見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
Posted by Ru Na - 2014.07.17,Thu
コンセプチュアル・アートの旗手である川原温が、7月11日亡くなった。
概念芸術と訳されるこの前衛芸術は、60年代から70年代にかけ、
現代美術の華だった。
マルセル・デュシャンに端を発し、“コトバ” や “概念” あるいは、“観念”
という、人間という生きものが独自に持っているものを視覚化した表現方法は、
その後の現代アートに常に大きな影響力を持つ事になる。
ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会ったのも、N.Y.におけるオノ・ヨーコの
個展会場の、コンセプチュアルな作品を通じてだった。
画廊の天井まで届くはしごを登って行って、そこに小さな “yes” という文字を
発見したのは衝撃だったと、後年レノンは語っている。
川原温といえば、いつも定型の小型のカンヴァスに、日付だけを記した
「日付絵画」。大抵の現代美術まで扱う美術史の本に載っているし、
欧米各地の現代美術館に作品が収蔵されている。
中日新聞夕刊の、川原温追悼文を読んでいて、ふと思い出したことがあった。
そういえば昔、偶然に川原温氏と言葉を交わしたことがある。
マルセイユの先輩が、日仏芸術家交流展のため名古屋に滞在して作品制作を
することになった時、何故か適当な通訳がなかなか見つからず、
主催者側に要請されて、私が最初の期間だけ通訳することとなり、
急遽名古屋に出向いた。
先輩R.B.が制作していたのは、名古屋市内にある大きな現代アートスペースの
敷地内にある大きな倉庫のような建物内だった。
通訳といっても、先輩と同じホテルの別の階に投宿し、朝ロビーで待ち合わせては
近所の喫茶店で朝ごはんを食べ、バスに乗って仕事場に着いたら、制作助手を
努めていた日本人男性や、スペースのスタッフとの会話を訳したり、
作品の材料を探しに公害の産廃場に行って、そこのおじさんと話したり、
スタッフと夕ご飯を食べる時の会話の仲介をするくらいで、
プレスの取材の通訳といった厳密さが必要な事はあまりなく、
制作の合間の気晴らしに、電車に乗って海を見に行ったり、(マルセイユ人は
海なしでは生きていけない。)いたって気楽なもので、
おまけに、フランスで日本を紹介している本に、パチンコの事をとても
ロマンチックに描写してあるらしく、先輩はパチンコに憧れて、来日早々
店に入ってみたが、想像していたとは違って俗悪な遊び。今では嫌悪している。
なんて言いつつ、私を連れてパチンコ屋に入って、
パチンコの仕方まで教えてくれたのだった。
ある日、いつものように制作している先輩の側でぶらぶらしていたら、
倉庫の入り口からハンチングを被った男性が、ひょいと顔をのぞかせた。
口早な小さい声で、「川原温だけど、ちょっと様子を見たくてね。」
先輩に対する2,3の質問を通訳したが、残念ながらその内容は覚えていない。
川原温さんはほんの数分制作現場を見、ここによく出入りしている有名美術評論家と
立ち去った。
「今の人の名前をもう一度言って。」と先輩。
「カワラ・オンさん。ほら、あの日付をカンバスに描いて並べる・・・。」
「えっ、本当にあの、カワラ・オン?! 彼の作品は大好きだ。
もっとしゃべりたかったのに・・・・。」
その、R先輩も、もうこの世の人ではない。
今頃天国で、思う存分話が出来ていたらいいのに。
概念芸術と訳されるこの前衛芸術は、60年代から70年代にかけ、
現代美術の華だった。
マルセル・デュシャンに端を発し、“コトバ” や “概念” あるいは、“観念”
という、人間という生きものが独自に持っているものを視覚化した表現方法は、
その後の現代アートに常に大きな影響力を持つ事になる。
ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会ったのも、N.Y.におけるオノ・ヨーコの
個展会場の、コンセプチュアルな作品を通じてだった。
画廊の天井まで届くはしごを登って行って、そこに小さな “yes” という文字を
発見したのは衝撃だったと、後年レノンは語っている。
川原温といえば、いつも定型の小型のカンヴァスに、日付だけを記した
「日付絵画」。大抵の現代美術まで扱う美術史の本に載っているし、
欧米各地の現代美術館に作品が収蔵されている。
中日新聞夕刊の、川原温追悼文を読んでいて、ふと思い出したことがあった。
そういえば昔、偶然に川原温氏と言葉を交わしたことがある。
マルセイユの先輩が、日仏芸術家交流展のため名古屋に滞在して作品制作を
することになった時、何故か適当な通訳がなかなか見つからず、
主催者側に要請されて、私が最初の期間だけ通訳することとなり、
急遽名古屋に出向いた。
先輩R.B.が制作していたのは、名古屋市内にある大きな現代アートスペースの
敷地内にある大きな倉庫のような建物内だった。
通訳といっても、先輩と同じホテルの別の階に投宿し、朝ロビーで待ち合わせては
近所の喫茶店で朝ごはんを食べ、バスに乗って仕事場に着いたら、制作助手を
努めていた日本人男性や、スペースのスタッフとの会話を訳したり、
作品の材料を探しに公害の産廃場に行って、そこのおじさんと話したり、
スタッフと夕ご飯を食べる時の会話の仲介をするくらいで、
プレスの取材の通訳といった厳密さが必要な事はあまりなく、
制作の合間の気晴らしに、電車に乗って海を見に行ったり、(マルセイユ人は
海なしでは生きていけない。)いたって気楽なもので、
おまけに、フランスで日本を紹介している本に、パチンコの事をとても
ロマンチックに描写してあるらしく、先輩はパチンコに憧れて、来日早々
店に入ってみたが、想像していたとは違って俗悪な遊び。今では嫌悪している。
なんて言いつつ、私を連れてパチンコ屋に入って、
パチンコの仕方まで教えてくれたのだった。
ある日、いつものように制作している先輩の側でぶらぶらしていたら、
倉庫の入り口からハンチングを被った男性が、ひょいと顔をのぞかせた。
口早な小さい声で、「川原温だけど、ちょっと様子を見たくてね。」
先輩に対する2,3の質問を通訳したが、残念ながらその内容は覚えていない。
川原温さんはほんの数分制作現場を見、ここによく出入りしている有名美術評論家と
立ち去った。
「今の人の名前をもう一度言って。」と先輩。
「カワラ・オンさん。ほら、あの日付をカンバスに描いて並べる・・・。」
「えっ、本当にあの、カワラ・オン?! 彼の作品は大好きだ。
もっとしゃべりたかったのに・・・・。」
その、R先輩も、もうこの世の人ではない。
今頃天国で、思う存分話が出来ていたらいいのに。
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金沢市在住の美術家
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