ここまで世界が混迷を深めるばかりとは、ここまで思わなかった。
ゴルバチョフが亡くなった。
プーチン・ロシアとゼレンスキー・ウクライナが
ますます泥沼化していく中で、残念。
コロナ拡大に対しての国の無策とばらばらな対応。
異常気象の増大。8月4日の我が川の増水の傷跡は
いまだに後を引き、そんな中でサギたちは健気にも
成長したヒナたちの飛行訓練、渡りの準備など、
(もう渡って行ったものもいる。)日々の活動を続けている。
時折弾くモーツァルトのピアノソナタの宝石のような美しさ。
このショッキングなニュースを知った時は
もうほぼ鎮火していて、TVを点けても
丁度その様子を放映している局もなく、気を揉んだ。
こういう時はネットニュース。
日頃スマホは電源オフで、部屋の隅で埃を被っているだけなので、
PCの前に座ってようやくその映像を見て、火災が部分的と分かり、
ひとまずホッと胸をなで下ろす。
フランスの代表的なゴシック寺院には、破壊から再建された過去を
持つものも少なくない。
アミアンやランスの大聖堂を訪れれば、堂内で、あるいは売店で、
先の大戦時に瓦礫の山になった様子の写真が見られるだろう。
シャルトルに至っては、中世の建設中に大火災で焼け落ちて、
当時としては猛烈なスピードで急きょ再建。その時に救い出された
聖母子像のステンドグラスを再び嵌め込んだ部分が、この伽藍の
ステンドグラスの中で最も古い。
火の勢いで聖母の顔が少し傾いたのが、かえってチャーミングな表情を
醸していて、秋篠寺の伎芸天を髣髴とさせる。
さて我らのパリ・ノートルダム(と呼んでも許されると思う。何せパリは
私の第3の故郷だから。)の、ステンドグラスは大丈夫だろうか。
とくにあの薔薇窓は・・・・。
次々入ってくるニュースで、ステンドグラスの損傷は少なそう、という
ことが分かった。
風見鶏もその姿のままで落ちていたという。
ドイツの話になるが、最初訪れた時単なる石の山だったドレスデンの聖堂も、
その後ちゃんと再建されたことだし、ゲーテハウスの復元の仕方をみていても、
欧州人が文化財の修復や再建にかける情熱や技術や努力は、
並大抵のものではない。
何年かかったって、きっとパリ・ノートルダムは元通りの美しい姿を
見せてくれるだろう。
紆余曲折を経て、24日無事実施、即日開票で、
有権者の1/4以上が反対という結果。
県民投票が時の政権に骨抜きにされたり潰されたりせず、
沖縄県民の意思が反映されたと思われる結果が出たことに、
とりあえず胸をなで下ろした。
(にも関わらず、相変わらずあくまでも民意無視を決め込む
どこぞの独裁者のような首相が情けないが・・・。)
“民意”なんて、完全に無視。
何の意味もなさない口先だけの、“丁重な説明、話し合い”
元防衛大臣が、辺野古移設の強行が現在の日米安保に
最良の手段かどうか疑問、と言っているではないか。
国民大半と思われる、“自分には関係ない”。
そこかしこに思い出深い場所があり、ずい分昔のこととはいえ
ここのざわめき、そこで出会った人との会話内容、
かしこの風の匂い、光の色・・脳裏に刻まれた風景は
時と共に変容はしているだろうが、
今でも鮮やかに蘇らせるシーンを無数に抱えている。
その懐かしい場所のひとつで、ショッキングなテロ事件が起きた!
スペインはバルセロナ、ランブラス通りである。
バルセロナはカタルーニャの古都。
まさしく古都の名にふさわしい、古びて黒っぽく厳めしい石の街で、
街のそこかしこに散りばめられた史跡に加え、現代の文化も
風景にうまく溶け込んでいて、ピカソやミロ、タピエスなどの作品にも
その時々の最先端のアーチスト作品にも簡単に出会える。
私のお気に入りは、ピレネー山中のロマネスク寺院から来た宗教美術の宝庫、
あの魅力的なカタルーニャ美術館。そして青年時代の作品を多く収蔵している
ピカソ美術館。(美術館の古いゴシック建築を見るだけでも価値がある。)
少年たちがサッカーに興じていた小さな広場は、実は昔王宮の一部で、
コロンブスがフェルナンド王・イザベル女王に謁見した広間だった!
