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見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
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Posted by Ru Na - 2014.04.16,Wed
今年の桜は、咲くのも散るのも早いという予想に反して、ずい分長く満開状態を保った。

  

夕暮れの紅に霞むような景色が、この花の木に一番ふさわしく思える。
川沿いのソメイヨシノが散りかける頃、対岸のしだれ桜が紅さを増す。

  

河川工事を何とか免れた草地は、それでも木の切られすぎで
3月末の増水時の水が、まだ完全に引いていない。

緑に芽吹き始めた柳と白い花邑との饗演。

  

 

それにしても、桜は不思議な花である。
特にソメイヨシノは、冬枯れの木からいきなり白い花が吹き出すように
枝を覆いつくし、その白さのせいで、枝も幹もいっそう黒々として、
春霞の空を背景に、コントラストを際立たせる。

 

  

このソメイヨシノが日本各地に広まったのは、明治時代だという。
日本古典文学で、花 といえば 梅。
西行法師が執着したのは、おそらくヤマザクラだったろう。

短い盛花の時期と散る早さが、潔い散りざまの華として、
大和魂のシンボルのように軍国主義に利用されたが、
実際は歴史が浅い花である。
それに、もっと寿命が短い花は、他にも多くある。
ヤブコウジの可憐な小さな花は、咲いたと思ったら次の日に
しぼんでいたりもするので、つい見逃してしまう。
月下美人などは、たったひと晩である。

桜花は、いつ散るかとはらはらしていても、案外のんきに長く咲いている。
“しづこころなく” ではなく、もっと落ち着いてのんびり構えようと思うのだが、

ソメイヨシノの花の季節は、何故か心がつい急いてしまう。



いろんな種類の桜が同時に植わっていると、開花時期のずれもあって
花の宴を長く楽しめる。
                 



 

息が詰るそうなくらい花邑が視野を覆う、百間堀の桜。
ヤマザクラふうなのに、花が手鞠状になっている兼六園の桜。



自然が造ったかんざしの様なしだれ桜。

   

散りかけた花もまた趣があって、日に日にうつろう桜花に
やはり毎日、気もそぞろになってしまうのだった。

  

日本中どこでも、やたらにソメイヨシノを植えるのは、その土地本来の植生を壊す、
と文句を言いつつ、風に流れる花びらに魅せられる春の一日。

  
   
 
 
  




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Posted by Ru Na - 2014.04.14,Mon
4月13日の定例探鳥会。朝の空気はまだ冷たい。
河口近くにキンクロハジロやホシハジロなど、冬の水鳥が
宝石をちりばめたように碧の水面に広がっていた

  

ヨシガモの頭の緑色も日を受けて輝く。



何を食べているの?ビニールなど変なものを食べないでね。



すっかり夏羽のカンムリカイツブリ。

 

橋のたもとの側溝を、出たり入ったりしていたジョウビタキ♀。





例によって、あちらこちらで引っ掛かるものだから、
ササゴイの池でやっと皆に追いついた。
お馴染みのカワセミ。まだ若くてちょっとスリムすぎる。

 

この日のメインは、何と言ってもレンジャク。
ずいぶん長逗留している。この森がとても気に入ったらしい。
ヒレンジャクの群に混じるキレンジャクを、やっとはっきり見る事ができた。



尾の先が黄色いのがキレンジャク。



 

こちらはヒレンジャク。



群でキヅタの実を食べている中に、仲良しカップルがいて、
♂が♀に虫をプレゼントしていた。

さて帰ろうとしたら、前方の木の枝にキジバトのカップルが。

 

1羽が1羽に優しく羽づくろいしたり、とても仲睦まじそう。
私の目の前で二人(二鳥)の世界に浸りきっているものだから、
邪魔しそうで前に進もうにも進めない。困った・・・・。



忍び足で、そおっと、そおっと、かれらの側を何とか通り抜けた。
ハナダイコンも花ざかり。森の鳥たちも恋の花ざかりである。

     
 
 
 
 
 
 
 
