福島県相馬市の野馬追が開催したと報じられた。
今年はこの酷い震災の影響で、開催が危ぶまれていたので、
思わず姿勢を正して、この嬉しいニュースを聞き、夜のTVニュースでその映像も見た。
平将門とその家臣たちの子孫が
甲冑に身を固め、
馬で野を駆ける勇壮な祭りは、
国の重要無形民族文化財。
まだ直に見たことがないが、
日本の数ある祭りの中でも、
特に心惹かれている。
野馬追の公式HP
http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/
人も馬も多くが被災し、メイン会場は福島第1原発から30kmの
緊急避難準備地域にあるので、規模を縮小して行われるというが、
復興を目指す旗印として、今日の北陸地方の夕刊でも大きく取り上げられていた。
その自然、歴史文化、産業。いずれの分野でも日本で重要な位置を占めているのに、
わりと控えめなので、私は福島県が、北海道、岩手についで3番目に大きな面積を持つ
県とは知らなかったのだった。
地震と津波、原発事故による放射能汚染で傷だらけの「うつくしま」福島県。
よくぞこの困難な状況で開催にこぎつけたと、日本中でエールを送っているだろう。
私もその一人である。
関係ないけれど、
京都のとあるお寺の
庭にある、
柱頭が馬の、謎の柱。
今日の金沢は36℃まで気温が上昇し、全国一の暑さになった。
夜9時現在でも31℃を超えている。
金沢は地形の関係か、夜中に気温がぐんぐん上がることが、ここ近年増えているよう。
昨夜も26℃まで一旦下がった気温が、夜半過ぎから再び上昇に転じた。
先日も夜中の気温が日中より高かった。
これでは、南仏流避暑術も効かないではないか。
“南仏流避暑術”とは・・・
私が昔住んだことのある
南仏の伝統的家屋は、
壁が厚くて窓が小さい。
暑い日中は窓をぴったり
閉めて、熱風が室内に
入るのを避ける。
夕方外気が涼しくなったら
窓を大きく開けて、
夜の間に冷たい空気を
室内に溜めておく。
日本の夏は、南仏より
暑いのに、家屋の窓や
開口部は大きい。
そこらじゅう木があって地面が土だらけの昔だったら、
すだれを吊って、戸や窓を開け放って風を通せば、それなりに涼しかった。
けれども今では、コンクリートとアスファルトだらけ。それに平均気温はかなり高くなっている。
そこで、朝暑くなる前に、窓を閉めて熱気を避けて、夜涼しくなったら外気を入れる。
これで次の日の午前中いっぱいくらいは、冷房なしで家の中が涼しい。
ということをやってきたが、近頃は夜も冷えないので、この方法も効果がなくなりつつある。
で、結局深夜の余剰電気を使って、エアコンで朝まで冷やして、午前中はその冷気で過ごす
ということになる。
一般家庭の電力消費量は、全体の1割程度。そのピークは夜7時頃らしい。
昼間のピークは、主に企業よ工場、商業施設などによるものという。
就業時間のシフトなどによって、この夏は皆、節電の努力をかなりしているようだが、
それでも、戸を開け放って道路まで冷やしている商店街や、
外の明るさで、点いているのがほとんど気がつかないのにつけっ放しの照明など、
無駄としか思えない電力消費はやめて欲しい。
その分を、熱中症弱者の健康管理のために回してもらいたい。
一般家庭でも、白熱電球をやめて、蛍光電球に換えるだけでも(LED電球はまだ高価い。)
かなりの節電になる。
単純に計算して、一日10時間使う60W電球を、その四分の一の消費量の蛍光電球に
換えるだけで、ひと月に1万3千5百W/hの節電ができることになる。
それにしても今年は
体が慣れる間も無く
気温が高くなったので、
さらに熱中症になる
人数が増大しそう。
節電を言うなら、
もっときめ細かに
いろんな情報を
出すべき。そして、
まるで戦時中のように
我慢を強いるだけなら、
せっかくの、
電力無駄遣いを
見直す機会が、
一過性で終わってしまう。
ところで、被災地の暑さ対策は、どの程度整っているのだろうか。
避難所でも、仮設住宅でも、ただでさえハードな思いをしている同邦人が、
さらに猛暑の追い打ちに悩まされないように、何かいい対策がなされるのを願っている。
