見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
Posted by Ru Na - 2012.08.16,Thu
この夏はひどく暑い。この先どうなることかと思うくらい猛暑と熱帯夜続き。
あまりの暑さに、ノウゼンカズラの蕾はみんな落ちてしまい、
花はついに一つしか咲かなかった。
そんな猛暑の中で、今年は鉢植えのブルーベリーも葡萄も、実をぎっしり付けた。
ブルーベリーの白っぽい実が端から黒くなって、熟したものは簡単に枝から離れる。
毎日黒い実を少しづつ摘んでも、結構な収穫量になる。
このくらいの量で、
ジャムだって作れる。
時々シジュウカラが
近くで鳴くのだけれど
実をついばんでいる
様子はない。
オナガの鳴き声もするが、
ブルーベリーはパス。
彼らの目的は
どうも槇の木の実らしく
様子見に来ているらしい。
去年は虫にみんな
食べられてしまった葡萄も、
今年は房を多く付け、
順調に育っている。
緑色のままでも既に食べられるくらい甘いのだが、
もうしばらくするとうっすらと紫がかってきて、食べ頃になるのを楽しみにしている。
あまりの暑さに、ノウゼンカズラの蕾はみんな落ちてしまい、
花はついに一つしか咲かなかった。
そんな猛暑の中で、今年は鉢植えのブルーベリーも葡萄も、実をぎっしり付けた。
ブルーベリーの白っぽい実が端から黒くなって、熟したものは簡単に枝から離れる。
毎日黒い実を少しづつ摘んでも、結構な収穫量になる。
このくらいの量で、
ジャムだって作れる。
時々シジュウカラが
近くで鳴くのだけれど
実をついばんでいる
様子はない。
オナガの鳴き声もするが、
ブルーベリーはパス。
彼らの目的は
どうも槇の木の実らしく
様子見に来ているらしい。
去年は虫にみんな
食べられてしまった葡萄も、
今年は房を多く付け、
順調に育っている。
緑色のままでも既に食べられるくらい甘いのだが、
もうしばらくするとうっすらと紫がかってきて、食べ頃になるのを楽しみにしている。
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Posted by Ru Na - 2012.08.10,Fri
つい先日始まったような気がするロンドンオリンピックは、いつの間にかもう大詰め。
始まる前はあまり盛り上がっていなかったのに、最初の女子柔道金メダルに続いて、
連日のメダルラッシュで、新聞もTVもオリンピック一色に染まっている。
先日イギリスから送られてきた
ロンドンバスのチョコレートと、
エリザベス女王戴冠60周年記念の
お祝いグッズ。
オリンピックなどスポーツの国際大会をTVで観戦するのは元々嫌いではない。
それどころか、見出すとつい何でもかんでも見て、時間を取られてしまうので、
最初からあまり見ないようにしていたのに、
たまたま点けたTVで、フェンシングのスリリングな試合から目が離せなくなったり、
女子レスリングにハラハラしたり、やっぱり「地球村の運動会」(天野祐吉氏の例え)は面白い。
とはいえ、おおむねニュースで結果を知る位で満足している。
紅茶好きのイギリス人が
日常浴びるほど紅茶を飲むため、
イギリスでは紅茶の大袋が売られている。
この、ごく一般的な紅茶が
ブランドものより、私には一番美味しい。
今回の日本選手の目ざましい活躍は、ひとつはあの酷い震災と原発事故を経験し、
余計なことは考えずに、ただひたすら現在各々が出来ることを精一杯やろうという、
そんな思いが形に表れたのかもしれない。
もうひとつは、イギリスのロンドンという会場が、持てる力を遺憾なく発揮し易い
雰囲気を醸しているからではないかと思われる。
ヨークシャーに親戚が住んでいて、イギリスには昔何度も訪れたが、
押し付けがましくない親切によく会い、どこでもおおむね安心していられたことを思い出す。
田舎道でスケッチしていても、すれ違う人が側を通る時は「ソーリー」と言って
そっとこちらを避け、なるべく邪魔をしないように心遣ってくれるようだった。
これがフランスだと必ず誰か寄って話しかけてくるので、静かにスケッチできた試しがなかった。
ヨークシャーからロンドンに遊びに行った時、セント・ポール寺院前の階段に腰掛けて
叔母が持たせてくれたおにぎりをかじっていても、周囲の人はごく自然に見てみぬふり。
当時は日本のおいぎりなどとても珍しかったし、本当はちょっと構って欲しかったのだけれど、
パリとは違って、人に構わないのが親切と思っている感じだった。
イギリスでは子供に、人がちょっと変わった様子をしていても、
じっと見つめるのは失礼にあたると、厳しく躾をするようである。
しかし見ていないようでも、誰か困っているようだとさり気なく手助けをしてくれる。
気候は温暖で、夏でもそう暑くない。
今回のオリンピックでも、フェア精神を大切にする国らしく、観客はどの国の選手にも
さり気なく暖かい声援を送っているのだろう。
エリザベス女王戴冠60周年を
特集した雑誌や新聞。
それにしても日本のTVは、ただでさえスポーツ番組が多いように思える。
オリンピックをこれだけ報道し、これだけよく観る国はそうないのでは。
やたらと多いスポーツとグルメに関する番組を見ると、
つい「パンとサーカス」という言葉を思い浮かべてしまう。
古代ローマが帝国を拡張していく過程で、征服された土地の民衆が
為政者に不満を持つのを避けるため、「パンとサーカス」つまり食と娯楽を与えておけばよいと、
各地に劇場を作りまくったという故事である。
この国の政府は、国民が何かのアトラクションや大きな事件の報道に夢中になっている間に、
重要な法案などをさっさと決めてしまうケースが今まで頻繁だったので、
こういう時こそ特に世の動きに注意深くならなければと思う。
官邸を取り巻く脱原発のうねりが、オリンピック騒ぎで下火になると
もし政府が思っているなら、大間違い。
オリンピックでもサッカーW杯でも、過ぎてしまえばその結果をすぐ忘れてしまうけれど、
表彰台でのなでしこたちの極上の笑顔は長く印象に残りそう。
始まる前はあまり盛り上がっていなかったのに、最初の女子柔道金メダルに続いて、
連日のメダルラッシュで、新聞もTVもオリンピック一色に染まっている。
先日イギリスから送られてきた
ロンドンバスのチョコレートと、
エリザベス女王戴冠60周年記念の
お祝いグッズ。
オリンピックなどスポーツの国際大会をTVで観戦するのは元々嫌いではない。
それどころか、見出すとつい何でもかんでも見て、時間を取られてしまうので、
最初からあまり見ないようにしていたのに、
たまたま点けたTVで、フェンシングのスリリングな試合から目が離せなくなったり、
女子レスリングにハラハラしたり、やっぱり「地球村の運動会」(天野祐吉氏の例え)は面白い。
とはいえ、おおむねニュースで結果を知る位で満足している。
紅茶好きのイギリス人が
日常浴びるほど紅茶を飲むため、
イギリスでは紅茶の大袋が売られている。
この、ごく一般的な紅茶が
ブランドものより、私には一番美味しい。
今回の日本選手の目ざましい活躍は、ひとつはあの酷い震災と原発事故を経験し、
余計なことは考えずに、ただひたすら現在各々が出来ることを精一杯やろうという、
そんな思いが形に表れたのかもしれない。
もうひとつは、イギリスのロンドンという会場が、持てる力を遺憾なく発揮し易い
雰囲気を醸しているからではないかと思われる。
ヨークシャーに親戚が住んでいて、イギリスには昔何度も訪れたが、
押し付けがましくない親切によく会い、どこでもおおむね安心していられたことを思い出す。
田舎道でスケッチしていても、すれ違う人が側を通る時は「ソーリー」と言って
そっとこちらを避け、なるべく邪魔をしないように心遣ってくれるようだった。
これがフランスだと必ず誰か寄って話しかけてくるので、静かにスケッチできた試しがなかった。
ヨークシャーからロンドンに遊びに行った時、セント・ポール寺院前の階段に腰掛けて
叔母が持たせてくれたおにぎりをかじっていても、周囲の人はごく自然に見てみぬふり。
当時は日本のおいぎりなどとても珍しかったし、本当はちょっと構って欲しかったのだけれど、
パリとは違って、人に構わないのが親切と思っている感じだった。
イギリスでは子供に、人がちょっと変わった様子をしていても、
じっと見つめるのは失礼にあたると、厳しく躾をするようである。
しかし見ていないようでも、誰か困っているようだとさり気なく手助けをしてくれる。
気候は温暖で、夏でもそう暑くない。