Posted by Ru Na - 2014.04.09,Wed
はじめは速いペースで開花した今年の桜。
その後の悪天候と低温で、花は開くのをちょっと休止したが、
再び気温が上昇して、いつも通りに開花宣言から1週間ほどで満開になった。
とはいえ、8部咲きを“満開”と定義するらしいので、
白い花に覆われた枝の所々に、まだつぼみが見られる。

天気は上々。この時期、無料開放をしている城の庭園に行ってみた。

   

百間堀沿いにはいろんな種類の桜が植えられ、白から紅の
グラデーションを作っている。
平日というのに、周辺は花見の人や車でごったがえしていた。

園内は小さな子供連れの家族が多く、その歓声の間に、
池には、鳴きながら飛び回る2羽のカワセミがいた。
 
   

曲水に写る桜と散った花。

 

 

花を見るといっても、私はすぐ鳥の姿を探してしまうのだった。
 桜花の蜜を吸っているスズメを、一番多く見かけた。



シジュウカラは新芽の方がお気に入りらしい。それとも虫探し?



しだれ桜はソメイヨシノより遅く開くが、
庭園のこの木はいつも、同時期に満開になっている。



桜だけが見どころではない。長年馴染んできたこの庭園で、
その季節の木々の佇まいや、光、苔の様子にも、新たな発見がある。



 
                

桜に人が集まる所を少し離れると、静寂な場所もある。

  

木にとまるジョウビタキの♀に出合った。

  

首をかしげて、しばしこちらを見た後、

  

舞い降りた芝の上に、♂のジョウビタキが2羽。



転げるように走って行く先に、カワラヒワもいた。



白いイカリソウが夕暮れ色に染まり始める。

 

花の枝を透かして、夕陽が赤光を投げかける。

   

夜桜のライトアップの灯が燈る頃、ぼんぼりが並ぶ坂を下って帰路に着いた。

    




 
 
 
 
Posted by Ru Na - 2014.04.09,Wed
Windous XP のサポートが終了した。
これからは、XPが入っているPCは、危なくてネットに繋げない。

近頃は、この古いPCをあまり使わなくなったが、
XPまでしか対応していないソフト -(バージョンアップ版がもうない。)
デバイス -(後継機器がもうない。)があるものだから、
まだもう少し頑張って動いてくれないと困る。

特にフィルムスキャナー専用機は、スペックがまあまあで値段も手ごろなものが
近頃出ていないようなので、XP以降に対応していないこのフィルムスキャナー機を
何とか使い続けなければ。
最近の、フラットヘッドのスキャナー機にもフィルムスキャン機能は付いているが、
以前の専用機と比べて、画質はどんなものだろう。

 XP搭載のPCが壊れたら、このフィルムスキャナーも使えなくなるのだが、
とても時間がかかるスキャンは、まとまった時間がないとする気になれず、
なかなか進んでいないのが現状。
まだ手付かずの膨大な量のネガフィルム、ポジフィルムの山。
果たしていつになったらスキャンし終わるだろうか?

 
     
      ポジからスキャンしたアヴィニョン橋。



Posted by Ru Na - 2014.04.04,Fri
去年も桜が咲くのが早かった。
今年の開花宣言は4月5日頃と、TVニュースで言っていたのに、
ここしばらく4月下旬並の気温。
4月に入ってすぐ、「桜が開花しました。」
「えっ、こんな早く?」と驚きながら、4月1日はいろんな用事が
溜まっていて1日外に出ず。
2日、河口の森の様子を見に行くついでに近所の川原に出てみたら、

  

すでに3分咲き。

 

そういえば、雨続きの3月末、川の濁流に気を取られていたが、
蕾はずい分とふくらんでいた。

前日の夜から降り続いた雨で増水した3月30日の川の様子。

 

工事が終わった可動堰の側で、濁流が怖いくらい逆巻いていた。
雨は確かに結構降ったけれど、この程度の雨で川浪がこんなに
盛り上がっているのを見たのは初めて。
水害対策と言って、県が中州や河岸の草木をことごとく削ったために、
かえって水勢が強くなったように思える。

