見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと。
Posted by Ru Na - 2018.10.31,Wed
「変容する家」展のすべての会場を回った。
途中から集め始めたスタンプラリーで、手ぬぐいや缶バッジも
もらった。
「変容する家」展は、民家や空き店舗などを会場にした現代アート展で、
市内にまとまった3つのエリアがある。
21世紀美術館が企画した、東アジア文化都市の催しのひとつ。
会期が長いのと、入場無料なのと、それぞれのエリア内の会場が隣接していて、
気軽に行きやすく、気に入った作品は二度見もしてしまった。
美術館やギャラリーではなく、生活の場や、あるいは里山にアート空間を作り、
広域に点在する会場を鑑賞者が訪ね歩く、というやり方は
「地域興しに現代アートを」というのはあまりに安直、といった批判さえ
聞こえるくらい、今ではすっかりポピュラーになって、
こういった事の先駆的な企画に参加したり手がけてきた者にとっては
感無量。
私は展覧会そのものを目指して見に行ったというより、
目的地に行く途中に、ついでにちょっと回り道して見たものが多かったが、
昔から馴染みのある地区なのだけれど、会場を探して路地裏をあてずっぽうに
歩いて目に入る風景が、とても新鮮に感じられた。
そういえば近頃、河川敷の遊歩道ばかり通っていて、これらの路地を通るのは
数年ぶりだったことに気付いた。
近年、“新幹線効果”などで街はますます観光化し、
昔から旧市街の中心地に住んでいる私の目に付く道や店は、
小奇麗で洒落た感じにどんどんなっているが、いつの間にか何だか
ひどく薄っぺらな街に成り下がってしまった、という思いを持っている。
今回、展覧会場になったエリアにも、観光の波は多少なりとも押し寄せては
いるが、路地裏には、外部の視線に対し客体化したのではない生活の景色が
そのまま残っているようで、それがいつまでそのままでいられるかという、
時の中の脆さも内在させて、一瞬であるか常時であるかの微妙なバランスの
ある一点が私に触れたのだった。
そういう空間の奥に、映像やらオブジェやら、平面、立体、音・・・
実体があって無いような現代アートが潜んでいて、
よりリアルな街の実存そのものになっていたのだった。
途中から集め始めたスタンプラリーで、手ぬぐいや缶バッジも
もらった。
「変容する家」展は、民家や空き店舗などを会場にした現代アート展で、
市内にまとまった3つのエリアがある。
21世紀美術館が企画した、東アジア文化都市の催しのひとつ。
会期が長いのと、入場無料なのと、それぞれのエリア内の会場が隣接していて、
気軽に行きやすく、気に入った作品は二度見もしてしまった。
美術館やギャラリーではなく、生活の場や、あるいは里山にアート空間を作り、
広域に点在する会場を鑑賞者が訪ね歩く、というやり方は
「地域興しに現代アートを」というのはあまりに安直、といった批判さえ
聞こえるくらい、今ではすっかりポピュラーになって、
こういった事の先駆的な企画に参加したり手がけてきた者にとっては
感無量。
私は展覧会そのものを目指して見に行ったというより、
目的地に行く途中に、ついでにちょっと回り道して見たものが多かったが、
昔から馴染みのある地区なのだけれど、会場を探して路地裏をあてずっぽうに
歩いて目に入る風景が、とても新鮮に感じられた。
そういえば近頃、河川敷の遊歩道ばかり通っていて、これらの路地を通るのは
数年ぶりだったことに気付いた。
近年、“新幹線効果”などで街はますます観光化し、
昔から旧市街の中心地に住んでいる私の目に付く道や店は、
小奇麗で洒落た感じにどんどんなっているが、いつの間にか何だか
ひどく薄っぺらな街に成り下がってしまった、という思いを持っている。
今回、展覧会場になったエリアにも、観光の波は多少なりとも押し寄せては
いるが、路地裏には、外部の視線に対し客体化したのではない生活の景色が
そのまま残っているようで、それがいつまでそのままでいられるかという、
時の中の脆さも内在させて、一瞬であるか常時であるかの微妙なバランスの
ある一点が私に触れたのだった。
そういう空間の奥に、映像やらオブジェやら、平面、立体、音・・・
実体があって無いような現代アートが潜んでいて、
よりリアルな街の実存そのものになっていたのだった。
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Posted by Ru Na - 2017.11.11,Sat
