぶりに会えたオオバン。
「ちょっと耳でも掻いてみようかなあ。」
「また写真撮るの?いいかげんにしてよ。」
この小さな子たちはコガモの雌?
キンクロハジロ、今日はよく動くね。
さて、正解です。
実は先が尖ったカリフラワー。
茹でてもこのきれいな形は
そのまま残り、食べるのが
もったいないくらい。
多分この螺旋も
フィボナッチ数列に
なっているのでは。
自然の生み出す造形には
いつも感心させられます。
会うのは10年以上ぶり。
私がフランス留学から帰国した時、彼女は東京で仕事していて、
一緒に銀座を歩いたり、歌舞伎座に歌舞伎を見に連れて行ってもらったりもした。
(歌舞伎座に入ったのはこの時の一度だけ。)
彼女が実家のある金沢に仕事場を移してから、しばらくお互いの家を行き来し、
鍋を囲んだり、当時私がよく作っていたアラブ料理クスクスを食べながら、
よもやま話をしていたものだった。
長く会わないでいても、そんな空白期間がなかったみたいに、すぐ夢中でおしゃべりできる、
昔なじみっていいな、とつくづく思う。
友人も現在、私同様アレルギー性皮膚炎に悩んでいる。
酸性雨や黄砂の害の話などしながら、雪がほとんど消えた川原を歩き、水鳥たちを眺めた。
カルガモは相変わらず元気。枯れ草の中には、キンクロハジロがことんと座っている。
2つがいのカワアイサが、さかんに潜ったり羽づくろいしていた。
対岸の草地でダイサギが
ゆっくり歩くのを見ていたら、
バサッと音をたて
アオサギが我々の頭上を通って、
近くの電柱にとまった。
電柱の上のアオサギなんて
不思議な光景。
次に気が付くと、いつの間にか
ちゃんといつもの場所にいた。
少し冷えてきて、さて帰ろうと土手の上から振り返ったら、
何と、桜橋の潅木がみな切られて無くなっていた!
雪が多い時には気が付かなかったが、一体いつの間にこんな・・・。
初夏には必ずオオヨシキリが来て営巣し、さかんに鳴いて飛び移る、
あの美しい葉むらがすっかり失われてしまった。
どうしてこんなひどい事に。
こんな細い木立が岸辺にあっても、
水害時に何か影響するようには
思えないのに。
どこまで木々を伐採すれば
気が済むのだろうか。
鳥たちにはもちろん、
川辺を歩く人間にも
憩いを与えてくれた優しい木々に
どうしてこんな酷いことが
平気でできるのだろう。
そして、かわいそうなオオヨシキリは
一体どこで生活したらよいのか。
これは去年の6月の写真です。
昨日の探鳥会で聞いた、城南-大桑に渡る犀川の高い堰がもうじき壊されるという話が
とてもショックで、気になってよく眠れなかった。
この川の中のちょっとした滝は人造物ではあるけれど,長年の間に自然にとけ込んで、
中州と共に、変化に富んだ場所をいろんな生き物に提供し、美しい景観を作り出している。
今この城南の堰の上流と下流で、中州を削る大規模な土木工事が行われている。
数年前の浅野川氾濫の水害以来、犀川でもずい分と川原の木々が伐採され、
水害対策の大義名分の下で、県はやりたい放題の土木工事をしている観がある。
もちろん水害対策は重要だけれど、
昔、岡市長の時代に金沢市が
犀川の水底を大分掘削したらしく、
それ以来犀川の水が氾濫したことはない。
200年に1度の水害に備える、
と言いながら、その実
公共工事をしたいものだから、
川の両側に芝生公園を造り、
自然に生えている草や柳など
みんな取っ払って、桜を植え、
ヘビや虫など目障りな生物を一掃して、
「安心して」綺麗な靴で散策できる
「都会的な憩いの公園」を作りたい
というのが本音のように思える。
さまざまな水の表情を見せてくれるここは、金沢でも私がもっとも好きな場所で、
自転車で少し走ればこんないい所に来られるというのが、私の街自慢なのに、
この風景がもうじき無くなるなんて、何とも耐え難い。
自然に手を加えようとする時、今までは野鳥の会に連絡があったのに、
今回は何もなく、県庁に抗議に行っても、もう何年も前に決まった事だからと、
聞く耳持たずの態度らしい。
この辺りの地形が