バルセロナは丘も多いが、海岸線に沿って長い平らな土地も続く。
ひときわ高い記念柱が目を惹く。
柱の上には、海を指差すコロンブスの像。
港には、コロンブスが乗ったサンタマリア号を復元した船が泊まっていて、
ここに来て初めて、コロンブスという人が実際にいたのだなあと実感した
のだった。(彼の為した事みな肯定するつもりはないけれど。)
ランブラス通り。白いピエトン(遊歩道)。
バルセロナでどこに行くにも、ついここを通ってしまう中心通りである。
初めてスペインに来た時、それはマルセイユの留学生仲間と車にテントを
積んで、プロヴァンスからラングドック・・キャンプをしながら
南仏の主要な美術館、寺院を巡る旅の終点がバルセロナだった。
当時スペインは、スリかっぱらいなど泥棒が横行する国(今もそうかしら?)。
バルセロナに着いたその日、ランブラス通り脇の路地に車を停めて、
ミロ美術館に行っている間に、車上荒しに遭って、
一人が車中にうっかりおいて置いたパスポートを盗られてしまった。
当時はEU統合前、国境を越えるのにパスポートが必要だった。
フランスの身分証で、何とかフランスに戻ることはできたが、
警察に行ったり、土日で領事館が休みだったり、
がっかりして泊まった町中の安ホテルは、どうも泥棒グループの
溜り場だったらしく、夜中に盗品を山分けしているらしい声が聞こえたり、
等々、何とも苦労が多い印象的な第1回バルセロナ行きだった。
その後も何度もこの町を訪れ、その都度ランブラス通りを通って、
大道のアクセサリー売りから、貧乏学生でも手が出るちょっとした
きれいなもの、七宝のブローチや陶器の小マスクなど買ったりしていた。
(それらは今でも大切に私の宝箱に納まっている。)
テロリストたちは、サグラダファミリアの爆破も計画していたという。
宗教や思想に関わらず、人が作り上げてきた美しい労作を
一瞬で無にしようという感覚は、私にはどうしても理解できない。
海の水は澄んで水色がかっている。
この浜に寝袋を持って行って野宿をしたことがある。
浜の直ぐ際は、海岸線に沿って長く広がる街を縁どる道路と遊歩道。
下から見上げると、とても高い所に道路がある。
プロムナード・デ・ザングレ(英国人の散歩道)の名称を持つこの道は、
ネグレスコ・ホテルなど、超高級ホテルが並び、カジノやらメセナ広場やら
ベル・エポックには避暑で訪れる英国の紳士、貴婦人たちが
優雅にさんざめいていたことだろう。
時代は変わって、ネグレスコ・ホテルには、短パンでサンダル履きの米国人が
出入りなどしていたが、夜の浜に下りると、街の喧騒はほとんど聞こえない。
日が暮れる頃、浜で夜を過ごそうという人が、あちらこちらに
ぽつぽつと寝袋を持って現れる。
皆、海のささやきを聞きたくて、静かな身振りで小声で話し、
騒ぐ者などいない。
波の音を聞きながらうとうとしていると、
ただ波が水打ち際の小石をさらう、カラカラという微かな音だけが
いつまでも聞こえてくるのだった。
夜明け前の青白く霞む海に、一人また一人と入ってゆく。
滑らかでとても柔らかな海水に身を委ねて、水平線を眺めると、
どこまでも穏やかな世界が広がっていた。
ここでこのような惨劇が起きる日が来ようとは。
その衝撃のニュースがその後も収まらない。
私は、何とかぎりぎり残留になるのでは、と思っていたのだが、
この結果を聞いても、「ああそうか。やっぱり大英帝国。」
という感想というか、感慨があった。
週に一度ほど電話をくれるイギリスの叔母は、最近の移民問題を
憂えていたし、社会保障が充実している英国に、どうしても
移民や難民が押し寄せる現状は、元々の住民には、居心地の悪さに
なっているのだろうことは想像に難くない。
それにしてもこの衝撃のニュースは、経済問題ばかりに終始している。
新聞で読む限り、あらゆる国の首長のコメントは、
世界経済に及ぼす悪影響を第一に挙げているように思われる。
それより、欧州の端の島国がこれまで独自の立場を持ってきた歴史、
それで培われてきた気質というものに、あまり言及していないのが
気になる。
“英国とヨーロッパ”、と以前よく言っていたように、
英国はヨーロッパと一線を画している意識が強いのだろうと思う。
その点は、“日本とアジア”、というように、日本人が日本は
他のアジアの国と違うという意識を持っているのに似ているかもしれない。
しかし日本人が万世一系の天皇と、単一民族と思い込んでいる(本当に思い込
らしい。日本人の遺伝子を調べると、種々雑多な民族が交じり合っている
と、以前読んだことがある。)に対し、
英国はケルトやサクソン、ノルマンと、次々違う民族が入って来て
国を作ってきた歴史がはっきりしているし、
ウエールズ人やスコットランド人に、英語の教科書で習ったように
「あなたはイングリッシュ?」と聞くと、怒る人は多い。
イングランドはUK-英国の一部で、イングリッシュ=英国人ではない。
王室の姻戚関係も欧州全体に繋がっているし、
日本と他のアジアの国々との関係より、もっとヨーロッパの他の国と
歴史的、民族的、文化的関係が深く、そういう点では欧州大陸の国々同様、
この国は特別他国とは違っていると、はっきり線引きできないものが
あるように、はたからは見えるのだが、
それでも、英国は英国、といった独特な何かがあるのを
私も実際に肌で感じてきた。
(英国に対する想いを、これからもまた時々書きたいと思っています。)
戦争法案、参議院で可決!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!