3月3日の夕方。すでに桜は5分咲き以上。

 

たいてい開花宣言が出てから満開になるまで一週間ほどかかるけれど、
この気温の高さだと、もう直ぐに満開になりそう。

少し上流の河岸緑地公園では、コブシの白い花も点々と開いていた。

 

中州や堰堤を壊し、川底をなだらかにする2年越しの工事は、
ようやくあと少し、というところまで来た。

 

春のこの時期、河岸の木々や葦も芽吹き始め、土手にはちいさな花やツクシ、
柔らかな緑が川面を覆うように、ぐんぐん増えてゆくという
工事以前のおなじみの光景は、すっかり消え失せてしまった。



 



  


Posted by Ru Na - 2014.03.31,Mon
気が付いたら3月ももう末。
冬中我が家の庭に来ていた鳥たちにも春は訪れて、
ウグイスは時々囀っているし、(まだあまり上手ではないけれど。)
ヒヨドリやメジロも、近所の梅の花と庭の餌籠の間を行き来している。

まだしばらくはこのも庭、食事する小鳥たちで賑わっていそうだが、
 ある日パタッと誰も来なくなり、急に寂しくなる。桜が咲き、子育て時期に入るのだ。
 メジロやウグイスは夏の間どこか涼しい山の方へ行ってしまうらしい。

 

とはいえ、古くからこの辺りを縄張りにしているウグイスは、
秋の早い時期から時々見回りに来るし、ヒヨドリは大体近くにいるようだ。





シジュウカラは、春が過ぎても頻繁に周囲に出没する。
春、小鳥たちが庭に来なくなったら、餌籠などを片付けるのだが、
去年、春以降も牛脂を吊るしっぱなしにしていたら、
いつの間にかつついた跡が付いている。
それで籠に砕いたクルミを入れてみたら、ほぼ年中食べに来るようになった。

 

去年の初夏など、しばらく姿が見えないと思ったら、
突然4羽でやって来て、縁側のガラス戸近く方々にとまっては、
縁側にいる私を見ながらひとしきり鳴いていた。
どうも育った子供たちを見せに来てくれたらしい。
それからまたしばらくどこかへ行ってしまい、秋からはまた2羽で
クルミを食べに来るようになった。



一番人なつっこくて、庭に出てもすぐ近くを羽音をさせて飛んだり、
目の前の木の枝にとまって、何か話しかけるように鳴く。
その度に私は、かれらを怖がらせないように、目を伏せて後ずさりする。
きっとツピ(シジュウカラ)たちは、私のことを
近寄るとすぐ逃げるこわがりの大鳥だと思っているだろう。

こわがりなのはヒヨドリで、木の陰からそっと辺りをうかがって、
室内の人影が見えない時しか食べない。



そのくせ、お代わりをさいそくしたり、食べ終わると機嫌の良い可愛い声で
「おいしかったよー。」というふうに鳴くので、
私が家の中から外を見ないように話しかけると、よく返事してくれる。
私が出かけようとすると、バナナやブドウのお代わりが心配になるらしく、
屋根にとまって、「どこ行くの?」と不満そうに鳴く。

メジロは秋に寒波が幾度も来たせいか、例年より早く、12月の始めに姿を見せた。
その後しばらく来なくなり、雪が降るとまたやって来るようになった。
お腹がいっぱいになると、ミカン籠に座ったままうつらうつらしていて、
 ガラス戸が間にあるといっても2m位の至近距離の縁側に私がいても
 気にする様子もなくのんびりしている。
しかし、写真を撮りたいと思ってカメラを取り出すと、脱兎のごとく逃げるので、
滅多に写真は撮らなくなった。



