7月に入って雨の日が増えてきた。
雨の合間を塗っては、せっせとサギコロニー通いをした。
雨の中、じっとしているコサギのヒナたち。
河川課の人が何も無いと言っていた左岸・上流寄りの木立は、
今やこのコロニーのサギ密集地帯のひとつ。
一部削りたいという中州は、見れば見るほど幅が狭くて、
ここを3分の1削ると、巣をかける木にも大打撃である。
中州の地面のすぐ向うには、本流の水面が見える。
また中州を削るとなると、先端部の砂州や浅瀬も残らないと河川課は言う。
ここはサギたちが休んだりお見合いしたり喧嘩したり、
また成長したヒナたちが餌取りの練習をする、
コロニーにとって大切な場所である。
そもそもこれらの河川工事が本当に必要なのか、ずっと疑問に思ってきた。
以下は野鳥の会支部報の、S川中流域鳥調査特集のために書き、
文にトゲがあるからとボツになった原稿の抜粋である。
2008年のA川氾濫以来、水害対策の名目ならどんな工事もまかり通るような
空気になり、今回の中流域の工事も、流水量確保のため中流から河口まで
順次草木を伐採し、徹底的に中州を取り払い、岸をコンクリート製に替える計画の
一環である事が次第に分かってきました。
A川氾濫時の最高水位は3.36m、堤防の高さは3.9m。住宅地の浸水は
水害時に閉鎖が決っている堤防切り欠き部の閉鎖が遅れたという人的ミスによるもの、
と当時の地元紙にも載りました。
A川より幅も河川敷の余裕もあるS川の流下能力は、そんなに簡単に避難判断水位を
超えるようなものでしょうか?百年に一度の水害に備えると、市民の反対を押し切った
上流のダムの建設は一体何だったのでしょうか?
公共事業拡大のため、着手し易い河川の土木工事を単に増やしただけではないか。
新幹線開業に託け河川改修予算を大幅に増額したのは、治水より河川敷も全て、
所謂「都市型公園」風に改造したいだけではないかと疑いたくもなります。
この川は既に上流に治水目的のダムが三つある。
20数年来、本流の氾濫による浸水はない。
大雨の度浸水する箇所は、すり鉢状の地形だったり、用水路の構造などに
問題があると思われる。そちらの個別的な対処の方が早急に必要なのでは。
温暖化による嘗てないような水害が日本各地に起こっているけれど、
大水害に備えるには中途半端である。
草木を無くして川をコンクリートの水路にしてしまうのは、
かえって大災害を招くことになるかもしれない。
そして、本当の自然の猛威に対しては人間は無力だと自覚して、
危険が予想される場所にはなるべく住まないという知恵も必要かもしれない。
・・等々、考え出すときりがない。
右岸でもうサギを数えだしているメンバーがいた。
用意したパノラマ写真資料や、メモ用紙として作った表の用紙など渡し、
少し打ち合わせてから急いで左岸に回る。
早めに左岸のカウントを始めようと約束していたメンバー2人も既に来ていた。
その内の一人、中流域鳥調査のチーフの携帯に新聞社から電話がかかっていて
その対応に追われていた。
前日、先日取材してくれた新聞に、サギコロニーの工事の問題が掲載されたので、
別の地元紙があわてて問い合わせをしてきたようだった。
対岸を見ると、人がどんどん集まり始めている。
早く右岸に戻って皆に配ってと、チーフから正式な調査表の用紙を渡され、
私はまた急いで自転車を飛ばし橋を渡って右岸へ。
集まったのは総勢15名。私以外はベテランぞろいである。
そして既に、サギの種別、成鳥幼鳥と巣ごとに分担を決めて数え始めていた。
5時40分までにコロニーにいる鳥の数を数え終え、それから
上流方向、下流方向から戻ってくるサギの数を、二手に分かれて
種類別にそれぞれ数えて、20分毎に記録していった。
折しも、しばらくどこかに行っていたヘラさんがコロニーに戻って来て
いたので、みんな大喜び。楽しい調査・探鳥会になった。
7時になり、ご苦労様でしたと解散。
その後しばらく中流域鳥調査メンバーと立ち話していたら、
アマサギ、チュウサギの群がどっと帰って来て、左岸・上流寄りの
茂みに次々と舞い降りた。
カウント結果は、7時までのもので、総数1179羽!