秋の里山を舞台にした第25回「内川・鎮守の森ギャラリー」は、
11月2日~5日に開催され、今回で25年の歴史に幕を降ろした。
私は初回から連続参加。
最終回の今年は、実行委員とのコラボ作品を展開した。
第1回目、当時この地区に持ち上がった産業廃棄物処理場建設計画に、
反対する内川の住民やその反対運動の賛同者が集まって、
このアートイベントの企画を立ち上げた。
初回の私の作品も、実行委員や地元の皆さんの協力の下で設置。
いわば地域の方々とのコラボ作品だった。刈り入れが終わった水田に
作品の芯になる竹を何本も立ててもらった。
広域の会場の道標になる“移動野外ワーク”の黄色い三角形を、
実行委員の車で道を移動しながらポイントの場所を見つけ、
道沿いの竹林や杉、柿畑、はさなどに設置していった。
今回は、長年の制作で溜まっていった作品のきれっぱしや
染めたロープの塊などを、息を吹き込んだビニール袋に入れて、
竹林に張ったロープに縁日の屋台に並んだ玩具の様に吊り下げる、
という作品。
最初は、それぞれが美術作家でもある実行委員や、毎年参加している他の作家
10名位でコラボができないか、計画を練っていたのだが、少しづつ変更。
最終的に、実行委員でプロの折り紙作家であるKさん、それに
陶芸家で空間感覚が優れた実行委員のNさんとのコラボに落ち着いた。
25年に及ぶ鎮守の森ギャラリーの前半、作品設置時はいつも
Kさんがお手伝いしてくださっていたので、
最終回にまたKさんと共同作業ができたのは、嬉しかった。
そして私は・・・・折り紙にすっかりはまってしまったのだった。
折り紙のことなど、また今回の作品や会場の様子など、
また後日に。
11月2日~5日に開催され、今回で25年の歴史に幕を降ろした。
私は初回から連続参加。
最終回の今年は、実行委員とのコラボ作品を展開した。
第1回目、当時この地区に持ち上がった産業廃棄物処理場建設計画に、
反対する内川の住民やその反対運動の賛同者が集まって、
このアートイベントの企画を立ち上げた。
初回の私の作品も、実行委員や地元の皆さんの協力の下で設置。
いわば地域の方々とのコラボ作品だった。刈り入れが終わった水田に
作品の芯になる竹を何本も立ててもらった。
広域の会場の道標になる“移動野外ワーク”の黄色い三角形を、
実行委員の車で道を移動しながらポイントの場所を見つけ、
道沿いの竹林や杉、柿畑、はさなどに設置していった。
今回は、長年の制作で溜まっていった作品のきれっぱしや
染めたロープの塊などを、息を吹き込んだビニール袋に入れて、
竹林に張ったロープに縁日の屋台に並んだ玩具の様に吊り下げる、
という作品。
最初は、それぞれが美術作家でもある実行委員や、毎年参加している他の作家
10名位でコラボができないか、計画を練っていたのだが、少しづつ変更。
最終的に、実行委員でプロの折り紙作家であるKさん、それに
陶芸家で空間感覚が優れた実行委員のNさんとのコラボに落ち着いた。
25年に及ぶ鎮守の森ギャラリーの前半、作品設置時はいつも
Kさんがお手伝いしてくださっていたので、
最終回にまたKさんと共同作業ができたのは、嬉しかった。
そして私は・・・・折り紙にすっかりはまってしまったのだった。
折り紙のことなど、また今回の作品や会場の様子など、
また後日に。
Posted by Ru Na - 2016.11.16,Wed
撮りっ放しでなかなか整理できない鎮守の森ギャラリーでの作品の写真。
少しづつピックアップしています。
他の人の作品も紹介。
少しづつピックアップしています。
他の人の作品も紹介。
Posted by Ru Na - 2016.11.06,Sun
超多忙の中、今年も内川鎮守の森ギャラリーが3日に始まった。
私は10月30日と11月2日に作品を“竹の小径”の竹林に設置。
今年は薄い紫色の帯状の作品である。
紫には濃淡があって、おおむね裏側の方を濃くした。
黄色の縦線は、横長に流れるラインに空間のポイントを作るため。
それに呼応するように、黄色の長三角形を6点配置した。
第1回目にとりあえず設置した後、かなりの雨が降ったので、
2回目はひもの張り直しと、8点ある帯の位置や高さの調整をした。
初日の3日は、またまた雨・・・どころか、霰まで降る荒天。
自転車が足の私は会場に行けず、4日にまた暗くなるまで作品の張り直し
や手直しをして、何とか形を整えた。