すっかり変わってしまったら、
楽しげに生活している鳥たちは
一体どうなるのだろう。
左の写真は、
初夏にヒナたちの前で
餌取りをやって見せている
ゴイサギ。
こんな風景も
あまり見られなくなるかも
しれない。
今日は作品の材料を買いに行こうと思って、その先に回り道して城南の様子を見に行った。
流れる水の動画撮影をしていたら、近くに住む野鳥の会会員で私の師匠のMさんに出会い、
工事計画と、反対運動などいろんなお話を伺った。
お宅におじゃまして、お茶などご馳走になって話し込んでいたら、すっかり暗くなってしまった。
今日会った鳥たちの写真を少し載せます。
モズ。昨日対岸の大桑で会った同じ子かしら。
近頃声しか聞いていなかったオナガ。
カルガモやカワアイサは
沢山いるようだったけれど、
平日で工事の音がするので
昨日よりずっと数が少ないと
Mさんは言う。
夕暮れの水辺にたたずむ逆光のアオサギはなかなか絵になる。
よく晴上がった青空の下、日本野鳥の会の探鳥会が川の中流域で行われた。
集合時間の朝9時ごろは
まだ道が凍っていて、
足がすべりそうなくらいだったけれど、
この上天気に、沢山のカモたちが
とても楽しそうにしていた。
この間から雪の川原で
追跡していたホオジロガモが、
すぐ近くに群れていた!
みんなでぐるぐる円を描いて泳いでいる。
「求愛のディスプレイをしてる!」 と誰かが叫ぶ。
頭を後ろにのけぞらせたこのポーズが、ホオジロガモのプロポーズらしい。
マガモの群れに混じっている中央のちょっとスリムな子は、オナガガモの雌。
カワアイサやコガモ、キンクロハジロ、カルガモ、オオバン、それからセグロカモメ、
対岸にはアオサギ、キジ。
そしてフィールドスコープで、対岸の草叢にいたカワセミを、アップで見せてもらった。
日頃一人で歩いていても
気が付かない鳥を、教えて
もらえるのが、探鳥会の楽しみ。
川の手前の藪にいたのは、モズ。
こんなかわいい姿なのに
他の小鳥を襲うという。
公園側にいたのは、ウソの一団。
ウソを見たのは初めて。
のどが赤いのがアカウソ。桜のまだ固い芽をしきりに食べていた。
民家の近くのゴミ捨て場には、シロハラがいた。
会の終わりの「鳥合わせ」で
あがった37種の内、
私が実際に見ることができたのは
22種+2種(声だけ)
だけれど、
気持ちの良い天気の
気持ちの良い場所で、
これだけ多くの鳥に出会えて
とっても幸せ。
帰りがけに、さらに
ツグミとホシハジロに出会えた。
横長の画像は
撮影した動画から
切り出したものです。
今日の朝日新聞に、久しぶりに吉田秀和氏の「音楽展望」が載った。
大相撲についての文章だった。
吉田秀和さんの大ファンの私は、かねがねその心洗われるような美しい文章の随所に
書かれた大相撲についての話で、氏の大の相撲好きを知っていたので、
今回の大相撲八百長事件に、氏がどんなに心を痛めていることかと、
気が気ではなかったのだけれど、
渾身の力で立ち直って欲しいという、氏の力強いメッセージに、安堵の心地がした。
今日はまた中日新聞の夕刊にも、吉田秀和氏が最近完成させた歌曲と自伝を重ね合わせた
著作四部作、「永遠の故郷」についてのインタビューが載っていた。
私はまだその最終章を読んでいないけれど、シューベルトの「菩提樹」で
しめくくられているらしい。
そしてやはり、「菩提樹」というと、どうしてもトーマス・マンの「魔の山」。
戦争を知らない私でさえ、「魔の山」の終章をすぐ思い起こしてしまう。
氏はご自分の戦争体験と重ねての一文を書かれているというので、
ますます早く読まねばという気になった。
シューベルトといえば、昨夏アレルギー性皮膚炎がひどく悪化して
指が腫れあがってしまう少し前、ピアノソナタの一曲がやたら頭の中に流れて離れず、
弾けもしないのに楽譜をひっぱりだしては鍵盤を押していた。
№13 D.664 イ長調ソナタである。
-シューベルトには死のにおいがする、だから面白い。- とは、
ピアニスト内田光子がシューベルトのピアノソナタ連続録音に臨んでいた頃の言葉。
