見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
Posted by Ru Na - 2010.09.06,Mon
昨日、金沢21世紀美術館が、作品が一切ない状態で無料開放された。
建物の設計者がブリツカー賞を受賞した記念に、建築そのものを
鑑賞してほしいという趣向らしい。
OEK-オーケストラ・アンサンブル金沢が、何もない空間で演奏するというので、
夕方やっと手が空いたとき、せめて5分でも、と駆け足で行って来た。
着いたのは閉館10分前。
もう演奏は終わっているかもしれない、と思いつつ入ってみると、
まだ沢山の人が行き来し、最初に入った小さな部屋では
OEKのヴァイオリニスト江原さん達のバッハインヴェンションとモーツァルトを
聴くことができた!
まだ多くの人が帰ろうともせずうろうろし、他の部屋からも音楽が聞こえる。
いくつかの部屋では、演奏が終わった後の楽器や椅子だけがガランとした空間に
残っていたりして、初めてこの美術館の空間を美しいと感じた。
中庭では、指揮者井上道義氏がキーボードを使っての作曲に余念がなく、
スタッフに、「マエストロ、もうお時間です。」と声をかけられ、
やっと立ち上がったので、閉館となった。
この美術館ができてから6年になるが、いつ行っても落ち着かず、
ゆっくり展覧会を鑑賞したという気分には、なかなかなれない。
特に、夏は最悪で、日比野克彦のプロジェクトで、外壁のガラスが
すべて朝顔で覆われた時だけ、息がつけた。
また、みぞれの降る日などはこの建物も悪くないと思えるが、
同じ現代建築でも、大阪の天保山サントリーミュージアムのように、
ゆったりくつろげるスペースが、どこにもない。
そのせいか、美術関係者以外の私の周囲の人からは、
もう二度と行きたくない、なぜもっと木を植えないのかしら、という声をよく聞く。
建築が新しすぎてついていけない、というより、陰影のない空間に対する拒絶反応のよう。
建築を外部から造型作品のように捉える見方と、その建築が生活圏にある住民の感覚との
ギャップを感じてしまう。
どんな生き物も、ちょっとした隠れ場所になるような空間を必要とする。
古い家には大抵そのような隅っこがあって、それが子供の頃は
なにか得体の知れない怖い所だったり、安心できる場所になったりする。
現代建築でも、何かそのような感覚を含んでいるものは、
長く居ても心地よい。
私が通った幼稚園は、近年、ヴォーリズの手になるものと判明し、
6月にヴォーリズの研究者による講演会があった。
100年前の建設当時、日本ではたいへん新しい建築であった訳だが、
ヴォーリズはシンプルだけれど合理的で、あくまで居心地の良い空間に
こだわった人なので、どんな子供でも必ずこの建物の中に、
自分の居場所を見つけられるようにできている、と聞くと、
子供の頃、この幼稚園が大好きだったことを思い出し、
いろいろと納得したのだった。
美術館を出て振り返ると、建物の屋根に小鳥が二羽。
後で図鑑で調べると、どうもコジュリンのよう。
早速、野鳥の会の友人に問い合わせたところ、
ハクセキレイでは、という返事だった。
二羽ともとても丸い体型をしていたので、あのスリムなセキレイとは
思わなかったけれど、言われてみれば、ちょこちょことした歩き方には
見覚えがあった。
虫の食べすぎで、メタボになってしまったのかしら。
建物の設計者がブリツカー賞を受賞した記念に、建築そのものを
鑑賞してほしいという趣向らしい。
OEK-オーケストラ・アンサンブル金沢が、何もない空間で演奏するというので、
夕方やっと手が空いたとき、せめて5分でも、と駆け足で行って来た。
着いたのは閉館10分前。
もう演奏は終わっているかもしれない、と思いつつ入ってみると、
まだ沢山の人が行き来し、最初に入った小さな部屋では
OEKのヴァイオリニスト江原さん達のバッハインヴェンションとモーツァルトを
聴くことができた!
まだ多くの人が帰ろうともせずうろうろし、他の部屋からも音楽が聞こえる。
いくつかの部屋では、演奏が終わった後の楽器や椅子だけがガランとした空間に
残っていたりして、初めてこの美術館の空間を美しいと感じた。
中庭では、指揮者井上道義氏がキーボードを使っての作曲に余念がなく、
スタッフに、「マエストロ、もうお時間です。」と声をかけられ、
やっと立ち上がったので、閉館となった。
この美術館ができてから6年になるが、いつ行っても落ち着かず、
ゆっくり展覧会を鑑賞したという気分には、なかなかなれない。
特に、夏は最悪で、日比野克彦のプロジェクトで、外壁のガラスが
すべて朝顔で覆われた時だけ、息がつけた。
また、みぞれの降る日などはこの建物も悪くないと思えるが、
同じ現代建築でも、大阪の天保山サントリーミュージアムのように、
ゆったりくつろげるスペースが、どこにもない。
そのせいか、美術関係者以外の私の周囲の人からは、
もう二度と行きたくない、なぜもっと木を植えないのかしら、という声をよく聞く。
建築が新しすぎてついていけない、というより、陰影のない空間に対する拒絶反応のよう。
建築を外部から造型作品のように捉える見方と、その建築が生活圏にある住民の感覚との
ギャップを感じてしまう。
どんな生き物も、ちょっとした隠れ場所になるような空間を必要とする。
古い家には大抵そのような隅っこがあって、それが子供の頃は
なにか得体の知れない怖い所だったり、安心できる場所になったりする。
現代建築でも、何かそのような感覚を含んでいるものは、
長く居ても心地よい。
私が通った幼稚園は、近年、ヴォーリズの手になるものと判明し、
6月にヴォーリズの研究者による講演会があった。
100年前の建設当時、日本ではたいへん新しい建築であった訳だが、
ヴォーリズはシンプルだけれど合理的で、あくまで居心地の良い空間に
こだわった人なので、どんな子供でも必ずこの建物の中に、
自分の居場所を見つけられるようにできている、と聞くと、
子供の頃、この幼稚園が大好きだったことを思い出し、
いろいろと納得したのだった。
美術館を出て振り返ると、建物の屋根に小鳥が二羽。
後で図鑑で調べると、どうもコジュリンのよう。
早速、野鳥の会の友人に問い合わせたところ、
ハクセキレイでは、という返事だった。
二羽ともとても丸い体型をしていたので、あのスリムなセキレイとは
思わなかったけれど、言われてみれば、ちょこちょことした歩き方には
見覚えがあった。
虫の食べすぎで、メタボになってしまったのかしら。
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金沢市在住の美術家
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