今年は竹林の下草刈りがされてなくて、草が深く生い茂る斜面を
行ったり来たりするのは骨が折れ、いつもに増して時間がかかったが、
今年の作品には、草の緑が多いのがとても似合っている。
5日も穏やかな晴天。
この場所は午後、斜面の背後から陽が射すので、
作品の布をステンドグラスのように透かす光が、一瞬一瞬で変化し
移ろってゆく。
作品の背後にある草が、模様のように映っている。
空間全体の様子など、また次回に。
私は10月30日と11月2日に作品を“竹の小径”の竹林に設置。
今年は薄い紫色の帯状の作品である。
紫には濃淡があって、おおむね裏側の方を濃くした。
黄色の縦線は、横長に流れるラインに空間のポイントを作るため。
それに呼応するように、黄色の長三角形を6点配置した。
第1回目にとりあえず設置した後、かなりの雨が降ったので、
2回目はひもの張り直しと、8点ある帯の位置や高さの調整をした。
初日の3日は、またまた雨・・・どころか、霰まで降る荒天。
自転車が足の私は会場に行けず、4日にまた暗くなるまで作品の張り直し
や手直しをして、何とか形を整えた。
今年は竹林の下草刈りがされてなくて、草が深く生い茂る斜面を
行ったり来たりするのは骨が折れ、いつもに増して時間がかかったが、
今年の作品には、草の緑が多いのがとても似合っている。
5日も穏やかな晴天。
この場所は午後、斜面の背後から陽が射すので、
作品の布をステンドグラスのように透かす光が、一瞬一瞬で変化し
移ろってゆく。
作品の背後にある草が、模様のように映っている。
空間全体の様子など、また次回に。
Posted by Ru Na - 2016.08.25,Thu
いつの間にかリオデジャネイロ・オリンピックが始まり、
いつの間にか終わった。
そのどさくさに、伊方原発は再起動し、海外派兵された自衛隊は
戦争法制の理由となった“邦人救出”の演習など行っていた。
いつもは大抵、オリンピックもある程度熱心に見ているのだが、
いま一つ盛り上らない気分で(だいたい忙しすぎる日常で)、
何だか日本はずい分メダルを取ったらしい、でも、「日本が日本が、」と
国家を強調するのは、スポーツ国際試合の興を削ぐなあ、など
これまたいつもの如く、半ば批判的に、それでも
テニスの錦織選手の3位決定戦のVTRだけは、目が離せなくなって
つい見てしまった。
テニスの試合は、自分が昔やっていたせいもあるかもしれないが、
見始めるとつい引き込まれてしまう。
レベルの高い試合ともなると、白枠で囲まれた矩形を行き来する
小さな球が空間に描く線が見事で、その軌跡に沿って
見る者の視線の動きが、空間軸と時間軸にその線をどんどん密集させて、
まるで想念上のドローイングのようである。
“線”といえば、この期間中に足を運んだビアズリー展。
19世紀末のイギリスに彗星の如く現れて、瞬くうちに世界を魅了し
多大な影響を残した夭折の画家。
大正時代の日本の挿絵の雰囲気も、ビアズリーの影響なしには語れない。
白と黒のコントラストやバランスや、大胆な曲線の構図。
あくまでも細く簡潔な曲線が、蔓草のように生き生きと伸びやか、
かつ無駄が無く的確で、その絶妙な装飾性と相まって耽美な世界を醸す。
毒を含んでいるが、決して隠微には陥らない。
私は10代の頃からビアズリーに惹かれ、画集も買ったりしていたが、
解説など読まないので、ビアズリーが20歳から26歳で亡くなるまでの
ほんの短い期間にこれだけの仕事を残したと、この展覧会で改めて知った。
また、実際の原画が想像していたよりずっと小さいのに驚いた。
小さな画面にこれだけの細密な線が描き入れられているのである。
この、「ヨカナーンとサロメ」は、お気に入りの作品の一つだが、
昔イギリスで大型ポスターを買って、長い間自分の部屋に飾っていたので、
自分の頭の中ではポスターサイズの大きな絵に変容していたのだった。
この展覧会で興味深かったのは、彼のイラストが載った本の実物が
多く見られたこと。
これもまた、思っていたより小型で厚く、とても装丁がしっかりしていて、
当時の人は、書店で簡単にこのような美しい本を買えたのだと
うらやましくなった。
マロリーの「アーサー王の死」。
アーサー王物語が大好き。こんな本が喉から手が出るほど欲しい---。
など想いつつ、暗くした照明のガラスケースに貼りついて見ていた。
イエローブック。
展覧会では、ビアズリーが影響を受けたジャポニスム関連の資料、
ビアズリーが影響を与えたヨーロッパや日本の作家の作品展示も