既に6月は、全国的に気象観測始まって以来の高温記録を更新したという。
昨夏の熱中症による病院搬送者は、石川県でも600人を超えていたらしいが、
今年は既に40数人が搬送されたという。
全国でも、搬送者は去年のこの時期の3倍を超えているらしい。
震災による福島第1原発事故
の影響で、点検中の
他の原発の再稼働が
出来なくなっているのは、
結構な事と思うが、
-原発を動かさないと
こんなに電力が足りなくなるよ-
と、まるで脅しのような
一律〇%の節電が
呼びかけられているので、
こんなことになるのではと、
危惧していた。
この際、無駄なエネルギー
消費を見直す良い契機では
あるけれど、
あまりにも杓子定規では、
生命の危機にさらされて
しまう。
やっと最近、熱中症弱者は
エアコンを控えすぎるのを
やめましょう、と言われるように
なった。
年配者だけでなく、
暑さで持病が悪化する者も
要注意である。
皮膚疾患を持つ私にも、暑さは大敵。
電力が足りなくなる可能性がある時間帯は、昼間の2〜3時間。
そのピーク時にあわせて発電しているので、
その他の時間帯は余った電力を捨てていると聞いた。
暑さに強い健康な人でも、夜は涼しくして質の良い睡眠を取りましょう、
とTVで呼びかけていた。
それでも、せっかくだから我が家でも何かもっと涼しくなる工夫をと、
いつもの簾に加えてグリーンカーテンを試してみようということになって、
プランターにアサガオ、フウセンカズラ、ゴーヤを植えた。
本当は午後の陽が
一番当たる場所に
置きたかったが、
庭に出るための踏み台
やら、いろんな物で無理。
それでもしばらくは
強い日差しを遮って
くれる。
一番伸びているのは
アサガオ。
その葉を見るだけで
涼やかな気分になる。
今日でチェルノブイリ原発事故が起きてから25年。
当初はわりと呑気でいたが、しだいに事の重大さに気が付いてから、
私の中で世界が一変してしまった。
新しさをとにかく礼賛し、何につけ変化が当たり前で良い事という風潮が、
あまりにも強い日本で、失われていくものに悲しみばかり感じていた20代、
留学先したフランスには、まったく逆の、好もしく思う価値観があった。
歴史や時の記憶を日常生活に至るまでそのまま留め、
古いものを古いというだけでむやみに捨てることのない世界だった。
中世の教会でも現在の建物でも、古代ローマの神殿の柱や建材を
そのまま利用している所が多いのには驚いたが、第二次大戦時に独軍が残した
壕まで住宅に転用しているものまで見かけた時には、さらに驚いた。
フランスでは家具付きの貸し部屋が多く、実際私が住んだ何箇所かの部屋にも、
大抵100年は経っていると思われる家具や食器があって、ありがたく使わせてもらった。
人が乗って扉を閉めなければ電気が流れない、時代物の鉄かごのようなエレベーターは
ごく一般的。人が通る間だけ点灯する建物内の廊下や階段の灯り。
新しいものはめったに買わない代わり、どうやっても動かない家電でも、
そのまま持ち続けている友人も多かった。
よく、日本は自然と調和した生活をしているが、欧州は人間中心主義で
自然を支配しようとしている、と言われるが、私の見たところ、
田園でも山岳地帯でも、ずいぶん自然が大事にされているように感じられた。
清掃人が日常に掃除しない場所では、日本の河川のようなゴミの散乱は
あまり見られなかったし、道路は大木を避けて迂回したり地形を大切にし、
都会でも夜の暗さや静けさを大切にして、電飾や騒音で夜がかき乱されている所は少ない。
新たなものを造る時は古いものとの調和を考え、じっくり時間をかけているので、
ある日突然、見慣れた風景が開発のため消えてしまう、という悲しみが少ない、
時の流れにも安定した安心感を持てる社会だったのに。
事故後、遠く離れたフランスのワイン、イギリスの紅茶、イタリアのパスタなども汚染された。
見えない放射能が、この私の好きな古い美しい大陸をじわじわと蝕んでゆくのは
いたたまれない思いだった。
帰国してずい分月日が経ち、日本にも移ろいだけではない変わらぬ時が
流れるのに気づき、この長い列島の自然の魅力を、毎年新たに発見しているのに、
