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Posted by Ru Na - 2011.05.09,Mon
GWの5月3日、新潟市の北、海沿いのきれいな松林近くにある
新発田市の紫雲の郷を訪ねた。
ここは丘陵一帯が自然公園で、その奥の愛鳥センターに行ってみた。


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 オオタニ桜が花ざかり。
 小鳥の澄んだ鳴き声が
 響き渡っていた。













センターの建物内には、剥製をはじめ野鳥の資料がたくさん展示されていた。

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和紙で作ったトキや
オオワシなどもあった。resize2595.jpg

その中に何と、
ヤイロチョウの剥製が。
年代はチェックし忘れたが
新潟県内の建物に衝突して
亡くなった子らしい。















センターの周囲の探鳥路へ。
新緑が目に染みるよう。


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オオルリかキビタキらしいさえずりがとてもよく聞こえるのだけれど、
声はすれど姿はついに見れず。シジュウカラやヒヨはすぐ見つかった。

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帰りに福島潟に寄った。
いちめん菜の花におおわれて、
もう早やオオヨシキリの声が
方々から聞こえ、
かなりの数のヒバリも
いるようだった。







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ひょろりとした木の梢に
最初オオヨシキリかと思った
謎の小鳥がいた。
ヒタキ類の♀?

後で調べたら、
コサメビタキだった。










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Posted by Ru Na - 2011.05.01,Sun
探鳥会があった4月29日の兼六園で見た花々。




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 散りこぼれる椿の花。




















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石垣の上にキンポウゲの花の黄が宝石のように輝く季節となった。

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Posted by Ru Na - 2011.04.30,Sat
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今年もラ・フォル・ジュルネ金沢が始まった。
フランスのナント市で生まれたこの音楽祭が金沢でも開催されるようになって4回目。
今年のテーマは「ウィーンのシューベルト」。

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短いコンサートを手軽な入場料で、1日にいくつでもハシゴして聴いてね、
という趣旨の音楽祭だけれど、人気の演目は早くからチケットが売り切れ。
1年目は行きたいコンサートの当日券が手に入らず、あきらめた。
おととしはいち早くチケットを買って、モーツァルトとC.P.E.バッハの
お目当てのコンサートを聴くことができた。
せっかくのGW中なので、お出かけしたい日程との調整が難しく、
去年は新潟のフォル・ジュルネで、J.S.バッハとショパンの組み合わせの
コンサートを一つ聴いた。

今年は、福島原発事故のせいで、来日しないアーティストが増えて、
東京のフォル・ジュルネは中止になり、金沢や新潟でもプログラムが大幅変更。
行きたいコンサートがないわけではないが、日程調整がつかず、
今年の本公演はあきらめていたが、
プレイヴェントに急きょ決まった、震災復興支援チャリティーコンサートの券をもらってしまい、
今日夕方のプログラムを、母と聴きに行った。

地元音楽家によるオール・シューベルトの演目。
高校生によるピアノソナタ№19の第一楽章のみの演奏もなかなか良かったが、
最後に、朝倉あづささんというソプラノ歌手による、「野ばら」「糸を紡ぐグレートヒェン」には
いたく感動した。
他の演奏家もそこそこのレベルだと思ったけれど、この人の歌唱は一段上のよう。
すばらしい声に表現力。独語の歌詞が生きた言葉として胸に迫る。
「ファスト」のグレートヒェンは、オフェーリア同様愛する人に裏切られて狂乱する。
その不安が糸車の回転と共に増してゆく狂気の物語が、短い歌曲の中に
ありありと浮かんでくるようだった。
こんなすばらしい歌手がいるとは知らなかった。

プレイヴェントの期間で、まだCDや食べ物の屋台もなかったし、
楽器触り放題のコーナーもなかったけれど、ごちそうさまの一日になった。

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Posted by Ru Na - 2011.04.30,Sat
4月29日早朝、兼六園での探鳥会に参加した。

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新緑の梢の上で
ハシブトガラスも
気持ち良さそう。












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 ソメイヨシノは散ったが
 いろんな種類の桜が
 至る処で咲いていた。











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明るい朝の光の中で、小鳥のさえずりがとても賑やかだったけれど、
みな木々の高みで活発に動き回っているので、その姿をとらえるのがなかなか難しかった。