充実していた。
上は、当時のイギリスで出版されていたジャポニスム関係の書籍。
松の木の上で営巣するアオサギと巣の中の3羽のヒナ。
アオサギはイギリスにもいて、日本よりずっと大切にされているらしい。
アオサギの英名、ヘロンさんという苗字も多いと聞く。
(小泉八雲も、そのヘロンさんです。)
鶴ではなくアオサギを表紙に持ってきたというのが、とても面白く
感じられた。
いつの間にか終わった。
そのどさくさに、伊方原発は再起動し、海外派兵された自衛隊は
戦争法制の理由となった“邦人救出”の演習など行っていた。
いつもは大抵、オリンピックもある程度熱心に見ているのだが、
いま一つ盛り上らない気分で(だいたい忙しすぎる日常で)、
何だか日本はずい分メダルを取ったらしい、でも、「日本が日本が、」と
国家を強調するのは、スポーツ国際試合の興を削ぐなあ、など
これまたいつもの如く、半ば批判的に、それでも
テニスの錦織選手の3位決定戦のVTRだけは、目が離せなくなって
つい見てしまった。
テニスの試合は、自分が昔やっていたせいもあるかもしれないが、
見始めるとつい引き込まれてしまう。
レベルの高い試合ともなると、白枠で囲まれた矩形を行き来する
小さな球が空間に描く線が見事で、その軌跡に沿って
見る者の視線の動きが、空間軸と時間軸にその線をどんどん密集させて、
まるで想念上のドローイングのようである。
“線”といえば、この期間中に足を運んだビアズリー展。
19世紀末のイギリスに彗星の如く現れて、瞬くうちに世界を魅了し
多大な影響を残した夭折の画家。
大正時代の日本の挿絵の雰囲気も、ビアズリーの影響なしには語れない。
白と黒のコントラストやバランスや、大胆な曲線の構図。
あくまでも細く簡潔な曲線が、蔓草のように生き生きと伸びやか、
かつ無駄が無く的確で、その絶妙な装飾性と相まって耽美な世界を醸す。
毒を含んでいるが、決して隠微には陥らない。
私は10代の頃からビアズリーに惹かれ、画集も買ったりしていたが、
解説など読まないので、ビアズリーが20歳から26歳で亡くなるまでの
ほんの短い期間にこれだけの仕事を残したと、この展覧会で改めて知った。
また、実際の原画が想像していたよりずっと小さいのに驚いた。
小さな画面にこれだけの細密な線が描き入れられているのである。
この、「ヨカナーンとサロメ」は、お気に入りの作品の一つだが、
昔イギリスで大型ポスターを買って、長い間自分の部屋に飾っていたので、
自分の頭の中ではポスターサイズの大きな絵に変容していたのだった。
この展覧会で興味深かったのは、彼のイラストが載った本の実物が
多く見られたこと。
これもまた、思っていたより小型で厚く、とても装丁がしっかりしていて、
当時の人は、書店で簡単にこのような美しい本を買えたのだと
うらやましくなった。
マロリーの「アーサー王の死」。
アーサー王物語が大好き。こんな本が喉から手が出るほど欲しい---。
など想いつつ、暗くした照明のガラスケースに貼りついて見ていた。
イエローブック。
展覧会では、ビアズリーが影響を受けたジャポニスム関連の資料、
ビアズリーが影響を与えたヨーロッパや日本の作家の作品展示も
充実していた。
上は、当時のイギリスで出版されていたジャポニスム関係の書籍。
松の木の上で営巣するアオサギと巣の中の3羽のヒナ。
アオサギはイギリスにもいて、日本よりずっと大切にされているらしい。
アオサギの英名、ヘロンさんという苗字も多いと聞く。
(小泉八雲も、そのヘロンさんです。)
鶴ではなくアオサギを表紙に持ってきたというのが、とても面白く
感じられた。
Posted by Ru Na - 2016.03.03,Thu
少女漫画雑誌マーガレットの創刊50周年記念展が開催されている。
会場近くに用事があったので、ついでに足を運んでみた。
会場の入り口横の壁には、歴代の表紙がずらりと並べられていた。
なつかしい。私も子供の頃この雑誌で漫画を夢中で読んだ。
タイガースやわたなべまさこの「ガラスの城」、西谷祥子の表紙もあって
時代を感じさせる。
「ベルサイユのバラ」は、マーガレットに連載されていたのだった。
会場には、昔から現在に至るまでの原画などが展示されていた。
トキワ荘のメンバーで、私が最も好きだった漫画家、水野英子に始まり、
(水野英子作品は、後年単行本にまとめられた、かなり古い時代の作品から
ずっと読んできた。)
「エースをねらえ!」など、なつかしのスポーツもの・・・・etc.