今、福島原発が見えない汚染でかけがえのないものを破壊している。
牛は、にわとりは、何が起こっているのか知らないのに命を奪われ、
人間のみならず、草花や虫や鳥たちは、知らないうちに生活を奪われている。
チェルノブイリ近郊では、ツバメなど渡りの鳥たちにも奇形が見られるという。
今日は、仏大統領のサルコジ紙が原発の事故処理専門員と共に来日し、
管総理といろんな事を話し合ったようだ。
5月のフランスにおける首脳サミットでは、原発の安全性について、
国際基準を設けることをテーマにするとの声明が発表された。
それ自身は歓迎すべきで必要なことと思われる。
しかし、フランスは原発大国。
この福島事故後も、依然として、原発推進路線を変更する気はなさそうで、
今回の事故処理に仏人技術者が大きく貢献すれば、
-日本の事故の深刻化は東電の官僚体質に拠るところが大きく、
わが国とは異なる。日本の原発の事故処理に、これだけ役立った技術陣が
いるのでフランスの原発は万全。- と、チェルノブイリ直後の日本の電力会社や政府が
言っていたようなことをアピールし、自国民を安心させようという意図を、
私は感じてしまう。
杞憂するのは、そんなフランスが主導するサミットで、
核保有国に都合の良い基準が推進される事である。
昔旅した、美しい城群で有名なロワール河も、
観光地を一歩離れると、原発が建ち並んでいた。
(左は、ジャンヌ・ダルクがシャルル7世と謁見したシノン城)
フランスの南半分を縦断する大河、ローヌ河の河口には、
フラミンゴの大群が飛来する湿地帯があるが、この河にも多くの原発があって、
川沿いを走る電車の窓からも見ることができる。
ただ、「絶対安全」を繰り返してきた日本とは違い、
「人はミスを起こすもの。事故は起こりうるもの。」を前提に、
頻繁に、原発周辺の小学校などにも技師を派遣し、原発事故の危険性を説明し、
避難訓練を繰り返しているらしい。
それでも、環境大国西ドイツ(当時)が脱原発をもちかけると、「ドイツ人はヒステリックだから。」
と、すぐ返されてしまうと、以前ドイツの友人がぼやいていた。
米国の事故に対する反応も早く、人力、機材の提供に、我々は感謝しなければならないが、
そして、危険な現場で尽力している方々の、人道的な正義感は疑うべきもないが、
原爆を落として占領した国の、核アレルギーを和らげようと、
「原子力の平和利用」と銘打って、日本に原発を導入した張本人という批判を
かわそうとしているのでは、などとも思ってしまう。
大国の援助の陰に思惑あり。は忘れられない。
それが外交というものだろう。
「えたいが知れぬゆえに、放射能はその怖さを百倍にも千倍にも膨らます。・・・・
過ぎると体に悪いものはほかにいくらもあろう。取り越し苦労もまたしかり。
どうか、賢く怖がりたい。」に、共感する人がとても多かったようだ。
ネット上には、「賢く怖がる」のタイトルでの書き込みが急に増えた様子。
特に水道水からヨウ素131が検出された当の東京の人のブログ記事が多い。
数年前に天声人語の執筆者(3人)が交代してからというものの、
しょっ中ケチをつけている私も、この日の文は的を射ていると思った。
このよく使われる言い回しは、物理学者、寺田寅彦に由来すると、
つれあいが教えてくれた。
「小爆発二件」と題された、昭和10年の浅間山噴火に遭った時の様子を書いた随筆の、
「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることは
なかなかむつかしいことだと思われた。」のオリジナルが、いつのまにか
言い易い「賢く怖がる」という表現になって世に広がったのでは、ということらしい。
(あの有名な「天災は忘れた頃にやって来る。」の言葉も、出典が明らかではなく、
弟子の中谷宇吉郎が関わって知られるようになったという説がある。)
「正当にこわがる」ことの重要性を謂うのは、まことに科学者らしい言。
冷静な観察と分析の裏づけがなければ出てこない言葉である。
三陸に津波が来る時、船で沖に遠く漕ぎ出して難を逃れた漁師さん達が
多くいたと聞く。
津波のときは沖に逃げよという、昔からの言い伝えをとっさに実行に移した