同種のつがいで食べたり、交代したり、ウグイスとメジロとシジュウカラが
同時に一緒に食べていたり、その合間にヒヨドリが踏み台の手すりの上の
バナナをさっとくわえていったり、おおむね皆仲良く食事しているが、
ひとまわり大きいオナガが来る時だけは別である。
オナガは、1-3羽で、「キューイ、クェ、クェ、クェ。」と鳴きながら、
山茶花の枝に刺したリンゴやバナナを一瞬でさらっていってしまうので、
その間皆はどこかに隠れている。
「オナガは綺麗だけれど声が悪くってね。」などと家の中で話していたら、
それが聞こえたかどうか、ひっそりとやって来るようになった。
そして、食べ終わってから改めて鳴くので、オナガが来たと分かる。

もうじき桜が咲く。冬の庭の仲間もしばし解散となる。
 
 
 
  
  
   
   
   
Posted by Ru Na - 2014.03.28,Fri
3月は何かと気ぜわしい。
今年は特に、2月中に終わらせる予定だった事が、
次々と先延ばしになったり、
増税前の駆け込み工事をしたりしていたら、
気が付くともう月末。
寒暖差も大きくて、季節感がもうひとつだが、
それでもいつの間にか木々には小さな緑の芽が出ている。
せっかくの天気、せっかく時間ができた日は河口の森へ。

川べりに早春恒例の彩り。

   

途中サギコロニーに立ち寄ったら、ゴイサギがもう5羽来ていた!

 

工事のせいで周囲の木が少なくなって、見通しが良すぎるので、
今年は落ち着いて子育て出来るだろうかと、心配しているが、
とりあえず戻ってきてくれた。

 

冬をずっとここで過ごしたマガモたちは、まだのんびりしている。

   

やはり冬中ここにいたダイサギ。お別れは、まだもう少し先ね。

   

河口近くのカンムリカイツブリ。

 

いつの間にか数が増えて、今日も7-8羽。
もう夏羽になっている。

 

   
 
 夏羽の白い頭のカワウもいる。

  

森の中でヒレンジャクの群に出合った!

  
はじめまして、ヒレンジャク。この森でゆっくりしていってね。
日没の最後の陽を浴びて、もうお休みの時間らしい。みんな丸くなっていた。

 






薄暗くなった河岸の遊歩道に、オナガが降り立って
地面に落ちている木の実を熱心についばんでいた。

 



 
 
 
 
 
 
Posted by Ru Na - 2014.03.19,Wed
ウクライナ情勢は、ロシアがロシア系住民が多いクリミア半島に介入し、
それに対する欧米各国の非難の渦の中、クリミアではその帰属を巡っての
住民投票が行われた事で、ますます混乱を極めている。
私にはロシア人とウクライナ人の違いが分からない。
少し調べてみても、旧ユーゴスラビアのように、ルーツがほぼ同じ人々が
歴史や文化の違いで、○○民族といったように分化していったような印象を受ける。

それより、6世紀のウクライナ地域に「ハザール王国」という、
今だ謎多い改宗ユダヤ教国が勃興していたという、興味深い事を知った。

キエフ・ロシア王国、ビザンチン帝国、それに続く蒙古来襲の「タタールのくびき」。
「ウクライナ・コサック集団」による自治国。リトアニアやポーランドによる支配。
ロシア帝国によるロシア化、と、あまりにも複雑な歴史。
歴代のロシア皇帝によるユダヤ人追放令が続いたが、エカテリーナ2世の時代、
ポーランド分割によってユダヤ人口が一気に増えたという。
(その頃のこの地域はポーランド領だったらしい。)
居住区域の制限、改宗への強要など、ロシア帝国内の反ユダヤは続き、
「屋根の上のバイオリン弾き」に描かれているような、
本格的なユダヤ人迫害「ポグロム」は、ウクライナのオデッサから始まったという。
そのため米国に移住するユダヤ人も増え、ユダヤ系アメリカ人になった。

ロシア革命では、ユダヤ人の活躍が大きな役割を担った。(トロツキーもユダヤ系。)
しかし革命政府で重要な位置を占めていた大勢のユダヤ人も、
1930年のスターリンの大粛清に遭う。

     