・・・???・・・・・・・!!!!・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・??・???・?!!!
連日地方ニュースは新幹線色に染まり、
どうやって首都圏からの観光客をもてなすか、その経済効果は・・、
初日の始発の座席指定券は25秒で売り切れただの、大騒ぎ。
新幹線がいよいよ我が町にやって来るのが嬉しくって、
といったムードを醸すのに一生懸命で、
新幹線なんかいらない、なんて言おうものなら村八分にされかねない雰囲気。
確かに金沢から東京に行くには、1時間半ほど時間が短縮されて、
都合の良いこともある。
しかし、それはあくまでも金沢--東京間だけのこと。
在来線は第3セクターになり、直通電車は廃止されたり
運賃も値上がりし、不便の方が増えそうで頭が痛い。
観光客をいかに増やすかばかりの騒ぎは、あさましく、
環境や景観を破壊して、コンクリート壁が川を渡っていく。
連日新聞には、過激派による中東の惨い状況が報道されている。
人間はどこまで残虐になれるのか。
いろんな複雑な要素が絡むとはいえ、
他の生物には見られないこの残虐さは、いったいどこから来るのか。
パリの風刺紙編集部が襲撃されたテロ事件のショックの激震。
世界を駆け巡った「私はシャルリ」。
風刺の限界の是非はさておき、それになぞらえ、
紛争地域の困難な状況の子供たちを少しでも救おうとしていた後藤さん
への共感、祈りの波のように広がった「私はケンジ」も、
ついに届かなかった。
まるでイカロスのように。
先日、NHKの宇宙ステーションからの生放送番組を、
用事をしながら見るともなしに聞いていたら、
アイソン彗星が宇宙を旅し始めたのが100万年前、
旅から80万年目に、地球に人類が発生したという事を語っていた。
太陽に接近した後、とても明るくなる彗星を期待していた天文愛好家は
がっかりした訳だけれど、
私にはむしろ、100万年旅した彗星の終焉に人類が遭遇するのは、
そう滅多にない機会なのでは、と思った。
空の高みに挑んで、太陽熱で人造の翼が解けて墜落したイカロス親子の神話。
古代に何か似たような天文的現象があったのではないだろうか。
神話や伝説には往々にして、根拠となる事象が隠されていることがある。
そして今、地上の巨大な明るい星がひとつ消えた。
南アフリカのネルソン・マンデラ氏。
平等と自由のため一人の人間が大きな力に挑み、墜落することなく
しなやかに世界を変えた。
南アではまだまだ経済格差やいろんな問題が山積みのようだが、
獲得された自由な心は、後退することがないだろう。
一方で、平和な民主主義国家であるはずの日本は、
言論と行動を互いに監視し合う、暗い時代の到来を予感させる恐ろしい法案が、
これだけの世論の反対を無視して、強行に押し進められてしまった。
フードピアなどのイベントを開催するのに、雨や雪が降ると地面がぬかるむので、
公園の中央にある邪魔な木を皆切ってしまい、アスファルトで固めてしまい、
「都市型の公園」にしようという県知事の意向で、最大45本の木を伐採することが
いつの間にか決められていた。
最も読まれている地元紙には、それに関する記事はほとんど載らず、
多くの金沢市民が気が付いた時には、既に伐採に向けた作業が始まっていた。
私も最初聞いた時には耳を疑った。
水害対策の口実で、河岸の樹木や草をことごとく切り払っている石川県。
今度は災害対策でも何でもなく、観光客を呼びやすいようにと、
金沢市民に愛されている憩いの場を潰そうとしている。
先日夕方、伐採作業が始まる直前、公園の様子を見に行ったら、
青々と今が盛りに若葉を揺らしている大きな木たちが、
みんな伐採予定地のフェンスに囲まれていた。
ねぐらに入る前の小鳥たちの囀りが賑やかで、高い梢には
子育て中の巣が幾つもあるようだった。
まさかこんな生き生きした樹木を殺すなんて想像もできない。
伐採に反対する市民グループが頑張って、抗議の声を上げ、
木を取り囲んだりしたのを、力で排除して22本が切られてしまった。