賢い行動だった。
船に沖まで行ける燃料を積んでいなかったので、即座に船を捨て、
丘にに登って、助かった人もいるという。
昔から幾度も津波に襲われてきた土地柄、経験と知識の集積が、
この前代未聞の高い津波に遭遇しても、瞬時の判断と行動を生んだのだろう。
福島第1原発の状態が、ほとんど泥沼。ついにプルトニウムが検出されたが、
冷戦時の各国の核実験で、すでに日本国中、微量とはいうが,
プルトニウムがばらまかれていたというのには驚いた。
それならばいっそ、あらゆる地点で詳しく計測して欲しいと思う。
ソ連邦崩壊の時、社会も経済も混乱する中で、ハバロスク辺りには、
老朽化して解体する費用もない軍船が、多数打ち捨てられて、
核燃料が垂れ流しになっていた時期があるので、
(そしてその後、それらがちゃんと処理されたという報道を見た記憶がない。)
また日本の風上には、情報がほとんど鎖国状態の核保有国がある。
日本海には相当の放射性物質が蓄積されているのではと、どうしても想像してしまう。
魚介類も海藻類も、どのくらいの放射能を溜め込んでいるか、
事態が少し落ち着いたら、一度計って欲しい。
可哀そうな海洋生物。
私はかまぼこにいたるまで魚類を食べないが、蟹だって貝だって食べたい。
ワカメや昆布を使わなければ味の調わない料理も多数ある。
自衛手段としては、農薬や添加物に対するように、同じ産地の同じものを
過剰に摂らないようにし、なるべく色んな食材を万遍なく使うという
当たり前の事を心がけたい。
震災から2週間が経ったが、いまだ手のつけようがない状態の被災地も多く、
連日胸の痛むような被災地の様子が報道されている。
あの大震災の日の前後から痛みだした左足のくるぶしが、しだいに腫れて、
にもかかわらず、引きずった足で外出したり、無理しすぎたのか、
ついには左足が腫れに腫れて歩けなくなり、
余震が起きるたび、もし今ここも地震にみまわれてもこんな状態じゃ
避難所まで行くこともできないなあと、痛みでぼんやりする頭で考えていたのだったが、
ようやく腫れもひいてきて、やっと両足で歩けるようになった。
先の展望がまだ見えない避難生活を送っている方々が大勢いる。
持病を抱えての避難所暮らしは、どんなに困難で辛いことだろうと、
想像するだけで我身も痛みだす。
福島第1原発は、間一髪で最初のカタストロフィーを何とか抑えた観があるが、
すでに放出されてしまった放射能が、かなり深刻に土壌や農作物に被害をもたらしている。
よりによってこんな時に、風向きが海から陸方向になって雨が降るなんて、
何と天は非情なことか。
ヨウ素による関東の水汚染は、ヨウ素の半減期が短いことから
次に大量の放射能放出の事態が起こらなければ、しだいに収まるだろうが、
依然、放射能の放出は続いている様子で油断はできない。
小さな子供を持つお母さん達は気が気ではないだろう。
政府や報道機関の発表をすべて嘘と決め付けるのもどうかと思うが、
被災地に対する具体的な情報が足りず、また伝えるのが遅いというのは問題である。
原発事故の直後、新潟県では放射能計測地を2倍に増やし、1時間毎のデーターを発表し、
誰でも簡単に見ることができる。
石川県でも一応測定はしているらしいが、新潟県のようにもっとオープンにしてほしい。
新潟県知事が朝日新聞のオピニオン欄に載せていた文には、
国や東電が、福島県で同様の措置を取っていないことに対する苛立ちが感じられた。
それにしても、チェルノブイリ後、日本ではまだ重大な原発トラブルが起こっていなかった時期、
チェルノブイリのドキュメント映画を何本も見、反原発の講演会なども聞きに行ったり、
広瀬隆の「危険な話」をはじめ、原発や放射能の怖さを書いた本を何冊も読みあさり、
原発や放射能はこんなに危険と、事あるごとに周囲に言ってはうるさがられていた頃の
新聞社の姿勢に比べ、今回は災害の深刻さが違うとはいえ、隔世の観がある。
当時、地方紙の若い記者と話していた時、「うちの新聞にも原発の危険性を載せたいけれど、
そんなことしたら社を追い出されるだろうなあ。」とぽろりとこぼしたのを憶えているが、
その同紙が、-原発重視のエネルギー政策の転換が求められる。-
