見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
Posted by Ru Na - 2012.12.30,Sun
5月に音楽評論家吉田秀和氏が亡くなった後も、残された原稿を元に
そのシリーズが続いていたFMラジオ番組「名曲のたのしみ」も、いよいよ最終回。
特別番組が今日の午後、5時間近く放送された。
この長寿番組の90年代以前の録音が
放送局に残っていないとのことで、
だいぶ前からリスナーに、録音テープの提供が
呼びかけられていた。
まだ全部は揃っていないらしいが、
月に一度の「私の試聴室」を中心に、
テーマごとに過去の番組の一部が
放送された。
それで、私がこの番組を聴き始める
以前の話を聞くことができた。
最初は同作曲家の曲の、
色んな演奏家による聴き比べ。
スカルラッティとショパンが取り上げられた。
ギレリスの繊細さ、ホロヴィッツの音の持つ色彩。
そして、ルービンシュタインによるショパンのワルツ嬰ハ短調。
このワルツは、高校生の頃、放課後音楽室に集まった女の子たちが弾き競う
定番の曲だったが、私にとってもショパンの魅力に惹き込まれた特別な曲だった。
曲の終わりのあたりの響きに、何故かパリの空気そのものが感じられて、
仏留学から帰国した頃、やたらこの曲ばかり弾いていた。
それもそのはず、ショパンは故国を離れてからパリに生き、パリで亡くなったのだから。
ショパンに惹きつけられ始めた十代の頃、TVでルービンシュタインがこのワルツを
弾く番組を見て、この曲の最も好ましい解釈だと思った。
それは今も変わらない。
その理由を今回、吉田秀和さんが「客観的なショパン」と評する言葉を聞いて、
まさしくそのとおり、と納得したのだった。
「この人のショパンを聴いていると、人生そう悪いものではないという気がしてきます。」
ショパンの音楽は、うつろい消え去るものへの哀惜の想いに満ちている。
とどまることがない時の流れに、人生が思うようにならない「切なさ」。
このような音楽には、情感のストレートな発露より、存在の悲哀を少し離れたところから
見つめた方が、去りゆく時のきらめきを惜しみ悲しむ情が、懐かしい風の香りに想うような、
思い出の中の透明な美しさまで昇華されるような気がする。
番組はその年亡くなった音楽家への追悼特集、
それを聞くとその演奏家の演奏が聴きたくなる
名批評と続いた。
イギリスの作曲家ブリテンのオペラがかかると、
庭にミカンやリンゴを食べに来ているヒヨドリが、
窓辺で一緒に可愛らしい声で歌っていた!
吉田秀和さんがよく取り上げた演奏家として、
マルタ・アルゲリッチと、そしてもちろんグレン・グールド。
それから番組の終の方で、マレイ・ペライヤによるモーツァルトのピアノ協奏曲No.27。
このモーツァルト最後のピアノ協奏曲は、私もモーツァルトの中で特別好きな曲。
「彼の音楽にはとても深い悲しみがあって、それは他の人の入る余地のないもの。」
という言葉は、氏と親交のあった小林秀雄の有名な「疾走する悲しみ」と並んで、
モーツァルトの音楽のあまりにもの美しさの本質をズバリと言い当てているのでは。
モーツァルトの名演奏家として、ペライヤを氏はとても高く評価していたらしい。
ペライヤのナイーヴなバッハを私も好きだけれど、今度もっとモーツァルトも聴いてみよう。
年末の慌ただしさが嫌いである。
腹ただしいくらいの気ぜわしさの中で、
吉田秀和さんの暖かで優しい口調と共に
音楽に浸りながら、色んな用事をしていた
この日、豊かな時間を持つことができた。
改めて聴く吉田秀和さんの、言葉による的確な評。
音楽というこの名状し難く捉え難いものを、これ以上ピタリと言い表すことは、
出来ないのではないかと思われるくらい、平易で明快な言語表現によって、
その音楽がより身近で具体的な、まるで手で触れる何かになったように思えてくる。
吉田秀和氏の言葉には、書かれたものも語られたものも、直接心に入り込み、
何か心の底まで洗われるような、澄みきった想いにさせられる。
今回集まった過去の録音を全て、もう一度再放送して欲しい。
