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Posted by Ru Na - 2014.09.11,Thu


7月の末から8月頭に、この川では毎年花火大会が二回催される。
打ち上げ花火の大きな音と光は、川やその周囲に住む生き物にとって
とても怖いだろうと、毎夏心配しているが、
打ち上げ場所はサギコロニーからある程度距離もあることだし、
重大な影響は今のところ無いように思える。
問題は、花火大会に合わせて、川原の方々で花火遊びをする人が
多いこと。
手持ちの小さな花火ならいいが、打ち上げや爆竹、それに
危険なロケット花火を、まだ巣から動けないヒナがいる場所で
されるのが、一番心配である。
花火大会の時間帯にサギコロニーに張り込むのは、私にとって難しく、
翌日無事を確かめに行く、といったことを今までも繰り返していた。

最初の花火大会の翌日も異状なし、と安心していたのだが、
その3日後、右岸から対岸の巣の密集地帯を見ていて、
枝の間に、動かない羽根の塊があることに気付いた。
カメラでズームすると、サギの亡がらだった!

   

チュウサギの子たちが、代わる代わる近づいては、
そっと嘴で触れたりしていた。

 

育たなかったヒナにしては大きい。
すっかり動揺し、帰ってから撮影した写真を調べてみたら、
その日は気付かなかったが、花火大会の翌日の写真にも、
この亡がらが小さく写っていた。
何人ものベテランの会員に報告したら、
サギのコロニーでは自然死したサギの亡がらがあることはよくある、
とのこと。しかし私はこのコロニーでは見たことがない。
しかもこの場所の裏側は丁度、先日高校生グループがサギを脅していた、
河川敷の小さな広場である。



その亡がらは、何日もそうしてそこに残っていた。
二回目の花火大会の時、花火が始まった時間帯までコロニーにとどまって、
周囲の様子を監視した。
サギたちは、花火の打ち上げ音に、群で飛び立って場所を移動していたが、
近くで爆竹音がした時のように、パニック状態ではなかった。
この木立の裏側で花火を鑑賞している人もそう多くはなかった。

しかしその翌日、サギたちに異状はなかったものの、例の広場に
花火で遊んだ残骸が散らばっていた。

     

この広場の近くの巣内のヒナが巣立って、少しでも飛べるようになるまで、
気の抜けない日々が続いた。

 

 




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Posted by Ru Na - 2014.09.01,Mon
サギたちに悪意のある行為をする人対策に、コロニーに看板を立てたいと、
県の維持管理課に問い合わせたら、
個人では難しいが、野鳥の会など公的な団体ならOK,
野鳥の会と連携している県の機関(自然環境課)と連名ならなお良い、
とのことだった。
1週間後の会の幹事会で取り上げてもらい、看板を立てることになった。
代表が自然環境課に話しに行って、その後連絡がなかなかないので、
直接自然環境課に電話して、いきさつを詳しく話した。

その間、他所のサギコロニーについても情報交換している会員のSさんと、
どんな看板がいいか、看板例の写真を撮ったり、
予算があまりない会なので、安く効率よく制作する方法やデザイン案を練った。

                    

    
 
                    

ようやく関係者が現地に集まって具体的な話をすることになったのは、
7月22日の昼近く、暑い日だった。
本題に入ろうという時、中年すぎの女性が現れて何の集まりかと聞き、
サギたちや去年の工事をまぬがれた木立について
苦情をまくし立て始めた。一言も口を挟めないような勢いで。

去年の工事のいきさつに関わってきた者は、このような苦情
(というより、言いがかり)があることを聞いてきたが、
維持管理課や自然環境課の人は始めて聞く話だと、顔を見合わせ、
もしこの話が近隣住民の意見を代表しているのなら大変。
すぐ近くに住むというその女性の神経を逆撫でしては、
サギコロニー全体に新たな危機を呼び込むかもしれないと、
看板設置は見送った方がいいということになった。