今回のオリンピックでも、フェア精神を大切にする国らしく、観客はどの国の選手にも
さり気なく暖かい声援を送っているのだろう。
エリザベス女王戴冠60周年を
特集した雑誌や新聞。
それにしても日本のTVは、ただでさえスポーツ番組が多いように思える。
オリンピックをこれだけ報道し、これだけよく観る国はそうないのでは。
やたらと多いスポーツとグルメに関する番組を見ると、
つい「パンとサーカス」という言葉を思い浮かべてしまう。
古代ローマが帝国を拡張していく過程で、征服された土地の民衆が
為政者に不満を持つのを避けるため、「パンとサーカス」つまり食と娯楽を与えておけばよいと、
各地に劇場を作りまくったという故事である。
この国の政府は、国民が何かのアトラクションや大きな事件の報道に夢中になっている間に、
重要な法案などをさっさと決めてしまうケースが今まで頻繁だったので、
こういう時こそ特に世の動きに注意深くならなければと思う。
官邸を取り巻く脱原発のうねりが、オリンピック騒ぎで下火になると
もし政府が思っているなら、大間違い。
オリンピックでもサッカーW杯でも、過ぎてしまえばその結果をすぐ忘れてしまうけれど、
表彰台でのなでしこたちの極上の笑顔は長く印象に残りそう。
Posted by Ru Na - 2012.08.05,Sun
子供の頃の夏休みの楽しみの一つに、花火大会があった。
7月末から8月にかけて、地元の新聞2社が相次いで催すもので、
当日の昼間、試し上げのドンというお腹に響く音が聞こえてくると、
気もそぞろになって、早く夜になるのを待ちわびたものだ。
夕飯を済ましてから、家族と川原に向かって歩き出す頃には、ドン、パチパチと
すでに花火が始まっている音がした。
川原には大勢の見物客が集まって、敷いたシートの上で宴会をしていたり、
団扇であおぎながら近所の人とおしゃべりに興じていたり、思い思いに花火を楽しんでいた。
以前は打ち上げ場所が上流寄りで、家に比較的近く、
大きくなってからはしばしば、打ち上げているのが見える所まで歩いて行って、
頭上に降ってくるような花火のスペクタクルを楽しんだ。
仕掛け花火が正面に見えるその辺りは、さすがに人垣ができていたが、
途中から見物に加わっても、花火がよく見える場所を確保するのは別段難しくもなかった。
大人になっても長く、花火は何か特別の、取っておきのイベントだった。
と同時に、水鳥など川にいる生き物を怖がらせているのではと、気になりだした。
10年ほど前、打ち上げ場所が下流の方に移って、近くの川原に出ても
建物の向うに花火がごく小さくしか見えなくなってから、あまり見に行かなくなった。
一度近くまで行ってみたが、打ち上げ会場付近は人で埋まり、場所探しに歩くこともままならず、
大勢の整理の警備員が、そこ立ち止まらないで、そこ入らないで、そこに座っては駄目など
とても口うるさく、ロープで誘導までしていて、
地方都市の中規模の花火大会は、自由にのんびり見られるのが魅力なのに、
これではまるで神田両国花火の人地獄みたいじゃない。
神田は一度見に行ったが、あまりにもの人の多さと、ロープ誘導で数十分待たされる、
あまりにもの自由の利かなさと、どこまで行っても、ビルの隙間から花火の端っこしか見えない
あまりにもの見にくさに、それに、花火が終わってから帰宅を急ぐ人ごみ、
地下鉄の駅周辺は人であふれ、入口から広場までを覆い尽くす人の列、
一体いつになったらバスにも乗れるものか見当がつかない位の人の多さに、
寸でパニックを起こしそうになって以来、
大きな有名花火大会には警戒心を持つようになったのだった。
近年ほとんど見に行くことが無くなった花火を、
久しぶりに母が見たいと言うので、
近くの川原の橋の上まで行ってみた。
建物の陰に小さく見える花火だけれど、
橋の真中辺りに立つと川面にも光が映る。
遠い花火も悪くないと、
夜になってもむせ返るような暑さの中で、
川を伝ってくる微かな涼風を楽しみながら、
のんびりと眺めた。
今年買ったカメラで撮影してみる。さすが光学35倍。思ったより大きく写すことができた。
手持ちの花火モードで撮影。
夜空に炸裂してすぐ消えゆく束の間の光を切り取ると、光の軌跡が線を描く。
Posted by Ru Na - 2012.08.02,Thu
連日ものすごく暑い。とにかく暑い。夜も冷えず熱帯夜続き。
あまりにも暑いので、どうせ何もはかどらないだろうと、
県立美術館へ田中一村展を見に行った。
(あまりにも暑いので、文字サイズを大きくしてみました。)
田中一村は明治41年に生まれ、
1977年に69才で没しているが、
日本画の題材としては珍しい熱帯植物の、
アンリ・ルソーを彷彿とさせる
大胆な構図で評価が高まったのは、
近年のこと。
一村についてはあまり知らなかったが、
先にこの展覧会を見に行った人に
画集を見せてもらって、これは見逃せない
と思ったのだった。
県立美術館の裏手の急な階段を登る。
横に滝がしつらえてあるので、この猛暑でも空気はひんやりしていた。
美術館の裏辺りも草木が涼しげで、静かで落ち着いた空間。
ここはいつも、
木々や色んな植物が
季節ごとの表情を見せてくれる。
この暑さ。
さすがに今日は
鳥の姿もない。
一村の年譜を見ると、関東で生まれ育ち、早くから画才を現し
東京美術学校に入学するが、家庭の事情で退学。
父と弟を亡くし、残された一家で千葉に移り住んだのが30才。
農業で自給しながら鳥を沢山飼い、板金工などして働きながら
画業を続ける。
30代から50代にかけ、
日展や院展などに
出品するが、落選続き。
その間に、能登の
「やわらぎの郷」の
聖徳太子殿の
天井画を描いている。
今回の展覧会は、
その天井画の
修復が終わった
記念展らしい。
天井画の実物と修復作業の様子の写真パネルが展示してあった。
49種の薬草が生き生きと描かれ、じっと見ていると、
実際の草花をその色や形に感嘆しながら眺めている時と同じ心地がした。
一村は50才の時奄美大島を訪れ、その後移り住む。
数年染色工として働いて生活の糧を稼ぎ、数年画業に専念。
時々千葉にも帰る、といった生活を繰り返していたらしい。
初期の水墨山水画を見ても、
型を踏襲しながら形式に収まりきれぬ
生の自然への賛歌が感じられた。
山野の植物を描いたものは、
日本画らしく画面に端正にまとめよう
というより、草花の本当の勢いを
そのまま表現しようとしているような、
大いに共感できる視点を感じた。
そう、野では、植物たちは実際に
こんな風に絡み合って生えているよ。
初期の作品から時々、
絵の中に小さく、さり気なく
鳥が描かれていたりしたが、
それも鳥を、その行動や
気持ちまでも
よく観察していた人だと
推測できるような
生きた鳥の姿である。
次第に構図が大胆で簡潔に
なるにつれ、
鳥のモチーフも
重要な位置を占めていった
様子がうかがえる。
上、左、右下の順で、
アカショウビン、オナガ、カケス。
奄美大島に移ってからの植物の描写は、大胆な構図の中に
装飾的に組み入れられていくが、観念的な装飾紋にはならず、
ちょうどアールヌーボーを生み出したナンシー派の工芸家たちが、
植物の写生を突き詰めて繰り返し、自然の造化が持つ本来の美を
装飾にまで昇華して、装飾に有機的な生命の息吹を吹き込んだように、
一村の植物もまた、生きた装飾である。
その画面の中に住む鳥の姿も生き生きとしている。
私のお気に入りのトラツグミの絵。
未完で残された絵には
描きかけのカケスたち。
今にも動き出しそうである。
あまりにも暑いので、どうせ何もはかどらないだろうと、
県立美術館へ田中一村展を見に行った。
(あまりにも暑いので、文字サイズを大きくしてみました。)
田中一村は明治41年に生まれ、
1977年に69才で没しているが、
日本画の題材としては珍しい熱帯植物の、
アンリ・ルソーを彷彿とさせる
大胆な構図で評価が高まったのは、
近年のこと。
一村についてはあまり知らなかったが、
先にこの展覧会を見に行った人に
画集を見せてもらって、これは見逃せない
と思ったのだった。
県立美術館の裏手の急な階段を登る。
横に滝がしつらえてあるので、この猛暑でも空気はひんやりしていた。
美術館の裏辺りも草木が涼しげで、静かで落ち着いた空間。
ここはいつも、
木々や色んな植物が
季節ごとの表情を見せてくれる。
この暑さ。
さすがに今日は
鳥の姿もない。
一村の年譜を見ると、関東で生まれ育ち、早くから画才を現し
東京美術学校に入学するが、家庭の事情で退学。