500羽位かと思っていたので、その数の多さに正直驚いた。
7時以降に戻ってきたサギを考慮すると、この時点で1300羽を
超えていたものと思われる。
内訳は、 コサギ 400羽 チュウサギ 175羽 アマサギ264羽
ゴイサギ 332羽 他に少数のアオサギ、ダイサギなど
巣の推定数 390
県内のサギコロニーの情報をまだあまり知らないが、全国的にみても
このサギコロニーは最大級クラスではないだろうか。
6月半ば、サギコロニーでは生まれたヒナが順調に育っている。
両足が巣から出る巣立ちをしたヒナたちは、親鳥が餌を運んでくると
おおはしゃぎで近くの枝に飛び移ったり羽ばたきしたり。
これからカップルになろうという婚活組もいる。
このサギたちを何とか守らねば。
中流域の工事の影響を調べている鳥調査メンバーから、
サギコロニーのサギ数を一度正式にカウントした方がいいのでは、
という意見も出てきたので、カウント調査の実施計画を立て始めた。
でもどうやって正確なカウントをすればいいのだろう。
今は消滅してしまった近郊のサギコロニーで、カウント調査をしたことがある
ベテランにアドバイスをもらったり、なるべく人数が集まるように、
関心を持ってもらおうと、会の掲示板にサギコロニーの様子をシリーズで掲載
したり、確実に参加できる人の都合を聞いて日時の調整をしたりした。
餌を運んできた親鳥の後追いをするコサギのヒナたち。
6月30日午後5時、現地集合ということに決定したが、まだ何人集まるか分からない。
餌取りに出かけているサギたちが夕方戻る前に、先ずコロニーにいるサギの数を
右岸と左岸からそれぞれ、種類別、成鳥・幼鳥(ヒナを含む)に分けてカウントし、
それに巣も数えなければならない。
サギたちが戻りだしたら、コロニーの上流と下流の二手に分かれて
種類別に数え、先のものに足していく。
もし人が集まらなければ、少人数でこの広域のカウントしなければならない。
そこで鳥調査メンバーの3人が早目に行って、先ず左岸から数え始めることにした。
カウントする時のメモに役に立つだろうと、コロニー全体の写真を2日かけて撮影し、
地形が分かりやすいようコントラストを強くするなどの画像処理をして
パノラマ写真を制作し、何枚もプリントした。
昼間コロニーに残るサギはめっきり少なくなった。
9月24日の午後、現地で県央土木の河川課の人たちと野鳥の会が
工事する場所、手を付けないでそのまま残す場所の最終確認を、
図面と照らし合わせながら行った。
結果、我々の要望どおりコロニーの重要な箇所は残ることになった。
日中サギの姿が見えないので、やはり河川課はサギがもう旅立ったと
思っていたらしく、2日前までの早朝・夕方のコロニーの写真を見せて、
まだサギたちがこんなに居ること、また、遅く生まれてまだ十分飛べない
幼いゴイサギのヒナがいることを納得してもらった。
同日夕方の様子
現在に至るまでのいきさつを、まだ書ききれていないけれど、
今まで色んなやり取りをしてきて、河川課の人もとても協力的になり、
我々の話を聞いてくれて、「またこれからも気付く点があったら
どんどん言って下さい。」と、お互い心を開いて話し合えるいい雰囲気に
なっている。
もうじき工事の下準備の草刈りや測量に入るけれど、
サギたちに影響が少ない時間帯にすること。
工事は10月半ば頃からかかることに決定。
「県はサギコロニーを残すため、これだけの配慮をし、
こんなにうまく河川工事をした、という全国に誇れる例にしましょうよ。」
と私。
日中コロニーに残って水辺で餌取りの練習をする幼鳥
サギコロニーの観察と記録を続けていると、いろんな人が話しかけてくる。
また、野鳥の会の古い会員の話を聞いたりして、
このコロニーは北陸でも最大級クラスで、サギの種類も多いのでは、
と思い始めた。
方々でサギコロニーが消滅、分散化しているようで、