ウラディミール・ホロヴィッツは1903年ウクライナのユダヤ人家庭に生まれる。
母にピアノの手ほどきを受け、9才でキエフ音楽院に入学。17才で卒業。
ソ連国内での演奏活動を始めるが、シュナーベル (ベートーヴェン演奏高く評価された
名ピアニスト。グレン・グールドにとっても子供の頃のアイドルだったらしい。)
に師事するという理由で出国。そのまま亡命生活に入った。
丁度ソ連ではユダヤ人への風当たりが強くなっていた頃である。

1928年にアメリカデビュー。驚異的なヴィルテュオーゾ、世紀の大ピアニスト
として、世界にその名を馳せた。

現在もそうなのかもしれないが、当時の米国の聴衆は曲芸師的な名人芸に
拍手喝采する傾向があったという。
その雰囲気を、ツァーで訪れたリヒテルは、こんな国に亡命するなんて
考えもしなかったと言い、
各国のコンサート廻りをしていた吉田秀和氏も、あまり好きではなかったらしい。

ホロヴィッツは演奏活動を4回中断している。
その度に、トスカニーニの娘である奥さんのワンダさんに叱咤激励されて、
公演に復帰したが、神経質なところがあったという彼は、本当は
熱狂する聴衆の前で弾くのは好きではなかったかもしれない。
 30歳ほど年下のグレン・グールドが、あっさりコンサート活動をやめてしまった時、
どのように感じただろうか。

不調に終わって、吉田秀和氏に「ひびの入った骨董」と評された83年の第1回来日公演後、
見事に復活し、86年の里帰り公演、モスクワコンサートの録音を聴くと、
並々ならぬ熱のこもり方を感じる。異様なほどの高揚感。
私がホロヴィッツに惹き込まれたのは、このモスクワライヴを聴いてからである。
 
 
 
 ー 続く ―






Posted by Ru Na - 2014.03.15,Sat
朝薄っすらと積もった雪の上に、さらに舞い降りる雪片。
こんな予報ではなかったのに。中流域の鳥調査はまた雪降る寒い日となった。

    

堰堤を壊してなだらかな段差にする河川工事は大分進んでいる。

    

対岸の川底は終了したようだが、護岸だけになった岸辺には
自然の草木が皆無になった。
工事区間を過ぎると、この雪の中、ぽつぽつ鳥が増えてゆく。

寒くっても平気、としきりに水に潜るカワアイサ。

  

モズのお嬢さん、目がとても大きくなっている。何を見ているの?

  

しだいに空が晴れて、淡雪も消えていった。
鳥調査に始めて参加した会員も2人。いつもよりゆっくりペースで歩いた。

  

              椿の赤い花が彩りを添える。

           

先月に続きイカルの群。しばらくあまり見かけなかったカワラヒワも群でいた。

  

 

イソヒヨドリが橋のたもとでしばらく何か思案している様子だった。

 

ノスリはいつもの場所にいたが、いつもより白っぽい。

  

もしかしたらいつもの子ではなく、大陸から渡って来たばかりの
子かもしれないと、話し合った。

 

セグロセキレイもイカルチドリも、つがいで飛び回りながら囀っていた。
もう恋の季節モードに入っているらしい。
ハシボソガラスは巣作りを始めていた。

  








Posted by Ru Na - 2014.03.11,Tue
東日本大震災が起こって今日で3年目。
つい先日の事のような気がしているのに、もう3年も経ってしまったが、
今だ避難先で過ごす人も多く、復興の筋道も十分たっていない。
福島原発事故後、汚染水の流出など次々と問題が起きているのに、
全国の停止中の原発で、いつの間にか着々と、再稼動の動きが進んでいる。
その間、政権交代や復興置き去りの東京オリンピック招致や、沖縄基地問題、
領土問題や集団的自衛権問題や格差解消もないままに増税の話。
ヘイトスピーチも増え、「絆」の言葉がさかんに飛び交った3年前に比べ、
寛容さが激減しているようなこの国は、一体どこへ行こうとしているのだろう。