父と弟を亡くし、残された一家で千葉に移り住んだのが30才。
農業で自給しながら鳥を沢山飼い、板金工などして働きながら
画業を続ける。
30代から50代にかけ、
日展や院展などに
出品するが、落選続き。
その間に、能登の
「やわらぎの郷」の
聖徳太子殿の
天井画を描いている。
今回の展覧会は、
その天井画の
修復が終わった
記念展らしい。
天井画の実物と修復作業の様子の写真パネルが展示してあった。
49種の薬草が生き生きと描かれ、じっと見ていると、
実際の草花をその色や形に感嘆しながら眺めている時と同じ心地がした。
一村は50才の時奄美大島を訪れ、その後移り住む。
数年染色工として働いて生活の糧を稼ぎ、数年画業に専念。
時々千葉にも帰る、といった生活を繰り返していたらしい。
初期の水墨山水画を見ても、
型を踏襲しながら形式に収まりきれぬ
生の自然への賛歌が感じられた。
山野の植物を描いたものは、
日本画らしく画面に端正にまとめよう
というより、草花の本当の勢いを
そのまま表現しようとしているような、
大いに共感できる視点を感じた。
そう、野では、植物たちは実際に
こんな風に絡み合って生えているよ。
初期の作品から時々、
絵の中に小さく、さり気なく
鳥が描かれていたりしたが、
それも鳥を、その行動や
気持ちまでも
よく観察していた人だと
推測できるような
生きた鳥の姿である。
次第に構図が大胆で簡潔に
なるにつれ、
鳥のモチーフも
重要な位置を占めていった
様子がうかがえる。
上、左、右下の順で、
アカショウビン、オナガ、カケス。
奄美大島に移ってからの植物の描写は、大胆な構図の中に
装飾的に組み入れられていくが、観念的な装飾紋にはならず、
ちょうどアールヌーボーを生み出したナンシー派の工芸家たちが、
植物の写生を突き詰めて繰り返し、自然の造化が持つ本来の美を
装飾にまで昇華して、装飾に有機的な生命の息吹を吹き込んだように、
一村の植物もまた、生きた装飾である。
その画面の中に住む鳥の姿も生き生きとしている。
私のお気に入りのトラツグミの絵。
未完で残された絵には
描きかけのカケスたち。
今にも動き出しそうである。
Posted by Ru Na - 2012.07.22,Sun
NHKFMの「名曲の楽しみ」は、音楽評論家・吉田秀和氏による、
一人の作曲家をとりあげ、その全曲を連続放送する長寿ラジオ番組である。
吉田秀和氏がラフマニノフの連続放送中の5月に亡くなって、
途中で終わってしまうのかとがっかりしていたら、
氏の生前に録音されたものが先週まで放送され、独特の語り口で番組の終わりに、
「それじゃ、また。」といつものように締めくくられていたのだが、
収録されていたのはその回までだった。
今週から、氏が残したメモによるシベリウスのシリーズが、
番組のディレクターの語りによって始まった。
放送が年内いっぱい分くらいのメモが残っているらしい。
淡々としたディレクター氏の話しに、吉田秀和さんの声が重なってくるような気がした。
いつも新たな作曲家のシリーズが始まる度に、あの曲にはどんな演奏家のものを
取り上げるのだろうと、予め想像しては楽しんでいたが、
今回も、シベリウスのピアノ・ソナチネや小品には、きっとグレン・グールドの演奏が
選ばれているのだろうと想像して楽しみにしている。
シベリウスといえば、交響詩「フィンランディア」やバイオリン協奏曲ニ短調が
最も知られた曲かもしれない。
私にとってはまず、交響詩「トゥオネラの白鳥」の作曲家である。
中学時代この魅惑的な題名を少女漫画で知り、実際に聴いたのはその数年後だった。
フィンランドの神話「カレワラ」に
出てくる伝説の白鳥。
この世と冥府の間に横たわる
トゥオネラ河に浮かぶ大白鳥は、
あの世への手引きをする。
北欧の冷たく白い空気に
融け入るような響きを持つ
この曲を聴くと、
流れる霧で辺りが包まれて
いくような心地にさせられる。
河北潟のコブちゃんにトゥオネラの白鳥に扮してもらいました。
美大生時代の西洋美術特論で、人間には北方系と南方系のタイプがあって、
北方系の人は、ゴッホの様に南の明るい光に惹かれ、南方系は北に憧れる傾向がある
という、興味深い話を聞いた。
冬が長く暗い北陸の私は、やはり南の明るい土地に行ったら人生観が変わるような気がして、
地中海沿岸の都市に留学した。
(その頃は夏が嫌いではなかったし、金沢の夏はこんなに暑くなかったので、
むしろ、寒さと暗い冬から脱出したかったのだった。)
しかし北方系の本性は従いて回って、南の大胆な形と色の植物より、
繊細で微妙な色彩を持つものが好き。音楽も文学もスペインよりドイツのものに惹かれる。
そうひどく暑くない南仏の、カラッとした大気と陰の青さ。糸杉とオリーブ畑が続くプロヴァンスは
私の第二の故郷だけれど、同時にやはり北に惹かれ、回帰したい自分がいる。
バルト海
夏の夕暮の風景
知っている北欧の作曲家は、せいぜいグリークとシベリウスだが、
いずれも楽曲の中に何か独特の響きがあって、(北の白い空気と云えばいいのか)
それが心をいたく捕えるのである。
例えばグリークのピアノソナタホ短調。
グリークが音楽院の学生だった頃の習作というが、とてつもなく暗い曲である。
そしてグリークの遠縁にあたるグレン・グールドがグリークの曲で録音を残した唯一のもの。
これまた、何があったの?と問いたくなるくらいグールドにしてはとても暗い演奏だが、
その第2楽章は、北欧の空気づくしで、聴いても弾いても白夜のような雰囲気に
心底涼しい心地がする。
シベリウスの3つのソナチネや3つの抒情的小品が入ったCDは、
グレン・グールドの数ある録音の中でも私のお気に入りで、
特に暑い夏に聴くと、芯から涼しい心地になる。
雪に覆われた林の中の小道を、橇の鈴音が遠ざかっていくようなフレーズは、
本当に極寒の空の彼方にいつまでも銀の残響が消えずにいるような不思議な響き。
と思っていたら、グールドはこの録音の時、音の空間を作るため
実験的にいつもの倍のマイクを使ってみたということを、後に知った。
この魅力的な曲集の楽譜が欲しいと思って、今だ手に入れることができない。
ストックホルムから
ヘルシンキに向かう
夜行船の中から。
いつまでも日が
沈まない。
貧乏学生の夏休みの、リュックを背負ったせわしない貧乏旅行で訪れた北欧。
今となっては、もっとじっくり回ればよかったと思われる。
せめてシベリウスを聴いて、北の大地に思いを馳せよう。
海上から望む
ヘルシンキの街。
ヘルシンキの港近く。
コブハクチョウが
沢山海に浮かぶ様を
撮影しなかったのが残念。
一人の作曲家をとりあげ、その全曲を連続放送する長寿ラジオ番組である。
吉田秀和氏がラフマニノフの連続放送中の5月に亡くなって、
途中で終わってしまうのかとがっかりしていたら、
氏の生前に録音されたものが先週まで放送され、独特の語り口で番組の終わりに、
「それじゃ、また。」といつものように締めくくられていたのだが、
収録されていたのはその回までだった。
今週から、氏が残したメモによるシベリウスのシリーズが、
番組のディレクターの語りによって始まった。
放送が年内いっぱい分くらいのメモが残っているらしい。
淡々としたディレクター氏の話しに、吉田秀和さんの声が重なってくるような気がした。
いつも新たな作曲家のシリーズが始まる度に、あの曲にはどんな演奏家のものを
取り上げるのだろうと、予め想像しては楽しんでいたが、
今回も、シベリウスのピアノ・ソナチネや小品には、きっとグレン・グールドの演奏が
選ばれているのだろうと想像して楽しみにしている。
シベリウスといえば、交響詩「フィンランディア」やバイオリン協奏曲ニ短調が
最も知られた曲かもしれない。
私にとってはまず、交響詩「トゥオネラの白鳥」の作曲家である。
中学時代この魅惑的な題名を少女漫画で知り、実際に聴いたのはその数年後だった。
フィンランドの神話「カレワラ」に
出てくる伝説の白鳥。
この世と冥府の間に横たわる
トゥオネラ河に浮かぶ大白鳥は、
あの世への手引きをする。
北欧の冷たく白い空気に
融け入るような響きを持つ
この曲を聴くと、
流れる霧で辺りが包まれて
いくような心地にさせられる。
河北潟のコブちゃんにトゥオネラの白鳥に扮してもらいました。
美大生時代の西洋美術特論で、人間には北方系と南方系のタイプがあって、
北方系の人は、ゴッホの様に南の明るい光に惹かれ、南方系は北に憧れる傾向がある
という、興味深い話を聞いた。
冬が長く暗い北陸の私は、やはり南の明るい土地に行ったら人生観が変わるような気がして、