確かにピアノソナタには、即興曲よりどうしようもない暗さもあるが、
それは何か健康的な暗さで、ブラームスの音楽にみられる人間の深い憂愁とは
異なるもののような気がする。
ベートーヴェンに心酔していた彼の音楽には、規模の大きさや広がりを感じさせる
響きもあり、さらに抽象的な和音やロマン派の先駆者らしい旋律もある。
ベートーヴェンが濃い緑の森とすると、新緑をわたる風のような爽やかさや、
小さな野の花のような素朴さと愛らしさも見せてくれる。
D.664は、そんな若緑の曲。
楽曲のアナリゼができるような、音楽の専門知識があるわけではないが、
たまには素人の横好き解釈だってしてみたい。
第1楽章は思わず歌をく口ずさんでしまうような心楽しげな足取りで始まる。
明るい気分の散歩に、
第2主題(?)の美しい旋律が、
さざ波のように揺れる三連符の
伴奏の上に、まるでごく近い時の
優しい思い出が、心にふと
湧き出るように流れる。鈴を振るような
愛らしいメロディーである。
短調に変わった同じ旋律が、
今度は低音部に現れる。
それから、そこはやはりシューベルト。
和音の連打があって、展開部へ。
右手も左手もオクターブに開いた音階が上昇してドラマチックに盛り上がる。
再現部に戻って、めでたしめでたし。
2楽章はアンダンテ。
和音の連なりで始まる。この2楽章だけは以前から知っていた。
ピアノを習っていた子供の頃の教本、ソナチネアルバムの後ろの方に
付録のように載っていた色んな小曲に混じっていたのだった。
なにしろ練習嫌いで、下手くそで、ソナチネをちょっとかじっただけのレベルで
やめてしまったピアノだったが、後年また弾きたくなって自分で練習を始め、
昔の教本をおさらいしていたら、この曲に出会った。
表記は4分の3拍子だが、旋律はまるで4分の4拍子のような感じがして、
簡単そうなのに拍子が取りにくい。
優しくてきれいな曲だけれど、なにか不安定で落ち着かない不思議な曲だと思っていた。
それもそのはず、ソナタの中間楽章で、前後の楽章にはさまれてはじめて
その性格がはっきりするものだった。
河の岸辺の草地に座って、
流れているのかいないのか
分からぬようなたゆたう水面を、
ぼんやり見つめながら
物思いにふけっているような、
そんな楽章。
シューベルトらしく
長調と短調の間を行き来するのは、
嬉しさと憂いの間を揺れ動く
青年の心のよう。
3楽章は再びアレグロ。
移ろいやすい青春の心は、ここにきて一気にはじける。
やわらかな草におおわれた丘を一息に駆け下り、軽やかな足取りで
草原を踊るように走り興じている。
駆け上がったり駆け下ったり、
そして、これで全てはよいのだ、
といったふうの、
印象的なフレーズが
肯定的に繰り返される。
フランツさんご機嫌ですね、と
思わず声をかけてしまいたくなる。
緑の一陣の風に吹かれたような、こんな爽やかさは、シューベルトの曲に時々現れる。
明暗が人の心の内というより、自然の風景の光と影のように思われるのが、
彼の音楽の味わいなのかもしれない。
図の右下にマウスを当てると、再生マークが出て、ア二メーションをくり返しできます。
友だちが出品している「100の愛」展を見に行った。
中心街の小さなギャラリーは、古い民家を改装した洒落たスペースで、
ここは友人の建築家が手がけたもの。
ギャラリー企画のこの展覧会は、
今年で4回目だという。
同じ大きさの額に、
絵画、版画、ペーパークラフト、
コラージュ、漆板、写真など
さまざまな素材の
さまざまな表現が並んでいた。
その一点、一点に、楽しく、そして
慈しむように作られたのが感じられて、
心に灯がともったような余韻が残った。
今日はまた、雪がかなり消えた街を少しばかり歩いた。
大乗寺坂からの眺め。
日中どんよりとした曇り。
小雨も降ったりしていたが、
夕方になって空に晴れ間が
出来てきた。
大乗寺坂の脇には
寒椿が赤い小さな花を
のぞかせていた。
川原の雪はかなり少なくなって、遊歩道の一部は自転車でも走れそう。