   

気候変動もますます大きく、洪水などの自然災害も大規模化。
それでますます「国土強靭化」の公共事業が増加し、
町周辺のささやかな自然は、容赦なく潰されていく。

先日新聞に、福島の避難指示区域に住み続け、置き去りにされた動物たちに
餌やりをしている男性の話が載っていた。
原発事故後、家族と逃げようと思ったが、高齢の両親が避難所で過ごすのは無理と
分かり、電気も水もない自宅に戻った。
近所の置き去りにされた犬たちが食べ物を求めて寄ってくるので、
かれらの世話をしているうちに次々と、同じ境遇の動物たちに出会い、
どんなに避難を勧告されても、「じゃあ、代わりにかれらの面倒を見てくれるか。」
と動かず、放射能への恐怖と闘いながら住み続けているという。

震災直後は、「人が大変な時にそれどころじゃない。」と、
同じく被災した生きものたちの事を話すのが、何となくタブーのように
なっていたが、ようやく原発事故という人災の犠牲者である、
人以外の生きものの状況も語られ始めている。

   

日本野鳥の会福島は、野鳥への放射能の影響を調べるため、
ツバメのモニタリング調査を、防護服を着て行っている。

あらゆる生きものはみな同じ地球上の仲間である。
一人の人間には、本当に僅かで少しの事しかできないと、
ささやかな町の自然を潰す河川工事にあらがって実感したが、
それでも、誰か他の人がやってくれるだろうと、自分だけ
安全な場所にいて、困難に直面している生きものがそこにいるのに
目も耳も塞いでいる事は、私にもできない。

  


 
 
 
 
  
  
Posted by Ru Na - 2014.03.09,Sun
昨日は真冬に逆戻りの雪が降りしきる一日だった。
この冬は例年になく、雪がほとんど降らず積もらず、
低温が続いた後は春の陽気がしばらく、といったおかしな気候で、
いつもの冬より自転車で出かけられる日も多いのに、
定例探鳥会の日に限って、雪または雨。
今回もしばらく雪続きの予報に半ばあきらめていたのに、
いきなり青空が広がった。

昨日の夕方の川原はこんな様子。

   
今朝の明るい日差しの中のノスリ。

 

オオバンは、まだ工事が続いている河口近くのいつもの居場所を失って、
近頃少し上流に集まっているが、今日は何と40羽もいた!

 

冬の初めにはいたのに、しばらくいなくなっていたヒドリガモが、
沢山戻って来た。

 
 
 河口の森は明るい光に溢れ、どことなく春の気配がする。


  
 昨日の雪の名残。   

参加人数は28名。久しぶりのおしゃべりが楽しい。

    

風が冷たいせいか、カワセミはいつもの場所でじっとして動かず。

  

ハチジョウツグミも現れた。かなり離れた場所から観察する。
鳥にあまり近づきすぎないように気を使うのが、野鳥の会の探鳥会である。

  

こんな青い海を見るのは久しぶり。波しぶきが高かった。

 
            

解散して帰ろうとすると、イカルが近くに出てきてくれた。

  

カンムリカイツブリは8羽になっていた。

 

近頃姿が見えなくなっていたカワアイサに、帰路の方々で出会った。
この川にカワアイサの仲間の希少種が現れて以来、鳥カメラマンに
追い回わされて、可哀想にすっかり怖がりになっているようだ。
春の渡りまで、安心して過ごせるようになってほしい。

 

午後も晴天が続いたが風が強く、空が掻き曇り急に暗くなったと
思う間もなく横殴りの雨。それが雪に変わり、
夜半には一面の銀世界に逆戻りした。
 
 
 
 
 
  
  
Posted by Ru Na - 2014.02.28,Fri
故天野祐吉さんの言葉を借りれば、「世界村の運動会」であるソチオリンピックの
最中に、ウクライナの動乱はますます悪化し、ヤヌコビッチ政権が崩壊した。
旧ソ連邦から独立した国々の中でも、比較的先進的な大国というイメージを
もっていたので、ウクライナでの流血騒ぎは、ショッキングな出来事だった。
親ロ派と親EU派の対立は以前からニュースで聞いていたが、
ここまでエスカレートしてゆくとは。予断を許さない情勢が続いている。