園のあちらこちらで鳴いていたのはシジュウカラ。

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松の枝にはセグロセキレイ。

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この日の最大の収穫は、綺麗な声をすばらしいリズムと共に
長く披露してくれたイカル。

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Posted by Ru Na - 2011.04.26,Tue
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今日でチェルノブイリ原発事故が起きてから25年。
当初はわりと呑気でいたが、しだいに事の重大さに気が付いてから、
私の中で世界が一変してしまった。

新しさをとにかく礼賛し、何につけ変化が当たり前で良い事という風潮が、
あまりにも強い日本で、失われていくものに悲しみばかり感じていた20代、
留学先したフランスには、まったく逆の、好もしく思う価値観があった。
歴史や時の記憶を日常生活に至るまでそのまま留め、
古いものを古いというだけでむやみに捨てることのない世界だった。

中世の教会でも現在の建物でも、古代ローマの神殿の柱や建材を
そのまま利用している所が多いのには驚いたが、第二次大戦時に独軍が残した
壕まで住宅に転用しているものまで見かけた時には、さらに驚いた。
フランスでは家具付きの貸し部屋が多く、実際私が住んだ何箇所かの部屋にも、
大抵100年は経っていると思われる家具や食器があって、ありがたく使わせてもらった。
人が乗って扉を閉めなければ電気が流れない、時代物の鉄かごのようなエレベーターは
ごく一般的。人が通る間だけ点灯する建物内の廊下や階段の灯り。
新しいものはめったに買わない代わり、どうやっても動かない家電でも、
そのまま持ち続けている友人も多かった。

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よく、日本は自然と調和した生活をしているが、欧州は人間中心主義で
自然を支配しようとしている、と言われるが、私の見たところ、
田園でも山岳地帯でも、ずいぶん自然が大事にされているように感じられた。
清掃人が日常に掃除しない場所では、日本の河川のようなゴミの散乱は
あまり見られなかったし、道路は大木を避けて迂回したり地形を大切にし、
都会でも夜の暗さや静けさを大切にして、電飾や騒音で夜がかき乱されている所は少ない。

新たなものを造る時は古いものとの調和を考え、じっくり時間をかけているので、
ある日突然、見慣れた風景が開発のため消えてしまう、という悲しみが少ない、
時の流れにも安定した安心感を持てる社会だったのに。
事故後、遠く離れたフランスのワイン、イギリスの紅茶、イタリアのパスタなども汚染された。
見えない放射能が、この私の好きな古い美しい大陸をじわじわと蝕んでゆくのは
いたたまれない思いだった。

帰国してずい分月日が経ち、日本にも移ろいだけではない変わらぬ時が
流れるのに気づき、この長い列島の自然の魅力を、毎年新たに発見しているのに、
今、福島原発が見えない汚染でかけがえのないものを破壊している。
牛は、にわとりは、何が起こっているのか知らないのに命を奪われ、
人間のみならず、草花や虫や鳥たちは、知らないうちに生活を奪われている。
チェルノブイリ近郊では、ツバメなど渡りの鳥たちにも奇形が見られるという。

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Posted by Ru Na - 2011.04.21,Thu
花冷えの空の下、散りかけた桜もまた、趣がある。

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ここ金沢で散りはじめた花も、
東北地方ではこれから順に
開いてゆく。
被災地に穏やかな花日和が
訪れますように。






秋に予定している二人展の
正式な申し込み書類などを
今日ギャラリーに提出した。











Posted by Ru Na - 2011.04.16,Sat
川べりの満開の桜を見た日の夕方、兼六園にも足を運んでみた。
こちらは、咲ききったもの、まだ開きかけの木が混じり、
川原ほど花が密ではなかったものの、種類が多いだけ薄紅の濃淡もあり、
それに椿の赤が加わっていた。

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芝の上にはシロハラが一羽、
花見客を気にするふうもなく、草の実をついばんでいた。

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Posted by Ru Na - 2011.04.15,Fri

今年の桜は去年よりいくぶん遅く、しかし開き始めたらあっという間に満開となった。
黒い枝先から一斉に、燃え上がるような白い花々が吹き出した。

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岸辺の葦の中で、さかんに動き回るホオジロを見つけた。

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謎の水鳥。最初カワアイサの雌かと思ったけれど、頬の横線が気になる。

