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Posted by Ru Na - 2017.09.30,Sat
その小さな男の子は、にこにこ笑いでうるんだ目を天井に向けたまま、
8畳間の真ん中で、嬉しくってし様がないといった様子で、
小走りのぐるぐる回りをずっと続けていた。
回りすぎて目が回ったのか、最後はぱたっと畳の上に倒れこんで、
それからやっと少し落ち着いた。
幼稚園で仲良しだった男の子が、初めて家に遊びに来た時のこと。
今は亡き幼なじみの彼を思い出す度、何故かこの光景が浮かぶ。

S君は家も近所だったし、共に通っていた幼稚園も近所だったし、
高校を除いて大学までずっと同じ学校だった。
同年代の子供の中でも小柄で幼く見えたが、実は頭がとても良くて
成績が優秀なだけでなく手先がとても器用で、小さい頃から
なんだか色んなものを作っていて、それがあまりに創意工夫に富んで
上手に出来ていたので、よく大人を驚かせていた。

中学生の頃は理科人間になっていて、何でもカエルの心臓移植を
試みたとか、色んな実験に夢中になっているという噂になっていた。
高校は当然県で一番の進学校に行くかと周囲は思っていたが、
ほどほどの進学校へ。それから美大へ。
(まあ私も高校は楽に入れるところを選んだので、当時の美大志願者は
いかに学科の勉強をしたがらなかったかの傾向が、これでちょっと
見えてくるかもしれない。)
この頃、美大入試のための予備校ー美術研究所では、学校の試験で
0点を何枚取ったかが手柄話だった。

高校生のS君はすっかりニヒルになって、ショーペンハウエルなど
読みふけり、社会を斜から鋭い目で見ているようだった。
美術研究所には浪人生が多かった。(当時、美大の油・彫刻に
現役で入るのは至難だった。)
この時分のS君は、実社会を見てきた浪人生たちと一緒になって、
ずい分鋭い社会批判や皮肉っぽい人生論を展開させていて、
ちょっと近寄りがたい雰囲気になっていた。

科は違うが同じ美大に同時期に入った訳だが、いつの間にか疎遠に
なって、気がついたらS君は日展に出品するようになっていた。
何でまた日展!!??
今はどうか知らないが、当時の純美の美大生の大半が、
(というより、私の周囲にいた人たちが)、既成の権威やアカデミズム
(後で考えれば、本当の意味のアカデミズムでは無かったのだが。)に
批判的で、公募展美術団体や元官製の展覧会である日展、
特に「日展なんか・・」と、その権威を頭から否定していたものだ。
だから教授に言われるままに日展に出品している学生との間に、
何か見えない線が引かれているように感じることすらあった。

S君は、本質的に非常に真面目だった。生真面目すぎるくらいだった
かもしれない。

そのS君がまだ園児だった頃に私にくれたのが、
お手本なしで自分で工夫して作ったスズメの折り紙だった。




 ー 続く -









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金沢市在住の美術家
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