知事は説明は尽くしたの一点張りで、市民の悲痛な声も届かなかった。
そして無論、切り倒される木々の悲鳴も。
始まる前はあまり盛り上がっていなかったのに、最初の女子柔道金メダルに続いて、
連日のメダルラッシュで、新聞もTVもオリンピック一色に染まっている。
先日イギリスから送られてきた
ロンドンバスのチョコレートと、
エリザベス女王戴冠60周年記念の
お祝いグッズ。
オリンピックなどスポーツの国際大会をTVで観戦するのは元々嫌いではない。
それどころか、見出すとつい何でもかんでも見て、時間を取られてしまうので、
最初からあまり見ないようにしていたのに、
たまたま点けたTVで、フェンシングのスリリングな試合から目が離せなくなったり、
女子レスリングにハラハラしたり、やっぱり「地球村の運動会」(天野祐吉氏の例え)は面白い。
とはいえ、おおむねニュースで結果を知る位で満足している。
紅茶好きのイギリス人が
日常浴びるほど紅茶を飲むため、
イギリスでは紅茶の大袋が売られている。
この、ごく一般的な紅茶が
ブランドものより、私には一番美味しい。
今回の日本選手の目ざましい活躍は、ひとつはあの酷い震災と原発事故を経験し、
余計なことは考えずに、ただひたすら現在各々が出来ることを精一杯やろうという、
そんな思いが形に表れたのかもしれない。
もうひとつは、イギリスのロンドンという会場が、持てる力を遺憾なく発揮し易い
雰囲気を醸しているからではないかと思われる。
ヨークシャーに親戚が住んでいて、イギリスには昔何度も訪れたが、
押し付けがましくない親切によく会い、どこでもおおむね安心していられたことを思い出す。
田舎道でスケッチしていても、すれ違う人が側を通る時は「ソーリー」と言って
そっとこちらを避け、なるべく邪魔をしないように心遣ってくれるようだった。
これがフランスだと必ず誰か寄って話しかけてくるので、静かにスケッチできた試しがなかった。
ヨークシャーからロンドンに遊びに行った時、セント・ポール寺院前の階段に腰掛けて
叔母が持たせてくれたおにぎりをかじっていても、周囲の人はごく自然に見てみぬふり。
当時は日本のおいぎりなどとても珍しかったし、本当はちょっと構って欲しかったのだけれど、
パリとは違って、人に構わないのが親切と思っている感じだった。
イギリスでは子供に、人がちょっと変わった様子をしていても、
じっと見つめるのは失礼にあたると、厳しく躾をするようである。
しかし見ていないようでも、誰か困っているようだとさり気なく手助けをしてくれる。
気候は温暖で、夏でもそう暑くない。
今回のオリンピックでも、フェア精神を大切にする国らしく、観客はどの国の選手にも
さり気なく暖かい声援を送っているのだろう。
エリザベス女王戴冠60周年を
特集した雑誌や新聞。
それにしても日本のTVは、ただでさえスポーツ番組が多いように思える。
オリンピックをこれだけ報道し、これだけよく観る国はそうないのでは。
やたらと多いスポーツとグルメに関する番組を見ると、
つい「パンとサーカス」という言葉を思い浮かべてしまう。
古代ローマが帝国を拡張していく過程で、征服された土地の民衆が
為政者に不満を持つのを避けるため、「パンとサーカス」つまり食と娯楽を与えておけばよいと、
各地に劇場を作りまくったという故事である。
この国の政府は、国民が何かのアトラクションや大きな事件の報道に夢中になっている間に、
重要な法案などをさっさと決めてしまうケースが今まで頻繁だったので、
こういう時こそ特に世の動きに注意深くならなければと思う。
官邸を取り巻く脱原発のうねりが、オリンピック騒ぎで下火になると
もし政府が思っているなら、大間違い。
オリンピックでもサッカーW杯でも、過ぎてしまえばその結果をすぐ忘れてしまうけれど、
表彰台でのなでしこたちの極上の笑顔は長く印象に残りそう。
42年ぶりに全て停止した。
昨日はその事が大きく報道されていたが、今日は稼働原発がゼロになったという
ニュースを聞かなかった。本当にちゃんと停止したのだろうか。
経済産業界の抵抗が大きく、メディアはあまり触れたがらないのだろうか。