地中海沿岸の都市に留学した。
(その頃は夏が嫌いではなかったし、金沢の夏はこんなに暑くなかったので、
むしろ、寒さと暗い冬から脱出したかったのだった。)
しかし北方系の本性は従いて回って、南の大胆な形と色の植物より、
繊細で微妙な色彩を持つものが好き。音楽も文学もスペインよりドイツのものに惹かれる。
そうひどく暑くない南仏の、カラッとした大気と陰の青さ。糸杉とオリーブ畑が続くプロヴァンスは
私の第二の故郷だけれど、同時にやはり北に惹かれ、回帰したい自分がいる。
バルト海
夏の夕暮の風景
知っている北欧の作曲家は、せいぜいグリークとシベリウスだが、
いずれも楽曲の中に何か独特の響きがあって、(北の白い空気と云えばいいのか)
それが心をいたく捕えるのである。
例えばグリークのピアノソナタホ短調。
グリークが音楽院の学生だった頃の習作というが、とてつもなく暗い曲である。
そしてグリークの遠縁にあたるグレン・グールドがグリークの曲で録音を残した唯一のもの。
これまた、何があったの?と問いたくなるくらいグールドにしてはとても暗い演奏だが、
その第2楽章は、北欧の空気づくしで、聴いても弾いても白夜のような雰囲気に
心底涼しい心地がする。
シベリウスの3つのソナチネや3つの抒情的小品が入ったCDは、
グレン・グールドの数ある録音の中でも私のお気に入りで、
特に暑い夏に聴くと、芯から涼しい心地になる。
雪に覆われた林の中の小道を、橇の鈴音が遠ざかっていくようなフレーズは、
本当に極寒の空の彼方にいつまでも銀の残響が消えずにいるような不思議な響き。
と思っていたら、グールドはこの録音の時、音の空間を作るため
実験的にいつもの倍のマイクを使ってみたということを、後に知った。
この魅力的な曲集の楽譜が欲しいと思って、今だ手に入れることができない。
ストックホルムから
ヘルシンキに向かう
夜行船の中から。
いつまでも日が
沈まない。
貧乏学生の夏休みの、リュックを背負ったせわしない貧乏旅行で訪れた北欧。
今となっては、もっとじっくり回ればよかったと思われる。
せめてシベリウスを聴いて、北の大地に思いを馳せよう。
海上から望む
ヘルシンキの街。
ヘルシンキの港近く。
コブハクチョウが
沢山海に浮かぶ様を
撮影しなかったのが残念。
Posted by Ru Na - 2012.07.17,Tue
大切な巣を壊されてしまった可哀想なカンムリカイツブリ。
彼らが無事でいるか気になって仕方がない。
先日カンムリたちの姿を探したが見つからず、がっかりして帰った。
6月18日、もしや巣が壊された所にまた営巣しているのでは、
それはあまりにも危険と、見に行く途中、
少し上流の川の中に、細い首の小さなシルエットが二つ。
探していた
カンムリカイツブリの
つがいだった!
良かった、無事だった。
のんびりした様子で仲良く泳ぎ、河岸の草の陰で休んだりしている。
ピエタ(嘆きの聖母)のように、意気消沈して嘆いているような雰囲気はなかったので、
ひとまず安心し、彼らの巣がどうなったかを見に行った。
流木の小さな島は更に傾き、残っていた巣材は完全に無くなっていた。
近くに停泊中の作業船を
係留するロープの先の旗竿に、
彼らの巣の残骸が
引っ掛かっていた。
水面にあの小さなピンクの花が
漂う様は、物悲しい光景だった。
カンムリカイツブリたちは、めげずに今季もう一度、営巣して子育てをしないだろうか。
是非そうして欲しい。今度はもっと安全で人目に付かない場所で。
そう願って、6月21日にまた様子を見に行ったが、姿が見当たらない。
諦めて帰ろうとした時、上流の方角からカンムリが1羽だけ、スーッと目の前を通って
下流の方の草陰まで泳いでいった。
しばらく見ていたが、1羽だけでいるようだった。
6月27日、ついに会えず終い。 巣後の流木には、作業船の係留ロープが乗り上げていた。
7月3日、やはり1羽で泳ぎ、私の目の前で羽繕いした後、草地の水際に落ち着いた。
近くに♀が抱卵する巣がないかと見回すが、そのような気配はない。
7月8日。いつもは夕暮れ時に様子を見に行くのだが、この日は早朝に出かけた。
やはり1羽だけで、水際の草地に沿って泳いでいた。
3時間後また行ってみると姿が見えない。周辺を自転車で回ってみると、
元の巣の辺りでしきりに水に潜っていた。
やはりこの場所がお気に入りのようで、日曜日で工事が休みなので安心して戻っている様子。
7月17日夕方。元巣より橋二つ分上流から下流に向かって、時々潜りながら泳いでいた。
カンムリカイツブリの前を、時々ツバメが横切って飛んで行く。
前方に小さく、草叢からヒナを3羽連れて泳ぎ出し、またすぐに草陰に隠れた水鳥がいた。
首が細く見えたので、カンムリがいつの間にかどこか近くで、また営巣していて
ヒナが産まれていたのかと、ドキドキわくわくしながら帰って、
ほんの数秒やっと撮れた動画の小さい姿を目を凝らして見たら、
カンムリカイツブリではなく、カルガモの親子だった。
いつも1羽きりでいるカンムリカイツブリ。この子は何だか♂のような感じがしている。
お嫁さんは今どこにいるの?
彼らが無事でいるか気になって仕方がない。
先日カンムリたちの姿を探したが見つからず、がっかりして帰った。
6月18日、もしや巣が壊された所にまた営巣しているのでは、
それはあまりにも危険と、見に行く途中、
少し上流の川の中に、細い首の小さなシルエットが二つ。
探していた
カンムリカイツブリの
つがいだった!
良かった、無事だった。
のんびりした様子で仲良く泳ぎ、河岸の草の陰で休んだりしている。
ピエタ(嘆きの聖母)のように、意気消沈して嘆いているような雰囲気はなかったので、
ひとまず安心し、彼らの巣がどうなったかを見に行った。
流木の小さな島は更に傾き、残っていた巣材は完全に無くなっていた。
近くに停泊中の作業船を
係留するロープの先の旗竿に、
彼らの巣の残骸が
引っ掛かっていた。
水面にあの小さなピンクの花が
漂う様は、物悲しい光景だった。
カンムリカイツブリたちは、めげずに今季もう一度、営巣して子育てをしないだろうか。
是非そうして欲しい。今度はもっと安全で人目に付かない場所で。
そう願って、6月21日にまた様子を見に行ったが、姿が見当たらない。
諦めて帰ろうとした時、上流の方角からカンムリが1羽だけ、スーッと目の前を通って
下流の方の草陰まで泳いでいった。
しばらく見ていたが、1羽だけでいるようだった。
6月27日、ついに会えず終い。 巣後の流木には、作業船の係留ロープが乗り上げていた。
7月3日、やはり1羽で泳ぎ、私の目の前で羽繕いした後、草地の水際に落ち着いた。
近くに♀が抱卵する巣がないかと見回すが、そのような気配はない。
7月8日。いつもは夕暮れ時に様子を見に行くのだが、この日は早朝に出かけた。
やはり1羽だけで、水際の草地に沿って泳いでいた。
3時間後また行ってみると姿が見えない。周辺を自転車で回ってみると、
元の巣の辺りでしきりに水に潜っていた。
やはりこの場所がお気に入りのようで、日曜日で工事が休みなので安心して戻っている様子。
7月17日夕方。元巣より橋二つ分上流から下流に向かって、時々潜りながら泳いでいた。
カンムリカイツブリの前を、時々ツバメが横切って飛んで行く。
前方に小さく、草叢からヒナを3羽連れて泳ぎ出し、またすぐに草陰に隠れた水鳥がいた。
首が細く見えたので、カンムリがいつの間にかどこか近くで、また営巣していて
ヒナが産まれていたのかと、ドキドキわくわくしながら帰って、
ほんの数秒やっと撮れた動画の小さい姿を目を凝らして見たら、
カンムリカイツブリではなく、カルガモの親子だった。
いつも1羽きりでいるカンムリカイツブリ。この子は何だか♂のような感じがしている。
お嫁さんは今どこにいるの?
Posted by Ru Na - 2012.07.16,Mon
カンムリカイツブリたちは、ちゃんと卵を温めているだろうか。
卵が孵るまで何日かかるのだろうか。それまで巣は誰にも見つからず無事でいるだろうか。
と、気になって仕方がない。
また3日後の6月14日の夕方、様子を見に行った。
巣が見える場所に行くと、何だか様子がおかしい。
下流方向のすぐ先に、大きな作業船が係留していて、
巣のある小枝の流木でできた小さい島の形が少し変わっている。
カンムリカイツブリの姿もなく、
座っていた巣も見当たらない。
胸騒ぎがしてきた。
幸い周囲に人影もなく、初めて川原に降りて
巣の近くまで行ってみた。
卵があった巣が本当に無くなっている!