有吉京子の「スワン」のカラーイラストは、息を呑むほど幻想的で
美しい。
「ベルバラ」は、生原稿を見ると、案外ざっくり描いている。
原画とストーリー説明をつらつら見ていると、
人物の描き方、コマ割、テーマなどの時代変遷がよく分かる。
ストーリーに起伏がありスケールが大きい物語は、
近年になるほど、ささいな日常の恋愛ものに代わっていったような
そんな印象を受けた。
Posted by Ru Na - 2015.11.12,Thu
内川のアイドル、合鴨たち。
この子たちは金網で囲った池にいるのだけれど、柵の隙間から勝手に外出し
方々を散歩する。他所の合鴨のように、田んぼでのお役目が終わった後、
鴨鍋に卸されることはないが、散歩の途中で天敵に襲われることもあるらしい。
Posted by Ru Na - 2015.11.04,Wed
11月3日、内川・鎮守の森ギャラリー2015年の最終日。
作品を竹林に設置して以降、毎日のように雨。
日中陽が出ても、夜間にかなりの降雨があったり、強風が吹いたり、
布が素材の私の作品は、手直ししてもしても、増々へろへろになっていったが、
雨に濡れ煙る里山の秋の繊細な色彩は、いっそう鮮やかで、
これから冬に向かう前の一瞬の輝きは、目への贅沢なご馳走。
最終日は午後から雨が上がり、多くの友人も見に訪れてくれた。
そしてついに、夕方にかけ竹林に陽が射した!
今年の“鎮守”で、何かが足りないと思っていたのは、
この竹林に斜めに差し込む光だったことに、改めて気付いた。
作品を竹林に設置して以降、毎日のように雨。
日中陽が出ても、夜間にかなりの降雨があったり、強風が吹いたり、
布が素材の私の作品は、手直ししてもしても、増々へろへろになっていったが、
雨に濡れ煙る里山の秋の繊細な色彩は、いっそう鮮やかで、
これから冬に向かう前の一瞬の輝きは、目への贅沢なご馳走。
最終日は午後から雨が上がり、多くの友人も見に訪れてくれた。
そしてついに、夕方にかけ竹林に陽が射した!
今年の“鎮守”で、何かが足りないと思っていたのは、
この竹林に斜めに差し込む光だったことに、改めて気付いた。
Posted by Ru Na - 2015.10.31,Sat
今日から、内川・鎮守の森ギャラリーが始まった。
毎年のことながら、特にここ数年、10月の前半は晴天続き、
10月の末から11月頭にかけて、ちょうど会期前後に天気が崩れる
というパターン。
初日の今日も、雨が降ったり止んだりのぐずついた天候となった。
27日に第1回目の作品設置。天気は上々で暑いくらいの陽気。
しかしその夜、暴風雨が吹き荒れ、2回目の設置に行った時、
竹に張り巡らせたロープに仮留めしていた作品の数点が
風に飛ばされて地面に落ちていたり、はずれかかったり、
くるくる回転した挙句、ロープに巻きついていたりの有様になっていた。
作品設置作業中。
今年は窓枠の様な矩形を沢山作った。合計53点。
白色から薄紅色まで、濃淡のバリエーションがあって、
裏面は淡青緑色。白色の裏は濃い目の緑、濃い目のピンクの裏面は
薄目の緑になっている。
上辺の両端で吊るものの他に、中央で吊っている矩形は風で回転し、
見る時間によって、空間の中の色彩が変化していくことを意図した。
・・・が、野外の風は思いのほか強くて、単に裏返るだけでなく、
首振り状態にもなるので、斜めの四角形という効果も生んだ。
メインのスペースの向かい側、丘の上の小品。
毎年のことながら、特にここ数年、10月の前半は晴天続き、
10月の末から11月頭にかけて、ちょうど会期前後に天気が崩れる
というパターン。
初日の今日も、雨が降ったり止んだりのぐずついた天候となった。
27日に第1回目の作品設置。天気は上々で暑いくらいの陽気。
しかしその夜、暴風雨が吹き荒れ、2回目の設置に行った時、
竹に張り巡らせたロープに仮留めしていた作品の数点が
風に飛ばされて地面に落ちていたり、はずれかかったり、
くるくる回転した挙句、ロープに巻きついていたりの有様になっていた。
作品設置作業中。
今年は窓枠の様な矩形を沢山作った。合計53点。
白色から薄紅色まで、濃淡のバリエーションがあって、
裏面は淡青緑色。白色の裏は濃い目の緑、濃い目のピンクの裏面は
薄目の緑になっている。
上辺の両端で吊るものの他に、中央で吊っている矩形は風で回転し、
見る時間によって、空間の中の色彩が変化していくことを意図した。
・・・が、野外の風は思いのほか強くて、単に裏返るだけでなく、