それがこの川の中州を中心としたコロニーにサギの数が増えている
要因になっているのかもしれない。
ベテランの会員から、ゴイサギやコサギがその数を減らしているようだ
という、気になる話しを聞いた。
サギはありふれた鳥だから、まだこの県単位でも、全国規模でも
その実態調査がされていないようだ。
トキだって昔は当たり前のように空を舞っていたという。
サギも気がついたらメダカのように絶滅危惧種になっていた
ということもありえる。
古来からサギのいる田園の風景は日本の原風景になっていて、
絵画や工芸の意匠にその優雅な姿が描かれてきた。
古い地名にもサギの名が由来のものは多いという。
今皆で動かねば、幻の鳥になってしまうかもしれない。
現在、工事前の話し合いに一区切りが着き、これから実際の
工事への監視体制に入ったが、ここに至るまでのいきさつを、
時間が前後してしまうけれど、これからも書き続けます。
さすがに夜は気温が下がり、十五夜、十六夜、宵待ち月・・と、
月影が涼やかである。
先月は体調のせいで出られなかった中流域の鳥調査に行った。
近頃は早朝か夕方しか長時間出歩かなかったので、陽光がまぶしくて、
暑くてまいった。鳥たちも木陰に潜り込んでいるようで、
あまり数も種類も見られなかった。
それでもヤマブドウが実を付け始め、ツリフネソウの花も咲いていた。
つい木陰に入ってしまう調査メンバー。
キジバトも梢の上で暑さしのぎ。
誰が球根を捨てたのか、マンジュシャゲが叢でその赤さを主張していた。
この花は縁起が悪いと石川県では嫌われてきた。また、
手折ると火事になると言われ、子供の頃みんな避けていたが、
近頃は積極的に植えている緑地公園もある。
夏の間どこかに行っていたモズに久しぶりに会った。
川の中で採餌するダイサギ。立て続けに5回獲物をゲット。
調査区間の一番上流に行くと、先日の台風の影響で水かさが増したまま、
岩場が半分水没していた。
サギたちが子育ての真っ最中に、コロニーが重機で破壊されるという
最悪の事態は免れたが、7月に端の方から工事を始める、中州は一部削る
という土木課の方針は看過できない。
付近を散歩している人たちに聞いても、この工事計画のことは
ほとんど知らないようなので、その事について私が話すと、
この豊かな緑地を潰すなんてとんでもない。サギがいるから癒しの風景
なんじゃないか。・・・等々、皆ショックを受けたり、怒り出す人も。
以前新聞社に勤めていた古い友人に、このサギコロニーの危機に
関心を持つ報道関係者が誰かいないかしらと訴え、
14日に現地で、新聞社の取材を受けることになった。
早く生まれたコサギのヒナが活発に動くようになった。
若い記者さんもサギコロニーの未来を心配し、とても熱心に話を聞いて
下さった。私に会う前、県央土木に取材に行ったけれど、
何も話してくれなかったとの事。
その後記者さんは、鳥調査の他のメンバーにも取材。
私も役に立ちそうな情報を集めては、メールで送った。
6月17日、サギコロニーの様子を見に行ったら、
先日土木課で話した河川課の人が業者を連れて来ていた。
「工事は9月に延期します。」と開口一番。
「ああ良かった!サギたち、今が子育ての大切な時期ですから。」
一先ず胸をなで下ろす。
まだ記事は出ていないが、報道機関が取材に行った事で
うかつなことは出来ないと判断したのかもしれない。
その後、双眼鏡でサギを見ていた青年と話す。
写真が趣味で、鳥がいる風景が好きだという。
野鳥に興味を持ち始めたところで、堰を切ったように自分が見た鳥の
色んなエピソードを話してくれた。
各地の水害、風害のニュースには、暗澹とした想いである。
増々極端な気候が増える近年、人間の諸活動による地球温暖化の
影響は、もう疑えないだろう。
こうしている間にも、最近太陽圏外に到達した惑星探査機ボイジャー1号は、
未知の宇宙空間を飛び続けている。