私はウクライナについてあまりよく知らない。
中世期のキエフ公国建国にヴァイキングが関わったこと、
ロシア同様、200年以上「タタールのくびき」の下にあったこと、
エイゼンシュタインの映画「戦艦ポチョムキン」で有名なオデッサの階段は
ウクライナにある、といったくらいである。
旧ソ連時代のソ連の3大バレエ団の一つがキエフバレエ団。
振りの大きいダイナミックなモスクワバレエ、エレガントなレニングラードバレエ
に対し、キエフバレエはどこかチャーミングで、私の好みだった。
キエフバレエ「森の詩」が、そのまま私のウクライナのイメージになっていた。
旧ソ連のとてつもないピアノの巨人たち、リヒテルやギレリス、
この二人の師匠であるネイガウス、それにホロヴィッツがウクライナ人であったとは
後年知った。

                

ずい分前、ホロヴィッツばかり聴いていた時期がある。
その音色には、一度魅せられると離れ難い魔力がある。
去年ラジオで、久しぶりにホロヴィッツの特集番組を連続して聴いていて、
改めてその音色にある憂愁を感じた。
同時代のリヒテルの音は、攻撃的なところがあるけれど、とてもポジティブ。
どんな気分の時でも、拒絶反応が起きることがない。
吉田秀和氏は、奥様を亡くされた時、一時期どんな音楽も聴きたくなくなったが、
リヒテルの平均律だけはすんなりと心に入っていった、と書かれている。
対してホロヴィッツは、聴く“時”を選ばないと大変危険。

ホロヴィッツの柔らかな音色は、暗いというより、
これはひどく孤独なものを含んでいる音だと気付いた。
グレン・グールドの音色にあるのは、生物としての根源的な孤独感。
家族や仲間と群れていても、誕生も死も、その個固有の、独りきりのもの
という、人以外の生物が皆、常に忘れずに内在させている種子のように思える。
ホロヴィッツのそれは、また別種の人間社会由来のものではないだろうか。
それは、その時代、その場所で生きるという孤独。

若い頃に米国に亡命し、大指揮者トスカニーニにその才能を見出され、
その娘婿になり、「ホロヴィッツは社会現象」とまで云われるほど
米国の聴衆に熱狂的に受け入れられ、ラフマニノフは彼のために曲を書き、
ピアニストとしてはとても恵まれた境遇にあり、
1989年86歳で亡くなった後も、世紀の天才ピアニストとして
その名は輝きを失うことがない。
それなのにその音色の暗さは、若い日に後に自ら捨てた故国への望郷の念が
込められているのだろうか。





     






Posted by Ru Na - 2014.02.18,Tue
雪の中の鳥調査の翌日は、同じ川辺で探鳥会があった。
前日とはうって変わって天気は快晴。気温も平年並みに戻って大勢が集まった。

  昨日の雪は少ししか残っていない。 
                     

イカルの大群はまだいて、みんな大喜び。

   

 

一般探鳥会で歩く距離は、鳥調査の半分ほどだが、
今回はいつもより遠くまで足を延ばした。
青空を背景に囀るカワラヒワ。

 

ツグミも陽が心地よさそう。

 
                


ダイサギは叢でのんびり日向ぼっこをしていた。

  

工事のせいで水鳥は少ないが、帰りがけに、ここには滅多に来ないユリカモメを見た。

  





 


 
 
 
 
Posted by Ru Na - 2014.02.15,Sat
ソチオリンピック、太平洋側の記録的大雪等々、ニュースの中の喧騒をよそに、
こちらは珍しく雪があまり積もらない、しかしひどい低温続きの静かな冬。
金メダルや首都圏の交通渋滞よりも、河川工事の進行具合の方が、
この町の重大事である。