首振り状態にもなるので、斜めの四角形という効果も生んだ。
メインのスペースの向かい側、丘の上の小品。
Posted by Ru Na - 2015.09.26,Sat
川の繁華街に近い橋のたもと、この秋もLEDの電飾が。
こんな狭い所によくもまあ、と川沿いの遊歩道を行き来する者には
少々邪魔になるのだが、この連休の前半には屋台や音楽ステージ、
椅子やテーブルまで並んで賑わっていた。
イヴェント開催中は、このような光のオブジェも置かれ、
涼しくなった秋の宵の川風を、みな穏やかに楽しんでいた。
色や形にもう一工夫欲しいものだと毎年思うが、さりげない光の回廊を
川面に映る光の色を横目で見ながら通るのも、結構楽しい。
Posted by Ru Na - 2015.09.22,Tue
三桜美術展が21世紀美術館で今日から始まった。
かっては美大予備校と言われたくらい、美術家を多く輩出し、
特別プロでなくても、卒業後、美術・工芸に手を染めている人が多い割には、
まとまった同窓会展が今まで無かったので、二年前に発起人が大奮闘し、
初めて実現した展覧会がとても盛り上がり、評判もまずまず。
この第2回目の開催につながった。
今回、美術館の地下ギャラリーを全面使用なので、かなりの広さ。
しかし参加人数と他の人の作品の大きさとの兼ね合いもあり、
どのくらいのスペースを一人で使わせてもらえるか、前もって分からなかった。
また、高さ4.5mある天井から、作品のパーツをうまく吊り下げる事ができるか、
どのくらい設置に時間がかかるかなど、見当がつかない事が多かった。
果たしてどんな空間になるだろうか。
昨日の作品設置、会場設営の風景。
このギャラリーは、直接天井から何か吊り下げる為の設備が無いのが難点だが、
壁には小さな釘なら打てる。コーナーのスペースをもらった私は、
壁から直交する壁に水平に紐を張って、そこから作品パーツを吊ることにして、
何とか形にすることが出来た。
コーナーの中央奥にあるのは、映像作品を流すポータブルDVDプレーヤー。
実は今回、この小さな映像モニターを中心に、それにマッチするパーツを
選んだ結果、こういう形になったのだった。
映像作品は、08年から14年までのものから3本選んで、エンドレスの
DVD-video に仕上げた。
3本目は、去年制作した、私のフィールドの川やその周辺にいる野鳥の
映像からの抜粋で、加工なしの実写のみなので、他の2本と性質が異なるが、
これをちらりとでも見て、少しでもサギに関心を持ってもらえたらいいな
という淡い期待も、実はあったりする。
左の方の壁を思ったより広く使えたので、これ幸いと、
このように並べないと、四角の穴が少しづつずれていくのが分からない
この作品を設置した。
会場風景。色んなジャンルの作品が集まった。
かっては美大予備校と言われたくらい、美術家を多く輩出し、
特別プロでなくても、卒業後、美術・工芸に手を染めている人が多い割には、
まとまった同窓会展が今まで無かったので、二年前に発起人が大奮闘し、
初めて実現した展覧会がとても盛り上がり、評判もまずまず。
この第2回目の開催につながった。
今回、美術館の地下ギャラリーを全面使用なので、かなりの広さ。
しかし参加人数と他の人の作品の大きさとの兼ね合いもあり、
どのくらいのスペースを一人で使わせてもらえるか、前もって分からなかった。
また、高さ4.5mある天井から、作品のパーツをうまく吊り下げる事ができるか、
どのくらい設置に時間がかかるかなど、見当がつかない事が多かった。
果たしてどんな空間になるだろうか。
昨日の作品設置、会場設営の風景。
このギャラリーは、直接天井から何か吊り下げる為の設備が無いのが難点だが、
壁には小さな釘なら打てる。コーナーのスペースをもらった私は、
壁から直交する壁に水平に紐を張って、そこから作品パーツを吊ることにして、
何とか形にすることが出来た。
コーナーの中央奥にあるのは、映像作品を流すポータブルDVDプレーヤー。
実は今回、この小さな映像モニターを中心に、それにマッチするパーツを
選んだ結果、こういう形になったのだった。
映像作品は、08年から14年までのものから3本選んで、エンドレスの
DVD-video に仕上げた。
3本目は、去年制作した、私のフィールドの川やその周辺にいる野鳥の
映像からの抜粋で、加工なしの実写のみなので、他の2本と性質が異なるが、
これをちらりとでも見て、少しでもサギに関心を持ってもらえたらいいな
という淡い期待も、実はあったりする。