1977年に打ち上げられて、ずっと漆黒の中を歩み続ける孤独な旅人。
宇宙で未知の知的生命体に出会った時のため、地球人類からのメッセージとして、
地上の様々な言語、音楽、画像などを収録したレコードも積んでいると、
グレン・グールドの色んなエピソードを綴った映画、
「グレン・グールドに関する32章」で知った。
レコードには彼の、バッハ平均律第2巻-1、プレリュードとフーガが
収められているらしい。
その他に何が入っているか調べてみたら、
カール・リヒターによるバッハの「ブランデンブルク協奏曲」、
サヴァリッシュ指揮のモーツァルト「魔笛」、
日本からは、山口五郎による琴古流尺八の「巣鶴鈴慕」、(このCDは私のお気に入り)
各国の民族音楽や、ルイ・アームストロングや、チャック・ベリーも。
イギリスからは、ビートルズではなくて、何と
デビット・マンロウとロンドン古楽コンソートの曲だった。
打ち上げ当時健在だった音楽家はもうほとんど亡くなっているが、
その音楽は行き続けている。
1977年に誰が現在の地球の異常気象を想像しただろうか。
台風が来る前、サギコロニーの様子を見に行った帰り、
暗くなった川原で月を撮影している人がいた。
何のカメラを使っているのか、好奇心に駆られてのぞきこむと、
耳も口も不自由なその人は、私も月を写したがっていると思ったらしく、
私のカメラを自分の三脚に乗せて、慣れた手つきで
月をきれいに写して下さった。
高倍率だけれど素子サイズが小さい、しょせんコンデジと思っていた
自分のカメラで、こんなにくっきりときれいに撮れるなんてと驚いた。
月明かりの下で、身振りでしばらく楽しく語らって、
広大な宇宙空間の一片に、少しだけ近づけた気がした。
なかなか現在までに追いつかない。
近隣の田畑などに採餌しにコロニーを朝飛び立つサギたちが見たくて、
このところ、夜明け前にサギコロニーを見に行っている。
晴れの日も曇って暗い日も、だいたい日の出の時刻に大群で飛び立つ。
その壮観な様子を速報で載せます。
夜明け前、左岸の木立に密集してとまっているサギたち。
大抵はじっとしているが、羽ばたきをしたり近辺を少し飛んだりする
サギたちがしだいに増えていく。
あっという間に、上流寄りの一群が一斉に飛び始めた。
川の上にもう一つの白い流れが出来たような光景。
下流に向かうとそこで大きく旋回。
一部は下流の方の岸辺に一旦降り立って、そこにまだ留まっている
サギたちに加わり、その他はまた旋回を何度か繰り返し、
そのうち南の空に消えて行く。
中州の先端にも、まるで無数の小さな白い花が咲いているように
サギたちが固まっている。
上流寄りの木立から、第二弾、第三弾の飛び立った群れがやって来ると、
一緒に羽ばたきするサギが増えてきて、
そして一斉に飛び立った。
成鳥も巣立ってかなり飛べるようになったヒナたちも、
朝焼けの空に消えて行く。
残ったのは、まだ十分飛べない子たち。
ゴイサギの幼鳥・ホシゴイたちも川の両岸の低いところを
行き来している。
コロニーに日中残る子たちは、水辺で餌取りの練習に励んでいる。
ちゃんとヒナが生まれ、順調に育っている様子。
親鳥と同じ色のヒナが甘えている。
つがいの片方は巣の近くで、しばしの休憩で羽づくろい。
コサギのヒナも少し大きくなった。
夕方になると、餌取りに出かけていたサギたちが順次帰ってくる。
薄暗くなったサギコロニーに、白い点が増えていく。
6月5日。サギコロニーの工事について説明したいと、土木課から連絡があった
というので、中流域の工事について今まで何度も土木課と折衝してきたSさん、
Mさんと、県央土木に出向くことになった。
コロニーの様子が分かる写真があるといいというので、
去年や今年の全体写真、サギの種類が分かる写真をプリントした資料を
徹夜で作って、去年の記録映像をまとめたDVDと共に持って行った。
こんな可愛いヒナの様子を見たら、誰だって心動かされ、