その後、去年から顔見知りになった、サギや川の自然を大切に見守っている
コロニーの近所の奥さん(この地区の古くからの住民)と話していたら、
クレームを付けにきた女性は、町内の何事にも文句を言い、
平気で川を汚す“困ったクレーマー”ということが判明。
サギを快く思わないのが近隣住民の総意ではないことが分かり
少しホッとしたが、その女性には、看板は立てないと言ってしまった以上、
サギの安全のためには、別の手段を講じなければならなくなった。

まだ小さなヒナがいる巣が沢山ある。

 

こまめに左岸に行って、パトロールを強化。
毎年サギが集まるのが楽しみという散歩の人達に、
こんな行為を見たら注意してくださいと、声をかけまくった。



 
Posted by Ru Na - 2014.08.31,Sun
サギコロニーのカウント調査をした2日後の7月1日。
巣立ち始めたコサギのヒナは、巣の近くの枝の伝い歩きをしたり
活発に動き回っていた。

 



水辺にも少し成長した巣立ちビナが集まっていた。ここまで移動できたらしい。



チュウサギのヒナも巣立ち始め、まだ巣内の子たちも順調に成長。



基本的には夜行性のゴイサギは、強い日差しの下、うとうとしている。



今年もホシゴイ(まだ大人にならないゴイサギの若鳥)が子育てをしている。
そのホシゴイも眠くってしようがない様子。



夕方、右岸からいつものように観察をしていたら、
左岸の木立の後ろで、突然パンパンという破裂音。
サギたちは一斉に飛び上がった。上空を鳴きながらぐるぐる旋回。
飛べないヒナたちや小さなヒナを守っている親鳥以外は、
みな空に舞い上がったまま右往左往して、ひどいパニック状態に
陥っていた。
破裂音は何度も続き、サギのパニックも一層ひどくなるばかり。

これはまずい!と、急いで左岸に回ったら、
サギの巣が密集している木立のすぐ側の、河岸の小さな広場に
高校生のグループがいた。
男の子たちは手に花火(ロケット花火のような)を持ち、
女の子たちはケータイを空にかざして写真を撮っている。
サギを爆竹音で脅して、驚いたサギが舞い上がる様子を
女の子たちに写真を撮らせていたようだ。

生き物に対してこんな酷い、可哀相な事をしながら、
ふざけてばかりの彼らに、少し強く注意したら、
一人が母親を呼び出して、逆に文句を言われた。

去年も小学生が花火の破裂音でサギを脅す場面を見た。
今年も、右岸から見ていて、左岸の河川敷の遊歩道を通る大人が
サギに投石したり、大きな音で脅してサギを飛び立たせるのを
何度も目撃していて、このまま放置すれば、
せっかく去年の大規模な河川改修工事からサギコロニーを
救えたのに、子育て中のサギに重大な事態を招きかねない。

せめて春から秋にかけ、注意書きの簡単な看板でも立てられないかと、
思っていたところだったので、
河川敷に看板を立てるにはどうしたらよいか、県央土木の
維持管理課に問い合わせた。






Posted by Ru Na - 2014.08.29,Fri
いち早く抱卵を始め、いち早くヒナが誕生したゴイサギ。



親鳥に盛んに餌をねだる巣の上のヒナ。



両足先が巣から離れるのを“巣立ち”と言うが、
巣立ち時期も他のサギより数日早い。



おそるおそる巣から出て、近くの枝を伝い歩きする。
親鳥の給餌に大騒ぎ。





まだ抱卵中の他のサギたちの近くに、まるでキウィの実がなっているみたいに
枝にとまっている。飛べるようになるまでまだ1ヶ月くらいかかる。











Posted by Ru Na - 2014.08.23,Sat
6月、サギコロニーにどんどん増えていくアマサギ。



巣作りが完了し、方々で抱卵中の姿が見られるようになった。



茶色の部分が少ししかない若鳥も、いつの間にか増えている。



まだほんの子供なのに、嘴が婚姻色で赤くなった子もいて、
大人たちの周りをうろうろしては、追い払われていた。

 