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こちらはクロガモの雌らしいというが、海にいるはずのカモがなぜここに。

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Posted by Ru Na - 2011.04.09,Sat
最初にあの恐ろしい津波の映像を見てから、ずっと気になっていることがあった。
以前NHKアーカイヴで見た、仙台平野のイグネと呼ばれる屋敷林がある地区、
長喜城の安否である。
農家の家屋敷がこんもりとした雑木林に囲まれていて、さながら森の中の家のようである。
番組を何気なく見ていて、その自然やそこに生きる人々の情景があまりにも素敵で、
途中から思わず録画してしまった。私のお宝映像である。
東北地方の被災の状況が分かるにつれ、ますます気になって調べてみたら、
長喜城は津波で流された遺体が多く発見された若林地区にあった。
私同様にイグネの生活に魅せられていた人が多くいるらしく、
震災直後から、ネット上には長喜城の安否を訪ねる書き込みが相次いだが、
問いへの答えはなかった。

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3月29日の朝日新聞に載った、航空写真を基にした津波被害の地図を
グーグルマップと照らし合わせて、いくら見ても長喜城の辺りはひどく浸水している。
あの美しい森は流されてしまったのだろうか。
映像で見たイグネの中に住む人々が、慈しんで手入れし育てた森には、
住民が集まって花見をする桜もあり、さまざまな小動物や野鳥の巣もあり、
自然と共存する人間の理想的な生活に思えたのだけれど。何と惨い。

後に見つけたネット上の映像では、若林地区の痛ましく荒廃した中にも、
木立が残っている所もあった。
長喜城の皆さんは、無事に避難できたのだろうか。
流されずに残った森で、生活を再建できそうな所はどのくらいあるのだろうか。
私は情報を収集しつづけている。

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平将門直系の殿様がいる相馬市も気になっていた。
家来衆の子孫が、年に一度、先祖伝来の甲冑を着け馳せ参じるという
あの野馬追いの祭りがよく知られている。
殿様は無事で、被災地に援助物資の野菜など配っていたというが、
その他の情報はなく、人と共に馬達もどうしているか心配だったが、
ようやく少し状況が分かってきた。
津波に流されながらも救助された馬も多くいたという話には、ちょっと嬉しくなった。
県外に疎開した馬も多数。しかしいまだ安否の分からない武者メンバーもいるという。
それに、代々大切にしてきた武具を、すっかり失った方々もいるのでは。
そして、野馬追いの会場は、福島第1原発の30km以内に入っているので、
この伝統的な行事の存続も危ぶまれているとのこと。

福島県も、歴史と文化の宝庫。
知れば知るほど、我々が失ったものの大きさに絶句する。


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10ヶ月後の追記 :

 
大震災から早や10ヶ月以上経った。
私の住む北陸は、次々とやって来る寒波で雪に閉ざされている。
仙台平野の寒さは、如何ばかりだろうか。
静かな楽園、イグネのその後を気にかけながら、実際に現地に赴けないこの身が歯がゆい。
塩害から木々を救うための、何らかの対策はあるのだろうか。
この冬、全国的に冬の渡り鳥が少ないそうである。
夏のシベリアの異常低温などの原因も云われているが、震災の影響もあるかもしれない。
森に住んでいた野鳥たちや色んな生きものたちは、どうなっているのだろうか。









Posted by Ru Na - 2011.04.07,Thu
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ようやく春めいてきて、庭の玉椿も次々と開いている。
今年は花数が多い。
せっかく出したおひな様だから、しばらく飾ったままにすることにした。

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子供の時分に遊んだプラスチックのままごとセット。
時代を感じさせる。

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おひな様のお道具は古いものが多く、昔はこんな小さな可愛らしいものを
手造りする職人が沢山いたという。

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そのほかのちいさいものも、昔から折にふれて集めてきたものだから、
古いものから最近のものまで、とりどりにそろっている。
私が集めたガラスの動物もけっこうあって、鎌倉やギリシアの土産物やで買った
小壷と共に、色あせた履物や邦楽器のミニチュアと仲良く並んでいて、
この物たちだけでも我が家のささやかな歴史が刻まれている。