子育てを邪魔しようとは思わなくなるのでは、と期待して。
日差しの強い真夏のような日、県央土木の事務所で大きな図面を前に、
河川課の人が、この区間は川幅が狭くなっているので水害に備えて広げたい、
という話を聞いた。
川幅を広げるには、コロニーの中心になっている中州を取り除かねばならない
と言う。とんでもないことだ。
色々言い合いをし、サギたちが密集している左岸・下流寄りは残すことになったが、
中州も一部削らせて欲しい、7月に入ったら、サギがあまりいない左岸上流寄りから
少しづつ工事を始めたい、と言われた。
とりあえず、コロニー全体を全て潰す、ということにはならなかったが、
サギたちが子育て真っ最中の7月に工事に入るなんて、問題である。
また、周囲の緑が無くなってしまったらコロニーは存続できないのでは。
いつも右岸から観察していて、左岸からの様子を十分見ていなかったのは
手落ちだった。その日の夕方、早速左岸に行ってみた。
中州の左岸に面した側にもサギや巣がいっぱい。
遊歩道が木立のすぐ近くなので、サギたちが間近に見える。
左岸下流寄りには高速道路が川を渡っている。
何故かサギたちはこういう場所が好きらしい。
高架の下にホシゴイたちが集まっていた。
何も無いからここから工事を始めたいと言っていた左岸上流寄りの木立全体に、
何と、ゴイサギの巣が沢山あった!
サギコロニーから数百メートル離れた川の中で採餌するコサギたち。
コロニー周辺にはこういう場所が沢山なければ子育てが出来ない。
よく見られるようになってきた。5月30日の様子。
近くにはいつも、婚姻色をしたアオサギが1羽。
コロニーの幾つかの巣でヒナが誕生している。
こちらは恋の駆け引き中。
サギたちの子育ての忙しい季節が始まっているのに、
いつ工事の重機が入るかと、気が気ではない。
ようやく野鳥の会の意見として、サギコロニーの区間の工事の中止か
延期を、県関係の職についている幹事を通じて、県に申し入れした。
卵が産まれても更に巣材を追加し、巣を整え続けている。
ホシゴイもちゃんと卵と巣のケア。
中州ではヘラさんとチュウサギが微妙な距離をとっていた。
この頃、サギコロニーの工事の中止か延期を、県に申し入れるという
野鳥の会の意見がまとまった。
5月24日。ゴイサギが半身水に浸かっていた。
中州の端は相変わらずみんなの人気の場所。
巣材の組み方をあれこれ工夫しているチュウサギ。
私はサギコロニーの記録に通っては、話しかけてくる散歩の人たちに
サギの種類やサギたちがどんなに一生懸命子育てをするかなどを説明したり、
工事の問題を話すという広報活動にいそしみ、
この近所の人から、過去のコロニーの様子やどんな水害があったかを
聞いたり、同時に全国のサギコロニーの情報を集めていた。
NHKのFMラジオでホロヴィッツ生誕110年記念特集をやっている。
20世紀を代表するピアニストの一人、ウラディーミル・ホロヴィッツ。
旧ソ連のウクライナに生まれ、世紀のヴィルテュオーゾとして
アメリカで活躍したこの稀代なピアニストの演奏を改めて聴くと、
そのこの世のものとは思えないテンションの高さ、
その音色と演奏スタイルの多様性に驚かされる。
この上もなく繊細で優雅なシューマンやスカルラッティがあると思えば、
背筋がぞくぞくするような恐ろしいムソルグスキーやラフマニノフがあったりする。
天才と○○は紙一重と云うけれど、正気と狂気のぎりぎりの境から
出てくるような音を聴いていると、平静ではいられなくなる。
「音楽はあなたにいつも優しい。」という決まり文句で始まる
弾き語りのラジオ番組があるが、このフレーズを聞いていつも私が
「そんなことはない。音楽は時によってとても危険。」と思うのは、
こんな演奏を知っているからである。
年齢差はあるけれど、ホロヴィッツとグレン・グールドは
同時代の北米で活躍した。