一体何が起こったのだろう。すっかり動揺してしまった。
流木の小さな島は、一度完全にひっくり返されて、
その時に巣が卵もろとも壊れてしまったのかもしれない。
一体誰が。カラスやトビの仕業ではない。誰か人間が面白半分に・・・・?
一番考えられるのは、作業船が側を通った時、引っかけられたか、
大きな横波ができて、そのせいで島がひっくり返ったという事。
彼らが一生懸命集めていた巣材の残骸が残っていた。
このピンク色の花のような小さなものを、巣に置いていた理由は分からないが、
何だか私にはこれが、彼らがこれからしばらく過ごす家を、少しでも楽しく彩りたいという
いじらしい気持ちで、わざわざ選んだささやかな飾りのような気がしていたのだった。
卵は助からなかったかもしれない。では親鳥は無事だったのだろうかと、
周囲を探し回ってみたけれど、その姿をついに見つけることができなかった。
近くの工事現場から、作業船がこんなところまで来ると分かっていたら、
カンムリカイツブリの希少な巣があるから気を付けてと、
注意を呼びかけることも出来たのにと、悔やんでも悔やみきれない思いだった。
卵が孵るまで何日かかるのだろうか。それまで巣は誰にも見つからず無事でいるだろうか。
と、気になって仕方がない。
また3日後の6月14日の夕方、様子を見に行った。
巣が見える場所に行くと、何だか様子がおかしい。
下流方向のすぐ先に、大きな作業船が係留していて、
巣のある小枝の流木でできた小さい島の形が少し変わっている。
カンムリカイツブリの姿もなく、
座っていた巣も見当たらない。
胸騒ぎがしてきた。
幸い周囲に人影もなく、初めて川原に降りて
巣の近くまで行ってみた。
卵があった巣が本当に無くなっている!
一体何が起こったのだろう。すっかり動揺してしまった。
流木の小さな島は、一度完全にひっくり返されて、
その時に巣が卵もろとも壊れてしまったのかもしれない。
一体誰が。カラスやトビの仕業ではない。誰か人間が面白半分に・・・・?
一番考えられるのは、作業船が側を通った時、引っかけられたか、
大きな横波ができて、そのせいで島がひっくり返ったという事。
彼らが一生懸命集めていた巣材の残骸が残っていた。
このピンク色の花のような小さなものを、巣に置いていた理由は分からないが、
何だか私にはこれが、彼らがこれからしばらく過ごす家を、少しでも楽しく彩りたいという
いじらしい気持ちで、わざわざ選んだささやかな飾りのような気がしていたのだった。
卵は助からなかったかもしれない。では親鳥は無事だったのだろうかと、
周囲を探し回ってみたけれど、その姿をついに見つけることができなかった。
近くの工事現場から、作業船がこんなところまで来ると分かっていたら、
カンムリカイツブリの希少な巣があるから気を付けてと、
注意を呼びかけることも出来たのにと、悔やんでも悔やみきれない思いだった。
Posted by Ru Na - 2012.07.15,Sun
人目につきやすい場所のカンムリカイツブリの巣が気になって、
3日後の6月11日に様子を見に行った。
カンムリたち、元気にしているだろうか。
鮎漁が解禁になって、行く途中の川のあちらこちらに釣り人がいる。
巣の見える場所に着くと、ここにも釣り人が二人、土手から川原に降りて行った。
巣には誰もいない、と思ったら、カンムリカイツブリが1羽流木の陰に隠れている。
釣り人が側を通るのを警戒しているようだ。
見ると、巣の上に卵が二つ!
釣り人は巣の近くで釣り糸を垂らし始めたが、彼らの関心は魚だけ。
カンムリカイツブリは安心したのか、巣の周囲を行ったり来たり。
私は土手の上からそれを眺めたり撮影したりしていた。
時折散歩やジョキングの人が通りかかると、ビデオカメラは回したままで、
カメラをあらぬ方向に向けて、風景や植物を撮っているふりをする。
野鳥観察は、なるべく鳥に近づかず、彼らが警戒しないように注意し、
圧倒的な数の群で居ない限り、同じ所を長く見つめないというのが鉄則。
特に繁殖中の鳥や希少種は、人間が長く注視していると、
周囲のカラスやトビ、猫などに気づかれやすいので大変危険である。
カンムリカイツブリは、やっと巣の上に座った。
と思ったら、またすぐ水に降りてしまう。
新たに巣材を運び込んだり・・・
ちょっと巣に座ったかと思うと、また水の中で羽繕いして、
だらーっと白いお腹をこちらに見せたり・・・
すっかりくつろいでいるよう。
おいおい、卵を温めなくていいの?
時折、「お父さん遅いなあ。」といった様子で、首を伸ばしたりしていた。
そしてまた、巣材の追加。座り心地に今ひとつ満足できないのだろうか。
そのうち、もう1羽が巣材を運んできた。
お父さんは交代して巣にちょっと座ってから、また出かけて行った。
釣り人たちもいつの間にか遠ざかり、
夕闇が迫る中、カンムリちゃんはようやく巣の上に落ち着いて、
満足気にじっと卵を温めていた。
3日後の6月11日に様子を見に行った。
カンムリたち、元気にしているだろうか。
鮎漁が解禁になって、行く途中の川のあちらこちらに釣り人がいる。
巣の見える場所に着くと、ここにも釣り人が二人、土手から川原に降りて行った。
巣には誰もいない、と思ったら、カンムリカイツブリが1羽流木の陰に隠れている。
釣り人が側を通るのを警戒しているようだ。
見ると、巣の上に卵が二つ!
釣り人は巣の近くで釣り糸を垂らし始めたが、彼らの関心は魚だけ。
カンムリカイツブリは安心したのか、巣の周囲を行ったり来たり。
私は土手の上からそれを眺めたり撮影したりしていた。
時折散歩やジョキングの人が通りかかると、ビデオカメラは回したままで、
カメラをあらぬ方向に向けて、風景や植物を撮っているふりをする。
野鳥観察は、なるべく鳥に近づかず、彼らが警戒しないように注意し、
圧倒的な数の群で居ない限り、同じ所を長く見つめないというのが鉄則。
特に繁殖中の鳥や希少種は、人間が長く注視していると、
周囲のカラスやトビ、猫などに気づかれやすいので大変危険である。
カンムリカイツブリは、やっと巣の上に座った。
と思ったら、またすぐ水に降りてしまう。
新たに巣材を運び込んだり・・・
ちょっと巣に座ったかと思うと、また水の中で羽繕いして、
だらーっと白いお腹をこちらに見せたり・・・
すっかりくつろいでいるよう。
おいおい、卵を温めなくていいの?