津波に押し流された家々にもきっと、このようなその家だけの大切なお道具が
其々あったのだろうと思うと、突然断ち切られた日常の、
何気ない幸福の時間と痕跡が失われることへの悲しみがいや増す。
Posted by Ru Na - 2011.04.03,Sun
3月3日は全国的に桃の節句だが、その時分まだ雪が降って寒い金沢のひな祭りは、
昔から一月遅れの4月3日であった。
商業的には、金沢の街でも2~3月にひな祭り関連の品が売られるけれど、
我が家では慣習に従って4月に雛人形を飾り、子供の頃はその前で、
3色に染めた寒天や缶詰の果物でおままごとをし、小さな容器に自分で盛り付けた
ご馳走を食べるのは、とても楽しみな事だった。
姪が小さい頃も、近所の女の子と一緒に同じようにして遊んでいた。
子供の頃の母も伯母たちもそうしてきたらしい。

東北を襲ったあまりにも酷い災害に、落ち着かない毎日だけれど、
雛人形は元々厄払いの意味から生まれたもの。
少しは明るさが欲しいと思い、押入れから出して座敷に飾った。
もう小さな女の子はいないから、さすがにおままごとはしないけれど、
おひな様の小さいお道具を、くるんであった紙から逐一出して並べると、
やはり心が浮き々してくる。

我が家のおひな様は、ちいさな古い変わり雛。
子供の頃は、デパートにあるような普通のおひな様がうらやましかったけれど、
同時に、他にないような形が自慢でもあった。

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日本橋の白木屋デパート(後の東急デパート)ブランドのデザイナーだった大伯父が
手作りしたもので、なんでも大伯父は、ゼセッション雛と呼んでいたらしい。
ゼセッションといえば、グスタフ・クリムトやオットー・ワグナーが中心となった
世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーンに起こった美術・デザイン運動のこと。
いわゆるウィーン分離派である。
アール・ヌーボーよりデザインのモダン化をめざし、直線と黄金率を重視したというが、
家のキューブ形のおひな様が黄金比になっているかまだ調べたことがない。
ごく小さい頃に一度会っただけの大伯父だけれど、このおひな様を眺めていると
当時の西洋のハイカラなデザインを取り入れて悦に入る大伯父の姿が
何故か目に浮かぶようである。

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Posted by Ru Na - 2011.03.31,Thu
この震災への各国の支援は、本当に有難い。
今日は、仏大統領のサルコジ紙が原発の事故処理専門員と共に来日し、
管総理といろんな事を話し合ったようだ。
5月のフランスにおける首脳サミットでは、原発の安全性について、
国際基準を設けることをテーマにするとの声明が発表された。
それ自身は歓迎すべきで必要なことと思われる。

しかし、フランスは原発大国。
この福島事故後も、依然として、原発推進路線を変更する気はなさそうで、
今回の事故処理に仏人技術者が大きく貢献すれば、
-日本の事故の深刻化は東電の官僚体質に拠るところが大きく、
わが国とは異なる。日本の原発の事故処理に、これだけ役立った技術陣が
いるのでフランスの原発は万全。- と、チェルノブイリ直後の日本の電力会社や政府が
言っていたようなことをアピールし、自国民を安心させようという意図を、
私は感じてしまう。
杞憂するのは、そんなフランスが主導するサミットで、
核保有国に都合の良い基準が推進される事である。

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 昔旅した、美しい城群で有名なロワール河も、
 観光地を一歩離れると、原発が建ち並んでいた。
 
(左は、ジャンヌ・ダルクがシャルル7世と謁見したシノン城)


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フランスの南半分を縦断する大河、ローヌ河の河口には、
フラミンゴの大群が飛来する湿地帯があるが、この河にも多くの原発があって、
川沿いを走る電車の窓からも見ることができる。

ただ、「絶対安全」を繰り返してきた日本とは違い、
「人はミスを起こすもの。事故は起こりうるもの。」を前提に、
頻繁に、原発周辺の小学校などにも技師を派遣し、原発事故の危険性を説明し、
避難訓練を繰り返しているらしい。
それでも、環境大国西ドイツ(当時)が脱原発をもちかけると、「ドイツ人はヒステリックだから。」
と、すぐ返されてしまうと、以前ドイツの友人がぼやいていた。