原発ゼロの爽やかな朝を迎えるはずだったのに、金沢は未明から雷雨。
関東地方は巨大な竜巻に襲われ、死傷者が出てしまった。
このところ天変地異のような異常気象が多い。
原発が停止していても、福島第一原発事故で明らかになったように、
各原発の原子炉建屋の内部には、使用済み核燃料棒が冷却水プールに多数浸かっている。
再処理のメドもつかず、原発の運転が続く限り増え続ける。
その再処理の費用は、そのまま廃棄するより多大な費用がかかることも
最近の試算で明るみに出た。
そのまま廃棄と言っても、最終処理施設は決まっておらず、
半減期が2万年以上ある放射能を出すものを、人類がどうやって管理できるというのだろう。
もしまた大きな震災に見舞われて、そのプールが損傷して使用済み燃料棒が
露出する事態になれば、また危険な事故になる可能性があることは、
素人でも想像できる。
電力会社によるストレステストには、テロやミサイル攻撃のような事態の想定はなく、
緊急時の避難計画さえ整っていないではないか。
次々と新たな活断層の情報も入ってくる。
もうこんな悠長な事をしている時間はあまりないのでは。
利権絡みで再稼働を急ぐ政府や電力会社や経済産業界に、再稼働を諦めてもらうだけではなく、
ただでさえ膨大な時間とお金がかかる原発の廃炉を、一刻も早く始めなければ、
この先何が起こるか分からない。
今だ使用電力の詳細を伏せている電力会社は、
料金値上げのみならず、NY市の大停電時のような状態を演出して、原発が動かないと
こんな事態になるよ、という脅迫をしかねないと、疑いたくなるほど信用ができない。
停止中の高速増殖炉「もんじゅ」の維持費に、1日5千万円使っているお金を、
一刻も早く、原発廃炉や他の再生可能エネルギーにシフトするための開発に
振り分けられないのは何故?
数年遅れたって大した影響がない、本当に必要とも思われない北陸新幹線の建設等を、
緊急の防災計画や、東北の復興より優先する予算の組み方は、一体何?
輪島市が震災瓦礫の受け入れを検討している事に対して、
多くの人同様、私も不安を感じている。
能登地震の時、東北の人にお世話になったから、今度はこちらが助ける番と、
今だ行き場がなくて復興の妨げになっている瓦礫の処分のお手伝いをしましょうという
輪島市長の善意は、とても人道的な発想だけれど、
瓦礫を受け入れた山形市がその焼却を始め、去年12月の時点で、
福島市の14倍もの放射性セシウムが検出されるようになった事、
同じく瓦礫の埋め立てや焼却を始めている東京都では、杉並区の小学校の芝生から
高い濃度のセシウムが検出された事、また12月以降、乳幼児の死亡数が急増している事
など、すべてがデマで震災瓦礫受け入れと全く無関係だとも思えない。
瓦礫が置かれている所の空間放射線量がさほどではなくても、焼却によって
線量が数十倍にも濃縮されるという。
東京都が行なっている(行なおうとしている?)、震災瓦礫と一般ゴミを混ぜ合わせ、
放射線量を低くする希釈の方法は、放射能を広くばらまくことになって、
結果的にはより危険なのでは。
放射能に汚染された瓦礫はなるべく移動せず、放射能が飛散しない高性能の処理施設を
現地に作って処理することが出来ればよいのだが。
仙台市は既に、自分で瓦礫の焼却を始めている。放射能飛散の対策はされているのだろうか。
津波の被害をまぬがれたのに塩害で苦しんでいる農地に、
さらに放射能の追い打ちをかけることになっては大変だと思う。
それこそ国がきちんと対策をとるべき。
原発事故による放射能汚染が、想像以上に広がっている実例が少しづつ出てきている。
狭い日本の国土で、汚染が比較的少ない所は、極力その状態を維持して、
安全な土地と食材を提供していく役割を果たさなければならないと思う。
この先どんな影響が出てくるか分からない放射能被害を広域に拡げる事は、
何としても避けたいこと。
瓦礫の受け入れが、能登の自然を台無しにしてしまうかもしれない不安に、
声を上げる人が増え始めている。
私も数日前に、輪島市に次のようなメールを送った。