6月20日、羽をうんと膨らませて巣に座っているアマサギの
お腹の下に、生まれたてのヒナがいるのが一瞬見えた。

 







Posted by Ru Na - 2014.08.12,Tue
つれあいの北欧での仕事はもうじき終わる。
夏の休暇を利用した旅の絵葉書が、次々と届いた。

  

ヘルシンキからフェリーでザンクトペテルブルクのビザなし観光。
それからバルト三国。ポーランドのワルシャワを回る行程。

かつてのレニングラード、ザンクトペテルブルクの絵葉書が
届いたのは、他の街からの便りが来た後、一番最後だった。

  

二週間以上かかってやって来たロシアからの葉書。何だか妙に嬉しい。

ワルシャワからは二枚。ショパンの心臓が眠る街。
若くしてパリに亡命したショパンは、二度と祖国の土を踏むことなく、
パリのペールラシェーズ墓地に埋葬されたが、
その心臓だけは、故郷に戻されたという。

  

ベルリンの玄関口だったZoo駅は、今やトラムの普通の駅の一つになり、
旧東ベルリンのハウプトバンホフ(中央駅)が、その名の通り
中央駅になっているとのこと。

東西ドイツが統一してまだ間もない頃、
ハウプトバンホフで出会ったポーランド人の女の子を思い出す。
駅のホームのキオスクで、お菓子を買っていた私に話し掛けてきた。
「クラクフから遊びに来たのよ。ベルリンは素敵ね。
 ポーランドじゃ学校で習うのはロシア語ばかり。
 私はロシアが大っきらい。英語は英米映画を見て自分で勉強したの。」
ひとしきりおしゃべりしていたら、電車が来たのでそこでお別れ。
赤いベレー帽がよく似合った彼女は今どうしているだろうか。

それより数年前、鉄道のユースパスで西ヨーロッパの各地を旅した夏休み。
フランクフルトから西ベルリン行きの列車に乗った。
当時はまだ冷戦時代。西ベルリンは東欧の鉄のカーテンの向こうに浮かぶ
離れ小島のようだった。
西ベルリンに行くには旧東ドイツ国内を通らなければならず、
ユースパスが使えなかった。

    

西ベルリンから東ベルリンへは、日帰りならば簡単にビザが下りたので、
トラムに乗って出かけた。
数年後に壁が崩壊するなんて想像もしなかった頃、
列車が地下に潜って東側に入ると、使われていない駅の暗いホームの
片隅に、銃を持った兵士が立っている光景が、車窓を過ぎていった。
フリードリヒシュトラッセ駅に着いて、検問を通り、
すすけた暗い階段を降りると、西から来る家族か知人を
待ち受けているらしい人の群の真剣なまなざしに囲まれた。
ペルガモン美術館のペルガモン祭壇や、イシュタール門の巨大さに
圧倒され、ボーデ美術館の建物に残る大戦の銃弾跡に衝撃を受けた。

    

テレビ塔に登れば、シャンゼリゼ通りのような大通りが、
ブランデンブルク門の所で、壁で分断されているのが見えた。
テレビ塔の下にたむろしていたパンクファッションの男の子たち。
私が付けていたジョン・レノンのバッジを嬉しそうに見るので、
思わずバッジをはずしてあげてしまった。
彼らは今どうしているだろう。ドイツはその後の激動の時代を経て、
今頃はいいおじさんになっているはずの彼らは、昔、東洋人の女の子から
ジョン・レノンのバッジを貰ったなんて、多分覚えていないだろう。

    

日が落ちた後のブランデンブルク門は暗かった。人通りもほとんど無く、
銃を持った若い兵士が、所在無さげに脇に立っているだけ。
再びトラムで西ベルリンに戻ると、
Zoo駅前の、ヨーロッパでは珍しいネオンの光がやたら明るくて、
その落差に驚いたものだった。

    