時折、「お父さん遅いなあ。」といった様子で、首を伸ばしたりしていた。
そしてまた、巣材の追加。座り心地に今ひとつ満足できないのだろうか。
そのうち、もう1羽が巣材を運んできた。
お父さんは交代して巣にちょっと座ってから、また出かけて行った。
釣り人たちもいつの間にか遠ざかり、
夕闇が迫る中、カンムリちゃんはようやく巣の上に落ち着いて、
満足気にじっと卵を温めていた。
Posted by Ru Na - 2012.07.14,Sat
6月8日、川面を小枝をくわえていそいそと泳いでいくカンムリカイツブリがいた。
一体どこに行くのだろうと目で追うと、たどり着いたのは細い流木でできた
岸近くの小さな小さな島。
その端っこに別のカンムリカイツブリが座っていた。
どうやら彼らはここに巣を作っているらしい。
♂が川の中から巣材になるものを探してきて、巣に座った♀に渡すと、
それを♀は巣の上に気に入るように配置している。
♂は行ったり来たりを繰り返して、たいへん忙しそうである。
見ていると、色んなものを運んできては、「これ、どうだい?」といったふうに、
逐一♀に見せてから手(口)渡している。
小枝や草の束、果てはお菓子の袋のようなビニールの切れっ端まで、
すてきな宝物を見つけたように、さも大事そうに運んで、
それで巣を整えている夫婦はとても幸せそう。
「こんな草を見つけたよ。」 「まあ嬉しい、敷布にちょうどいいわ。」
ひとしきり巣材を運んだ♂は、巣を整えている♀の近くでちょっと休憩。
入念に羽繕いしてから
思い切り頭を振る。
まだまだ仕事が沢山ある。
巣の基礎部分を作っている長い棒の1本の角度が気に入らない。
何度も直そうとしていた。
帰ってから、野鳥の会のベテランの人にこの事を報告すると、
カンムリカイツブリが石川県内で繁殖するのが見られるようになったのは、
ほんの12年ほど前からで、まだ繁殖例は多くないとのこと。
私は大変ラッキーな遭遇をしたらしい。
ただ、彼らが楽し気に巣作りしている場所が、わりと人目につき易い処というのが
とても気になった。
Posted by Ru Na - 2012.07.09,Mon
河口の森での定例探鳥会は、6月から夏の期間、集合時間が朝6時である。
私はまだ、この夏季早朝探鳥会に出たことがなかった。
暑さに弱い上、暑いほど雑用が増え、秋の展覧会の準備もそろそろ忙しくなる。
しかし今年は、ここに来る途中に気になる鳥がいろいろいるので、
この方面にしょっ中足を運んでいて、早朝の鳥たちの様子も一度見たかった。
昨日からの雨のおかげで、この季節にしては涼しく、大雨注意報が出ていても、
アメダスの雲の動きを見ると、大雨は来そうもない。
これはチャンスとばかり、朝5時に出かけた。
こんな早朝でも、川沿いの自転車道には散歩やジョキングの人が結構いて、
すれ違うごとに「お早うございます。」と声を掛け合っていた。
時折小雨が落ちてくるくらいで、
雨を得て緑が生き生きしている森は、
歩いていて気分がいい。
アオサギが繁殖する場所の巣は、
もう空っぽになったように見えたが、
飛び回るアオサギを目で追うと、
まだサギたちが乗っている巣を
見つけた。
葉が茂ると、鳥の姿は
なかなか見つけられない。
植物や昆虫を
見て歩くのも楽しみ。
あらゆる動植物に
詳しい人が、
アカテガニや玉虫を
見つけたので
皆大喜び。
海岸に出ると、
水平線近くの漁船に、
沢山のウミネコが
群がっていた。
森のあちらこちらで、
合歓の木が花盛り。
口に入れたら
溶けてしまいそうな
まるで砂糖菓子の
ような花。
その合歓の木の枝に、
コムクドリの
巣立ちヒナがとまって、
愛くるしい様子を
見せてくれた。
帰りに土手に登って、水気を含んだ雲と、河口近くのゆったりとした川面が織りなす
広々とした景色を眺めた。
30羽ほどのカワラヒワの群が飛び回って、カラスやトビを警戒している様子。
草地でオオヨシキリが鳴いているので、撮影してみると、
オオヨシキリそっくりのポーズで、カワラヒワが写っていた。
(カワラヒワがオオヨシキリの真似をして鳴いていたのではなく、
もちろん、オオヨシキリは近くにいた。)
私はまだ、この夏季早朝探鳥会に出たことがなかった。
暑さに弱い上、暑いほど雑用が増え、秋の展覧会の準備もそろそろ忙しくなる。
しかし今年は、ここに来る途中に気になる鳥がいろいろいるので、
この方面にしょっ中足を運んでいて、早朝の鳥たちの様子も一度見たかった。
昨日からの雨のおかげで、この季節にしては涼しく、大雨注意報が出ていても、
アメダスの雲の動きを見ると、大雨は来そうもない。
これはチャンスとばかり、朝5時に出かけた。
こんな早朝でも、川沿いの自転車道には散歩やジョキングの人が結構いて、
すれ違うごとに「お早うございます。」と声を掛け合っていた。
時折小雨が落ちてくるくらいで、
雨を得て緑が生き生きしている森は、
歩いていて気分がいい。
アオサギが繁殖する場所の巣は、
もう空っぽになったように見えたが、
飛び回るアオサギを目で追うと、
まだサギたちが乗っている巣を
見つけた。
葉が茂ると、鳥の姿は
なかなか見つけられない。
植物や昆虫を
見て歩くのも楽しみ。
あらゆる動植物に
詳しい人が、
アカテガニや玉虫を
見つけたので
皆大喜び。
海岸に出ると、
水平線近くの漁船に、
沢山のウミネコが
群がっていた。
森のあちらこちらで、
合歓の木が花盛り。
口に入れたら
溶けてしまいそうな
まるで砂糖菓子の
ような花。
その合歓の木の枝に、
コムクドリの
巣立ちヒナがとまって、
愛くるしい様子を
見せてくれた。
帰りに土手に登って、水気を含んだ雲と、河口近くのゆったりとした川面が織りなす
広々とした景色を眺めた。
30羽ほどのカワラヒワの群が飛び回って、カラスやトビを警戒している様子。
草地でオオヨシキリが鳴いているので、撮影してみると、
オオヨシキリそっくりのポーズで、カワラヒワが写っていた。
(カワラヒワがオオヨシキリの真似をして鳴いていたのではなく、
もちろん、オオヨシキリは近くにいた。)
Posted by Ru Na - 2012.07.06,Fri
毎年春に東南アジアから渡ってきて、日本各地で賑やかに囀りながら
子育てをするオオヨシキリ。
名に「オオ」が付いてもスズメ大位で、こんな小さな身体のどこから
こんな大きな声が出るのかと思うくらい、全身を震わせて声を張り上げ、
水辺のヨシや潅木にとまって、縄張り宣言の囀りをし続けている。
初夏の水辺の素敵な風物詩である。
口を開けると、中は鮮やかな赤色。
ふと口をつぐんだ時の顔は、えも言われず可愛い。
私はこんなオオヨシキリが大好きで、毎年初夏に近所の川原の
立柳に来るのを楽しみにしている。
しかし今年は、河川敷工事のため木も草もすっかり刈られてしまい、
この小さな鳥たちが、遠路はるばる渡ってきても、居場所を見つけられない
のではと心配していたが、
5月、川をずっと下って行くと、まだ木も草も中洲も手が付けられていない一帯で、
彼らは密集して囀っていて、とても幸せな気持ちになれたのだった。
「ギョ、ギョ、ギョギョシ、ギョギョシ」という声に囲まれたくて、
幾度も川の下流まで自転車を走らせた。
6月27日、自転車道の両側に、人の背丈より高く生い茂って緑の回廊を作っていた草が、
ことごとく刈られ、風景が一変していた!
近くには
除草作業中の
看板が。
6月も後半に入ると、草の中で営巣していたオオヨシキリのヒナが巣立てば、
その周囲を飛び回って、巣を守るため囀る父鳥も、あまり鳴かなくなるのだが、
少し前に来た時は、まだ方々で囀っている子たちがいた。
巣もろとも刈られてしまったのではと、ショックを受け、3日後また見に行くと
除草の範囲が上流に向かって、さらに広がっていた。
草刈をせめて後一週間待ってくれれば、大方巣立ってしまうだろうに。
梅雨入りしても、まだ雨はそんなに降っていないが、
雨が降れば作業はできないから、雨が降って欲しい。などと、うつうつ考え、
いつも暑さを避けて、作業が終わっている夕方に出かけるので、
いっそ朝早く行って、「オオヨシキリの巣に気を付けて下さい。」の看板でも
置いてこようかとも考えた。
次に少し早い時間に外出できた時、ちょうど草刈中の作業員に会えたので、
オオヨシキリの話をし、気を付けて下さいねとお願いした。
県の委託で除草作業にあたっている業者は、それぞれの受け持ち範囲の
作業をしているらしく、私が話できた人たちは、自転車道のすぐ脇の草しか
刈らない予定ですと言っていたので、少し安心できた。
しかし、そこより下流域は、
既に作業が終わっていて、
後のまつり。
水際まですっかり
緑が無くなっていた。
少なく見積もっても、
10以上の巣が
壊されてしまっただろう。
巣を守るため、
なぜもっと早く行動しなかったか
が悔やまれる。
草むらが無くなって戸惑っているような、キジの夫婦がうろついていた。
彼らも居場所がなくなっただけではなく、
子育て中の巣が壊されてしまったのかもしれなかった。
子育てをするオオヨシキリ。
名に「オオ」が付いてもスズメ大位で、こんな小さな身体のどこから
こんな大きな声が出るのかと思うくらい、全身を震わせて声を張り上げ、
水辺のヨシや潅木にとまって、縄張り宣言の囀りをし続けている。
初夏の水辺の素敵な風物詩である。
口を開けると、中は鮮やかな赤色。
ふと口をつぐんだ時の顔は、えも言われず可愛い。
私はこんなオオヨシキリが大好きで、毎年初夏に近所の川原の
立柳に来るのを楽しみにしている。
しかし今年は、河川敷工事のため木も草もすっかり刈られてしまい、
この小さな鳥たちが、遠路はるばる渡ってきても、居場所を見つけられない
のではと心配していたが、
5月、川をずっと下って行くと、まだ木も草も中洲も手が付けられていない一帯で、
彼らは密集して囀っていて、とても幸せな気持ちになれたのだった。
「ギョ、ギョ、ギョギョシ、ギョギョシ」という声に囲まれたくて、
幾度も川の下流まで自転車を走らせた。
6月27日、自転車道の両側に、人の背丈より高く生い茂って緑の回廊を作っていた草が、
ことごとく刈られ、風景が一変していた!