左の方の壁を思ったより広く使えたので、これ幸いと、
このように並べないと、四角の穴が少しづつずれていくのが分からない
この作品を設置した。
会場風景。色んなジャンルの作品が集まった。
Posted by Ru Na - 2015.02.09,Mon
藤井肇さんの突然の訃報を聞いたのは、丁度1年前。
造形作家の大先輩であり、世代は違えど仲間として、
いろんな展覧会や社会活動をご一緒してきた。
クリスチャンだった藤井さんの葬儀は、市内のカトリック教会で。
長く美術教師を務め、県会議員としても様々な不正を問いただしてきた
方なので、礼拝堂に入りきれない位の大勢の人が集まり、
はみだし組は、非情にも閉じられた礼拝堂の扉に耳を押し当てて、
ミサを聞いていたのだった。
式の後は近くのホテルの広間に、美術仲間など親しい者が集まって、
とにかく明るく送るのが、こんなパーティが好きだった藤井さんに
ふさわしいと、真っ赤に泣き腫らした目で冗談を言い合ったり談笑した。
会場を出て、粉雪が降りしきる中、夜の川原まで歩いた。
夕方降り始めた雪はすっかり道を覆い、ふかふかの雪に足を埋めながら
「藤井さんがもういないなんて実感できないなあ。」など思いながら、
川面に移る街灯の光の帯を見つめていた。
あれから1年。
日本海造型会議のメンバーが、藤井さんの展覧会を企画した。
少年時代の思い出をつづった、エッセイ記事も展示され、
いつまでもやんちゃな少年のようだった藤井さんの原点を垣間見た想いがした。
いつも美術館の広いスペースを埋め尽くすような、大きくて迫力ある作品を
創ってきた人なので、ここでも作品が空間からはみ出しそうである。
原発や核の問題に取り組んできた藤井さんの作品には、
世界の不条理さに対する怒りがこもっている。
阪神淡路大震災で息子さんを失った造型会議の仲間や犠牲になった方々への
祈りの心を込めた、無数の天使の絵で美術館を埋めたことがある。
今回の展覧会でも、古い扉から天使の姿がのぞいている。
造形作家の大先輩であり、世代は違えど仲間として、
いろんな展覧会や社会活動をご一緒してきた。
クリスチャンだった藤井さんの葬儀は、市内のカトリック教会で。
長く美術教師を務め、県会議員としても様々な不正を問いただしてきた
方なので、礼拝堂に入りきれない位の大勢の人が集まり、
はみだし組は、非情にも閉じられた礼拝堂の扉に耳を押し当てて、
ミサを聞いていたのだった。
式の後は近くのホテルの広間に、美術仲間など親しい者が集まって、
とにかく明るく送るのが、こんなパーティが好きだった藤井さんに
ふさわしいと、真っ赤に泣き腫らした目で冗談を言い合ったり談笑した。
会場を出て、粉雪が降りしきる中、夜の川原まで歩いた。
夕方降り始めた雪はすっかり道を覆い、ふかふかの雪に足を埋めながら
「藤井さんがもういないなんて実感できないなあ。」など思いながら、
川面に移る街灯の光の帯を見つめていた。
あれから1年。
日本海造型会議のメンバーが、藤井さんの展覧会を企画した。
少年時代の思い出をつづった、エッセイ記事も展示され、
いつまでもやんちゃな少年のようだった藤井さんの原点を垣間見た想いがした。
いつも美術館の広いスペースを埋め尽くすような、大きくて迫力ある作品を
創ってきた人なので、ここでも作品が空間からはみ出しそうである。
原発や核の問題に取り組んできた藤井さんの作品には、
世界の不条理さに対する怒りがこもっている。
阪神淡路大震災で息子さんを失った造型会議の仲間や犠牲になった方々への
祈りの心を込めた、無数の天使の絵で美術館を埋めたことがある。
今回の展覧会でも、古い扉から天使の姿がのぞいている。
Posted by Ru Na - 2014.11.08,Sat
今年も竹林でのインスタレーション作品と同時に、ギャラリー花音で
映像作品を上映した。去年に続いて、加工なしの野鳥の記録映像である。
タイトルは「鳥とりどり」。
私のフィールドである川やそれに隣接する公園や田畑で出会った鳥たちを、
冬から早春、早春から初夏、初夏から秋、の3章に分けて紹介している。
今回、様々な野鳥の映像を少しづつ取り上げたのは、
この川にはこんな鳥がいると、河川工事の話し合いの時に、
何かの役に立つ事もあるかもしれない、と思ったのである。
もう手を付けないと、県の河川課が言っていたサギコロニーに、
この冬再び工事が入ることになり、河川課にサギたちへの配慮を
頼むため、去年のサギコロニーの記録映像を渡そうと思ったが、
映像の動き方に問題があった。