翌日、そのZoo駅からパリに戻る夜行列車に乗った。
暗緑色の大きくて厳めしい車輌は、ワルシャワから来たもので、混んでいた。
座れるコンパートメントを探すと、夜もまだ時間は早いのに、
もう室内灯を消し暗くしている部屋があった。その薄暗い室内の奥、
6人がけの窓際に一組の男女だけが、向かい合ってひっそりと座っていた。
男は黒いタキシードに蝶ネクタイ。女は鮮やかな赤色の身体にぴったりとした
ワンピース。当時の西側では見かけないいでたちである。

   

コンパートメントの中には、ひどく張り詰めた空気が流れていた。
他の部屋が人で溢れているのに、ここだけ空いていたのは、
この異様な空気を皆避けたからかもしれない。
貧乏旅行中の外国人学生の無遠慮さで、そんな空気に気が付かない振りをして、
私は中に入って座った。
とにかく疲れていたので、早く座席が欲しかった。
うとうとしては目を覚ます度、彼らは相変わらず一言もしゃべらず、
いつも同じ姿勢でじっと座っていた。

  
列車はどこかの駅に着いて、急に辺りがざわざわしだした。
国境駅でパスポート検閲官が乗り込んできたのだ。
検閲官が車掌と共に、順にコンパートメントを回っているのが聞こえる。
我々の部屋の戸も、コンコンと叩いて入ってきた。
私も彼らもパスポートと切符を見せ、あっさりと国境を通過。
走り出した列車は、しばらくしてまた止まって検閲官がやって来た。
先のは東ドイツで、今度は西ドイツの検閲らしかった。

もう空が白んでいる。駅のホームでは、大きな荷物をいくつも抱えた
アフリカ系の青年たちが、何か密輸入でもやらかしたのが発覚したのか、
警察官に引っ張られていくのが見えた。

   

明るくなった景色の中を列車が走り出すと、
コンパートメントの中の張り詰めた空気が、ふと緩んだ。
二人は一言も発せずひしと抱き合い、それから、
人形が急に命を吹き込まれたかのように、そわそわと動き出した。
荷物らしい荷物は持っていない。女が小さなバッグから何かを
取り出したり、私の知らない言葉で口早に話したり、
そうして彼らは次の駅で降りて行った。

   

今でも目に浮かぶ晴衣の男と女。
どうやら私は亡命の現場に居合わせたらしい。
今思えば、二人があんな格好をしていたのは、
オーケストラの楽団員がコンサートに出演した姿のまま、
列車に飛び乗ったのではないだろうか。


   



   

   












Posted by Ru Na - 2014.08.09,Sat
コロニーのチュウサギも、求愛、巣作り、抱卵に忙しそう。





巣の上の親鳥の羽の下にヒナが確認できたのは、
コサギと同じ5月29日だった。



それからはベビーラッシュ。方々の巣でヒナが次々誕生。
順調に育っているようだった。





こちらの巣もヒナが5羽。
サギは一度に5個卵を産むわけではないから、最後に産んだ卵から
最後に生まれたヒナは、他の兄弟に比べて小さいことが多い。



別の巣では、5兄弟がほぼ均等に育っていたが・・・・、



この巣の一番小さい子は、親鳥の給餌にはいつも他の兄弟に先を越され、
十分食べられないような様子で、気になっていた。



日ごとに大きさの差が開いていって、親鳥が餌を運んで来ても、
もう親鳥に餌をねだろうともせず、うつむいて巣を弱々しくつつくのみ。



巣の上には多分、餌の食べ残しやおこぼれが少しはあるだろう。
それを食べて、何とか少しでも大きくなって欲しいと願っていた。
しかし、このこの姿を見たのは6月23日が最後だった・・・・。