私は金沢市に在住している者ですが、輪島市長が震災瓦礫の受け入れを表明され、
その準備が進められているていることに対して、たいへん懸念と不安を覚えております。
被災地への善意の想いから生まれたこの計画が、結果的にこの美しい能登の山野や海を、
取り返しのつかない放射能汚染に導くのではないかと、
いてもたってもいられない気持ちです。
いち早く瓦礫を受け入れた山形市はその焼却によって、福島市の14倍ものセシウムが
検出されるようになったということも耳にします。
地震と津波による原発事故が引き起こしている放射能汚染は、
人類が初めて経験する、データーの蓄積もなく、いまだ収束していない事態であります。
暫定的に決められた基準値以下の放射線量でも、この先どのような影響を及ぼしてゆくか
まだ誰にも分かりません。
また、抜き出し検査で安全が確認できるなんて、到底信じられるものではありません。
私の子供の頃、父の仕事の関係で毎年夏を能登で過ごしました。
家族に連れられて能登の方々の地をを回るのが何よりの楽しみでした。
信じられないくらい美しい変化に富んだ海に縁どられた豊かな緑と田畑の風景、
古い家並みの町、入江の小さな集落などの独特な色合いと空気の匂い。
こんな魅力的な風景に、幼い頃から触れてきた幸運をいつも感じております。
その後訪ねた、あるいは住んだ地で、様々な風景に出会いました。
伊豆の海、瀬戸内海、地中海、ポルトガルの海など心惹かれる処は多々ありますが、
いつも心の芯に、能登の、西保海岸や曽々木などの海があって、
他の多くの県民同様、能登は私にとって世界中に自慢したいくらいの宝となっております。
ですから、能登が世界農業遺産に認定された時はたいそう嬉しかったのです。
その貴重な海と里山が、今回の計画で台無しになってしまうのではないかと危惧します。
福島原発事故の放射能汚染の影響が幸いにも少なかったこの地が、
目に見えない(そして、人間の手におえない)放射能に、じわじわと侵されてゆく
可能性を、黙って見過ごすのには耐えられません。
佐渡で放鳥されたトキも定住しはじめ、再び能登の空に多くのトキが舞う時代が来るのを
心待ちにしているのに、放射能はトキが住めるような環境を取り戻そうという努力も
無に帰してしまうような生態系の崩壊も招いてしまうでしょう。
震災瓦礫が輪島市で焼却され、放射能が濃縮された灰がまき散らされることになれば、
時折能登半島を訪ね、新たな美を見出す楽しみも、これでお終いです。
国内の人のみならず、能登旅行がたいへんな人気という台湾の人たちの足も
しだいに遠ざかってゆくのではないでしょうか。
輪島市周辺の海山物や農作物も二度と口にすることができなくなるでしょう。
それは、故郷を永遠に失ってしまうような刺すような悲しみです。
被災地の支援としては、まだ他の方法がいくらでもあると思われます。
例えば、茨木県日立市の「チェルノブイリの子供を救おう会」が行なってきたように、
原発事故の汚染地域に住む子供たちを、汚染の少ない地に招いて
汚染のない食事で1ヶ月間過ごしてもらうという事業は、子供の体内のセシウム濃度を
大幅に減らす効果が認められているそうですね。
汚染の少ない石川県は、そのような場合の恰好の滞在候補地にできるのではないでしょうか。
そして、深刻な汚染を免れた我々石川県人は、その汚染の少ない状態を保ち、
安全な食材を提供し続ける使命と義務があるのではないでしょうか。
石川県民の、日本在住者(様々な動植物も含めて)の健康と安全のために、
どうか今一度冷静に、何がベストであるかの再考を切にお願い致します。
能登の自然や文化を大切に思う方は
輪島市に自分の考えを述べましょう。
一人でも多くの意見が届けられるのは
大切だと思います。
post@city.wajima.lg.jp
(註) 上のアドレスをクリックして出てくるメールフォームに、直接送っても、
届かない可能性があります。普通のメールで送りましょう。
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