互いに複雑な感情をもっていたらしい。
ホロヴィッツについても、また機会を改めて書きたいと思っている。
暑い時期は庭の池の水温管理が大変で、長い外出はできない。
新潟のつれあいはもうじき1年間の予定の海外研修に出かけるが、
出発直前まで仕事が山積みで、新潟から動けない。
そこで、体調が少し回復したので、新潟に日帰りしてきた。
早朝5時半に家を出た頃はわりと涼しく、小鳥たちもこの時間帯は
けっこう活動している様子。金沢駅に着く頃はすでに汗ばむほどの気温。
新潟も34℃位あり、容赦なく太陽が照りつけていた。
鳥屋野潟のほとりにある図書館へ。
この周囲の木立に数年前からフクロウが住み着いているという。
最初は4羽いて、図書館のアイドルとして名前まで付いているらしい。
行ってみると建物のすぐ脇の木に2羽のトラフズクがとまっていた。
図書館に入る人たちは、この木の脇を通る時息をひそめて
梢を見上げたり、声を出さずにそっと指差したりしている。
トラフズクたちは人がすぐ近くにいても、てんで平気で、
1羽は完全に眠っている様子、もう1羽は時々目を開けて
それなりに周囲を見張っているらしいが、ほとんど動かない。
じっと寝ている子のふわふわした後ろ姿。尾の辺りのトラ模様が見える。
大きな望遠レンズで写真を撮り始めたおじさんもいたが、
こちらを向いている子は、脚でちょっと頭を掻いてから翼をだらっと下げて、
まるで日光浴しているアオサギのような格好で、完全にリラックスしている様子。
図書館を利用する人が皆、この子たちを怖がらせないよう気遣いし、
木陰でもこんな暑い日はのんびり昼寝するしかない、といった
すっかり安心しきった様子が、なんとも可愛らしかった。
明るい洒落たレストランでお昼を食べてから白山神社へ。
ここは新潟市の観光スポットだが、今まで側を通るだけだった。
お社を囲む建物や回廊の造りがなかなか凝っていて、風鐸に風情がある。
神社の庭園、白山公園の一角には、財閥斉藤家の建物の一部を移築した
燕喜館があって、木漏れ日が涼を醸していた。
白山公園には、蓮が所狭しとその巨大な葉を広げている池がある。
炎天を忘れさせるような蓮の花や実の爽やかな色。
もう一つの池では、噴水が涼しげにきらめく水滴を噴き上げていた。
ようやく左腕の腫れも退き、点滴から開放されたが、
飲み薬のせいかまだ身体がだるい。
屋外は連日の猛暑。無理せぬよう炎天下をゆっくり美術館まで行くと
会場には陽光があふれた絵画が並んでいた。
今照りつける強い日差しの下を通って来たところなので、
絵の中の光の表現を見ても、最初はぼーっとするばかり。
そのうち、なじみ易い印象派の素直な風景描写に惹き込まれていった。
ベルギー美術と言えば、それまで家具の装飾用だった油絵を絵画技法として
完成させた初期ルネサンスのヴァン・エイク兄弟。
北方ルネサンスのヴァン・デル・ワイデンや内省的なハンス・メムリンク。
いつでも大人気のブリューゲルと続き、
巨匠ルーベンスやヴァン・ダイクの後は、いきなり印象派後の
アンソールやクノップフといった幻想派まで時代が飛び、
その流れで、ルネ・マグリットやポール・デルボー。
現代アートではパナマレンコといった作家を、誰しも思い浮かべるのでは。
フランスで起こった印象派の影響を受けた、ヨーロッパの他の国の印象派の
絵画をまとめて見る機会はいたって少ない。
ベルギーやヨーロッパ各地の美術館で、多分その絵を目にしてはいたのだろうが、
エミール・クラウスという画家を私は知らなかった。
ゲント郊外のレイエ河畔の風景を明るいタッチで描いた絵を見ていると、
自然、フランドル出身の歌手、ジャック・ブレルの歌が頭に流れるようだった。
北仏ピカルディー地方からブリュージュやガン(ゲント)一帯の川や運河。
現在もその姿を変えてはいないだろう。
コンクリートの護岸とは無縁な平らな土地の草に縁取られた流れ。