-志賀原発がなくても昨夏の猛暑に電力不足にならなかった。-
という記事を載せるまでになった。
他紙も分かりうることをなるべく詳しく書こうと、図説を競うように載せている。
(まだ、何人も炉心で起きている事を、近づいて実際に目で確かめられない状態なので、
全ては推測だが。)
楽観論も悲観論も、なるべくいろんな人の意見を載せようという姿勢も、
以前より多く感じられる。
TVにしろ新聞にしろ、真に受けられるのは、多くてせいぜい6割くらいと、
日頃批判的に見ている私だが、今回の事故で分かったのは、
原発の発電のしくみや構造を、いかに自分があまり理解していなかったのかという事。
どこが、何が、危険を誘発するかを知らずに、ただ漠然と怖いと言っていたのだった。
以前読んだ反原発の本の中で、8割くらい鵜呑みにしていた記述の信憑性も
今ではかなり疑っている。
高木仁三郎氏がもし生きていたら、どんな意見を述べるのだろうか。
氏の不在が残念である。
いろんな人が其々の立場や知識でいろんな意見を述べているが、
10人の専門家の意見が食い違い、10通り見方があるのも当たり前。
この事故は史上初のシチュエーションだらけである。
だから、一人の人間が全て正しい事を把握している、などということはまずありえない。
人間にできるのは、過去のデーターから近いケースを探し出し、結果を推測すること、
それに対して最善の方法を考え出すことだけ。その方法も、一通りではない。
そして、いろんな情報で流される放射線量の数値が、
客観的に定点観測されたものかを見極めることも必要である。
とにかく、日々深刻さに直面している避難地域の状態を一刻も早く改善すること。
情報が錯綜する中で、いかに確実と思われることを摑み出していくか、
自分が知ったことだけが正しいと決め付けないこと、
他者と意見が違っても、感情的にならないこと、などが今重要だと思う。
(こと原発に関して、どうしてこんなに感情的になってしまう人が多いのか。)
私としては、直接身に被害を感じている、中国大陸からやって来る、光化学スモッグと同様の
日本海側の大気汚染に対しても、もっと世が騒いでもいいと思っているのに。
(これらもかなり健康上の危険度が高いと思われる。)
とにかく、冷静に計測データーの数値の変移を見守り、いたずらに騒いで
命をつなぐ物流の妨げにならないようにしなければならない。
東北地方の水族館、動物園の痛ましい被害情報も、少しづつ入ってくるようになった。
津波で跡形もなく流されてしまった岩手県の、地下水族科学館もぐらんぴあ。
スタッフ撮影の痛ましい被害状況写真に、もう声を失うばかり。
そして、建物は何とか大丈夫だったらしいけれど、物資がなかなか届かないために、
自家発電機の燃料も底をついて、魚たちが衰弱していくのをただ見ているしかないという
福島県いわき市の、アクアマリン福島。
東北地方への燃料の輸送は、日本海側を通って北側から徐々に始まっているようだけれど、
いわき市は地図で見るとあんなに関東に近いのに、
依然、水戸-いわき間は車両通行止めが続いている。
加えて、原発事故のせいで、いわき市は特に物資が届きにくいらしい。
とにかく毎日、輸送関係の復興情報を注視し、
もう少し、もう少しがんばってと、小さな命が少しでも多く助かるようにと祈りつづけている。
被災した動物園、水族館への義援金はこちら。
(ただ現在、取り扱い銀行のシステムダウンが多いので状況を見極めた上で。)
http://www.jazga.or.jp/
被災状況を一覧にしているHP。
http://appleeyes.jugem.jp/?eid=682
今年もワイルドジャスミンが
花開いて、よい香りを放っている。
道のべのたけ高き十字架に
ジャスミンの花の腕(かいな)
雪のごとく届きて
十字架の上なる神の額に漂う
はてしなき苦悩の色を
そこはかと包みとき
外の面(とのも)にて
君にし遭はば嬉しきものを
R.M.Rilke
Je m'inquiete a elle beaucoup parce-qu'il y a le centrale nucleaire
en probleme a Fukushima.