その後この巣のヒナは4羽だけになった。

育たなかった子の魂は何処に行くのだろう。
もし天国があるのなら、このちいさな魂が、
天国の一番美しいところで安らうことができますように。




Posted by Ru Na - 2014.08.08,Fri
サギコロニーでは、5月末にコサギの最初のヒナが生まれたが、
6月はまだ、多くのサギたちが求愛のディスプレイや巣作り、
抱卵をしている。

 

水辺でディスプレイするコサギ。

 

産卵したばかり。

 

ヒナが誕生しても、親鳥は巣を補強し続ける。



6月10日、水辺近くの枝にコサギのヒナが2羽、しがみつくように乗っていた。
巣立ちビナというにはまだあまりにも小さい。
枝の下の水際には、小さなヒナがいる巣があって、ここから登って来たらしい。



1羽は他のコサギが近くを飛んだ時、バランスを崩して、今にも落ちそうに・・・!



原因になったコサギは、とっさにヒナの頭をくわえて支えようとした。
それを見た親鳥は、「うちの子に触らないで!」とそのコサギに突進して揉み合いに。
その間にヒナは自力で何とか体勢をたて直し、そろそろと下に降りて行った。



翌11日、コサギの5羽のヒナは、おとなしく水際の巣の中にいた。



それにしても、こんな所に巣はなかったはず。
6月8日の様子。水際には巣は無く、その上の枝にヒナのいるコサギの巣がある。





この巣が、何らかの理由で落下したものと思われる。
6月11日の様子。



翌日12日は久しぶりの雨。次第に激しくなる雨音を家で聞きながら、
この水際の巣が心配でならなかった。
コロニー近くの水位観測所のライブデーターを見ると、
水位がずっと57cm前後だったものが、夜7時に160cmを超えた。
当然この巣は水を被っているはず。
少なくとも2羽は枝に登れたのだから、他のヒナたちも避難できている
ことを願いつつ、
13日に小降りになった雨の中、合羽を着て様子を見に行った。
その頃は水位が100cm以下になっていた。
まだ巣の下半分が水に浸かっている。



夜の暗い濁流の中、ヒナを必死で助けようとしたのか、
羽がひどく汚れているコサギ。



親鳥に餌をねだるヒナを、いくら見ても見ても、4羽しかいない。
親鳥は巣材を探しては、水に浸かった巣をせっせと補強し続けていた。



この巣が落下しなければ・・・・・。
ずっと降らなかった雨が、よりによってこの日に降らなければ・・・・・。

4羽のヒナは、その後すくすく成長し、
今は、巣立った他の巣のコサギのヒナに混じって、元気に
木立の上の方々へ遠征している。



Posted by Ru Na - 2014.07.29,Tue
時間がまた前後するけれど、サギコロニーの報告です。

サギたちが巣作りや抱卵で忙しそうな、5月のサギコロニー。
いち早く抱卵を始めたゴイサギにの巣で、最初のヒナが確認できたのは、
5月23日。そろそろコサギのヒナが誕生してもいい頃。

5月27日。この時期はまだ、これからつがいになろうというサギの
ディスプレイや求愛が方々で見られる。
そんな中に混じって、ひと際目立つディスプレイをするものがいた。

 
ダイサギである。
このコロニーでは、去年もおととしも、ダイサギの繁殖が確認できなかった。
去年は途中から急に若鳥が増えた。他所生まれの子たちのようだった。
今年は非繁殖羽のダイサギをすでに4羽見かけている。

 

嘴が黄色い。これが婚姻色になると、黒色、目先が水色になる。

 

他のサギより大きくて、飾り羽と両翼を思いっきり広げて、
前方に身体を投げ出すように伏せる仕草は、遠目からもとても目立った。
近辺にいた3羽のダイサギのうち1羽が近づいて、
興味深げにしげしげと、一生懸命見つめている。

 

そのうち2羽は寄り添って、仲良く羽づくろいし合い、カップル成立。
♂が巣材を探しに行って、巣作りを始めた。

 

5月29日。コサギの巣一つ、チュウサギの巣二つに
生まれて間もない小さなヒナが見えた。

 

 