日常に寄り添うラジオの放送で、これからも吉田秀和さんの言葉に、
定期的に触れたいから。
そのシリーズが続いていたFMラジオ番組「名曲のたのしみ」も、いよいよ最終回。
特別番組が今日の午後、5時間近く放送された。
この長寿番組の90年代以前の録音が
放送局に残っていないとのことで、
だいぶ前からリスナーに、録音テープの提供が
呼びかけられていた。
まだ全部は揃っていないらしいが、
月に一度の「私の試聴室」を中心に、
テーマごとに過去の番組の一部が
放送された。
それで、私がこの番組を聴き始める
以前の話を聞くことができた。
最初は同作曲家の曲の、
色んな演奏家による聴き比べ。
スカルラッティとショパンが取り上げられた。
ギレリスの繊細さ、ホロヴィッツの音の持つ色彩。
そして、ルービンシュタインによるショパンのワルツ嬰ハ短調。
このワルツは、高校生の頃、放課後音楽室に集まった女の子たちが弾き競う
定番の曲だったが、私にとってもショパンの魅力に惹き込まれた特別な曲だった。
曲の終わりのあたりの響きに、何故かパリの空気そのものが感じられて、
仏留学から帰国した頃、やたらこの曲ばかり弾いていた。
それもそのはず、ショパンは故国を離れてからパリに生き、パリで亡くなったのだから。
ショパンに惹きつけられ始めた十代の頃、TVでルービンシュタインがこのワルツを
弾く番組を見て、この曲の最も好ましい解釈だと思った。
それは今も変わらない。
その理由を今回、吉田秀和さんが「客観的なショパン」と評する言葉を聞いて、
まさしくそのとおり、と納得したのだった。
「この人のショパンを聴いていると、人生そう悪いものではないという気がしてきます。」
ショパンの音楽は、うつろい消え去るものへの哀惜の想いに満ちている。
とどまることがない時の流れに、人生が思うようにならない「切なさ」。
このような音楽には、情感のストレートな発露より、存在の悲哀を少し離れたところから
見つめた方が、去りゆく時のきらめきを惜しみ悲しむ情が、懐かしい風の香りに想うような、
思い出の中の透明な美しさまで昇華されるような気がする。
番組はその年亡くなった音楽家への追悼特集、
それを聞くとその演奏家の演奏が聴きたくなる
名批評と続いた。
イギリスの作曲家ブリテンのオペラがかかると、
庭にミカンやリンゴを食べに来ているヒヨドリが、
窓辺で一緒に可愛らしい声で歌っていた!
吉田秀和さんがよく取り上げた演奏家として、
マルタ・アルゲリッチと、そしてもちろんグレン・グールド。
それから番組の終の方で、マレイ・ペライヤによるモーツァルトのピアノ協奏曲No.27。
このモーツァルト最後のピアノ協奏曲は、私もモーツァルトの中で特別好きな曲。
「彼の音楽にはとても深い悲しみがあって、それは他の人の入る余地のないもの。」
という言葉は、氏と親交のあった小林秀雄の有名な「疾走する悲しみ」と並んで、
モーツァルトの音楽のあまりにもの美しさの本質をズバリと言い当てているのでは。
モーツァルトの名演奏家として、ペライヤを氏はとても高く評価していたらしい。
ペライヤのナイーヴなバッハを私も好きだけれど、今度もっとモーツァルトも聴いてみよう。
年末の慌ただしさが嫌いである。
腹ただしいくらいの気ぜわしさの中で、
吉田秀和さんの暖かで優しい口調と共に
音楽に浸りながら、色んな用事をしていた
この日、豊かな時間を持つことができた。
改めて聴く吉田秀和さんの、言葉による的確な評。
音楽というこの名状し難く捉え難いものを、これ以上ピタリと言い表すことは、
出来ないのではないかと思われるくらい、平易で明快な言語表現によって、
その音楽がより身近で具体的な、まるで手で触れる何かになったように思えてくる。
吉田秀和氏の言葉には、書かれたものも語られたものも、直接心に入り込み、
何か心の底まで洗われるような、澄みきった想いにさせられる。
今回集まった過去の録音を全て、もう一度再放送して欲しい。
日常に寄り添うラジオの放送で、これからも吉田秀和さんの言葉に、
定期的に触れたいから。
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