爽やかなフランドルの夏は透明な光があふれる。
逆光のタチアオイと月を映す川面の絵が気に入って、離れがたかった。
仏印象派のモネやピサロ、ベルギー印象派と関わりがある日本の画家の
展示も興味深く、特に大原美術館のコレクション集めに尽力した
児島虎次郎はもっと評価されてもいいのでは、と思った。
日本各地の展覧会ポスターを集めたコーナー。
美術館の帰り、強烈な日本の夏の日差しも幾分和らいでいた。
その傷口がなかなか治らず、最後に豆粒大の3つの穴が残ったのが
ようやく塞がって、整形外科通いからやっと開放されたのが、何と7月末。
その翌日の夜、心臓辺りが苦しくなって、脇から左腕をマッサージしていたら
脇下が痛くなってきた。
数日前から左肘にあるデキモノもひどく痛んでいたが、その肘の周りも腫れてきた。
翌日、脇下の痛みは更にひどくなり腕も上げられなくなった。
左腕の腫れも全体に広がり、夜には手首近くに帯状の水ぶくれ地帯が出現。
どうも身体に何か悪いものが入ったらしい。
肘のやたら痛かったデキモノは、庭に上着を着ないで出てブルーベリーの実の
摘み取りをした時、気付かずに毒虫に触った痕だろうか。
ブルーベリーにはよく虫がついて、これまでも刺されたことがある。
そのデキモノから毒が広がったのだろうか。
それとも前日整形外科で、なかなか治らない左中指の腱鞘炎を抑える注射を
した痕に、ばい菌が入ってしまったのかもしれない。
注射の翌日の水曜日、サギのコロニーの様子を見に行ったが、別状はなかった。
サギコロニーに行く時は必ず長袖に手袋。今年はマダニが怖くて、
また広報活動のため、草むらには入らず遊歩道からの観察。
その周囲の草はすでに刈られ、草に触ることもない。
ただ、すっかりお馴染みになった散歩の犬たちをなでたりするので、
犬たちは草むらに出入りし、何かくっつけていたのかもしれない。
金曜になっても腫れは退くどころか増々ひどくなり、脇下の痛みも耐えがたく、
いつも持病を総合的に診てもらっている医院へ行った。
「これはひどい。アレルギーによるものか感染なのか、とにかく血液検査を
しましょう。」と、血液を採られ、念のためと抗生物質の飲み薬をもらった。
「明日の朝には結果が出るので、朝一に電話して下さい。」
左腕がかゆくてほとんど眠れぬまま、朝電話で検査結果を聞くと、
「白血球が以上に増えていて、正常値の倍以上。他の数値も照らし合わせると
これは細菌に感染した症状です。すぐに抗生物質の点滴をします。
飲み薬ももっと強いものに換えます。」
で、強い日差しの下、世の中いろんな事があるなあ、と思いながら医院へ。
早速点滴2パック分をされた。
抗生物質の点滴は続けてしなければならない、ということで、
翌日は日曜日にも関らず、用事から先生が戻ってくる夕方に、また医院へ。
白血球が異状に増えている、といっても、腫れや痛みやかゆみの他は
普通にしゃべったりゆっくり日常の用事をできるくらいだったが、
日曜日、やたら足が重く身体がだるい。時々息をするのも辛いくらい
全身に鉛でも流し込まれたみたいに動けなくなった。
目を離した隙に土木課が何かやるのではと、サギコロニーが心配でならないけれど、
これではとっても見に行けそうもない。
夕方少しだるさがおさまって点滴を受けに出かけることはできた。
脇下のリンパ腺のせいだったらしい痛みは退いてきたが、
その代わりひどいだるさが時々襲ってくる。
全身を廻っている血液の中で、白血球と薬が細菌と戦争しているのだから
いたし方ない。
細菌が勢力を盛り返さぬよう、身体が疲れることはしてはならないと
言われるけれど、日常のやらなければならない事はやらねばならず、
安静にしているのは結構難しい。
明日、また点滴し、白血球がどれ程減ったかまた血液検査。
さて、結果はいかに。
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