Posted by Ru Na - 2014.07.20,Sun
7月19日、鳥調査には少し遅れてしまった。
暑さ続きのこの頃、出かけるのは大抵夕方なので、
久しぶりの午前の強い日差しが、じりじりと焼け付くよう。
緑地公園の芝に、ハシボソが口を開けたまま転がっていた。
いかにも暑そう。ちっとも動かないので、よもや、と思ったが、
帰りにはいなかったので、ただ休んでいただけなのだろう。

橋の上でメンバーに追いつき、イカルチドリを見る。
釣り人にいつもの場所を占領されて、工事現場の水溜りの側にいた。

  

暑いので鳥たちはどこかに潜り込んでいる。
遊歩道脇のクルミの木に、カブトムシがいた。

  

皆大喜びで足を止めると、同じ木に大スズメバチ、コガネムシ。

  

クワガタまでいた!



            
道の前方を、キジの子供が横切って行った。

  

合歓の花が光に透ける。

  

空には入道雲。     
アオサギがいる場所が、一番涼しそうだった。

  

解散後の帰り道、梢で鳴き続けるヒヨドリ。

 

何かくわえたまま、ずっと悲しげに鳴いている。
せっかく見つけた食べ物を、ヒナにあげたいのにヒナが迷子になっているのか。
5分ほど見ていたら、やっと飛んで行った。ヒナを見つけたのだろうか?

緑地公園に、ぴょんと跳んで来た見慣れぬ鳥。
よく見ると、部分白化のハシボソガラスだった。しかも幼鳥。

 

こんなに白いと目立ちすぎて、これから生きていくには大変だろう。
そんなこと意に介さぬ様子で、草をつついたり楽しげに遊んでいた。

 

近くにいた親鳥は、この子が可愛くってしかたがない様子だった。

 

 







Posted by Ru Na - 2014.07.17,Thu
コンセプチュアル・アートの旗手である川原温が、7月11日亡くなった。
概念芸術と訳されるこの前衛芸術は、60年代から70年代にかけ、
現代美術の華だった。
マルセル・デュシャンに端を発し、“コトバ” や “概念” あるいは、“観念”

という、人間という生きものが独自に持っているものを視覚化した表現方法は、
その後の現代アートに常に大きな影響力を持つ事になる。

ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会ったのも、N.Y.におけるオノ・ヨーコの
個展会場の、コンセプチュアルな作品を通じてだった。
画廊の天井まで届くはしごを登って行って、そこに小さな “yes” という文字を
発見したのは衝撃だったと、後年レノンは語っている。

川原温といえば、いつも定型の小型のカンヴァスに、日付だけを記した
「日付絵画」。大抵の現代美術まで扱う美術史の本に載っているし、
欧米各地の現代美術館に作品が収蔵されている。

中日新聞夕刊の、川原温追悼文を読んでいて、ふと思い出したことがあった。
そういえば昔、偶然に川原温氏と言葉を交わしたことがある。

マルセイユの先輩が、日仏芸術家交流展のため名古屋に滞在して作品制作を
することになった時、何故か適当な通訳がなかなか見つからず、
主催者側に要請されて、私が最初の期間だけ通訳することとなり、
急遽名古屋に出向いた。

   

先輩R.B.が制作していたのは、名古屋市内にある大きな現代アートスペースの
敷地内にある大きな倉庫のような建物内だった。
通訳といっても、先輩と同じホテルの別の階に投宿し、朝ロビーで待ち合わせては
近所の喫茶店で朝ごはんを食べ、バスに乗って仕事場に着いたら、制作助手を
努めていた日本人男性や、スペースのスタッフとの会話を訳したり、
作品の材料を探しに公害の産廃場に行って、そこのおじさんと話したり、
スタッフと夕ご飯を食べる時の会話の仲介をするくらいで、
プレスの取材の通訳といった厳密さが必要な事はあまりなく、
制作の合間の気晴らしに、電車に乗って海を見に行ったり、(マルセイユ人は
海なしでは生きていけない。)いたって気楽なもので、
おまけに、フランスで日本を紹介している本に、パチンコの事をとても
ロマンチックに描写してあるらしく、先輩はパチンコに憧れて、来日早々
店に入ってみたが、想像していたとは違って俗悪な遊び。今では嫌悪している。
なんて言いつつ、私を連れてパチンコ屋に入って、
パチンコの仕方まで教えてくれたのだった。