ひょうきんなオオバンに会いたかったけれど、姿は見えず、
その代わりホシハジロにお会いできて光栄。
20年以上前、お祭りが少ない金沢に大勢が楽しめるお祭りを作りたい、それには
食べ物に関するイベントがよかろう、と考えた仕掛人達によって始まったイベントである。
その後各地で食がテーマの催しも増え、今では珍しくもなくなったし、メインの
高級料亭に著名人を招いての食談は、高価くて庶民にはなかなか参加できないが、
中央公園でのフードピアランドは、能登産の生牡蠣の炉辺焼きが手軽にできるのが魅力的。
今年は行くつもりがなかったけれど、
たまたま時間が空いた母が
フードピアで炉辺焼きをまだ
食べたことがないというので、
買い物がてらに一緒に出かけた。
雪原に各地の名産の食べ物を売る
屋台のテントが並ぶ。
今年はずいぶん配置が変わっている。
クラッシクな青いバスの内部は
喫煙コーナーになっていた。
ここ数年、たいてい開いている
トルコ・サンドイッチのお店。
ケバブは羊肉ではなくて、鳥肉。
例年炉辺焼きコーナーは、公園の真ん中に
大テントをしつらえてあるのに、
今年は公園の隅の方に、縦一列に炉を並べてあった。
去年あまりにぬかるんで、まともに歩けないくらい
だったので、舗装道に沿った配置にしたのだろうか。
夕方で人が少なくて、すぐ席を見つけられた。
牡蠣は一袋に10個。二人でちょっと食べるには充分。
今年は紙皿や割り箸も有料だった。
広坂の漆器屋さんには
こんな可愛らしいお雛様の
お道具が飾られていた。
この季節、街にある花といったら、
たいていは葉牡丹。
鮮やかなグラデーションに
いつも目を惹かれる。
今日の午後、ベートーヴェンのピアノソナタ№26「告別」が流れてるなあと、
何気なく聴いていたら、なんだかとても面白い弾き方。
タッチはとても軽く、一音一音がはっきりして光の粒のようにキラキラしている。
まるでグレン・グールドみたい。でも、ところどころペダルを効かせているので
G・グールドとは違う。全体の構造がくっきりしていて、知的だけれど情感もある。
軽やかだけど近頃の若いピアニストのように音が薄いのでもない。
一体誰が、と曲が終わって演奏家の名が告げられたら、それはアンドラーシュ・シフだった。
そういえば、先日もシフのベートーヴェン№28をラジオで聴いて、
たいそう感銘を受けたのを思い出した。
アンドラーシュ・シフといえば、80年代よくNHKでシューベルトのソナタを弾いている
番組をやっていて、何度か録画し何度も視聴したけれど、
どうも冗長でぼやっとしていて、そのおかげでシューベルトのソナタは冗長で
シフは冗長なシューベルト弾き、という印象が長く植え付けられていた。
それが変わったのは、「20世紀の名ピアニスト」という200枚セットのCDボックスを
入手した10年前。
その中のシフの、バッハのインベンションを聴いて、その面白さに正直驚いた。
なるほどG・グールドの弟子と自称しているらしいのも納得できた。
G・グールドは33歳でコンサートを引退する前、ヨーロッパツアーを行ったが、
ウィーンでのコンサート会場の熱狂的な聴衆の中には、あの、若き日のA・ブレンデルが
居たというし、各コンサートの海賊版が、直後に鉄のカーテンの向こう側、
東欧のラジオから流されて、それを東欧の若いピアニストたちが、むさぼるように聴いていた
中の一人がシフだという。
20世紀のとてつもないピアノの巨人たち、リヒテル、ギレリス、ホロヴィッツ、
ルービンシュタイン、ミケランジェリ・・・・が、そして、グルダが逝って久しくなる。
ブレンデルは引退表明し、アルゲリッチはあまりソロ活動しなくなり、
ガブリーロフやプレトニョフは指揮者に転向し、
とんでもない演奏を聴かせてくれる大御所が少なくなったような気がしていたけれど、
これからはシフに注目してみよう。楽しみになってきた。
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