Mais elle ne peut pas s'echapper car elle ne peut pas quitter de vaches.
栃木北部、福島県に隣接する牧場で働いている姪からの、
間接的な情報。
福島第1原発の近くには、無数に牧場、養鶏場があるが、
みな牛や鶏をおいて行く訳にはいかないので、ほとんどの牧場の人達は
避難指示が出ても、牧場に留まっているらしい。
姪の処も、大爆発が起きれば危ないが、牛から離れて帰ってくる気はない様子。
最初の揺れで牛舎の壁の一部は倒壊し、彼女の下宿は食器棚が倒れるなどして
惨たる状態らしいのに。
原発や放射能の怖さは、今やみな分かっているけれど、
避難できない事情の人達も大勢いる。
原発にこういう事態を引き起こした人為的原因や、最初の対処のまずさや遅れを
非難することは容易いが、恐怖心をやっと抑えて冷静であろうと努める人々に、
さらなる危機感をあおっても仕様がない。
この上パニック状態が起こる事は、さらに事態を悪化させるだけ。
自分で直接、炉の冷却に手を貸せることができない以上、
ひたすら、事故処理に尽力している人たちを頼みにし、
これよりひどい事態にならない事を願うのみ。
冷静でいることの重要性を痛感する。
仙台や岩手、福島出身で最近の消息を知らない友人、知人が
少なからずいる。
NHK FMラジオの安否情報をずっと聴いていて、知っている苗字が告げられると、
あの人の親兄弟、親戚ではないかと、心がざわつく。
この地震で、他の活断層が動く可能性は充分あるから、
南北の断層の上にある金沢市も、大災害に無縁ではない。
さて、その時私も東北の人たちのように冷静に行動できるだろうか。
Aizu-bandai-san La montagne symbolique de Fukushima mai, 2010
昨年5月の会津磐梯山
「かなざわ るねっせんす展」で展示する扇子のデザイン版下を、
主催者のデザイン事務所に無事届けて、
暗くなりかけて人気のない川べりを、顔にみぞれを受けながら自転車で走り帰宅すると、
TVに信じられない光景が映っていた。
上空から見る広い田畑と、小さく映った宅地の群が、みるみるうちに水に呑み込まれていく。
今日の午後、東北地方で起きた大地震の後の津波の映像だった。
あの家々の人たちは非難した後なのだろうか。
TVは次々と、燃えさかる炎、水が引いた後の街の惨状を映し出していく。
まるで黙示録の光景。
出かける前の午後3時前、聴いていたラジオ番組が突然中断し、
地震情報が入り、津波に注意してくださいとさかんに呼びかけていたが、
まさかこんなひどい事になっていようとは。
金沢では、3時過ぎ窓ガラスがビリビリと一瞬揺れたくらいで、
その後気が付かないくらいだったが、
余震というには大きすぎる揺れが何度もやって来て、それがまだ続いている。
東京、神奈川でもひどい揺れで、交通機関の停止、停電、建物の倒壊などで
ひどく混乱している。
夕方の時点では、被害はまだ明らかになっていなかったが、
時間が経つにつれ津波警報の範囲が広がって、日本海側も注意報の範囲に入ってしまった。
関東地方には親戚、知人が多い。母が電話がつながらないと言う。
いち早くイギリスの親戚からは電話があったという。
地震の直後にBBCでも大きく報道したらしい。
夜半すぎの現在、次々と
聞くに堪えない被害状況が報道され、
依然津波警報の各地の映像が入る。
どうかこれ以上惨事が広がらないで!