   

ある日、いつものように制作している先輩の側でぶらぶらしていたら、
倉庫の入り口からハンチングを被った男性が、ひょいと顔をのぞかせた。
口早な小さい声で、「川原温だけど、ちょっと様子を見たくてね。」

   

先輩に対する2,3の質問を通訳したが、残念ながらその内容は覚えていない。
川原温さんはほんの数分制作現場を見、ここによく出入りしている有名美術評論家と
立ち去った。
「今の人の名前をもう一度言って。」と先輩。
「カワラ・オンさん。ほら、あの日付をカンバスに描いて並べる・・・。」
「えっ、本当にあの、カワラ・オン?! 彼の作品は大好きだ。
 もっとしゃべりたかったのに・・・・。」

   

その、R先輩も、もうこの世の人ではない。
今頃天国で、思う存分話が出来ていたらいいのに。



   








Posted by Ru Na - 2014.07.15,Tue
日本では日付は変わったが、今日はカトーズ・ジュイエ(7月14日)
フランス革命記念日である。
天声人語にも、日本では「パリ祭」と呼ばれるこの記念日の事が載っていた。

私はカトーズ・ジュイエを、アンジェ(ブルターニュの都市)
で1回、
マルセイユで1回、パリで2回過ごした。
パリでの革命記念日パレードは、時期が時期だから、
ヴァカンスに出ているパリ人も多く、シャンゼリゼ大通りを埋め尽くす見物客は
大半が、外国人観光客のように見えた。
フランスの軍事力を誇示する軍事パレードの様相で、(最近はどうか知らないが)
ミサイルを乗せた車輌、戦車、大統領が乗ったオープンカーなどが
次々と通り過ぎるのを、群集の頭越しに垣間見た。
戦闘機が3色の煙の筋を作って、凱旋門の上を飛んでいく。
そして、花火。1回目にシャンゼリゼのパレードを見た時のこと。
丁度イギリスから遊びに来ていた当時高校生の従妹が、我々のすぐ傍の
凱旋門から上がる、花火の大きな音にひどく怯えたので、早々に退散したのだった。

1789年7月14日、政治犯が多かったバスチーユ監獄を襲撃して、
一般民衆が絶対王政を打ち倒し、「自由、平等、博愛」の社会を作り上げた
その誇りは、紆余曲折を経ながら、今もフランスの民主的な行き方に
連綿と生きていると、滞仏中何度も実感したものだ。

いつの間にか7月も半ば。
民主主義から程遠い形で集団的自衛権容認が閣議決定され、
ブラジルでのサッカーW杯がドイツの優勝で幕を閉じ、
滋賀県知事選では、卒原発を掲げる候補が勝利。
シュワルナゼ元ソ連外相の訃報。ウクライナ東部の混迷、ガザ地区への
イスラエル軍の空爆・・・・・・いろんな事が目まぐるしく起こっている。
復興が依然として進まない東日本。
福島原発のせいで生活を奪われた人々を置き去りにして、
公共事業が各地の自然を破壊し続けている。

   









Posted by Ru Na - 2014.07.07,Mon
6月29日、サギコロニーでサギの繁殖状況を調べるカウント調査を行った。



昨年の河川工事が影響を及ぼしているか、

昨年の同時期に行った調査結果と比較するのが、
今回の重要テーマのひとつである。

その集計結果が出た。
総数は1515羽で、去年より大幅に増た。
ただ、去年は19時でカウントを打ち切った後、
戻って来た大群は数えておらず、今年は30分延長した結果の数。
また、去年は木が茂ってカウントが十分できなかった場所もあり、
若干の増加という結論になった