近くには
除草作業中の
看板が。
6月も後半に入ると、草の中で営巣していたオオヨシキリのヒナが巣立てば、
その周囲を飛び回って、巣を守るため囀る父鳥も、あまり鳴かなくなるのだが、
少し前に来た時は、まだ方々で囀っている子たちがいた。
巣もろとも刈られてしまったのではと、ショックを受け、3日後また見に行くと
除草の範囲が上流に向かって、さらに広がっていた。
草刈をせめて後一週間待ってくれれば、大方巣立ってしまうだろうに。
梅雨入りしても、まだ雨はそんなに降っていないが、
雨が降れば作業はできないから、雨が降って欲しい。などと、うつうつ考え、
いつも暑さを避けて、作業が終わっている夕方に出かけるので、
いっそ朝早く行って、「オオヨシキリの巣に気を付けて下さい。」の看板でも
置いてこようかとも考えた。
次に少し早い時間に外出できた時、ちょうど草刈中の作業員に会えたので、
オオヨシキリの話をし、気を付けて下さいねとお願いした。
県の委託で除草作業にあたっている業者は、それぞれの受け持ち範囲の
作業をしているらしく、私が話できた人たちは、自転車道のすぐ脇の草しか
刈らない予定ですと言っていたので、少し安心できた。
しかし、そこより下流域は、
既に作業が終わっていて、
後のまつり。
水際まですっかり
緑が無くなっていた。
少なく見積もっても、
10以上の巣が
壊されてしまっただろう。
巣を守るため、
なぜもっと早く行動しなかったか
が悔やまれる。
草むらが無くなって戸惑っているような、キジの夫婦がうろついていた。
彼らも居場所がなくなっただけではなく、
子育て中の巣が壊されてしまったのかもしれなかった。
Posted by Ru Na - 2012.07.02,Mon
美大の先輩に案内をもらって、東山にある民家での作陶展を見に行った。
金沢観光の有名なスポット、
東の郭のメインストリートから
少し離れた静かな住宅街の
民家を改装した「町塾」は、
一階が板間で奥がカフェ、
二階は和室で窓が多く、
卯辰山の緑が間近に望める
爽やかなスペースに
なっていた。
ここでは主に、
ダンスパフォーマンスや
一人語り、お茶会などが
催されているらしい。
先輩の同級生のグラフイックデザイナーで、陶芸は最近始めたという神田さんの
珠洲焼に似た器が、和室に洒落た感じで展示してあった。
暑い日だけれど、すだれ越しに卯辰山からの風が通ってくる。
和やかな気分になって、
展覧会を見た後、
東山界隈を少し散策。
今は東京にいて、
日頃誰も住んでいない
親戚の古い家がある通り。
浅野川沿いにも
久しぶりに行ってみたら
近くの公園に
ガクアジサイが
きれいに咲き揃い、
しばし見とれる。
川の中の平たい石の上に、カルガモのヒナがひしめいていた。
金沢観光の有名なスポット、
東の郭のメインストリートから
少し離れた静かな住宅街の
民家を改装した「町塾」は、
一階が板間で奥がカフェ、
二階は和室で窓が多く、
卯辰山の緑が間近に望める
爽やかなスペースに
なっていた。
ここでは主に、
ダンスパフォーマンスや
一人語り、お茶会などが
催されているらしい。
先輩の同級生のグラフイックデザイナーで、陶芸は最近始めたという神田さんの
珠洲焼に似た器が、和室に洒落た感じで展示してあった。
暑い日だけれど、すだれ越しに卯辰山からの風が通ってくる。
和やかな気分になって、
展覧会を見た後、
東山界隈を少し散策。
今は東京にいて、
日頃誰も住んでいない
親戚の古い家がある通り。
浅野川沿いにも
久しぶりに行ってみたら
近くの公園に
ガクアジサイが
きれいに咲き揃い、
しばし見とれる。
川の中の平たい石の上に、カルガモのヒナがひしめいていた。
Posted by Ru Na - 2012.06.25,Mon
先日の鳥調査の時、今いろんな鳥の囀りがとても賑やかと聞いた、
金沢から15kmほど南の鶴来樹木公園を、何年ぶりかで訪ねた。
お花見の名所である芝生広場から横手の遊歩道に入る辺りに、サンショウクイが囀っている。
辛い山椒のようにピリリと鳴くので、この名が付いたサンショウクイは、
これまで葉陰から葉陰へ飛ぶ影以外、なかなか姿が見られなかった。
見回すと広場の向こうの木の天辺にとまっていた。
様々な種類の樹木が植えられている森の小道を登って日本庭園へ。
何年か前に来た時は
まだ真新しかった庭園も
すっかり周囲の森に
馴染んでいる。
曲水の浅い水底にイモリが沢山いて、みんなじっとしている。
しばらく見ていると、時々ちょっと動いたり水面に顔を出したりしていた。
モリアオガエルの
卵も見つけた。
流れに被さる葉の上には
イトトンボのカップル。
向こうの石の上でせわしなく羽繕いをしていたのは誰でしょう?
日本庭園よりさらに登っていく落葉広葉樹林の小道は、色んな鳥たちの囀りに包まれていた。
葉がすっかり茂り、鳥の姿を見つけるのは難しいが、この自然のシンフォニーを聴くだけでも
ここに来る価値がある。
キビタキの美しい声を追って、撮影した動画にはイカルが映っていた。
キビタキ、オオルリ、イカルの声を聞き分けるのは難しい。
増してやそれらがあらゆる方向から混じって聞こえる時は。
ここにはサンコウチョウもいるらしいのに、見つけられそうもない。
植物を眺めながら、時々鳥が動く気配がする茂みにカメラを向けていたら、
こんな鳥が写っていた。
センダイムシクイかエゾムシクイのように思えるが、そのうち誰か詳しい人に聞いてみよう。
夕方5時に閉まる樹木公園を出て、
パーク獅子吼に寄った。
獅子吼高原に登るリフトの
乗降場横の駐車場も
キビタキの囀りが溢れていた。
真近にいるのに
やはり木の葉陰に隠れている。
電線にツバメの
巣立ちヒナが
3羽とまっていて、
時々親鳥が餌を
運んでいた。
この2羽は親から頻繁に餌をもらい、時々揃って羽ばたきしながら鳴いて騒いで、
餌をねだっていたが、少し離れた所のもう1羽のヒナはじっと動かなかった。
アップで撮った写真を見ると、目が開いていないように見える。
それでも、親鳥に呼ばれて3羽揃って飛んで行ったので、
目が全然見えないわけではなさそうだった。
金沢から15kmほど南の鶴来樹木公園を、何年ぶりかで訪ねた。
お花見の名所である芝生広場から横手の遊歩道に入る辺りに、サンショウクイが囀っている。
辛い山椒のようにピリリと鳴くので、この名が付いたサンショウクイは、
これまで葉陰から葉陰へ飛ぶ影以外、なかなか姿が見られなかった。
見回すと広場の向こうの木の天辺にとまっていた。
様々な種類の樹木が植えられている森の小道を登って日本庭園へ。
何年か前に来た時は
まだ真新しかった庭園も
すっかり周囲の森に
馴染んでいる。
曲水の浅い水底にイモリが沢山いて、みんなじっとしている。
しばらく見ていると、時々ちょっと動いたり水面に顔を出したりしていた。
モリアオガエルの
卵も見つけた。
流れに被さる葉の上には
イトトンボのカップル。
向こうの石の上でせわしなく羽繕いをしていたのは誰でしょう?
日本庭園よりさらに登っていく落葉広葉樹林の小道は、色んな鳥たちの囀りに包まれていた。
葉がすっかり茂り、鳥の姿を見つけるのは難しいが、この自然のシンフォニーを聴くだけでも
ここに来る価値がある。
キビタキの美しい声を追って、撮影した動画にはイカルが映っていた。
キビタキ、オオルリ、イカルの声を聞き分けるのは難しい。
増してやそれらがあらゆる方向から混じって聞こえる時は。
ここにはサンコウチョウもいるらしいのに、見つけられそうもない。
植物を眺めながら、時々鳥が動く気配がする茂みにカメラを向けていたら、
こんな鳥が写っていた。
センダイムシクイかエゾムシクイのように思えるが、そのうち誰か詳しい人に聞いてみよう。
夕方5時に閉まる樹木公園を出て、
パーク獅子吼に寄った。
獅子吼高原に登るリフトの
乗降場横の駐車場も
キビタキの囀りが溢れていた。
真近にいるのに
やはり木の葉陰に隠れている。
電線にツバメの
巣立ちヒナが
3羽とまっていて、
時々親鳥が餌を
運んでいた。
この2羽は親から頻繁に餌をもらい、時々揃って羽ばたきしながら鳴いて騒いで、
餌をねだっていたが、少し離れた所のもう1羽のヒナはじっと動かなかった。
アップで撮った写真を見ると、目が開いていないように見える。
それでも、親鳥に呼ばれて3羽揃って飛んで行ったので、
目が全然見えないわけではなさそうだった。
Posted by Ru Na - 2012.06.24,Sun
久しぶりに河北潟干拓地へ。
どこまでも続くような真っ平らな大地の上に広い空が拡がり、
水辺の植物に風が吹き渡り、ここはいつ来ても広々とした心地がする。
大きな農場などがある干拓地は、元々の潟の名残の湖や川に挟まれ、
中央を水路が通っている。
ここは水と草と土に空が接する所で、色んな鳥たちが飛来したり繁殖したりしている。
潟の外れの素敵な水辺。
オオヨシキリが賑やかに
囀っていた。
湖面上空を飛び回っている
小さな白い鳥は、
コアジサシだろうか。
群で通過していったのは
カルガモたち?
