見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
Posted by Ru Na - 2014.03.19,Wed
ウクライナ情勢は、ロシアがロシア系住民が多いクリミア半島に介入し、
それに対する欧米各国の非難の渦の中、クリミアではその帰属を巡っての
住民投票が行われた事で、ますます混乱を極めている。
私にはロシア人とウクライナ人の違いが分からない。
少し調べてみても、旧ユーゴスラビアのように、ルーツがほぼ同じ人々が
歴史や文化の違いで、○○民族といったように分化していったような印象を受ける。
それより、6世紀のウクライナ地域に「ハザール王国」という、
今だ謎多い改宗ユダヤ教国が勃興していたという、興味深い事を知った。
キエフ・ロシア王国、ビザンチン帝国、それに続く蒙古来襲の「タタールのくびき」。
「ウクライナ・コサック集団」による自治国。リトアニアやポーランドによる支配。
ロシア帝国によるロシア化、と、あまりにも複雑な歴史。
歴代のロシア皇帝によるユダヤ人追放令が続いたが、エカテリーナ2世の時代、
ポーランド分割によってユダヤ人口が一気に増えたという。
(その頃のこの地域はポーランド領だったらしい。)
居住区域の制限、改宗への強要など、ロシア帝国内の反ユダヤは続き、
「屋根の上のバイオリン弾き」に描かれているような、
本格的なユダヤ人迫害「ポグロム」は、ウクライナのオデッサから始まったという。
そのため米国に移住するユダヤ人も増え、ユダヤ系アメリカ人になった。
ロシア革命では、ユダヤ人の活躍が大きな役割を担った。(トロツキーもユダヤ系。)
しかし革命政府で重要な位置を占めていた大勢のユダヤ人も、
1930年のスターリンの大粛清に遭う。
ウラディミール・ホロヴィッツは1903年ウクライナのユダヤ人家庭に生まれる。
母にピアノの手ほどきを受け、9才でキエフ音楽院に入学。17才で卒業。
ソ連国内での演奏活動を始めるが、シュナーベル (ベートーヴェン演奏高く評価された
名ピアニスト。グレン・グールドにとっても子供の頃のアイドルだったらしい。)
に師事するという理由で出国。そのまま亡命生活に入った。
丁度ソ連ではユダヤ人への風当たりが強くなっていた頃である。
1928年にアメリカデビュー。驚異的なヴィルテュオーゾ、世紀の大ピアニスト
として、世界にその名を馳せた。
現在もそうなのかもしれないが、当時の米国の聴衆は曲芸師的な名人芸に
拍手喝采する傾向があったという。
その雰囲気を、ツァーで訪れたリヒテルは、こんな国に亡命するなんて
考えもしなかったと言い、
各国のコンサート廻りをしていた吉田秀和氏も、あまり好きではなかったらしい。
ホロヴィッツは演奏活動を4回中断している。
その度に、トスカニーニの娘である奥さんのワンダさんに叱咤激励されて、
公演に復帰したが、神経質なところがあったという彼は、本当は
熱狂する聴衆の前で弾くのは好きではなかったかもしれない。
30歳ほど年下のグレン・グールドが、あっさりコンサート活動をやめてしまった時、
どのように感じただろうか。
不調に終わって、吉田秀和氏に「ひびの入った骨董」と評された83年の第1回来日公演後、
見事に復活し、86年の里帰り公演、モスクワコンサートの録音を聴くと、
並々ならぬ熱のこもり方を感じる。異様なほどの高揚感。
私がホロヴィッツに惹き込まれたのは、このモスクワライヴを聴いてからである。
ー 続く ―
それに対する欧米各国の非難の渦の中、クリミアではその帰属を巡っての
住民投票が行われた事で、ますます混乱を極めている。
私にはロシア人とウクライナ人の違いが分からない。
少し調べてみても、旧ユーゴスラビアのように、ルーツがほぼ同じ人々が
歴史や文化の違いで、○○民族といったように分化していったような印象を受ける。
それより、6世紀のウクライナ地域に「ハザール王国」という、
今だ謎多い改宗ユダヤ教国が勃興していたという、興味深い事を知った。
キエフ・ロシア王国、ビザンチン帝国、それに続く蒙古来襲の「タタールのくびき」。
「ウクライナ・コサック集団」による自治国。リトアニアやポーランドによる支配。
ロシア帝国によるロシア化、と、あまりにも複雑な歴史。
歴代のロシア皇帝によるユダヤ人追放令が続いたが、エカテリーナ2世の時代、
ポーランド分割によってユダヤ人口が一気に増えたという。
(その頃のこの地域はポーランド領だったらしい。)
居住区域の制限、改宗への強要など、ロシア帝国内の反ユダヤは続き、
「屋根の上のバイオリン弾き」に描かれているような、
本格的なユダヤ人迫害「ポグロム」は、ウクライナのオデッサから始まったという。
そのため米国に移住するユダヤ人も増え、ユダヤ系アメリカ人になった。
ロシア革命では、ユダヤ人の活躍が大きな役割を担った。(トロツキーもユダヤ系。)
しかし革命政府で重要な位置を占めていた大勢のユダヤ人も、
1930年のスターリンの大粛清に遭う。
ウラディミール・ホロヴィッツは1903年ウクライナのユダヤ人家庭に生まれる。
母にピアノの手ほどきを受け、9才でキエフ音楽院に入学。17才で卒業。
ソ連国内での演奏活動を始めるが、シュナーベル (ベートーヴェン演奏高く評価された
名ピアニスト。グレン・グールドにとっても子供の頃のアイドルだったらしい。)
に師事するという理由で出国。そのまま亡命生活に入った。
丁度ソ連ではユダヤ人への風当たりが強くなっていた頃である。
1928年にアメリカデビュー。驚異的なヴィルテュオーゾ、世紀の大ピアニスト
として、世界にその名を馳せた。
現在もそうなのかもしれないが、当時の米国の聴衆は曲芸師的な名人芸に
拍手喝采する傾向があったという。
その雰囲気を、ツァーで訪れたリヒテルは、こんな国に亡命するなんて
考えもしなかったと言い、
各国のコンサート廻りをしていた吉田秀和氏も、あまり好きではなかったらしい。
ホロヴィッツは演奏活動を4回中断している。
その度に、トスカニーニの娘である奥さんのワンダさんに叱咤激励されて、
公演に復帰したが、神経質なところがあったという彼は、本当は
熱狂する聴衆の前で弾くのは好きではなかったかもしれない。
30歳ほど年下のグレン・グールドが、あっさりコンサート活動をやめてしまった時、
どのように感じただろうか。
不調に終わって、吉田秀和氏に「ひびの入った骨董」と評された83年の第1回来日公演後、
見事に復活し、86年の里帰り公演、モスクワコンサートの録音を聴くと、
並々ならぬ熱のこもり方を感じる。異様なほどの高揚感。
私がホロヴィッツに惹き込まれたのは、このモスクワライヴを聴いてからである。
ー 続く ―
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職業:
金沢市在住の美術家
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