内訳は、コサギ   257   (400)
     チュウサギ 338   (175)
     ダイサギ    4    (3)
     アマサギ  502   (264)
     ゴイサギ  402   (332)
             括弧内は去年の数。
   その他のサギ 12 (このコロニーで繁殖が確認されていない
              アオサギ、ササゴイ。)

コロニーの主要な営巣場所3箇所のうち(この3箇所が工事で潰されないように
昨年尽力した。)、最初1箇所の木立にばかりサギが集中していたが、
6月13日から、ようやく他の2箇所の木立にも集まり始め、
遅ればせながら営巣を始めている。

ただ数が増えたといっても、近郊の他のサギコロニーが、
木の伐採などにより大幅に縮小しているので、
こちらに来たサギも多いと思われる。
そのコロニーに多かったダイサギが、去年は繁殖が確認されなかった
こちらのコロニーで、ひとつがい営巣している。



他の地方で激減しているらしいコサギが、
ここでも数を減らしているのが気がかりである。

  コサギの巣立ちヒナ。







Posted by Ru Na - 2014.06.29,Sun
コロニーに、どんどん増え続けるアマサギたち。

 

 
方々で恋の駆け引きらしきシーンが展開している。
見ていると、どの子とどの子が本命のカップルなのか分からなくなるくらい、
アマサギ関係はややこしそうである。

いい雰囲気になった2羽が、寄り添って仲良く羽づくろい。



自分の羽を整えながら、互いに相手の羽も嘴でつくろってあげるのは、
コサギやチュウサギの求愛と同じ行動だが、
アマサギは、コサギやチュウサギのように優しくさっと撫でるのではなく、
がしがしと、まるで噛み合っている様相。
何だかとってもやんちゃな感じで、がしがしやっては嬉しそうに顔を見合わせている。

つがいが成立すると、♂が早速巣材を探しに行って♀にプレゼント。

  

   「いいの、見っけ!」

 

 


そして巣作りが始まるが、なかなかはかどらない。
小枝を1本足しては、またがしがしやったり、隣の巣同士で喧嘩したり。
数日後、巣が仕上がっていたが、抱卵するまでまた数日かかった。

 


抱卵を始めても、他のアマサギがちょっかいを出しに来て喧嘩になったり、
アマサギたちの様子は表情豊かで、やんちゃくさいけれどチャーミングである。

 








Posted by Ru Na - 2014.06.28,Sat
アマサギはいつも一足遅れでコロニーに戻って来る。
今年も4月28日に初確認した。
その前に、チラリと茶色い頭が見えた気がしたので、

あるいは、1~2日前に入っていたのかもしれない。

  

初めは3~4羽。枝から枝に飛び、すぐに葉陰に隠れてしまった。
次第に数が増えると、あっちに飛びこっちにとまる、
と何となくうろうろしている観のあるアマサギたちで、
コロニーがいっそう賑やかになった。

 

               チュウサギとツーショット。

サギコロニーで撮影・記録をしていると、よく散歩の人に話しかけられ、
サギの説明を求められる。
「シラサギという名の鳥はいなく、コサギ、チュウサギ、ダイサギ、アマサギを
総称してシラサギ類と呼びます。」「へー、そうですか。」
「あの茶色いアマサギもシラサギ類というのは、繁殖が済むと色が白くなるからです。」
 


婚姻色ではさらに嘴も赤くなる。
ふさふさした明るい茶色をしたアマサギは、本当に美しい鳥である。
シラサギ類では一番小さいが、存在感は抜群。





去年かおととし生まれの若鳥はまだこの茶色が薄く、かすかな茶班以外
ほとんど白く、うっかりするとチュウサギと間違えてしまう。

 

なのに、嘴だけは一人前に婚姻色の赤になっている子もいる。



大人にちょっかいを出しては、そのつど追い払われていた。

 




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