少し離れた岸辺にヒドリガモがいた。渡りをしない居残り組なのだろうか。
近くには亀の親子。コガモの姿もあった。
撮った写真を後で見ると、ヨシの間にカンムリカイツブリが隠れていた。
(判りにくい写真だけれど、中央下方。)
草叢の中に立つ木にササゴイがとまっていた。
干拓地の別の外れにある水路の池に、ぽつねんと1羽コブハクチョウがいた。
野鳥の会で時々噂されているあのコブハクチョウらしい。
私が話しかけながら近づくと、向こうもこちらの方に寄って来て、優雅な仕草で
私の言葉に耳を傾けたり、水を飲んだりしていた。
淋しげで優しい瞳をしてこちらを見上げるので、私もつい離れ難く、ずっと語りかけていた。
コブハクチョウは本来日本にいない外来種。ヨーロッパや中央アジアに生息している。
アンデルセン童話の白鳥も、歌劇ローエングリンや、バレエ白鳥の湖に出てくるのも
このコブハクチョウ。
日本では、ヨーロッパから連れてこられ、公園や動物園で飼われていたものが逃げ出し、
野生化して各地に住み着いているというので、
このコブさんもそうした1羽かもしれない。
随分前、ストックホルムから夜行のフェリーに乗って(学生用の鉄道フリーパスで
この豪華フェリーに乗れた。) ヘルシンキに行った時、
朝もやの中、ヘルシンキの港に近づくにつれて、小さな島が無数に点在するのが見えてきた。
別荘らしい建物がある其々の島の周囲のそこかしこに、白鳥たちが沢山浮かんでいるという、
たいへん印象深い光景を見たのだった。
今思えば、その白鳥も、ブリュージュの女子修道院横の静寂の湖にいたのも、
みなコブハクチョウだったのである。
瓢湖で会ったコハクチョウたちの溌剌とした仕草はなく、
その身体にほとんど重さがないみたいな、静かでゆっくりとした動き。
優雅と言うにはあまりにも儚げな姿。
この辺ではいつも1羽きりでいるらしいこの子が心配になってしまう。
どこまでも広がる空と大地と水の間で、近くに同じ種がいない孤独に長く晒されて、
どんな想いで過ごしているのだろう。
「私のお家が近くなら毎日会いに来るのだけれど、なかなか来れないの。
ずっと元気でいてね。またいつか会いましょ。」と、別れを告げて、
何度も何度も振り返ると、コブハクチョウも首を伸ばしてこちらをずっと見ていた。
ミサゴが
空を舞い、
どこからか
帰ってきた
アオサギが
岸辺の草に
潜り込んだ。
どこまでも続くような真っ平らな大地の上に広い空が拡がり、
水辺の植物に風が吹き渡り、ここはいつ来ても広々とした心地がする。
大きな農場などがある干拓地は、元々の潟の名残の湖や川に挟まれ、
中央を水路が通っている。
ここは水と草と土に空が接する所で、色んな鳥たちが飛来したり繁殖したりしている。
潟の外れの素敵な水辺。
オオヨシキリが賑やかに
囀っていた。
湖面上空を飛び回っている
小さな白い鳥は、
コアジサシだろうか。
群で通過していったのは
カルガモたち?
少し離れた岸辺にヒドリガモがいた。渡りをしない居残り組なのだろうか。
近くには亀の親子。コガモの姿もあった。
撮った写真を後で見ると、ヨシの間にカンムリカイツブリが隠れていた。
(判りにくい写真だけれど、中央下方。)
草叢の中に立つ木にササゴイがとまっていた。
干拓地の別の外れにある水路の池に、ぽつねんと1羽コブハクチョウがいた。
野鳥の会で時々噂されているあのコブハクチョウらしい。
私が話しかけながら近づくと、向こうもこちらの方に寄って来て、優雅な仕草で
私の言葉に耳を傾けたり、水を飲んだりしていた。
淋しげで優しい瞳をしてこちらを見上げるので、私もつい離れ難く、ずっと語りかけていた。
コブハクチョウは本来日本にいない外来種。ヨーロッパや中央アジアに生息している。
アンデルセン童話の白鳥も、歌劇ローエングリンや、バレエ白鳥の湖に出てくるのも
このコブハクチョウ。
日本では、ヨーロッパから連れてこられ、公園や動物園で飼われていたものが逃げ出し、
野生化して各地に住み着いているというので、
このコブさんもそうした1羽かもしれない。
随分前、ストックホルムから夜行のフェリーに乗って(学生用の鉄道フリーパスで
この豪華フェリーに乗れた。) ヘルシンキに行った時、
朝もやの中、ヘルシンキの港に近づくにつれて、小さな島が無数に点在するのが見えてきた。
別荘らしい建物がある其々の島の周囲のそこかしこに、白鳥たちが沢山浮かんでいるという、
たいへん印象深い光景を見たのだった。
今思えば、その白鳥も、ブリュージュの女子修道院横の静寂の湖にいたのも、
みなコブハクチョウだったのである。
瓢湖で会ったコハクチョウたちの溌剌とした仕草はなく、
その身体にほとんど重さがないみたいな、静かでゆっくりとした動き。
優雅と言うにはあまりにも儚げな姿。
この辺ではいつも1羽きりでいるらしいこの子が心配になってしまう。
どこまでも広がる空と大地と水の間で、近くに同じ種がいない孤独に長く晒されて、
どんな想いで過ごしているのだろう。
「私のお家が近くなら毎日会いに来るのだけれど、なかなか来れないの。
ずっと元気でいてね。またいつか会いましょ。」と、別れを告げて、
何度も何度も振り返ると、コブハクチョウも首を伸ばしてこちらをずっと見ていた。
ミサゴが
空を舞い、
どこからか
帰ってきた
アオサギが
岸辺の草に
潜り込んだ。
Posted by Ru Na - 2012.06.20,Wed
サギのコロニーに行くたびに、巣の上の大きくなったチビさんたちや、近くの枝にとまっている
巣立ちビナが増えている。みんな順調に育っている様子が嬉しい。
1本の木にゴイサギの巣が幾つもあって、幼鳥たちが巣の近くの枝にとまっている様子は
まるで大きなキーウィフルーツが沢山生っているみたいに見える。
もそもそ動いて時々軽くつつき合いをしたりしている。何を話しているのだろう。
ゴイサギの巣の後ろに、チュウサギやアマサギの巣が見えたりもする。
たいへん騒がしい一角は、羽ばたきの練習をしているようだ。
枝にとまる練習中。巣立ち真近なのだろう。
巣立ちビナ。大部ゴイサギらしくなってきている。
小さな子のいる巣を整えているチュウサギ。
この子たちはチュウサギの赤ちゃん?
葉陰で大きな口を開ける子供たちに食事させているコサギ一家。
一番左がお父さん鳥らしい。この後すぐに餌探しのために飛び立った。
巣立ちビナが増えている。みんな順調に育っている様子が嬉しい。
1本の木にゴイサギの巣が幾つもあって、幼鳥たちが巣の近くの枝にとまっている様子は
まるで大きなキーウィフルーツが沢山生っているみたいに見える。
もそもそ動いて時々軽くつつき合いをしたりしている。何を話しているのだろう。
ゴイサギの巣の後ろに、チュウサギやアマサギの巣が見えたりもする。
たいへん騒がしい一角は、羽ばたきの練習をしているようだ。
枝にとまる練習中。巣立ち真近なのだろう。
巣立ちビナ。大部ゴイサギらしくなってきている。
小さな子のいる巣を整えているチュウサギ。
この子たちはチュウサギの赤ちゃん?
葉陰で大きな口を開ける子供たちに食事させているコサギ一家。
一番左がお父さん鳥らしい。この後すぐに餌探しのために飛び立った。
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金沢市在住の美術家
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