愛煙家の私にも(といっても、分煙賛成、歩き煙草反対)痛い話だが、
さりとて大量の買いだめもできず、
これからは値上げ分だけ節煙してゆくしかない。
これを機会に禁煙を試みる人も急増という。
これで当分は、たばこ屋さんには閑古鳥が鳴くだろう。
心配なのは、煙草税は地方の安定した財源と言われていること。
世界的な不況で、企業からの税収の増加は見込めず、
円高はほぼ慢性化する、という見方もある。
経済に暗い私には、小泉政権の打ち出した「小さな政府」が、
政権交代でどう変わったのか知らないが、
地方自治体の税収が長期間減れば、その分いろんな支出が抑えられるが、
たいてい福祉関係や、文化教育関係から削られていって、
いずれ住民税や健康保険料が値上がりするのでは、と危惧してしまう。
そんな短絡的なものではないのかもしれないけれど、
誰か、絶対そうはならない、と言ってくれないかしら。
ニュースをもう一つ。
近頃金沢市の山に近い地区で、熊が頻繁に目撃され、
2頭が捕獲された。
猛暑でミズナラが枯れて、食べ物に困っているよう。
04年と違うのは、今のところ捕獲された熊たちは殺されていないこと。
熊に出会えば、私だって怖いし襲われたくもない。
1頭も犠牲にならぬよう、山中で熊が食べ物を確保できるようになるには
一体どうしたらいいのか。
まだこれから暑い日も来るというけれど、
空は秋へと移りかわっている。
老衰による大往生と、ニュースで聞きました。
全国的に報道され、献花台も設けられたとのこと。
いしかわ動物園の動物たちは、多くが金沢サニーランドから移って来たもの。
そこは以前、金沢ヘルスセンターと呼ばれ、動物園と水族館がある複合娯楽施設で、
子供の頃、遠足などでよく訪れましたが、動物園のコーナーは、動物たちが
せまくて汚い所に押し込められているようで、子供心に可哀そうと思っていました。
もう何年も前、サニーランドが財政破綻で閉鎖を決定し、まだ、いしかわ動物園設立の話も
聞かなかった頃、魚たちはどうやら能登島水族館に行くらしい、では動物たちは?
と行く末を心配しながら、そのサニーランドを久しぶりに訪れた時のこと。
水族館の魚たちは楽しそうだけれど、陸の生き物たちには、住環境があまり良くないという、
子供の頃の印象そのままで、施設は古びていました。
デカの処に行くと、親子連れに囲まれ、「あっ、カバや。」「こっち向いて。」「口あけて。」
などと声をかけられていましたが、
「あたしゃ、こんな青二才どもの相手しているほどヒマじゃないよ。早くあっちへお行き。」と、
言わんばかりに不機嫌そうに小さなプールの濁った水を、うまく人のいる方向にだけ
撥ね上げたので、私も、他の人たちもすっかり頭から泥水を被ってしまいました。
その後、デカさんは水に浸かってずっとそっぽを向いたまま。
そんな姿を覚えていたので、
いしかわ動物園で、広いプールのある広い部屋で、幸せそうにしている彼女に再会した時は、
心底良かったと思ったのでした。
誕生日には、園児たちに歌を歌ってもらって、おからのケーキをもらう様子がいつも、
TVのニュースに映っていましたが、なんとも楽しそうな表情をしていました。
この、キャラメルのキャンペーンガールとして全国を行脚したカバのデカさんは、
幸せな余生を送ったと言えるのではないでしょうか。
マンデラさん
92歳のお誕生日、おめでとうございます。
今日は、国連がマンデラさんの功績を讃えて、
マンデラさんの日と、名づけたそうですね。
アパルトヘイトの時代、アフリカ系の人の集会を禁じた法律があって、
サッカー場が、人権運動の集会のひそかな舞台になっていたと聞きます。
アパルトヘイトが廃止され、反対運動に重要な役割を担ったサッカーの、
w杯を熱心に招致したのは、マンデラさんご本人なのですね。
つつがなく大会も終わり、世界中に感動を残しました。
どうかいつまでも、お元気で。
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