その手直しに、ずっとかかりきりだった。
突然スローになったり場面が飛んだりが、やっと直ったのは8月末。
そのDVDを河川課に提出してからようやく、
落ち着いて今年の映像作品に本格的に取り掛かることができた。
が、あまりにも膨大な量の映像記録。その中からどれを選ぶか、
手を付け始めたら収拾が付かなくなって、
果たして期限までに完成させられるかどうか、気が遠くなってきた。
去年の夏にビデオカメラを換え、撮影画質もそれまでのフィールドオーダー
からフレームベースの60pに変えたので、それ以前の撮影映像を多く混合させると、
またどんな問題が起きるか分からず、間に合わなくなる。
それで、極力今年撮影したものからシーンを選ぶ事にした。
冬から早春の第1章に入れたのは、
コガモ、カルガモ、カイツブリ、キジ、キンクロハジロ、ホシハジロ、モズ、
ホオジロガモ、オオバン、アオジ、カワガラス、シノリガモ、キジバト、
ダイサギ(冬の大ダイサギ)、ノスリ、タシギ、シロハラ、アトリ、カワアイサ、
コ○○○アイサ、ホオジロ、セグロセキレイ、エナガ、冬羽のカンムリカイツブリ、
イカル、マガモ、オナガ、ユリカモメ。
早春から初夏の第2章。
ツグミ、アカゲラ、ジョウビタキ、ウグイス、シジュウカラ、スズメ、カワセミ、
ミサゴ、ヒドリガモ、ヒレンジャク、キレンジャク、ハチジョウツグミ、ヒヨドリ、
夏羽のカンムリカイツブリ、アカハラ、マミチャジナイ、セグロセキレイ、
エゾムシクイ、センダイムシクイ、クロツグミ、ノビタキ、イソシギ、イソヒヨドリ、
キジバトの求愛、カンムリカイツブリの求愛、モズ、イカルチドリ、シロハラホオジロ、
バン、コムクドリ、コゲラ、ムクドリ、アオバト、カワラヒワ。
初夏から秋の第3章。
アオサギ、コサギ、ゴイサギ、キビタキ、コサメビタキ、サギコロニー、
チュウサギの求愛、アマサギの求愛、コサギの巣作り、ダイサギの求愛、
オオヨシキリ、キセキレイ、コチドリ、イワツバメ、スズメの給餌、キジ、
ササゴイ、シジュウカラの給餌、セグロセキレイ幼鳥、ゴイサギの給餌、
チュウサギの給餌、アマサギの給餌、コサギ幼鳥、カワウ、クロツグミ、
オシドリ、セグロカモメ、水辺のサギ、サギの渡り。
この川のエリアの常連、または毎年見かける鳥で、
うまく撮影できていなかったり、適当なシーンが見つからなかったり、
タイミングが合わなかったりで、映像に入れられず残念だったのは、
ヨシガモ、ハクセキレイ、アオゲラ、メジロ、シメ、ヒガラ、ヤマガラ、
ルリビタキ、オオルリ、カシラダカ、ミヤマホオジロ、オオジュリン、
ケリ、ツバメ、トビ、ハヤブサ、ハシボソガラス、ハシブトガラス・・・・・。
まず映像を4~5時間分集め、それを何とか34分に約めた。
撮影したものはそのままだと、人の話し声やその他雑多な音が入っているので、
鳴き声を入れるのはあきらめて、BGMを音楽のみにした。
近年、アレルギー性皮膚炎や、左手指の慢性腱鞘炎で、
すっかりピアノが弾けなくなったし、楽譜をPCに打ち込むのも
時間がかかりすぎる。
著作権フリーの音源を使用する事にし、いろいろ捜してはダウンロード。
嬉しいのは、鍵盤楽器だけでなくオーケストラの音も使えること。
(オーケストラ譜を自分でPCに打ち込んでいたら、多分何年もかかってしまう。)
使いたい曲のフリー素材が見つからないことも多く、
思いのほか時間がかかったが、選曲はとても楽しかった。
初め考えていた曲がしっくりこず、たまたま試した曲が映像にぴったりだったり、
まるでNHK FM番組の「きらクラ」(気らくにクラシック)の、
BGM選手権(というコーナーがあります。)をやっているような気分だった。
フォーレやスカルラッティ、ヴィバルディ、チャイコフスキーにリスト・・・。
サギの渡りのシーンにはブルックナーのあの部分、と考えていたら、
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の第2楽章が一番しっくりきた。
Posted by Ru Na - 2014.11.07,Fri
鎮守の森の竹林や神社を彩った作品の数々。
様々なポーズの人形が、竹林の端で秋の里山風景を見下ろして、
不思議な空間を醸している。
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金沢市在住の美術家
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