米国の事故に対する反応も早く、人力、機材の提供に、我々は感謝しなければならないが、
そして、危険な現場で尽力している方々の、人道的な正義感は疑うべきもないが、
原爆を落として占領した国の、核アレルギーを和らげようと、
「原子力の平和利用」と銘打って、日本に原発を導入した張本人という批判を
かわそうとしているのでは、などとも思ってしまう。

大国の援助の陰に思惑あり。は忘れられない。resize2400.jpg
それが外交というものだろう。






Posted by Ru Na - 2011.03.31,Thu
24日、朝日新聞の天声人語に掲載された一文、
「えたいが知れぬゆえに、放射能はその怖さを百倍にも千倍にも膨らます。・・・・
過ぎると体に悪いものはほかにいくらもあろう。取り越し苦労もまたしかり。
どうか、賢く怖がりたい。」に、共感する人がとても多かったようだ。
ネット上には、「賢く怖がる」のタイトルでの書き込みが急に増えた様子。
特に水道水からヨウ素131が検出された当の東京の人のブログ記事が多い。
数年前に天声人語の執筆者(3人)が交代してからというものの、
しょっ中ケチをつけている私も、この日の文は的を射ていると思った。

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このよく使われる言い回しは、物理学者、寺田寅彦に由来すると、
つれあいが教えてくれた。
「小爆発二件」と題された、昭和10年の浅間山噴火に遭った時の様子を書いた随筆の、
「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることは
なかなかむつかしいことだと思われた。」のオリジナルが、いつのまにか
言い易い「賢く怖がる」という表現になって世に広がったのでは、ということらしい。
(あの有名な「天災は忘れた頃にやって来る。」の言葉も、出典が明らかではなく、
弟子の中谷宇吉郎が関わって知られるようになったという説がある。)

「正当にこわがる」ことの重要性を謂うのは、まことに科学者らしい言。
冷静な観察と分析の裏づけがなければ出てこない言葉である。

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三陸に津波が来る時、船で沖に遠く漕ぎ出して難を逃れた漁師さん達が
多くいたと聞く。
津波のときは沖に逃げよという、昔からの言い伝えをとっさに実行に移した
賢い行動だった。
船に沖まで行ける燃料を積んでいなかったので、即座に船を捨て、
丘にに登って、助かった人もいるという。
昔から幾度も津波に襲われてきた土地柄、経験と知識の集積が、
この前代未聞の高い津波に遭遇しても、瞬時の判断と行動を生んだのだろう。

福島第1原発の状態が、ほとんど泥沼。ついにプルトニウムが検出されたが、
冷戦時の各国の核実験で、すでに日本国中、微量とはいうが,
プルトニウムがばらまかれていたというのには驚いた。
それならばいっそ、あらゆる地点で詳しく計測して欲しいと思う。

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ソ連邦崩壊の時、社会も経済も混乱する中で、ハバロスク辺りには、
老朽化して解体する費用もない軍船が、多数打ち捨てられて、
核燃料が垂れ流しになっていた時期があるので、
(そしてその後、それらがちゃんと処理されたという報道を見た記憶がない。)
また日本の風上には、情報がほとんど鎖国状態の核保有国がある。
日本海には相当の放射性物質が蓄積されているのではと、どうしても想像してしまう。
魚介類も海藻類も、どのくらいの放射能を溜め込んでいるか、
事態が少し落ち着いたら、一度計って欲しい。
可哀そうな海洋生物。

私はかまぼこにいたるまで魚類を食べないが、蟹だって貝だって食べたい。
ワカメや昆布を使わなければ味の調わない料理も多数ある。
自衛手段としては、農薬や添加物に対するように、同じ産地の同じものを
過剰に摂らないようにし、なるべく色んな食材を万遍なく使うという
当たり前の事を心がけたい。
Posted by Ru Na - 2011.03.26,Sat
震災の復興もなかなか進まず、さらに災害に追い討ちをかける様な天候不順で
心も寒々とする毎日だが、それでも春は扉を少しだけ開いて、しのび入ろうとしている。
今年も石川県愛蘭会の展示会が今日、明日の2日間金沢歌劇座で開催されている。


resize2403.jpg 長年東洋蘭の培養をしている父も
 愛蘭会の会員で、何鉢か出品している。
 肌寒い中、展示会を見に出かけた。

 会議室を使った会場には、
 会員の方々が1年かけて
 丹精込めて育てた春蘭が並び、
 それとは分からぬほどの幽かな香りを放つ。





春蘭は元々日本の野山に自生している植物で、私には、日本春蘭、中国蘭の
区別がつかないが、洋蘭に比べてその花はたいへん地味である。
その微妙な色合いと、仄かな香りを愛でる人は多いという。