今朝は雨が次第に雪に変わる悪天候の中、中流域の鳥調査を行った。
水気をたっぷり含んだ重たい雪に、視界はあまり良くない。
アオサギが木の中途半端な所にとまって、じっと雪をしのいでいた。

   

どうせこの季節、いつだって天気は悪いんだからと、鳥調査メンバーは
雪をものともせず、楽しくおしゃべりしながら歩く。

     

白い雪の中の白いダイサギ。この子は我々の後をずっとついて来た。

  

賑やかに群れて、河岸で採餌したり木の上で囀りのよい声を聞かせてくれたのは、
黄色い嘴のイカルたち。

  

 

バレンタインデーを境に、鳥たちは囀り始めると言われるが、
セグロセキレイもさかんに歌い、この雪の中でも野鳥たちにはもう春が来ているよう。
シメも元気に活動していた。

 

先日河川工事人さんが、もっと下流の方でオシドリを見たと話していた。
オシドリは時々この川を通過するようだが、長居はしないので、
ちょうどタイミングよく姿を見られたらラッキーなのだが、
何とその噂のオシドリが、雪で霞む対岸に垣間見えた!

 

その近くに2羽のカルガモがいた。
2年前もっと下流にしばらく滞在していたオシドリは、いつも2羽のカルガモと一緒に
仲良く行動していたが、もしかしたら同じ子たちなのかもしれない。
鳥調査メンバーがもっと上流まで行ってから、引き返した時にはもういなくなっていた。

近頃、持病の腰や背中痛みが治まらないので、解散してから長い帰り道を
ちょくちょく立ち止まりながら、一人でゆっくりと歩いた。
そんな私に付き合ってくれるように、ノスリがすぐ近くにずっといてくれた。

    

 

声は聞こえるけれど、怖がりさんでなかなか姿を見せないアオジたちも、
立ち止まる私を見物しに出てきた。

 

シロハラも降る雪の中、せっせと落ち葉を掘り返して餌探し。

 

工事が始まって以来、居場所がどんどん狭められて数が少なくなったキジ。

 

イカルの群は、まだ同じ場所にいた。

 




   
  
  
  
   
   
   
Posted by Ru Na - 2014.02.12,Wed
 中流域から河口近くまで、ほとんどの場所で河川工事が始まっている。
真冬並の寒波襲来や集中豪雨など、ずっと悪天候続き。

    

11月14日、雨の合間を縫ってサギコロニーへ。
右岸から見る左岸。草木や土が取り除かれた箇所は、護岸のコンクリートだけに
なりつつある。工事も終盤らしい。

 

急に開けてしまった場所で、ダイサギが所在なさ気にしていた。

 

橋を渡って左岸へ。掘削しないと言っていた上流寄りの浅瀬にも重機が入り、
サギたちの溜り場だった小さな中州や砂洲がすっかり無くなった。

 

左岸は連日の大雨ですっかり泥の河。
工事業者さんに工事の進行具合を聞きたいのに、どこにも足場がない。
ままよと、白いスポーツシューズのままで泥に足を踏み入れたら、
足首までずぶずぶと沈んでしまった。
 融けたチョコレートの川を歩いているみたいな感触で、
ちょっと面白かったのだが、帰ってからの後始末が大変だった。

 

いくら装備しているとはいえ、工期に間に合わせるため、悪天候悪条件でも
作業をし続ける工事人さんたちは大変である。

河岸の土はほぼ取り除かれた。

 

この日、すっかり暗くなっても、中州の木にとまったのは4羽のコサギだけだった。

 

 

11月17日、サギコロニーの水辺に冬鳥マガモが増えている。

 

サギコロニーより少し下流の、やはり工事区間で、ダイサギが1羽歩き回っていた。
殺風景な川原で、なんだか痛々しい。

 

暗くなるまで待ったが、中州にはついに誰も戻らなかった。

 

こうして、コロニーのサギはみな旅立ってしまった。
来年また戻っておいで、と願いながら、サギコロニーを後にした。

 
 
 
   
   
   
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