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異常気象続きの一年で、
会期に合わせて花を咲かせるのに
皆さんたいそう苦労したとのこと。

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以下は、父がこの展示会の案内のために、地元紙のコラム欄に載せた記事の抜粋。

  中国では古来から、草木の中の「君子」として蘭、竹、梅、菊を「四君子」と呼び、
 その首位に蘭を挙げている。蘭の歴史を少しひもといてみたい。
  蘭の絵を描くことが、文人芸術の一つとして盛んになったのは、今から約千年前の
 北宋の時代からで、中国蘭は、園芸としての長い歴史を誇る。
 花容、葉姿、芳香、ランの鉢に至るまで、愛好者の美意識に磨き抜かれて、
 古典園芸植物というよりは一種の芸術として扱われてきた。
  中国蘭が日本に伝来したのは、鎌倉時代に修行のため中国に渡った僧侶が
 持ち帰ったためと聞いている。
 室町、江戸時代になると貴族や武士、富豪の間で好んで栽培されるようになった。
  明治に入ると一時は下火になったものの、大正、昭和初期から再び古典園芸植物として
 認識され、競って栽培されるようになった。
  昭和の終わりごろまでは、趣味として高くつくため一般には普及しなかったが、
 培養技術の発展により、市場に大量に出回るようになった。
 廉価で買えることもあって、世代を問わず趣味の園芸植物として育てる愛好者が
 次第に増えてきている。
  北陸は、気温、湿度ともに条件が良く、春蘭の培養に適している。
 
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 我が家の庭は
 ほとんど蘭の作場に占領され、
 庭らしい姿をしていないので、
 いつも文句ばかり言っているが、
 この花の時期が来ると
 春蘭の清楚さに
 改めて感じ入る。




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花ではなく、葉の色合いを
鑑賞するものもある。









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会場には春蘭の株、培養土などの
販売コーナーもある。

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  花達は株の健康のため
  いいかげんに摘み取られるが、
  摘み取った花を塩漬けにし
  お湯に浮かべれば、
  趣あるお茶になる。



全国の都道府県には其々の愛蘭会があるというが、
今度の震災で東北地方は相当のダメージを受けて、
蘭はみな駄目になっているかもしれないと、父は言う。
山野に自生している蘭の中には、当然変異するものがあって、
愛好家はそういう蘭を探し、見つけ出したものを培養し、
芸術品として育て上げる。
茨木県は何故か昔から突然変異する蘭が多く見つかる土地らしい。
それはおそらく土質や季候のせいなのだろう。
この震災によって生態系も変わり、美しい蘭を生み出してきたその土壌も
すっかり失われてしまうのかもしれない。
Posted by Ru Na - 2011.03.25,Fri

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震災から2週間が経ったが、いまだ手のつけようがない状態の被災地も多く、
連日胸の痛むような被災地の様子が報道されている。

あの大震災の日の前後から痛みだした左足のくるぶしが、しだいに腫れて、
にもかかわらず、引きずった足で外出したり、無理しすぎたのか、
ついには左足が腫れに腫れて歩けなくなり、
余震が起きるたび、もし今ここも地震にみまわれてもこんな状態じゃ
避難所まで行くこともできないなあと、痛みでぼんやりする頭で考えていたのだったが、
ようやく腫れもひいてきて、やっと両足で歩けるようになった。

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先の展望がまだ見えない避難生活を送っている方々が大勢いる。
持病を抱えての避難所暮らしは、どんなに困難で辛いことだろうと、
想像するだけで我身も痛みだす。

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福島第1原発は、間一髪で最初のカタストロフィーを何とか抑えた観があるが、
すでに放出されてしまった放射能が、かなり深刻に土壌や農作物に被害をもたらしている。
よりによってこんな時に、風向きが海から陸方向になって雨が降るなんて、
何と天は非情なことか。
ヨウ素による関東の水汚染は、ヨウ素の半減期が短いことから
次に大量の放射能放出の事態が起こらなければ、しだいに収まるだろうが、
依然、放射能の放出は続いている様子で油断はできない。
小さな子供を持つお母さん達は気が気ではないだろう。
政府や報道機関の発表をすべて嘘と決め付けるのもどうかと思うが、
被災地に対する具体的な情報が足りず、また伝えるのが遅いというのは問題である。


原発事故の直後、新潟県では放射能計測地を2倍に増やし、1時間毎のデーターを発表し、
誰でも簡単に見ることができる。
石川県でも一応測定はしているらしいが、新潟県のようにもっとオープンにしてほしい。
新潟県知事が朝日新聞のオピニオン欄に載せていた文には、
国や東電が、福島県で同様の措置を取っていないことに対する苛立ちが感じられた。

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それにしても、チェルノブイリ後、日本ではまだ重大な原発トラブルが起こっていなかった時期、
チェルノブイリのドキュメント映画を何本も見、反原発の講演会なども聞きに行ったり、
広瀬隆の「危険な話」をはじめ、原発や放射能の怖さを書いた本を何冊も読みあさり、
原発や放射能はこんなに危険と、事あるごとに周囲に言ってはうるさがられていた頃の
新聞社の姿勢に比べ、今回は災害の深刻さが違うとはいえ、隔世の観がある。
当時、地方紙の若い記者と話していた時、「うちの新聞にも原発の危険性を載せたいけれど、
そんなことしたら社を追い出されるだろうなあ。」とぽろりとこぼしたのを憶えているが、
その同紙が、-原発重視のエネルギー政策の転換が求められる。-
-志賀原発がなくても昨夏の猛暑に電力不足にならなかった。-
という記事を載せるまでになった。
他紙も分かりうることをなるべく詳しく書こうと、図説を競うように載せている。
(まだ、何人も炉心で起きている事を、近づいて実際に目で確かめられない状態なので、
全ては推測だが。)
楽観論も悲観論も、なるべくいろんな人の意見を載せようという姿勢も、
以前より多く感じられる。
TVにしろ新聞にしろ、真に受けられるのは、多くてせいぜい6割くらいと、
日頃批判的に見ている私だが、今回の事故で分かったのは、
原発の発電のしくみや構造を、いかに自分があまり理解していなかったのかという事。
どこが、何が、危険を誘発するかを知らずに、ただ漠然と怖いと言っていたのだった。
以前読んだ反原発の本の中で、8割くらい鵜呑みにしていた記述の信憑性も
今ではかなり疑っている。
高木仁三郎氏がもし生きていたら、どんな意見を述べるのだろうか。
氏の不在が残念である。

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いろんな人が其々の立場や知識でいろんな意見を述べているが、
10人の専門家の意見が食い違い、10通り見方があるのも当たり前。
この事故は史上初のシチュエーションだらけである。

だから、一人の人間が全て正しい事を把握している、などということはまずありえない。
人間にできるのは、過去のデーターから近いケースを探し出し、結果を推測すること、
それに対して最善の方法を考え出すことだけ。その方法も、一通りではない。
そして、いろんな情報で流される放射線量の数値が、
客観的に定点観測されたものかを見極めることも必要である。
とにかく、日々深刻さに直面している避難地域の状態を一刻も早く改善すること。

情報が錯綜する中で、いかに確実と思われることを摑み出していくか、
自分が知ったことだけが正しいと決め付けないこと、
他者と意見が違っても、感情的にならないこと、などが今重要だと思う。
(こと原発に関して、どうしてこんなに感情的になってしまう人が多いのか。)

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私としては、直接身に被害を感じている、中国大陸からやって来る、光化学スモッグと同様の
日本海側の大気汚染に対しても、もっと世が騒いでもいいと思っているのに。
(これらもかなり健康上の危険度が高いと思われる。)
とにかく、冷静に計測データーの数値の変移を見守り、いたずらに騒いで
命をつなぐ物流の妨げにならないようにしなければならない。

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